三島邦彦 2021年11月14日「紅葉の客」

「紅葉の客」 

    ストーリー 三島邦彦
       出演 遠藤守哉

お久しぶりですね。
ずいぶんと伸びましたね。
今日はどんな感じにしましょうか。
ちょっと変わりたい。
なるほど。
そうですね、
髪型というより、
色を変えてみるのもいいかもしれませんね。
紅葉(もみじ)みたいな色にしてみるとどうでしょう。
誰もが変化を感じますよ。紅葉ですから。

美容師のYは、
ちょっとイメージを変えたいという客がいたら
いつもそう言うことにしていた。
変化したいなら、紅葉くらい鮮やかにやってしまえばいい。
Yはいつもそう思っていた。
しかし、誰も髪を紅葉のように染める客はいなかった。
赤く染めては、と言われたら従った客もいたかもしれないが、
紅葉と言われると誰もが冗談だと受け止めた。
7年間、Yは紅葉色の髪を何人もの客に繰り返し勧めた。

7年と1日が経った秋のある日、一人の客がやってきた。
初めて見る、80歳くらいの白髪の女性だった。

ちょっと変わりたい。
とその客は言った。

少し迷いながら、Yはいつものセリフを繋げた。

なるほど。
そうですね、
髪型というより、
色を変えてみるのもいいかもしれませんね。
紅葉(もみじ)みたいな色にしてみるとどうでしょう。
誰もが変化を感じますよ。紅葉ですから。

紅葉か。それもいいかもしれない。
老婦人は鏡に映る少しだけ毛量が減った銀色の髪を見つめながら言った。

Yは驚いた。
息を飲み込み、
いいですよね、紅葉。
と、なんとか間を空けすぎないタイミングで相槌を打った。

老婦人は少し微笑み、口を開いた。

暗い冬が来る前に、
一度燃え上がるような紅葉になってみるのも悪くない。

老婦人の過激な一言に、Yはうろたえた。

いえ、そんなつもりでは。とYは言った。

いいのよ。本当のことですから。
さあ、私を紅葉にして頂戴。

それから長い時間をかけて、Yは老女の髪を染めた。
これまでにYが経験したことがないほど丁寧にその作業は行われた。

紅葉色の頭の老女が生まれた。
それはどこまでも鮮やかで、少女のようにすら見えた。

ありがとう。元気になるわ。

そう言って、新しい髪の毛を老女はやさしくさわり、何度もうなずいた。

すっかり傾いた夕日の中に真っ赤な頭の老女は消えていった。
Yはその後ろ姿をいつまでも見ていた。
頭が目立つので、かなり遠くまで見ていられた。

変化を求めるという客に、Yは今日も繰り返す。
その老女以外に一度も受け入れられたことはないけれど。それでも。

紅葉(もみじ)みたいな色にしてみるとどうでしょう。
誰もが変化を感じますよ。紅葉ですから。



出演者情報:遠藤守哉(フリー)

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永野弥生 2021年11月7日「タイムリープ」

「タイムリープ」 

    ストーリー 永野弥生
       出演 遠藤守哉

「この時間が永遠に続けばいいのに」
という彼女の言葉に「本当にそうだね」と相槌を打った。
心底そう思った時「本当に」とつけてしまうのは僕の口癖だったが、
この時は「逆に嘘っぽく聞こえたのではないか?」と心配になった。
それほどまでに僕も幸せを感じていたのだろう。
僕は時間ギリギリまで彼女の横でまどろんでいたことを強調するように
「本当に行かなくちゃ」と言って身支度し、外に飛び出した。
遅刻をすれば上司に何を言われるかわからない大事な仕事があった。

次の瞬間、けたたましいブレーキ音が聞こえた方を振り返ると、
避けられない距離に車が迫っているのが見えた。
僕は「あ、終わったな」と思った。

ところが、ぜんぜん終わらないのだ。

「この時間が永遠に続けばいいのに」
という彼女の台詞を、もう何度も聞いている。
「終わった」と思った瞬間、何度でもそこから始まってしまうのだ。
もしかして、これがタイムリープというやつなのか。
2度目以降、僕は「本当にそうだね」とは言えなくなり、
「そうだね」と調子を合わせるように言うのがやっとだった。

プロポーズした後、夜を徹して語り合い、
時にはともにウトウトした時間は、確かに至福の時かもしれない。
でも、僕は今、本当にこの時間が永遠に続くのではないかと怯え始めている。

ループするこの至福の時間の中では、彼女と喧嘩することもない。
でも、彼女の涙に胸を痛める瞬間があるからこそ、
幸せそうに笑う笑顔が眩しいのではないか。

会社で大抜擢されたビッグプロジェクトの
ヒリヒリするようなプレッシャーもない。
でも、胃が痛くなるようなミッションを乗り越えてこそ、
仕事の後のビールが死ぬほど美味いのではないか。

来週ドライブがてら見に行こうと言っていた紅葉(こうよう)も、
この時間がループするかぎり、見に行けないどころか、
木々が染まることすらない。もちろん山々が雪に覆われることもない。
でも、凍てつく季節があるから春が嬉しいのではないか。

「この時間が永遠に続けばいいのに」
もはやその言葉を何度聞いたかわからなくなった頃、
結局、僕はもう一度「本当に」と言うことになるのだった。
「本当に…本当にそうかな」と僕は言っていた。

不思議そうな彼女の顔が笑顔に変わるまで、
説明する時間が必要になった。もう完全に遅刻だ。

さっきまでは渡りきることができなかった道を無事に渡れた時、
僕は、烈火のごとく怒り狂う上司に
早く会いたいと思っていた。



出演者情報:遠藤守哉(フリー)

 

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中山佐知子 2021年10月24日「又三郎」

又三郎

       ストーリー 中山佐知子
           出演 地曵豪

村から子供をひとり連れて来いと言われたので
ガラスのマントと靴を脱いで
三郎は新学期の山の学校に転校生としてやってきました。
お父さんは鉱山技師という触れ込みでした。
鉱山技師なら鉱脈を探して日本中をあっちへこっちへと渡り歩き
短い滞在を繰り返しても不思議ではありません。

一年生から六年生までの子供の中で
三郎が目をつけたのは同じ五年生の嘉助でした。
嘉助は人がよく、いつも好奇心でいっぱいの子供だったので
新しい境遇をすぐに受け入れそうな気がしたのです。
つまり、ガラスのマントと靴をもらって
自分と同じ風の子供になっても
嘉助なら「こりゃなんだべ」と言いながら
うれしがってくれるんじゃないかと思ったのでした。

チャンスはすぐにやってきました。
山育ちの子供らでもハアハア息を切らす山道をどんどん登って
男の子が五人、上の野原の草刈り場へ行きました。
放牧されている馬を追って遊ぼうと言ったのは三郎でした。
子供たちに追われて一頭の馬が柵を飛び出して
遠くへ駆け去ってしまい、
嘉助と三郎は馬を追って草の中を走りに走りました。

三郎とはぐれ、息を切らした嘉助がとうとう草の中に倒れたとき
空はぐるぐるまわり、雲はカンカンと音を立てていました。
冷たい風が吹いて、霧が出て
それから嘉助はススキのざわめく向こうに
聞いたこともない大きな深い谷が口を開けているのを見ました。
もしこの谷へ降りたら、と嘉助は思いました。
馬も自分も死ぬばかりだ。
それから自分たちを捜す声を聞きました。

もとの上の野原にもどると
嘉助の爺ちゃんが団子を焼いていました。
爺ちゃんは子供たちを叱りもせず、
よかったよかったと何度も言いながら
団子をたんと食べさせてくれました。
爺ちゃんは嘉助が異界の入り口まで誘いこまれ、
それでも無事に戻ってきたことを知っていたのでしょう。

嘉助を守ったのは山の暮らしの知恵であり、
この村の人々に共通する
あたたかく思いやり深い生きかたでした。
共同体に守られた子供は
又三郎のような異分子にはなれないのです。

三郎のチャンスはもう一度ありました。
谷川の水の中で鬼ごっこをしたときのことです。
三郎は嘉助の手をつかんで水の中に引きずり込もうとしましたが、
すでに嘉助を狙うことにあまり熱心でなくなっていたせいか
嘉助はゴボゴボとむせただけで、
それをきっかけに小さい子も大きい子も
みんな川から上がってしまいました。

それから天地がひっくり返るような夕立になりました。
風もひゅうひゅう吹きました。

三郎が学校に来てから十二日めの月曜日、
ゆうべから吹き荒れている風と雨の中を
従兄弟の一郎と学校へ行った嘉助は
三郎が転校して遠くへ行ったことを先生から知らされます。

日本列島の東、山から冷たい風が吹き下ろす地域では
その風を三郎、或いは又三郎と呼ぶそうです。
ひとりで帰っていった又三郎、
またどこかの転校生になっているでしょうか。



出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

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直川隆久 2021年10月16日「凧」

   ストーリー 直川隆久
      出演 遠藤守哉

あの日も、こんなふうに、空が高い日だったですよ。
ぼく、荒川の河川敷で凧をあげてたんです。
当時はやっていた…ゲイラカイト、ってわかりますかね。
そうそう、あの、デカい目玉が描いてある、ビニール製の、凧。

その日はね、土曜日だったんだけど、朝からいい風が吹いてましてね。
学校から帰って、ランドセルおいて、凧もって、
とびだして、河川敷に行きました。
当時はまだ土曜日は半ドンでしたから、小学校も。

こりゃあ高く上がるんじゃないかと思ってたんだけど、案の定。
助走して、ぱっと手を放したら、とたんにすーっと、
すごいスピードで凧、空にのぼっていきましたね。
ぐんぐんぐんぐん上っていってね。凧糸もびーんと張りっぱなし。
もう、下手したら、
風でこっちの体が持ってかれちゃうんじゃないかと思うくらいで。

凧はどんどん小さくなってね。
ありゃあ、いったいどれだけの高さに行ったのか、と思ってると、
またひとつがくん、と糸が引っ張られた。
上空では、すごく強い風が吹いてるみたいでね。
体が引きずられ始めた。
ずるずるずるずる、そのまま何十メートルか…
わ、こりゃ、やべえ、と思ってたら、自転車止めがあって、
そこにがんとぶつかってようやく止まりました。
で、あわててそこに紐をくくりつけた。
ものすごい力が要ったけど、なんとかくくり終わって、へたりこんじゃった。
糸はもう、びんびんに張ってますよ。

えらいもんだなあ、と思って空を見上げてるとね。
後ろに、だれか立ってる感じがした。
振り向いたら、同じクラスのコズミが立ってた。
コズミって、なんか、いつもぼろっちいカッコしてて、
暗い顔してるから、あんまり友達いないやつでしてね。
お母さんが早くに死んだとかで、
お婆さんと二人で暮らしてるって話でした。
凧?って訊くからね、うん、て答えた。
すげえ、っていいながらコズミは、糸の先を見上げ、
自転車どめにくくった糸を見て、また、空を見て、って繰り返してるんです。
こっちも居心地わるくなってね、貸してやろうか、って言ったんです。
そしたらね、うなずいて…
うなずくだけで、ありがとう、も何もなかったけどね。
自転車どめの方に歩いて、くくってある糸をほどきにかかりました。
で…
気ぃつけろよ。体がもちあがるぞって言おうとしたそのときですよ。
コズミの体がうわっと空へ持っていかれた。
ほんと、なんていうか、ふわーっと、持っていかれたんですよ。
たいへんだ!…と思ったときにはもう…
糸の端っこには手が届かなくて、
コズミはビルの4~5階くらいの高さにいた。あっという間に。

もう、どうしたらいいかわかりませんよ。
おーい、コズミ、降りろよー
って叫んでもね、返事しないんだ。
落ちたら死ぬ高さですよ。
見てるだけで、金玉のあたりがすーっと冷たくなる。
ぼくも、わけわかんなくなってね。
ばかやろー。って怒りだした。
ばかやろー、おりてこい。
コズミは、なにも答えなかった。聞こえてるのかどうかもわからない。
ぼくも半泣きになりながらね、
おりろよー、って。
おりろよー、おまえんちの婆さんにいいつけるぞー
て、意味わかんないこと言ってた。
でも、効果なしだ…効果なしどころかね、
コズミは、凧糸を手繰って上に、上に行こうとしてるんですよ。
なにやってんだよー、かえれなくなるぞー、って叫んだんだ。
そしたら、コズミの声が聞こえました。
いいよー、って。
いいよー。
コズミの、あんな明るい声、聞いたことなかった。

そのまま、どんどん…どんどん小さくなっていくのを、追いかけました。
カナブンくらいの大きさのが、もう、アリみたいになって…
そこで川にぶつかって、それ以上進めなくなった。
糸にぶら下がったコズミはそのまま、ずーっと流されて行って…
見えなくなった。
河原でぼくは、どうしたらいいかわからなくて、ただ、泣いてました。
泣きながら、泣いたって意味ないよな、ってわかってはいましたけどね。
でも、泣くよりほかにできることがなかった。
水辺の芦の茂みが風であおられて、ざーざー鳴ってたのを覚えてます。

コズミの行方はそれきりわからないです。
警察も四方八方探したみたいだけど、遺体も出てこなかった。
ただ、僕のゲイラカイトだけはね、
10キロほど離れた中学校の屋上で発見されたそうです。



出演者情報:遠藤守哉(フリー)

 

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安藤隆 2021年10月10日「冬のお庭(風版)」

冬のお庭

  ストーリー 安藤隆
     出演 大川泰樹

 千代さんはその朝、いつものように憂鬱
ではなかった。そのことを怪しみながら、魔
法瓶のヌルマ湯で、たくさんのきれいなカプ
セルの薬をのんだ。夫はもう会社へ行ったの
らしい。それともゆうべは帰ってこなかった
のかしら。千代さんは思い出そうとして、何
かに躓いてやめた。代わりに手にしているヌ
ルマ湯の花柄の茶碗が、新婚当時、夫と一緒
にデパートで買ったセットの残りであること
を思い出した。が、それも微かに心をよぎっ
た翳のようなものだ。なにかひとつことに捕
らわれるのがこわくて、いつだってあわてて
打ち消すことをしつづけてきたから、いまで
はそれが千代さんの思考の回路になってしま
った。
 冬の透きとおった午前。いいお天気。風が
つよい。お庭に出てみようかしら。ちょっ
と胸がどきどきしはじめた。冬の庭がきれい
なのは、スズメノカタビラやチドメグサら夏
の気味のわるい草たちがいなくなったせいだ。
いろんな命が風で吹きとばされていなくなっ
たせいだ。クチナシやアジサイもいまは冬の
陽をうけてじっとしている。千代さんはガラ
ス戸をあけて、スリッパのまま庭におりた。
千代さんは植物たちが嘘をついていることを
知っている。根っこは土の奥で盛んに生きて
いるのに、上は死んだふりをしている。目を
離すといまにもいっせいにワーッと土から生
えだす‥。ワーッ気持ちわるい。
 一本だけ咲いているサザンカの繁みに隠
れて子供がいた。千代さんは赤くなりながら、
襟元を手でかき合わせた。子供は小学校の一
年生ぐらいだろうか。でも中学校の一年生な
のかもしれない。千代さんには本当になにも
わからない。きっとずーっと千代さんを見て
いたのに違いない。でも心配することはなか
った。相手はほんの子供なのだ。
 千代さんは子供に笑いかけた。思いがけ
ず自然に笑えた自分にうれしくなって、すこ
し元気が出た千代さんは「こんにちは」と声
に出して、また笑おうとした。こんどは前ほ
どうまくいかなかった。子供の固い顔がまっ
たく反応しないもので、笑いが中途でこわば
ってしまったのだ。千代さんは思った。「こ
んにちは」より「君のお名前は?」と聞いた
ほうが、よかったかな、と。それだったら答
えてくれたかもしれないよ。千代さんは気を
取り直し「君の‥」と子供にしゃべりかけた。
 するととつぜん子供が「バカ、キチガイ
ババア、ベーエ」と目をむき、ベロを出して
逃げていった。千代さんは「まだ言い終わっ
てないのに‥」と笑っているような顔のまま、
子供をさがして周囲をきょろきょろ見回した。

出演者情報:大川泰樹  所属MMP 03-3478-3780

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蛭田瑞穂 2021年10月3日「また風は吹くのかな」

「また風は吹くのかな」

     ストーリー 蛭田瑞穂
        出演 ミズモトカナコ

世界に風が吹かなくなってから、もうずいぶんと長い歳月が経つ。
「そういえば最近風が吹いてないな」
人々がそう気づいた時、すでに風は消えていた。
それ以来、世界にはそよ風ひとつ吹いていない。

「ねえ、サンヌがこどもの時は風があったんでしょ?」
「そうよ」
「風はどこにあったの?」
「どこにでも吹いていたわ。窓を開ければ自然と風が入ってくる。
 そのくらい風は身近なものだったの」

「風は目に見えないでしょ?」
「そう。見えない」
「どうしてわかるの? 風って」
「体が感じるの。風が吹くとね」
「どうして風は吹かなくなったの?」
「人間が自然を壊しすぎたから、と言う人がいる。
 大きな地震で星の軸が動いたから、と言う人もいる。
 神の怒りを買ったから、と信じる人もいるわ。
 でも、ほんとうの原因は誰にもわからないの」

「風はなにかの役に立つの?」
「昔は畑の灌漑に使っていたわ。風のちからで風車を回して水路の水を汲み上げて。
 でもね、どちらかといえば、風は役に立つというより、
 人を気持ちよくさせたり、心を穏やかにしたりするものなの」

「サンヌは風が好きだった?」
「大好きだった。今でもよく思い出すの。
 畑一面に咲いたリネンの花が、風に揺れて、ほんとうにきれいだった」
「また風は吹くのかな」
「あなたはどう思う? また風は吹くと思う?」
「わたしにはわからない。でも、いつか風を感じてみたいな」

世界に風が吹かなくなってから、もうずいぶんと長い歳月が経つ。
それ以来、世界にはそよ風ひとつ吹いていない。



出演者情報:ミズモトカナコ   https://www.victormusicarts.jp/

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