2014 年 6 月 21 日 のアーカイブ

道山智之 14年6月21日放送

140621-01
Phil Guest
バート・バカラック1

作曲家、バート・バカラック。
今年4月に来日したとき、彼は85歳。
ピアノを弾きながら、歌いながら、同時にオーケストラへの指揮を華麗にこなし、
感動的なステージをつくりあげた。

今回の来日は、前回の2012年から
まだ1年半しかたっていない。
彼はその理由を語っている。

「前回、私が日本へ来たとき、
 心を開き、より深い感情を見せてくれたみなさんに
 とても感動しました。
 それは、以前日本に来たときとくらべると、
 より感動的なものでした。
 私は、地震や津波、それらによって発生した惨状を経験し、
 日本のみなさんが心を開き、感じてくれたのだとほんとうに信じています。
 多くの方々の感動を目の当たりにし、
 心からそう思いました」

コンサートホールに響く彼のメロディは、
悲しみのあとにはなにかが待っているはず、という人生のメッセージそのものだった。

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道山智之 14年6月21日放送

140621-02

バート・バカラック2

作曲家、バート・バカラック。
彼は学生時代、作曲家ダリウス・ミヨーのクラスにいた。

他の生徒たちが、複雑で抽象的な曲を披露する中、
バートは自分の書く甘いメロディを引け目に感じていた。

演奏を聞き終わると、ミヨーは言った。

「口笛で吹けるメロディを書いたからと言って、
 恥じる必要はまったくない」

「記憶に残るメロディをつくれる人間はめったにいない。
 そしてそれは本質的な才能なのだ」

バートは、一生の教訓を与えてもらった、と語っている。
若き作曲家志望の学生にかけたひとことが、
その後の音楽史をぬりかえることになった瞬間だった。

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道山智之 14年6月21日放送

140621-03
realjv
バート・バカラック3

作曲家、バート・バカラック。
彼は語る。

「自分の書いた曲を、自分で守ろう、と思うようになってから
 何かが変わった。
 プロデューサーでなく、編曲者だったとしても、
 スタジオに行ってやってしまう。
 プロデューサーのクレジットはほかの人の名前でもかまわない。
 曲を、守ることに興味があったんだ」

名曲「アルフィー」の録音で、
バートは大スター、シラ・ブラックに激しいボーカルを求めた。
テイク数は28にも及んだ。

「もっとうまくやれるんじゃないか?もう1回やってくれないか?」

そんなバートに、
プロデューサーのジョージ・マーティンがしびれをきらした。
「バート、キミはいったい何をほしがってるんだ?」

バートは答えた。
「ちょっとした魔法ですよ」

テイク数の多さに、シラは腹を立てていたが、
それが、がむしゃらな歌を生み、時をこえて心にのこるものとなった。

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道山智之 14年6月21日放送

140621-04
mfhiatt
バート・バカラック4

作曲家、バート・バカラック。
彼は語る。

「たとえただの握手だったり、路上でサインを求められたり、
 自分の曲に誰かがコメントしてくれたりするだけでも、
 そうしたつながりは私にとって大きなパワーと意味を持っている」

2008年、日本での公演終了後、
若い女性がバートと目があった瞬間言葉を失い、
涙を流しはじめた。
心打たれたバートは近づいて、そっと両腕で抱きしめながら思った。

「もし女性をこんな気持ちにさせる音楽をつくれるとしたら、
 それだけで大したものじゃないか」

その女性の名は、椎名林檎。
さっそくバートから、楽曲「It Was You」を贈られた。
この曲は、彼がつくった最新の楽曲だ。

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