2015 年 5 月 31 日 のアーカイブ

礒部建多 15年5月31日放送

150531-01

明治のパパラッチ

明日6月1日は、写真の日。

明治天皇は、極度の写真嫌いで有名だった。
しかし、そんな明治天皇を初めて写した写真がある。
写したのは、オーストリア出身の写真家、スティルフリード。

艦隊に随行する形で日本にやって来たスティルフリードは、
1872年、横須賀造船所を訪れた天皇一行を無断で撮影。
明治政府の没収を逃れ、国外に持ち出された。

公式に残る明治天皇の写真は、たった2枚のみ。
大きな波紋を呼んだその「パパラッチ写真」も、
後に貴重な歴史的資料となった。

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松岡康 15年5月31日放送

150531-02

化学者の写真館

明日6月1日は、写真の日。

日本で最初に写真館を開いた上野彦馬。
坂本龍馬、高杉晋作、木戸孝允、伊藤博文といった
幕末の日本を動かした大物たちが
長崎にある彦馬の写真館を訪れ、写真を撮った。

彦馬が生きた明治時代。
当時の日本では感光材として必要な
薬品の入手さえままならず
写真を撮るためには、
自分で薬品を精製しなければならなかった。

若かりし頃、
オランダ人の医師の下で化学の知識を身に着けた彦馬。
その知識が写真撮影に活かされた。

彼が撮影手順を記した
「舎密(せいみ)局必携」は、
明治の学制改革まで
日本全国で化学の教科書として使われたという。

彦馬は写真家であると同時に、
化学者だったのだ

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澁江俊一 15年5月31日放送

150531-05

伊兵衛のおばこ

今日は写真家、木村伊兵衛の命日。

ライカを手にして日本を旅し、
普通の人々の日常を鮮やかに切りとる。
スナップ写真の達人だった木村伊兵衛。

中でも伊兵衛が愛したのは秋田県。
何度も訪れては、農村の風景を次々とフィルムに焼き付けた。

その中に、
見る人の目を釘付けにする一枚がある。
若い娘をあらわす方言で「おばこ」と名づけられた
一人の娘の写真だ。
今見ても圧倒的に美しい、透明なまなざし。
編み笠をかぶり、野良着を着て、
田植えをしている最中の農家の娘のように見えるが
彼女はその時、農作業をしていたわけではなかった。

後に秋田美人の象徴とも言われた一枚は、
実は、木村伊兵衛の見事な演出だったのだ。

女性にとってリアルは、美ではないこともある。
リアリティを追いかけながら、
女性の美に関しては、時に鮮やかに嘘をつく。
木村伊兵衛が女性ポートレイトの名手、と称された理由も
そこにあるのかもしれない。

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礒部建多 15年5月31日放送

150531-04

リアリズムと写真

明日6月1日は、写真の日。

「写真は絵画の代替物である。」
第二次世界大戦以前の日本では、写真に対する評価は低く、
浮世絵の模造品のごとく、
シンプルな風景を撮影したものがほとんどだった。
土門拳は、そんな日本写真の呪縛を打ち破りたかった。

対象物を性格に描写するようなリアリズム。
真実を追求し、現在を撮る。
写真は肉眼を遥かに越えることを、土門は証明していった。

 実物がそこにあっても、実物を何度見ていても、
 実物以上に実物に見える。そんな写真が、本物である。

土門の鋭い眼差しは、
被写体を見つめているのではない。
被写体を暴いているのだ。

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澁江俊一 15年5月31日放送

150531-03

伊兵衛の口癖

今日は写真家、木村伊兵衛の命日。

ライカを手にして日本を旅し、
普通の人々の日常を鮮やかに切りとる。
スナップ写真の達人だった木村伊兵衛。

彼の口癖は、「乙なもんですね」。
しかし甲乙つけがたい、とも言われるように
「乙」とは決して最上のもの、ではない。
最上ではないものを、よしとする
それが木村伊兵衛の写真の凄さだ。

同じくライカを操り、スナップを得意とし
伊兵衛ともよく比較されたフランスの写真家、
アンリ・カルティエ・ブレッソンは
「決定的瞬間」の言葉で知られるように
1ミリも動かしようのない完璧な構図を目指した。

伊兵衛を敬愛する写真家、荒木経惟は
伊兵衛の写真を、こう語る。

 木村伊兵衛さんの写真は、

 この瞬間が最高だとかいうのではなくて、

 時間の流れっていうか、
動いてる感じがある。
 ブレッソンが「決定的瞬間」って言ってるけど、
 木村さんには「決定的瞬間」なんてないんだよ。

 そこが魅力的なんだよ。

完璧でないものにも、美しさがある。
木村伊兵衛の乙な写真術は
日本人ならではの美、とでも、言ってみたくなる。

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奥村広乃 15年5月31日放送

150531-06
sorarium
写真の世界

明日6月1日は、写真の日。

日本の近代写真を確立させた、野島康三(のじまやすぞう)。
ロマンティックで絵画的な写真から、
モデルの個性を引き出す人物写真。
それまでタブーとされてきた
ヌード写真にも積極的にとりくんだ。

1920年に発刊された「写真月報」に
彼は、こう記している。

「絵のやうな写真などゝ云はれて嬉しがってゐては駄目です。
 写真には写真の世界があります。
 写真の世界に作家が生きていなければ駄目です。」

今から100年近く前、
写真を絵画から切り離し
芸術へと昇華させた野島康三。
彼の写真は、いまも、力強くうったえるものがある。

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奥村広乃 15年5月31日放送

150531-07
Amelien (Fr)
写真家のいろは歌

明日6月1日は、写真の日。

アマチュア写真家 安井仲治(やすいなかじ)。
彼が考えた
「写真家四十八宜(しゃしんをうつすひとよんじゅうはちよろし)」。
そこには、48もの写真家への言葉がある。

い、「いつそスラムプは大なるがよろし」
ろ、「ろくでもないものは感心せぬがよろし」
は、「ハツと感じたら写すがよろし」
など。
1940年に発表されたものだが、
現在に通じるものも多い。

ざまざまな技巧に、精力的に取り組みながら
常に被写体の人間らしさを見失わなかった安井仲治。
この「写真家四十八宜」からも、
写真の向こう側にいる人間への思慮がうかがえる。

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松岡康 15年5月31日放送

150531-08
663highland
写真的建築

明日6月1日は、写真の日。

砂丘の中に人をオブジェの様に置く構図で知られる写真家、植田正治(うえだしょうじ)。
前衛的な演出写真は「植田調」として世界でも知られている。

そんな彼の作品を収める写真美術館が、
鳥取県大山のふもとにひっそりと建っている。

実はこの建築、植田の代表作「少女四態」をモチーフに設計された。

コンクリート打ちっぱなしの四角い展示室が4つあり、
それらが微妙に異なる間隔で並んでいる。

展示室から展示室へと移動する途中、
巨大な2枚の壁の間から雄大な大山を望むことができる。

コンクリートで切り取られた風景は
まるでフレームに収まる写真の様だ。

風景を切り取るという意味で、
建築と写真は、よく似ている。

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