ポンヌフ関 2022年5月22日「草枕」

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草枕

   ストーリー ポンヌフ関
      出演 遠藤守哉

私は行き詰まっていた
頬杖をついて外を見ている

綺麗でしょ

私、桜や紅葉の頃より新緑が好き

と宿の娘が言う
窓の外は一面の緑
こういうのを俳句の季語で
山笑うと言うんじゃ

おー笑ってる笑ってる

おじさん俳句好きなの?
私も好き
なにか作ってよ

菫ほどな
小さき人に
生まれたし

それ夏目漱石じゃん
何故私の名前を知っておる?
でも、ちょっと似てるね漱石に
せっかくこんなところに来たんだから
先生も、草枕みたいなの書いたら?
草枕?

智に働けば角が立つ
情に棹させば流される

お、いいね
それ、いただき!

あはは
先生おもしろ〜い

娘に笑われ
山に笑われるうちに
心がほどけてきた

おっと、こうしている場合ではない
明日が新連載の締切なんじゃ

えー、メールじゃだめなの?

ありがとう、世話になった
山路をくだりながらこう考えた

智に働けば
おっとっと
足を滑らせて沢に落っこちた
ドボン
私はミレイの描いたオフィーリアの風流な土左衛門のごとく緑の水辺を流れていた
だから、こうしている場合ではない!
その時、目が覚めた
草枕か、いいかもしれん

若葉して
篭りがちなる
書斎かな

明治39年7月26日夏目漱石『草枕』執筆開始

明治39年のある日 不思議な午睡のあと
夏目漱石は
書斎で草枕を着想した、、、かもしれない



出演者情報:遠藤守哉

 

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井田万樹子 2022年5月8日「だんご3おじさん」

だんご3おじさん

     ストーリー 井田万樹子
            出演 遠藤守哉

僕の家の近くには、とても広い公園がある。
都会の真ん中にあるのに、自然の森が残っていて 大きな池もあって、
週末はバーベキューをする人や
スケートボードをする人なんかで賑わっている。
僕はその公園に行って、誰もこない静かな場所を見つけるのが好きだ。
一面に緑が広がって、気持ちのいい風がずっと吹いている。
でも誰もいない。
そんな場所を見つけると、僕は嬉しくなる。
今日見つけた場所は、最高だった。
寝転がると新緑の青もみじに包まれる。
風が吹くたびに青もみじの葉っぱがさわさわと揺れる。
僕はその場所で、のんびり読書をはじめた。

突然、足元から小さな甲高い声がした。
「ちょっと兄さん、ここ!ここ空いてるわよ!」
草の陰から、小さな丸いものが顔を出した。
「あら、先客がいるわ!」
「あら、ほんと!」
同じような顔が3つ並んでいる。
だんごである。
1本の串に刺さった、3つのだんごなのである。
「仕方ないわよ、弟。
だってこの場所、この公園で1番いい場所だもん」
「そうね、兄さん」
「よいしょ、よいしょ」
だんご達は横一列に並んで、こちらに向かって歩いてくる。
だんごの頭の下には小さな体があって、ちゃんと靴も履いているのだ。

クリッとしたつぶらな瞳。
くるんとカールした立派なヒゲ。太い眉毛。
3人とも、なかなか濃い顔立ちだ。
醤油のタレで焼かれたおでこがツルッと光っていて、
炭火で炙られ香ばしく焦げ目のついた頭は、
今どき珍しいバーコードヘアだ。
3人ともお揃いのブルーのジーンズにすみれ色のシャツを着て、
シャツのお腹はぽっこり出ている。
つまり、なんて言うか、おじさんなのである。
そっくりの顔をした3人の、おじさんの、だんごなのである。
兄さんと呼んでいるところを見ると、兄弟なのだろうか。

「よいしょ、よいしょ」
おじさん達は串にささったまま、せっせとこっちに向かって行進する。
そして僕のすぐ横までやって来ると、
「よっこらしょ!」と、3人同時に小さな石の上に腰をかけた。
「ちょっと…狭いわ!兄さん」
「大丈夫よ、弟!詰めたら座れるわ」「あたし、落っこちちゃう!」
「ねぇ、大兄さん!もうちょっと詰めてよ!」「あんたが詰めなさいよ!」
3つのだんごが、ぎゅうぎゅうに押し合っている。
串の先っぽが僕の足に当たったので、
「いてっ」と思わず僕が声を上げると、
だんご達は一斉に僕を見た。

「こんにちは」
と僕が言うと、だんご達はにっこり笑って、そして、
「ねぇ見て、あたし達、座れたの!」と言った。
こんなに広い公園なのに、どうして僕のすぐ横に座るのだろう。

「ねぇ、兄さん、あの野球選手の名前なんだったかしら?」
「誰よ、あの野球選手って?」
だんごおじさん達は僕のことなんか気にしないで、
ぺちゃくちゃペチャクチャ喋り続けている。
「ほら、友達のお母さんと結婚した〜…」
「何よそれ?」「ほら、なんとかちゃんって呼ばれてて」
「なんとかちゃん?」
「ラミレスじゃなくてマルチーニじゃなくて〜」
「思い出した!ペタジーニよ!」
「だからペタジーニがどうしたのよ?!」
キャッキャっと笑うたびに、
だんごおじさん達のまわりの草がサワサワと揺れる。

しばらくすると、目隠しあそびが始まった。
「だーれだ!」
1番後ろの兄さんだんごが、一生懸命に手を伸ばして、
1番先頭の弟の目を塞いでいる。
真ん中のだんごは間に挟まれて窮屈そうだ。
「だ〜れだ!」
「えーっと…ちい兄さんよね?この手は?! …あれ?やっぱり大兄さんかなぁ?」
「どーっちだ!」
「ちい兄さん!」
「はずれーっ」「あ〜っ」
おじさん達はとても仲がいい。

真ん中のだんごが、肩にかけていた小さなカバンを開けると、
中から小さな水筒とポップコーンを取り出した。
兄さんだんごは右から、弟だんごは左から手を伸ばして、
それぞれポップコーンを食べはじめる。
ぱくぱくぱく
「ねぇ、ちょっと!」ぱくぱく
「ねぇ、ねぇ、あたしが食べれないじゃない!」ぱくぱく
「どうしてあたしがいつもポップコーン持つ係なのよ?!」
「だって、それが…1番食べやすいんだもん」ぱくぱく
「あたしは食べやすくないのっ!」
真ん中ってのは、いつも少し大変そうだ。

気がつくと、だんごおじさん達は昼寝をはじめた。
新緑の風がそっと、おじさん達のヒゲを揺らす。

だんごおじさん達は、いつからこの公園にいるのだろう。
広場の団子屋で焼かれていたのだろうか。
兄弟でこっそり逃げ出してきたのだろうか。
若葉の香りに包まれて、すやすやと寝息が聞こえてくる。



出演者情報:遠藤守哉(フリー)

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窓の向こうには(2022版)

窓の向こうには

      ストーリー 中山佐知子
       出演 遠藤守哉

窓の向こうには薄青い空があった。
食卓にはキリストと12人の弟子たちがいた。
それはダ・ヴィンチの「最後の晩餐」の絵だ。
キリストはその夜自分が逮捕されて
十字架にかけられることを知っていた。
それでもダ・ヴィンチは窓の向こうに晴れた空を描いた。
見るたびに、
ああ、いい天気だ、とつい思ってしまう。

そういえば、十字架にかけられたキリストの背景が
目も覚めるような青空という絵を見たことがある。
あの絵はどう見ても青空と雲が主役だ。
ラファエロもそうだ。
なんだか牧歌的な十字架のキリストを描いている。
いいお天気で空が美しい。
どうしても空と風景を眺めてしまう。

もしかして、画家が絵を描き始める前の最初の仕事は
天気を決めることではないだろうかと
思ったりする。
晴れの日にするか、曇りにするか、
それとも雨を降らせるかで
全体のトーンが決まるからだ。

神話や伝説にも空があり、天気がある。
黄泉の国から森を抜けて妻を連れ帰るオルフェウスの向こうには
明るい空が見えている。
我が子を殺した王女メディアの絵に
ドラクロワはわずかに青空をのぞかせている。
アーサー王がエクスカリバーを授けられた湖は
白い霧が立ち込めている。
最後の戦いで重傷を負ったアーサーは再びそこに戻り
湖の乙女たちに身を委ねた。

ジークフリートが殺された日も晴れた日だった。
この英雄は森で狩りをしているときに
妻の兄とその家臣の計略で背中に槍を突き立てられるが、
そこは全身不死身のジークフリートの唯一の弱点だった。
槍が刺さったジークフリートが最後に見上げている空は
夕焼けの薄赤い色で、
見ていると赤は悲しい色だなと思えてくる。

神々も英雄もその物語には必ず空がある。
ミケランジェロの「最後の審判」の空は
変化ののない重い青い空で、
やがて世界はこんな空で蓋をされるのかと思う。

出演者情報:遠藤守哉(フリー)

録音:字引康太

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直川隆久 「川のある村からの使い 2022」

川のある村からの使い

     ストーリー 直川隆久
        出演 大川泰樹

雑居ビルにある事務所のガラス窓を、強い雨がしきりに叩いている。
近頃台風が多く、大雨の日が続く。

信頼していた経理の人間の裏切りのせいで、私の会社は窮地に立たされていた。
先々月次男の浩次郎(こうじろう)が生まれ、
これから踏ん張らねばならないと思っていた矢先だった。
土砂降りの中をずぶぬれになりながら資金繰りに奔走する日が続いた。

万策つきたかと思われたある日、
疲労困憊して事務所のソファに体を沈めていると、
ドアを開けて一人の男が入って来た。
80…いや、90近いだろうか。
ジャケットにループタイというスタイルに、ソフト帽。
ズボンの裾が、濡れて黒い。
男は名を名乗らず、ただ水落村の者だとだけ言った。

水落村? …どこかで聞いたことがある。
「ご存知ありませんかな。あなたのお祖父様、それと…
お父様がお生まれになった村です」
そう言って男は来客用デスクに座り、ジャケットの内ポケットをまさぐった。
分厚い茶封筒を取り出すと「不躾かもしれませんが…」と、こちらへ差し出した。
「もし何か今お困りなのでしたら、この金をお使いください」
「はい?」
「いえ、差し上げるのです。受領書も要りません」
私は呆気にとられた。そんなものをもらういわれがない、と突き返すと男は
「あなたのお祖父様と水落村の約束があるのです。
だから、このお金はあなたのものなのです」と答えた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
わたしは父方の祖父について多くを知らない。
わたしがごく幼い頃亡くなったし、
父が生家について話すこともあまりなかったからだ。

父は、青年期まで過ごした水落村を出た後、東京で就職した。
結婚を機に近郊の新興住宅地に家を買い、そこで私と弟の英二が生まれた。
そんな父に、一度故郷のことを尋ねたことがある。
父は、自分の弟を幼い頃なくした記憶があり、
その村のことはあまり思い出したくないのだと語った。
村の話を父としたのは、その一回きりだ。

父は、英二をとても可愛がっていた。
自分の弟を亡くした後悔がそうさせるのか、溺愛と言ってもよかった。
その英二が行方不明になったのは、わたしが小学3年生の頃だった。
ちょうど今年のように台風が全国的に猛威をふるう年だったのを覚えている。
父は半狂乱で町中を駆けまわったが、弟の姿は現れなかった。

その後、どうしたわけか我が家の家電製品がすべて新しくなり、
クルマも新車になった。
ぴかぴかと眩しく輝くモノが家の中に増えるのと相反するように
父はふさぎこみがちになり、数年後、病で亡くなった。
大学進学を機にわたしは家を出たが、父の残してくれた遺産は充分あり、
経済的には分不相応なほど恵まれた学生生活を送った。
その数年後、母は家を処分した。
弟をなくした記憶のしみつく家が消えたことで、
安堵に似た気持ちがわき起こったのを憶えている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「いったいどんな約束がうちの祖父とあったのです」
わたしが問うと、男は懐をまさぐってショートピースの箱を取り出した。
マッチでタバコに火をつけ、きつい匂いの煙をゆっくりと吐き出してから話し始めた。
「水落村は、昔から暴れ川に悩まされてまいりました。
開墾以来…何百年でしょうな。ひとたび川の水が溢れますと、
赤くて酸のきつい泥を田畑がかぶってしまい…難渋します。
ですから、手立てを打つ必要があった。川の神を鎮めるために、犠牲を払う必要が」
「犠牲?」
「ええ。誰かがそれをやらなくてはいけないのだが、手を挙げる者はない。
しかしその中で唯一…」
男はタバコに口をつけ、もう一度煙を吐いた。
「唯一あなたのお祖父様が、
末代にまで渡ってその犠牲を払うという約束をしてくださいました。
本当に貴い申し出だった。私はまだその頃小僧でしたが、
あなたのお祖父様のご勇断を家の者から伺い、大変感銘を受けたのを憶えております」
男は、煙をすかして遠い景色を見るような目つきをした。
「ですから我々は、あなたのおうちを代々…村を挙げてお助けする義務があるのです。
取引だなどと言いたてる者もおりましたが、
そういう口さがない連中に限って、何もしないものです」
そう言って、男は茶封筒に手を添えると、こちら側へ押してよこした。
その仕草には何か有無を言わせぬ力があった。
男はタバコをもみ消し「そろそろお暇(いとま)しましょう」と立ち上がった。
「おそらく、伺うのもこれで最後になるでしょう。
 水落村の暴れ川も来年あたりようやく護岸工事が始まりそうでして…
 捧げものの必要も、ようやっとなくなりそうなのです」
男は帽子を取ると深々と一礼した。
「本当に、感謝いたしております」
男が去ったあと、茶色い封筒の横の灰皿から薄く煙が上っていた。

 そのとき、携帯が鳴った。
出ると、妻の震える声が耳に切りこんできた。
「こうちゃんがいないの。窓際のベビーベットに寝かせていたら…
 窓が割れてて……こうちゃんが…こうちゃんが…」
窓ガラスをさらに猛烈な雨が叩き始め、
轟音が電話のむこうの妻の声をかき消した。

出演者情報:大川泰樹 03-3478-3780 MMP所属

 

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直川隆久「ベンチで笑う人」

ベンチで笑うひと

    ストーリー 直川隆久
       出演 遠藤守哉

真っ白に塗られた顔。真っ赤な口紅。口紅と同じ色の、赤い髪。
彼は、国道沿いのファーストフードチェーンの店先におかれたベンチ、
その中央にゆったりと身をくつろげ、背もたれに腕をかけている。
夏も、冬も。
晴れた日も、雨の日も。
彼は、その色褪せたベンチに座って、じっと笑っている。

その人形…いや、彼は、いつからここに座っているんだろうか。
10年前。いや、20年前からか。
「おいでよ。一緒に写真を撮ろう」とさそいかけるように、
こちらに笑顔をむけ続けている。
たしかに、隣に座れば、
彼に肩を抱かれているように見える写真が撮れるのだろう。
だが、彼の両側はいつも空席のままだ。

昔は、そのチェーンのマスコットとして、
コマ―シャルにもでていて、「人気者」というキャラ設定だったそうだ。
正直、それが納得できない。
彼の、ピエロを模した風貌。
はっきり言って…怖すぎないか?
江戸川乱歩の「地獄の道化師」からスティーブン・キングの「IT」まで、
ピエロは現代においてはむしろ恐怖のアイコンのはずだ。

ベンチに座っている「彼」を見ていると…
脚を不意に組み替えるのではないか、
腕を背もたれから離すのじゃないか…
そんな妄想がうかんで、皮膚の下をなにか冷たいものが走る気がする。
そして、そういう目で見ると、その口を真っ赤に濡らしているものは、
口紅でも、ケチャップでもないもののように見えてくるのだ。

きょう、最終バスを逃した。
タクシー乗り場で待ったが、いつまでたってもクルマはこない。
家まで歩けば30分ほどだが—-ひとつ、問題がある。
家に戻るには、あのファストフードの店の前を通らなければいけない。
だがこの時間、店は閉まっており、灯りは消えているはずだ。
つまり、暗闇の中「彼」の前を…微笑む「彼」の前を、通らなくてはならない。
それは、どうにか避けたかった。
だが、クルマはこない。
さらに30分待ったところでわたしはあきらめ、家に向かって歩き出した。

駅前の閑散とした商店街をぬけ、橋をわたって区をまたぎ、国道に出る。
しばらく歩くと、右前方にあの店の看板のシルエットが見える。
近づく。
看板も、店内も、すべての電灯が落とされている。
わたしは、視界の右端にその店を感じながら、なるべく前だけを見て歩く。
店の前を通り過ぎる。
そのとき、わたしの目が反射的に…普段とちがうなにかを感じとって、
店のほうを見やった。
視線の先にはベンチがある。
いつもの、あのベンチだ。
だが…なにかがちがう。
そうだ。
「彼」がいないのだ。
誰も座っていないベンチが、そこにある。

どこへ行ったのだ。
…歩いていったのか?
まさか。
おそらく撤去されたのだ。
長年の雨ざらしで、傷んでいたのだろう。

そのとき…足音がきこえてくる。
店の前の駐車場のほうから、
とっと、とん。
とっと、とん。
…と、軽やかなステップの音。
タップダンスを踏むような。
わたしは、視線を、その足音の方向からそらすことができない。
駐車場に植えられた樹の陰からその音は聞こえてくるようだ。
そして、一本の樹の裏から、にゅ、と、赤い靴が飛び出た。

靴は、はずむような動きで、樹の裏に引っ込んだり、また出てきたりを繰り返す。
そして、不意に「彼」が現れた。
黄色と白のしましまの服。真っ赤な紙。真っ白な顔。真っ赤な唇。
笑っている。
笑っている。
アニメキャラのようなリズミカルさで、上下に体をはずませながら、歩く。
ウキウキ!
ワクワク!
という擬音語の書き文字が横に書いてあるようだ。

声をあげることができない。
彼は、ベンチまですすむと、その真ん中にすとんと腰を下ろす。
そして、ぴょこりと素早い動きで脚を組む。満足そうな笑みを浮かべ、
言葉を発しない手品師がよくやるような、思わせぶりな仕草でわたしに手招きをする。
自分の左側の場所を手でたたく。「ここへお座り」と言っているようだ。
逃げられず…わたしは、彼の隣に腰をおろす。
シャツの中を、冷たい汗が何筋か流れ落ちる。
彼は、手の中の何かを別の手の指で触るような仕草をする。
わたしがスマホを出すと、にやにやと笑いながら、
わたしと、スマホと、自分を交互に指さす。
写真を撮れ、といっているのだ。
彼の顔が、こちらに近づき、その腕が、わたしの肩に回された。
とても冷たい。
スマホをかざし、わたしと彼をフレームに収める。
なぜか、魚のような生臭いにおいが一瞬漂った。

彼は、スマホで撮られた自分とわたしの姿を見ると、声をたてず大笑いをし、
ぴょんとベンチの上に飛び乗った。
その足は陽気な仕草でステップを踏み、その口は何かの唄を唄っているように、
パクパクと音もなく動いた。
そして、ベンチを飛び降りると、踊るような足取りで、駐車場へと向かっていく。
とっと、とん。
とっと、とん。
ととっと、とん、とん。
ぴたりと足がとまる。
彼は振り向いて、こちらに手をふると…
おどけた仕草で木立の中へ消えていった。
わたしは、全身の力が抜け、気が遠くなり―――

翌朝、目をさました私は、ベンチに座っていた。
あのまま気を失って、朝までこうしていたらしい。
不自然な姿勢で長時間いたせいか、体が痛い。
のびをしようとする…が、体が動かない。
自分の体なのに、まったく自分の意志が通じない。
わたしは、自分の体の状態をスキャンした。
どうやら今わたしは…腕をベンチの背もたれにかけ、脚を組んでいる。

ドライブスルーにスピードを緩めて入ってくる一台のクルマが見えた。
そのクルマのフロントガラスに映ったのは、
ベンチに座った、ピエロの顔をした男。
白と黄色のしま模様の服。真っ赤な髪。真っ白な顔。真っ赤な唇。

なんということだ。
わたしは…「彼」になってしまった。

長きにわたってこのベンチという牢獄に捕らえれてきた「彼」は、
夕べ、私という後釜をみつけ…晴れて自由の身となったのだ。かわりに、
わたしを、このベンチに、身動きできない状態で残して。
傍らには、わたしのスマホが残されていた。
だが、それを手にとることは、もうわたしにはできない。

以来、わたしは、このベンチに座り続けている。
雨の日も。晴れた日も。
春も。夏も。秋も。そして冬も。
道行く人にこう、誘いかけ続けているのだ。

さあ、おいでよ。
一緒に写真を撮ろう。
一緒に写真を――



出演者情報:遠藤守哉(フリー)

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大江智之 2022年2月13日「門限と撥ねられた友だち」

『門限と撥ねられた友だち』

   ストーリー 大江智之
      出演 遠藤守哉

夜が明けるのがめっきり遅くなった。
どうやって家に帰ったのかも思い出せない。
いま分かるのは、
とにかく酒をしこたま飲んでトイレから出られないことぐらいだ。
もう二度と無茶な飲み方はしないので、
いますぐ元に戻してほしいと神様にお願いしてみる。
大人とは、他者に決められたルールが無くなって初めてなれるものなのかもしれない。
自制というルールを自分に課して生きていく、それが大人なのだろう。
駅で買った割高なお茶のペットボトルが、トイレの床で不満そうに横たわる。
子どものころのように門限があったなら、
こんなになるまで飲み歩かなかったのにな。
トイレでほとんど意識を失いかけながらそう思った。

日が沈むのがめっきり早くなった。
もうそろそろ冬になる、それを幼少期は門限で感じていた。
夏の頃は19時ごろまで明るく、冬になれば17時で暗くなる。
我が家の門限は年間で一律18時だった。
暗くなったら帰っておいでだと、子どもはいつまでも明るいと言い張る。
実に公平で明快なルールだと子供心にも思えた。
第一公園は、第三公園と並ぶ、このあたり一帯で人気の公園だ。
昔、刃物が見つかり警察が調べにきた第二公園を子どもたちは避けるから、
街の東側に住む子と、西側に住む子で遊ぶ公園はハッキリと分かれている。
東側に住む自分と”王子”は、第一公園でよく遊んでいた。
ふたりとも門限が18時だったから、
その日も17時50分ギリギリに自転車にまたがった。
公園の入り口は急勾配な道路に面している。
自分も王子も家に帰るにはその下り坂をおりて丁字路を右折する必要がある。
あたりは薄暗くなり、ほとんど日は落ちかけていた。
先に坂を下った自分は丁字路を曲がった先に車が来ていることに気がついた。
気がついていたが、後ろからダッシュで降りてくる王子に
それを伝えるところまでは気が回らなかった。
王子は撥ねられた。
ドンッという鈍い音がして振り返ると、
ちょうど丁字路の先の駐車場の上を、王子とその自転車が舞っているところだった。
カシャっと軽い音がして、駐車場に王子が落っこちた。
車は数メートル先で停車し、中から運転手が出てきた。
近くのアパートに住んでいる同級生とその兄も出てきた。
助け起こされた王子はケロッとしていた。
警察が来た。
居合わせた大人が詳しい状況を伝えている。
子どもだった自分には何もできなかった。
そうこうしているうちにあたりはすっかり暗くなり、門限のことを思い出した。
そうだ、帰らなければいけなかった。
でもここに残って事の顛末を見届けたい。
あたりはどんどん暗くなり気持ちは焦ってゆく。
だんだんと冷たくなってゆく空気が何度も肺を往復する。
迷った末に自分は門限で帰ることにした。
後ろ髪を引かれるとはまさにこの感覚なのだろう。
結果彼は無傷だったわけで、
警察や周りの大人が事態を収拾してくれているのだから、
子どもの自分にできることは何も無い。
何も無いけど、そのときはその場にいることが正解だったような気がした。
それでも自分は、門限のルールに逆らうことができなかった。
他者が決めたルールをどこまで守ることが正解なのか。
いま自分がその瞬間に戻ったなら、
門限を無視してでもずっとその場に残ったであろうか。
携帯電話なんて持っていない。
いま思えば、自分はあのとき試されていたのかもしれない。
あそこで残る選択ができたのならば、
自分はその日、大人になっていたのだろうか。
誰かのルールを破り、
自分の責任でルールを上書きすることができていたのだろうか。

気がつくと夜が明けていた。
冬の朝はとても冷え込む。
トイレで半分寝てしまっていたようだ。
重たい頭を無理やり持ち上げ、寝室の方向へ歩き出す。
乾いた音を立てて冷たい廊下がきしんだ。
多少は気分が良くなった気がする。
ベッドの上の遮光カーテンを閉めようとして、ふと外の空気が吸いたくなった。
窓を軽く開ける。
凍てつく明け方の空気が、乾いた頬を突き刺す。
そのまま肺に流れ込み、瞬く間に白くなって口から出てゆく。
薄暗い冬の日は、少年時代の不思議な葛藤を思い出すのだ。



出演者情報:遠藤守哉(フリー)

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