2014 年 6 月 7 日 のアーカイブ

大友美有紀 14年6月7日放送

140607-01
Jorge in Brazil
「オスカー・ニーマイヤー」曲線

ブラジル建築界の巨匠、オスカー・ニーマイヤー。
ニューヨークの国連ビルの設計者の一人として知られている。
彼のキャリアは、ブラジル、ベロ・オリゾンテ、
パンプーリャで始まった。

今年、ワールドカップのリーグが開催される地区でもある。

1943年、サンフランシスコ・デ・アシス教会。
波のような4つの放物線からなる屋根。
ファサードにタイルで宗教画が描かれている。

 私は人間が生み出す硬直した直線には興味がない。
 私が魅せられるのは、自由に流れる感覚的な曲線である。
 故郷の山々の稜線、うねる川の流れ、空に浮かぶ雲、
 そして私が愛して止まない女性の体の線に、
 私はそのような曲線を見いだす。
 曲線は全宇宙を構築する。
 アインシュタインの湾曲した宇宙を。

 
当時、世界中の建築家が影響を受けた
バウハウスの構造主義に、真っ向から対向している。
さながら、ドイツ対ブラジルの美の闘いだ。

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大友美有紀 14年6月7日放送

140607-02
¡Carlitos
「オスカー・ニーマイヤー」永遠の空間

ブラジルの首都、ブラジリア。
人工的につくられた街だ。
ブラジル建築界の巨匠、オスカー・ニーマイヤーは、
この地の主要な建築物を手がけている。
なかでもカテドラルは、デザインと構造が統合した最高傑作。
16本の曲線の柱が建物を取り囲んでいる。
天に祈りを捧げる腕のようだ。

 ありきたりの発想が、これまでの暗いカテドラルを生んできた。
 地上に暮らすひとびとの叫びや希望から生まれた、
 空気のような外観を、私は実現したかった。
 そして、薄暗い回廊。
 光と外観のコントラストをしっかりと出し、
 世俗的な雑念を捨て、聖堂の中へ、永遠の空間へと
 深遠な気持ちで入っていける雰囲気を作りたかった。

 
ただ独創的な外観を作りたかったのではない。
祈りへのニーマイヤーの想いがこめられている。

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大友美有紀 14年6月7日放送

140607-03
AHLAM
「オスカー・ニーマイヤー」ラテンアメリカ記念公園

ブラジル建築界の巨匠、オスカー・ニーマイヤーは、
ブラジルでのクーデターを逃れ、一時期ヨーロッパに滞在する。
そして、母国に戻った時、友人たちと語り合ううちに、
おのずと議論の中心が自分たちの生きている世界の不平等や
貧困という問題に向かうことが多かった。

サンパウロで彼が手がけたラテンアメリカ記念公園は巨大な作品だ。
それはこの建物の目的の偉大さを表現している。
市民広場には、高さ8mのコンクリート製の手のオブジェがある。
絶望を示す、やや曲がった指。一筋の血が手首まで流れ落ちている。

 汗と貧困が、我々の分断され抑圧されたラテンアメリカをあらわす。
 今や、この大陸を再び立て直し、統一し、
 その独立と幸福を保障できる不可侵の一枚岩に変えることが
 極めて重大である。

 
それは、挑発というよりは、批判や警告を伝えている。
影の差す過去や、希望はあるが不確かな未来への想いがあった。

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大友美有紀 14年6月7日放送

140607-04
Rodrigo_Soldon
「オスカー・ニーマイヤー」空中に咲く花

ブラジル建築界の巨匠、オスカー・ニーマイヤーは、
とても仕事が速かった。
リオデジャネイロのニテロイ現代美術館の最初のスケッチは、
小さなレストランで注文した魚を待っている間に、
ナプキンにささっと描いたものだった。
その美術館は空中に咲く花のように建っている。

 景観が壮大なので、自然の景色を隠したくなかった。
 私は建物を建てて、景観を広げなければならなかった。
 中心の支柱から建物は花のようにのびやかに立ち上った。
 この美術館は、この場所で美しいものを保存しなくてはいけないのだ。

 
2012年12月、オスカー・ニーマイヤーは、104歳で亡くなった。
自分の建築は、政治的で公共の巨大な建物が大半だけれども、
一般の人々、無力な人々に喜びを与えてきたものもあると思う、と語っていた。
ありきたりなものを嫌い、抑圧する側へ反抗しながら、
謙虚なヒューマニストだった。

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