2016 年 2 月 27 日 のアーカイブ

佐藤理人 16年2月27日放送

160227-01

イパネマの男① 「ボサノヴァ」

1957年のある晩、ブラジルの作曲家
アントニオ・カルロス・ジョビンは、
歌手ジョアン・ジルベルトのステージを見て閃いた。

 これだ!

彼の囁くような歌い方とサンバのギターこそ、
自分の理想の音楽を体現してくれるに違いない。

二人は早速レコーディングを開始。
1959年に発売されたアルバムの解説で、
ジョビンはジルベルトのことを

 ボサノヴァ(新しい才能)

と呼んだ。

それはジョビンの造語であったが、
彼の音楽がその名前で呼ばれるのに
さほど時間はかからなかった。

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佐藤理人 16年2月27日放送

160227-02

イパネマの男② 「イパネマの娘」

1962年のある日、ブラジルの作曲家
アントニオ・カルロス・ジョビンは、
作詞家ヴィニシウス・ヂ・モライスと
イパネマの海岸通りにあるバーに座っていた。

ぼんやり窓の外を眺めていると、
散歩をする一人の少女が見えた。

そのあまりの美しさに、
二人は即興で曲を書き始めた。

 彼女が歩いているだけで
 この世は愛を知り
 すべてが美しく光り輝く

ボサノヴァの名曲「イパネマの娘」の
モデルになった少女の名前は、
エロイーザ・ピニェイロ。
近所でも有名な美少女だったそうだ。

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佐藤理人 16年2月27日放送

160227-03
Bruno da Silva Lessa
イパネマの男③ 「飛行機」

ボサノヴァの創始者、
アントニオ・カルロス・ジョビンの曲には、
「サンバ」と名のつくものがたくさんある。

中でも有名なのが「ジェット機のサンバ」。

 リオの海 果てしなく続く海岸
 リオ 私のための町

リオ・デ・ジャネイロに着陸する飛行機の
窓から見える景色を歌ったこの曲は、
ヴァリグ・ブラジル航空のCMソング。

彼の功績を讃え、
曲の舞台となったガリオン空港は現在、

 アントニオ・カルロス・ジョビン国際空港

と改名されている。

ジョビン自身は飛行機が苦手だったことは、
あまり知られていない。

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佐藤理人 16年2月27日放送

160227-04
Kroon, Ron / Anefo
イパネマの男④「アストラッド」

1963年の春、歌手ジョアン・ジルベルトは、
妻のアストラッドとニューヨークに来ていた。

アントニオ・カルロス・ジョビンのボサノヴァを
ジャズミュージシャンのスタン・ゲッツが演奏し、
ジョアンが歌うというアルバムのレコーディングだった。

アメリカで曲をヒットさせるなら、
英語で歌うことが不可欠だ。
しかしジョアンは英語が喋れなかった。

そこで急遽、
名曲「イパネマの娘」の英語バージョンを、
妻のアストラッドが歌うことになった。

結果、このシングルは、
ビルボード5位を記録する大ヒットとなり、
グラミー賞最優秀レコード賞を受賞。

アストラッドは世界で最も有名な
「イパネマの娘」となった。

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佐藤理人 16年2月27日放送

160227-05
claudiolobos
イパネマの男⑤「日本」

1986年の夏、ボサノヴァの創始者、
アントニオ・カルロス・ジョビンは、
初めて日本の土を踏んだ。

二日間の来日公演。
首を長くして待っていた日本のファンのために、
彼は特別なプレゼントを用意した。

名曲「イパネマの娘」のエンディングに、
新たに日本風のメロディーを付け加えたのだ。

ジョビンはこのアレンジをいたく気に入り、
それ以後、正式に採用した。

日本から帰った後、
彼は息子のパウロによく言っていたそうだ。

 日本はボサノヴァのような国だ
 上品で繊細なんだよ

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