バリ島見聞録

バリ島見聞録(9)

前回は人々でしたが、今回はお供え物チェックといきます!

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祭壇に所狭しとお供え物が並べられています。

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これは何でしょう。。
よくよく見れば分かります。
こちらです。

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豚丸々一匹つかって、飾り付けをしています。
ギザギザのしろいリングも、豚の脂で作られています。
旗のようなものも、どこかの部位なのだそうです。

祭壇意外にもそこかしこに置かれています。

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布にかぶせられたカゴからはトリの鳴き声が、、

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つづく!

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バリ島見聞録(8)

大分あいだを開けてしまいました。
理由は色々あるんですが、撮った写真が2ギガ(!)あったということがひとつ上げられます。
なぜ、こう多くなったというと、周りがバリ人ばかりで話せない、
という手持ち無沙汰感が手伝った部分もありますが、
ちょっとでも休んで眺めていると、今がシャッタチャンスだよ! 
と言わんばかりに写真とれと指示をだしてくるからであります。

選別にえらく時間がかかりました。
それでも膨大にあるので2.3回に分けて写真を多めにアップしようと思います。

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場所はクルンクン県の首都、スマラプラ。
ここの土地の王族というとバリ8王国の中の宗主という存在で一番位が高い王族でした。
期待が膨らみます。

門をくぐり、しばし歩くと
結婚の儀式が行われている会場が見えてきました。

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右側に新婦、そして奥に柱に隠れていますが新郎が見えます。
左側の祭壇では僧侶であるブラフマがお祈りを上げています。
しかし、儀式という緊張感はあまりありません。
祭壇におばちゃんが座っています。

ぼそぼそとお祈りを上げているブラフマの声をかき消すかのように、
歌が会場に響き渡っています。

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音楽も奏でられています。

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(今は休憩中)

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周りをみるとなんとなくだらっとしています。(あついからか?)
この状況が後2時間続きました。。。
つまり、ブラフマが2時間ひたすらお祈りを上げているのを
音楽に耳を傾きながらじっと見守っているだけです。
ロ(私)が10時に会場に入った時にはもう始まっていたわけで、
もっと長く続いていたのかもしれません。

ということで、その間に撮った人々の写真などを並べていきます。

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つづく!

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バリ島見聞録(7)

「バリ島の結婚式」

滞在していたホテル(一泊1700円)の常にロックの黒Tを着ている20代のマネージャーが
お世話になった現地スタッフ(ヨガインストラクター・ベジタリアン&ナイスガイ)の友だちで、
その彼の兄貴が結婚するということで、遊びにこないかという提案をいただいた。

実はそのマネージャー、見かけによらず王族なのだとか。
王族の婚礼がみれるということで二つ返事し(二つ返事ってなんだ?)、
おずおずと写真とっていい? と聞いたところ、
写真撮らずにどうするの! としかられました。

さすが、1930年代から観光を売り物にしていたバリ島。
見られてなんぼらしいです。

正装して、伺ってきました。

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つづく

※「二つ返事」:「はい、はい」と重ねた返事。また、快く承知すること。(goo辞書)
間違った使い方しました。

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バリ島見聞録(7)

五島の話が面白くてたまりません。
死ぬまでに一度行かなくてはと思わされています。
これだけ愛情を持って故郷を語れることがうらやましい。
愛です。愛。

とすると私がバリ島に抱いている感情は恋なのでしょうか。。。(赤面)

さて、本日はバリの食事について。

旅行に行って何よりも楽しみなのは土地土地の料理といえます。
私はそうです。(料理好きは私は(微々たる)金にものを言わせて
食材をたんと買って帰りました。)

基本的にバリ人はナシ・チャンプルというものを食べます。
「ナシ」が「ご飯」で、「チャンプル」は「まぜる」、
つまり「まぜご飯」です。

一般の家庭では料理は一日に一回朝しか作りません。
ご飯を炊いて、オカズを5品ぐらい用意するのみです。

で、食べたい人はお皿にご飯を盛って、
好きなオカズをご飯の横によそって、
それらを混ぜて、手で食べます。

家族みんなで食べるという習慣がありません。
「いただきます」「ごちそうさま」という言葉もありません。
そもそもテーブルというものがあまりなく、
廊下や外でも、立って食べたりしています。

日本ではお米ひとつぶひとつぶに神様がいるいわれてますが、
バリ人は結構散らかして食べます。

信心深いバリ人たちがなんで!
最初は思いました。日本人なら誰しも感じる違和感だと思います。

でも、よくよく考えると食べ物に対する概念が
日本と違うんだということが浮かび上がってきます。

お米の国ですが、2期作3期作あります。
肥沃な土地でそんなに肥料も必用ありません。
果物は雨期乾期の差はありますが常に実っています。

つまり、ギリギリの環境でお米を作っていた日本と違って
飢える心配がないんですね。

残したお米も大地に帰ると思えば、
決して罰当たりなことではありません。

朝晩、お供え物を40カ所して、神様にも食事を与えているので、
いちいち食事の時にお祈りする必要もありません。

また婚葬祭でつねに家族単位で動く彼らにとっては
食事ぐらい一人で食べたいものかもしれません。

何より大きいと思うのが、
熱い国ですので、料理を暖める必要がないということです。

常温に置かれたオカズがこの国ではちょうどいい温度なんです。

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これらを混ぜて「サンバル(唐辛子+柑橘系の汁+紫玉ねぎ+ココナッツ油+α)」と
いう調味料を付けて“食べるとあなた!
やみつきですよ!

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バリ島見聞録(6)


バリ島のお祭り

バリ島ではお祭りだそこかしこで行なわれています。
20日間の滞在で、道すがら出会ったお祭りは7つ以上ありました。

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トランス状態になった参加者

トランス状態になった参加者

この祭りは24時ごろホテルに帰ろうとしたところ出会ったお祭りです。

ウブドの王宮近くのでかい道路に正装したバリ人たちがずらっと奥まで座っていました。
ガムランが奏でられ、神秘的な雰囲気を醸し出してました。
30分ぐらい何も起こらなかったのですが、トランス状態になった参加者がでて、
にわかに参加者の興奮が伝わってきました。
そして、傘をもった人達が移動すると音楽隊もついていき、
道を練り歩き出し、パレードを行なっていました。

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その他に祭りの準備だったり、後片付けしているお寺がそこかしこにありました

なぜそんなにお祭りが多いかというと、
それだけお寺が多いからなのだそうです。

バリ島は、インドネシアひとつの州で、「バリ州」です。
そのバリ州の中に、県があり、市があり、村(デサ)があり、
そしてその中に「バンジャール」と呼ばれる
親族のような結束の強い共同体を形成しています。

「デサ」にはかならず

プラ・バレ・アグン(大会議堂寺院)
プラ・プセー(村の起源となった寺院)
プラ・ダルム(死と火葬の神々を祀る墓地を持った寺院)

と3つの重要なお寺があります。

そしてその他にも、各バンジャールがもつ稲作の神の寺や、
山の寺、海の寺、市場の寺、水浴の寺、湖・洞穴・泉の寺などなど、
数え切れない数のお寺があります。

全部合わせるとバリ島のお寺の数は数万になるとか。。

お祭りは「オダラン」と呼ばれ、それはお寺の創立記念日に行なわれます。
しかもバリ島のウク暦で一年に一回ということで、
西暦に直すと210日に一回行われることになります。

バリ島では毎日どこかで必ず神を祀るガムランのしらべが聞こえてきます。

神々が棲む島の所以です。

このようなことが出来るのも、
肥沃な土地でそう働かなくてもよかったからといえます。
四季が明確にないので、祭りをやることで、
生活のリズムを生んでいたといえるんじゃないでしょうか。
そして、結束力、機動力を高めることによって外敵から攻められたとき、
瞬時に動くことが出来たのかもしれません。
なんて。

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バリ島見聞録(5)

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塀の向こうに見える塔はいったいなんでしょうか?
そもそもこの場所はなんなんでしょう。お寺?
こういった、街の風景が島中に見受けられます。

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実は普通の民家なんです。
塀から除く塔は、バリ・ヒンズー教の“どの民家”にも建てられている
家族のお祈りの対象となるトゥングン・カランと呼ばれる社(やしろ)です。

どんなに貧乏でもバリ人であるかぎり、この信仰の場所確保しなくては行けない。
木の枝を四隅に立てて、竹で編んだお供え置きを載せるだけでもいいらしいです。

この社の役目は、外の邪悪な力から、屋敷の中に居るものを守ることで、
その中にはカラ神というヒンズー教の神様が祭られています。
破壊を強いる神のようですが、そこにお供え物をすることで神はなだめられ、
屋敷の中に居るものを守ってくれるというのです。

バリ人の信仰っぷりは凄まじく、お金を得たバリ人たちは、
お金が入った分だけ次々とトゥングン・カランを敷地内に立てていきます。
すると、そこがお寺であるかような風情を醸し出すようになってしまうのです。

バリはもともと肥沃な土地で飢えるという心配がありません。
日本と同じく稲作が盛んですが、2期作から3期作行なっています。
木々は様々なフルーツを実らしており、外に出れば何か食べ物にありつけます。
そこに観光産業が入ってきたので、基本的にバリ人は豊かです。

土地を海外の資本家に貸し、莫大なお金を得る人達もでてきてます。
でも、彼らはお金を使う必要があまりありません。
なので、社をどんどん立ててしまうのです。

バリ人の実直さ、信仰心の厚さを表す現象と言えます。

一部の地域にはそれがありません。
つまりその地域はヒンズー教でないといえます。
特に繁華街は、外国やお隣の島、ジャワ島からの出稼ぎが多く来ており、
バリ・ヒンズー教でない人々が多く住むようになりました。

旅の恥はかきすてではないのですが、
心ない事件はバリ島以外からきた人が行なっていることが多いようです。

バリ人は信仰心が厚く、カースト制度がある村社会でもあり、
近隣の監視があるので、悪いことをしてもすぐにばれてしまいます。

バリ人が恐れているのは村八分になることです。
そしてバリ人の村八分はおそろしい。。。らしいです。

なのでなかなか悪いことしません。
しませんよ。

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バリ島見聞録(4)

初めてバリの街をしばし歩いたとき、
何が心に響いたかというと、
生茂った緑や棚段ではなく、

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石像でもなく、

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放し飼いのアヒル、鶏、犬ではなく、

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オリエンタルな服装に身をつつんだ女性でもなく、
カラフルな「お供え物」の数々でした。

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聞くところによると、お供え物は朝夕2回にそれぞれにお供えして、なんと!
各家庭で毎日30箇所から40箇所置くそうです。
それがあって女性は大忙しです。

神棚みたいなところにも置きますが、バリでは各部屋にあり、
そればかりではなく、玄関、裏口、、

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炊飯器、

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ガス代、

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スクーター、車にまで置いてあります。
とてもキレイで安らかな気持ちになります。

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神聖なものかと思うと、
一度お供えしたらそれで用がすむようで、
踏んでも構わないようです。
大地に帰ったとみなされているのかもしれません。
にわとりも踏みます(当り前)。

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どんなに資本主義が入り込んだ最先端のナイトスポットでもありました。

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バリ島ではインドネシアのほとんどがイスラム教の中、
バリ・ヒンズー教というものを信仰しています。

今後数回は、私の心をうごかしたバリ・ヒンズー教の特殊性をすこしずつ紹介出来ればと思います。

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バリ島見聞録(3)

バリの悪いイメージのみ語って
更新が滞って心傷めたさいとうです。

翌朝、寝付きが悪かったにも関わらず目覚めは爽快でした。
鶏がそこかしこでコケコッコーとないており、
木々のざわめきや生き物の気配のテンションの高さ(?)に
だらだらしてるんじゃねー!
と背中を押されてる感じがしました。

そしてその泊まった宿からの眺めを見て、
ようやくバリにきたのだなぁ〜と感じました。

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そこからの眺めはジャングルそのものでした。
まるで映画「地獄の黙示録」を見ているよう。。。

空気は日本と同じように湿気がありますが、
木々から吹いてくる風はさわやかそのものです。
普通のことを言ってすみません。

そこは緑の洪水。
昨日の夜と真逆の風景が広がっていました。

朝食を持ってきてくれるスタッフに
トゥリマカシー(ありがとう)と
おずおずと初めての現地の言葉を使うと
素敵な笑顔でサマサマぁ〜(どういたしましてー)
といわれ、またまた
バリに来たなぁ〜と思いました。

この日からバリ人の笑顔見たさに、
一日に20回以上はトゥリマカシーを言うようになりました。

次回からはもうちょっと内容のあるものを書きたいと思います。。。

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バリ島見聞録(2)

バリの玄関口であるングラ・ライ空港に午前0:01分に到着。
香辛料に似た独特の香りが旅の情緒を引き立たせてます。
しかし、入国審査時の長い列での疲れきった旅行者達の
くだけた服装と死んだ目が集団移民を思わせたり、
照明の異様な暗さがテリーギリアムの映画「12モンキーズ」を思い起こさせて、
南国の楽園に来たというのにさっそく心細くなってしまいました。

現地のスタッフにピックアップされ、
初めてのバリということで、少し遠回りをして
繁華街であるクタ、レギャンのメインストリートを
通ることになりました。

クタ、レギャンのメインストリートは、
原宿・竹下通りのような細い道にテンションの高い
六本木の外人が大挙して現れた感じで騒々しく、
深夜にも関わらず、一方通行のその道は渋滞が起こっていました。
ゴミの散らかった道路に面したいくつかの飲食店は、
爆音でユーロビート系のテクノがかかっており、
店に雇われているであろう男女が道行く人を
挑発するように体をくねらせていました。

芸術、伝統芸能、田園風景、神々そしてナシゴレンと
思い描いていた楽園のイメージとはほど遠く、
良識人がバリの変化に対して警鐘を鳴らしていたことの一端を
バリについて1時間もたたずで感じてしまいました。

その後、泊ることになっているバリの中心部にあるウブドへ。
先ほどの喧噪と打って変わって、暗闇と静寂の一本道をひたすら北上。
その行程で、道の両脇に無数の石像が並んでいる一画がありました。
10分たっても途絶えることのない、車のライトで不気味に照らされた石像群は
異空間に繋がる道の憲兵のように思え、
このまま地獄にいってもおかしくないなぁと変な覚悟をもちました。

一時間弱のドライブを終え宿へ。
外から漏れるカエルの鳴き声と虫々のぞあぞあする存在感のせいで
なかなか寝付けませんでした。

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(つづく)

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バリ島見聞録(1)

webを担当しています斎藤拓と申します。
縁あってお仕事でバリに数週間滞在する機会をいただき、
強い印象を得て帰ってきたので、
そのことを数回にわけて書かせていただきたいと思います。

「島といえばハワイか五島だよね」
そういう中村さんに横やりをさすようで多少なりの躊躇はあるのですが、
それはそれ、バリ島のおおらかな気質に浸ってきた私は、
あまり深いこと考えないで書き連ねたいと思います。(中村さん、ごめんなさい)

バリ島。

私にはどちらかというとハワイと並んで、
あるいはワンランク落ちる
海のある南国のリゾート地としての
イメージしかありませんでした。

今回の滞在のために色々調べてみると、
幾つか興味の引く事柄にあたりました。

・芸術の島であるらしいこと。
・ケチャ、ガムランなどバリ伝統芸能があること。
・神々が住む島であるらしいこと。
・稲作を中心とした農業が盛んで田園風景があるということ。
・ナシ・ゴレンなど食文化も充実しているということ。

本屋にいけばバリ島に関するがたくさん並んでました。

ちなみにネットの“アマゾン”で「バリ」で検索すると
13,297件(「バリバリ伝説」なども引っかかってしまいますが)
「サイバン」で1,452件、「グアム」1,763件と桁違い。

それらの本を幾つか開くと
大半のものは熱病ともいえるほどバリ礼賛の言葉が並んでいました。
そして残りのものは、愛情の裏返しとしての
バリ島の変化に対する警鐘を鳴らすものでした。

9度バリを訪れたことのある知人にその良さを聞くと
「居るだけでいい」
という言葉が返ってきました。

バリ島に対する憧憬がぱんぱんに膨らんだ状態で、
日本を発ったのでした。

バリ本

つづく

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