2016 年 2 月 のアーカイブ

佐藤理人 16年2月27日放送

160227-03
Bruno da Silva Lessa
イパネマの男③ 「飛行機」

ボサノヴァの創始者、
アントニオ・カルロス・ジョビンの曲には、
「サンバ」と名のつくものがたくさんある。

中でも有名なのが「ジェット機のサンバ」。

 リオの海 果てしなく続く海岸
 リオ 私のための町

リオ・デ・ジャネイロに着陸する飛行機の
窓から見える景色を歌ったこの曲は、
ヴァリグ・ブラジル航空のCMソング。

彼の功績を讃え、
曲の舞台となったガリオン空港は現在、

 アントニオ・カルロス・ジョビン国際空港

と改名されている。

ジョビン自身は飛行機が苦手だったことは、
あまり知られていない。

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佐藤理人 16年2月27日放送

160227-04
Kroon, Ron / Anefo
イパネマの男④「アストラッド」

1963年の春、歌手ジョアン・ジルベルトは、
妻のアストラッドとニューヨークに来ていた。

アントニオ・カルロス・ジョビンのボサノヴァを
ジャズミュージシャンのスタン・ゲッツが演奏し、
ジョアンが歌うというアルバムのレコーディングだった。

アメリカで曲をヒットさせるなら、
英語で歌うことが不可欠だ。
しかしジョアンは英語が喋れなかった。

そこで急遽、
名曲「イパネマの娘」の英語バージョンを、
妻のアストラッドが歌うことになった。

結果、このシングルは、
ビルボード5位を記録する大ヒットとなり、
グラミー賞最優秀レコード賞を受賞。

アストラッドは世界で最も有名な
「イパネマの娘」となった。

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佐藤理人 16年2月27日放送

160227-05
claudiolobos
イパネマの男⑤「日本」

1986年の夏、ボサノヴァの創始者、
アントニオ・カルロス・ジョビンは、
初めて日本の土を踏んだ。

二日間の来日公演。
首を長くして待っていた日本のファンのために、
彼は特別なプレゼントを用意した。

名曲「イパネマの娘」のエンディングに、
新たに日本風のメロディーを付け加えたのだ。

ジョビンはこのアレンジをいたく気に入り、
それ以後、正式に採用した。

日本から帰った後、
彼は息子のパウロによく言っていたそうだ。

 日本はボサノヴァのような国だ
 上品で繊細なんだよ

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茂木彩海 16年2月21日放送

160221-01
yoppy
お酒のはなし 田村隆一

アガサ・クリスティーやエラリー・クイーンなど
海外ミステリーの翻訳家としても名高い詩人、田村隆一。

生粋のお酒好きとしても有名で、朝食に赤ワインとステーキを嗜んで、
午後からはお気に入りのウイスキー、オールドパー
の水割りを飲んでいたと言われている。

そんな彼が残したお酒にまつわる哲学が、こちら。

 青年の酒、壮年の酒、老年の酒。
 その節がわりに、車窓の風景も変わってくる。
 酒を飲むことは旅をすることだ。

次はどんな景色を見に行こう。
そんな気持ちで今宵のお酒を決めるのも悪くない

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茂木彩海 16年2月21日放送

160221-02

お酒のはなし マダム・リリー

007シリーズの中で愛されているシャンパーニュがある。
銘柄は「ボランジェ」。ジェームスボンドが英国紳士でなければならないように、
このシャンパンも、英国王室御用達の認定を受けている。

この「ボランジェ」の味を守ったのが、
5代目当主の妻、エリザベス・リリー・ボランジェ。通称マダム・リリー。
夫の死後、第二次世界大戦下でドイツ軍に占領されたシャンパーニュ地方の農園を
ただ一人残った従業員と守り続けた。

マダム・リリーは言う。

 楽しい時や悲しい時、シャンパーニュをいただきます。
 時々は一人の時にも。仲間と一緒の時は必須です。
 お腹がすいていない時はちょっぴりたしなみ、空腹のときには飲むのです。

彼女にとって生活の一部となっているシャンパンは
愛する人との思い出そのものなのだろう。

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小野麻利江 16年2月21日放送

160221-03

お酒のはなし 李白と杜甫

李自一斗詩百篇(りじはいっと、しひゃくへん)

中国・唐の時代の詩人、杜甫が詠んだ『飲中八仙歌』。
その中で最も有名なこの一行によって、
同じく唐の詩人・李白は
酒の仙人「酒仙」の名を欲しいままにしている。

しかし実は杜甫も、李白に負けず劣らず酒好きだったと言われている。
杜甫がつくった1400首の中で、酒にちなんだ詩は300首。
李白がつくった1000首の中で、酒の詩は170首。
計算してみると、李白よりも多い割合で、杜甫は酒を詠っている。

特に『曲江』という漢詩は、
杜甫が時の皇帝・粛宗に生真面目に進言して怒りに触れ、
朝廷に居場所を無くしかけた際に詠まれたとされる詩。

 朝回日日典春衣(ちょうよりかえって ひび しゅんいをてんす)
 毎日江頭盡酔歸(まいにちこうとう よいをつくしてかえる)

朝廷を退出すると、毎日春の着物を質に入れ、
そのお金で曲江の川のほとりで酒を飲んで帰ってくる。
酒で憂さを晴らすさまを、切々と詠う杜甫。
酒も詩も、生きる糧。
そう訴えているように見える。

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薄景子 16年2月21日放送

160221-04
fs999
お酒のはなし フランソワーズ・サガン

フランスの小説家、フランソワーズ・サガン。
処女作『悲しみよこんにちは』が世界的ベストセラーとなり、
18歳にして莫大な富と名声を手に入れる。

その作品以上に注目を浴びたのが
彼女の破天荒な生き方だった。
桁違いのギャンブル、奔放な恋、
生死をさまよった事故、2度の結婚と離婚…。
その生涯は、愛と孤独に向き合うものだった。

そんなサガンがのこした言葉。

 昔は、人と知り合うためにお酒を飲んでいたものよ。
 今は、そういう人たちを忘れるために飲んでいるの。

お酒はいつでも、愛と孤独のそばにいる。

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薄景子 16年2月21日放送

160221-05

お酒のはなし ベンジャミン・フランクリン

アメリカ合衆国、独立の立役者、
ベンジャミン・フランクリン。

政治家としてだけでなく、
出版業者、文筆家、科学者、発明家など、
さまざまな分野で活躍し、
新聞の発行や、大学の創設、
雷が電気であることの証明など、多彩な業績を後世にのこした。

そんな彼が愛したのがワイン。
量こそは飲まなかったというが
酒の理解者として、数々の名言をのこしている。

 ワインの中には知恵がある。ビールの中には自由がある。

なるほど、フランクリンの有り余る好奇心は
酒を飲みながら熟成されたのかもしれない。
さらには、こんな言葉も。

 神が人間の肘を今の位置につくったからこそ
 グラスがちょうど口のところに来て楽に飲めるのだ。

ちょっと強引だが、神の仕業といわれたら、もう飲むしかないだろう。
そして、さらにはこんな名言も。

 酒をおいしく飲めないところに良い人生もない。

フランクリンの愛すべき屁理屈は
きょうも誰かの一杯を、きっと幸せにしてくれる。

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石橋涼子 16年2月21日放送

160221-06

お酒のはなし ゲーテとブレンターノ家

文豪であるとともに、酒豪であったゲーテ。

彼と親交が深かったブレンターノ男爵家の別荘は
ブドウ畑の中にあり、敷地には醸造所があり、
当然のように芸術家たちの集会所になっていた。

1814年9月、ゲーテはこの別荘に滞在し
詩作にふけっていた。
そのとき歌われた作品の一節に、こうある。

 青春はワインがなくても酔えるもの
 老年はよいワインで若さをとりもどす

この時、ゲーテは65歳。
若さをとりもどしてくれるよいワインとは、
もちろんブレンターノ家の白ワインのことだ。

いつしかブレンターノ家の白ワインは
ゲーテ・ワインと呼ばれて人気を集めるようになり、
今でもドイツの小さな村でつくり続けられている。

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熊埜御堂由香 16年2月21日放送

160221-07
ジョニヲ
お酒のはなし 川上弘美と居酒屋

芥川賞作家、川上弘美さん。
ベストセラーになった
「センセイの鞄」などお酒を飲む場面が
作品にたびたび登場する。

お酒について彼女が書いたエッセイにこんな書き出しがある。

 今までで一番多く足を踏み入れた店は
 本屋、次がスーパー、三番めは居酒屋だと思う。

そして、つぎの行ではそんな自分の人生を
 なんだか彩りにかける人生である、と語る。

けれど、川上さんが描くお酒とひとは、
わかる、わかると切なくて、何度読んでも引き込まれる。

それはまるで、
居酒屋で居合わせた知らないひとと思いがけず
深い話をしてしまった時みたいに。
日常のひとこまが
ほんのり色づくそんな感覚を呼び覚ましてくれる。

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