2016 年 2 月 7 日 のアーカイブ

大友美有紀 16年2月7日放送

160207-01

「アンデルセンとディケンズ」賞賛

19世紀のデンマークの童話作家アンデルセン。
ビクトリア朝時代を代表するイングランドの作家ディケンズ。
同時代に生きた2人には、交流があった。
初期のディケンズ作品を読んだアンデルセンは、
熱烈に賞賛した。
ディケンズが描く社会悪や貧乏、困窮は、
貧乏人の子であるアンデルセン自身が経験した
出来事がたくさんあったのだ。

 チャールズ・ディケンズは、
 私たちに貧しい子たちの苦悩を
 描き出してくれました。

 
アンデルセンは自分とディケンズには類似点があると感じた。
そして、イングランドへ渡り、
偉大な作家に会うことを熱望する。

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大友美有紀 16年2月7日放送

160207-02

「アンデルセンとディケンズ」友情の始まり

ハンス・アンデルセン。
今でこそ童話作家として世界的に有名だが、
19世紀半ばのイングランドでは、
たいへん面白く、新しく登場した外国の作家とみなされていた。
彼の最初の小説「即興詩人」は1845年に英訳されていた。
1847年、アンデルセンはイングランドへ招待される。
そこでディケンズと出会うのである。

 若くて、顔立ちがよく、聡明で親切そうな面もちで、
 長く美しい髪を両側にたらして入ってきた人は、
 ディケンズであった。
 私たちは、互いに握手し、目を見つめて語り、
 お互いに理解することができた。
 私のもっとも愛していたイングランドの現存作家と
 会って語り、深く感動し、幸せであった。

 
ディケンズもアンデルセンの作品を読んでいた。
そして彼もまたこのデンマーク人の作家に対して
賞賛の気持ちを持っていたのである。
二人の偉大な作家の友情はこうして始まった。

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大友美有紀 16年2月7日放送

160207-03

「アンデルセンとディケンズ」クリスマスの贈り物

1847年、ロンドンでディケンズと出会ったアンデルセンは、
母国へ戻ったあと、自分の作品を彼に献じようと考えた。
それは、7つの短い物語。
『ある母親の物語』『幸福な一家』『古い家』
『水のしずく』『カラーの話』『影法師』『古い街灯』。

 私は自分の詩の園からでてきた最初の作品を、
 クリスマスの挨拶として、
 イングランドに移し住まわせたいという熱望と憧れを感じます。
 それで親愛にして高貴なチャールズ・ディケンズ様、
 私はあなたにそれをお送り申しあげます。

 
アンデルセンはその短編集を、デンマーク語版よりも
先に英語版を出版させた。出来上がった本は、
すぐさまディケンズに届けられた。

 私の親愛なるアンデルセンよ、
 親しくまた賞賛のうちに私を覚えていてくださり、
 このたびは、あなたのクリスマスの本をお贈りくださって、
 本当にありがとうございました。
 私はたいへん光栄に思い、尊敬の念を深く感じます。

このディケンズからの礼状は、アンデルセンにとって
自分を豊かなものにする息吹であった。

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大友美有紀 16年2月7日放送

160207-04

「アンデルセンとディケンズ」ハンス

デンマークとイングランド。
海を挟んだ二つの国の作家、アンデルセンとディケンズは、
19世紀半ばにロンドンで出会い、
手紙をやり取りし、お互いの著作を読み、友情を深めていた。
1856年夏、アンデルセンは、ディケンズから再びロンドンへの
招待を受ける。

 私の親愛にして、尊敬するハンス!
 あなたはいつまた来てくださいますか?
 たとえば、あなたは私の家にきて、
 泊まられるのが当然です。
 私どもはあなたを幸せにするために最善をつくしましょう。

 
家に招かれたことも嬉しかったが
アンデルセンは、この書き出しにびっくりした。
ハンスと呼ばれたことはなかったからだ。
そしてますますディケンズに親愛の情を抱くようになる。

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大友美有紀 16年2月7日放送

160207-05

「アンデルセンとディケンズ」再会へ

ロンドン、タヴィストック・ハウスにて
1857年4月3日、ディケンズからアンデルセンへの手紙

 どうぞイングランドにおいでになる決心をしてください。
 私どもは、ロンドンから1時間半以内で着く
 ケントの田舎で夏を過ごします。
 もしあなたが、いつおいでくださるかを
 お知らせくだされば、私どもは心から
 喜んでその時をお待ち申し上げます。

 
コペンハーゲンにて
1857年4月14日、アンデルセンからディケンズへの手紙

 あなたのお手紙は、
 このうえもなく私を幸せにしてくれました。
 私はしばらくの間、あなたといっしょに居られることを考え、
 いいえ、あなたの家にあって、あなたのご家族の一員に
 加えていただくことを考えて、まったく嬉しさのあまり
 胸をわくわくさせています。

小説がデンマーク語、ドイツ語、英語で同時出版され
ディケンズの別荘に招待されたアンデルセンは、
歓喜の絶頂にあった。

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大友美有紀 16年2月7日放送

160207-06
Hornbeam Arts
「アンデルセンとディケンズ」ディケンズとの夏

1857年6月11日から7月15日、実に5週間もの間、
アンデルセンはディケンズの田舎の邸宅に滞在した。
一家とともに田舎の散策に出かけ、噴水に驚き、音楽祭を楽しんだ。
おりしもアンデルセンは
小説「生きるべきか死ぬべきか」を出版したばかり。
イギリスの雑誌で酷評されるのを次々と目にして、
心を乱し、憔悴してしまう。

 ディケンズは私を両腕に抱いて、
 兄弟のように語ってくれました。
 神様が私に何を与えてくださったかを。
 そして砂の上に足で何かを書き
 「これがありふれた批評というものだ」といい、
 すぐにもみ消した。そして
 「さ、もう消えてしまったろ!
 反対に詩人の作品は生き続けるんだからね!」と言いました

 
アンデルセンは、その行いに自分がちっぽけな存在だと感じ、
ディケンズに感謝し、喜びを感じたのだった。

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大友美有紀 16年2月7日放送

160207-07

「アンデルセンとディケンズ」さらなる賞賛

1857年夏、イングランドの作家ディケンズの田舎の別荘に
デンマークの童話作家アンデルセンがひと月以上も滞在していた。
その日々のことをアンデルセンは、
「1857年夏のチャールズ・ディケンズ訪問」と題し新聞に掲載した。
当時の感動をアンデルセンはコペンハーゲンの新聞編集者への
手紙の中でも綴っている。

 私はディケンズの家族の中で暮らす幸運に恵まれました。
 彼はいつもいつも変わることなく、生気にあふれ、快活で
 暖かい心の持ち主でした。誰でも即座に彼を絶対的に信頼します。
 ディケンズのあらゆる作品の中から、
 最も良いものを取り出して、それで一人の人間像を作れば、
 チャールズ・ディケンズの本当の肖像が出来上がります。

イングランドを去ってからのアンデルセンは、
すっかり意気消沈してしまっていた。

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大友美有紀 16年2月7日放送

160207-08
Flyinace2000
「アンデルセンとディケンズ」別れ

デンマークの童話作家アンデルセンとイングランドの作家ディケンズ。
2人は書簡を交わし、著作を読み、友情を育んだ。
アンデルセンは、英語が苦手だった。
手紙はデンマーク語で書き、翻訳してもらっていた。
英語で会話していたが、ディケンズは英語で話すときのアンデルセンを
しゃべれず、聞こえない人のようだったと酷評している。
ある夏、アンデルセンは、ディケンズの別荘に5週間滞在した。
当初1、2週間と言っていたのに。
ディケンズはアンデルセンにずいぶん悩まされたと友人に言っている。
実は、アンデルセンもそれに気づいていた。 

 数週間にわたって、私のように全くでたらめな英語をしゃべり
 雲のうえから転げ落ちてきたような者を真ん中にかかえていることは、
 ご家族にとって決して快いものではなかっただろうと気づいています。

うんざりしても、いらだっていてもディケンズは、
アンデルセンの前ではそれを感じさせなかった。
作家アンデルセンの才能を賞賛していたから。
2月7日はディケンズの誕生日。

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