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澁江組・磯部建多

礒部建多 17年6月11日放送

170611-07 Phototravelography
レゲエの神様と雨

レゲエの神様、ボブ・マーリー。

生まれ育ったジャマイカには、
年に数ヶ月の雨季が訪れる。
ハリケーンが多いことでも有名な土地である。

ミュージシャンにとって
雨は歓迎すべきものではない。
特に野外ライブなどにとっては、大敵である。

しかし、ボブ・マーリーは、
雨そのものを疎まない。

雨を感じられる人間もいるし、
ただ濡れるだけの奴らもいる。
 (Some people feel the rain. Others just get wet.)

森羅万象に研ぎ澄まされた目を向ける。
そんな心の豊かさが、
「神様」とまで崇められる、
一つの理由なのかもしれない。


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礒部建多 17年6月11日放送

170611-08
チャップリンと雨

チャーリー・チャップリン。
「喜劇王」と呼ばれた男の幼少期は、
辛く、厳しいものであった。

非常に貧しい家庭に生まれ、
わずか7歳にして救貧院に預けられる。
幾つもの救貧院を転々とする間に、
母は心の病を患い、精神病院へと運ばれてしまう。

人前では明るく振る舞いながら、
ただ一人、悲しみに耐えていた。

いつでも雨の中を歩くのが好きでした、
雨の中なら誰も僕の涙は見えません。

チャップリンらしい「ユーモア」や、
時折現れる、「哀愁」や「怒り」。
そのすべての秘密は、幼少期の体験にあるのだろう。


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礒部建多 17年4月16日放送

170416-07
天才的音楽家

今日はクラーク博士が
「ボーイズ ビー アンビシャス」
の言葉を残した日。

稀代の音楽家、ヨハン・セバスチャン・バッハ。
彼の才能は、幼い頃から光り輝いていた。

ヨハン少年が11歳の時のこと。
初めてオルガンに触れたのにも関わらず、彼は完璧に演奏してしまったのだ。

有名な音楽一家に生まれたが、
その家族全員からも一目置かれた存在だった。
音楽の先生であった兄は教育のために、
ヨハンにあえて楽譜を一切見せないようにした。
下手に他の音楽家の癖や影響を受けて、創造性を損なわせないためだ。
ヨハン少年は、誰よりも純粋に自分の音楽と向き合っていった。

そうして後に、「近代音楽の父」と呼ばれるまでに成功を収めることになる。
音楽の境地へと辿り着いたヨハンは、こう述べたと言う。

 「音楽の究極的な目的は、神の栄光と魂の浄化に他ならない。」


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礒部建多 17年2月19日放送

170219-02
悪役の素顔

今日、2月19日は、プロレスの日。

悪役は、リングを降りても悪役でなければならない。
ただ、素顔はどうか。

190cm、120kgという大柄な体格。
「狂える虎」と呼ばれ、悪役として一世を風靡した、
タイガー・ジェット・シン。

プライベートで移動していたときのこと。
シンは、握手を求めてきたファンを蹴り倒したのだ。

バスに乗り込んでからのシンは俯き、無口のまま。
しかし少しして、スタッフにこう話しかけたと言う。

「さっきの彼、怪我しなかったかな。」

「稀代の悪役」であったことは、間違いない。
ただ、人の痛みが分かる人間であったことも、また事実なのだ。


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礒部建多 17年2月19日放送

170219-04 NWharry
プロレスのテーマ

今日、2月19日は、プロレスの日。

ザ・ファンクスであれば、「スピニング・トーホールド」、
ジャイアント馬場であれば、「王者の魂」。

プロレスにとって欠かせない、
「選手のテーマ曲」という演出も、
最初からあったわけではない。

1977年2月、
仮面貴族と呼ばれたミル・マスラカスのテーマ曲として、
全日本プロレス中継のディレクター・板垣進が
「スカイハイ」を流したのが、
テーマ曲が注目されるきっかけとなった。

曲がかかれば、
観客から拍手と大歓声が生まれ、
選手の闘志に火がつく。
板垣のひょんなアイデアが、
会場の一体感を強固なものにした。


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礒部建多 16年12月18日放送

161218-02
屋根の上で

キリストの生誕を祝うための祭日。
そんなクリスマスが、
今のように変化していった背景には、歌の影響がある。

ベンジャミン・ハンビーによってつくられた、
邦題”屋根の上で”は、
初めてサンタがクリスマスソングに登場した曲となった。

「サンタクロースは、
 たくさんのおもちゃを持って、
 煙突をおりてくる。」


サンタクロースのお茶目なキャラクターや、
楽しげな雰囲気は、この曲から広がっていった。

心踊るクリスマス。
それこそが、先人たちの想像力がつくりあげた、
最高のプレゼントなのかもしれない。


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礒部建多 16年12月18日放送

161218-06
きよしこの夜

世界で300を超える言語に
訳されるクリスマスソング「Silent Night」。
日本名「きよしこの夜」。実は6番まで存在する。

1816年、
戦争の長い苦悩から解放された、
作詞者のヨゼフ・モールは、
「人類はみな兄弟である。」
と、平和への願いを4番の歌詞に綴った。


約100年後の1914年、
第一次世界大戦で起きた「クリスマス休戦」は、
ドイツ軍が「Silent Night」を歌い始めたことが
きっかけとなった。

平和への願いとともに、
これからもずっと歌い継がれますように。


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礒部建多 16年10月23日放送

161023-06
泣く女

「私にとって、彼女は泣く女だった。」

パブロ・ピカソの愛人、
ドラ・マールをモデルとした作品「泣く女」。

感情を露にし、
大声で泣き、怒る彼女を、
ピカソはこよなく愛した。

その姿に、ピカソはインスピレーションを受けた。
拷問のような姿のまま、彼女を描いた時もあった。

絵が完成し間もなくして、
ピカソは新しい愛人をつくる。
捨てられたドラの精神は、確実に狂っていった。

心の無い言動に向けられる数々の批判に、
ピカソはこう答えた。

「女は、苦しむ機械なのだから。」


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礒部建多 16年10月23日放送

161023-07
自画像を描く女

体から蔦を伸ばす女。矢の刺さった鹿。
メキシコの女性画家、フリーダ・カーロは
作品の中の顔に、自画像を描く。

理由を聞かれた彼女は、
「ひとりぼっちだから。」と答えたと言う。

いじめに苦しんだ幼少期。
全身骨折の事故で、長く続いた病床生活。
そして、最愛の夫にも裏切られた。

誰よりも痛みと向き合い、
誰よりも人生と向き合った。

その時間の長さが、
彼女の中に芸術的な才能を育んだ。

「人生万歳」

それが彼女の47歳という短い
人生最後の作品に残した言葉だった。


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礒部建多 16年8月28日放送

160828-06 Holy [K]
童話の解釈

今日は童話作家
ミヒャエル・エンデの命日。

エンデは、よく
こんな愚痴をこぼしていたという。

「大人は、すぐに何かと結びつけて読むから困る」

老若男女を問わず、
広く愛される作品を生み出してきたが、
54歳で出版した
「鏡のなかの鏡」は、特に不評だった。

ある人は、当時の社会批判と結びつけたり、
フロイトやカフカと照らし合わせ、
学術的に分析しようともした。

「分析されたり解釈されることを望まない。
 それは体験されることを願っている。」


奇しくも、副題は「迷宮」という。
解釈しようとせず、
文字通り「迷宮」のように
ただ作品の中で迷い続けるのも、
エンデが望む楽しみ方なのかもしれない。


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