リーヴァイ・ストラウスとジーンズ ゴールドラッシュ
1829年、ドイツのバイエルン地方で、
ひとりの男が生まれた。
彼は、父親の死をきっかけにニューヨークへと移住。
24歳にて念願のアメリカ市民となる。
その頃のアメリカ西海岸と言えば、ゴールドラッシュのまっただ中。
男と一家はこの時流に着目し、
鉱山労働者を相手にテントや荷馬車用の幌を売る行商をはじめる。
しかしながら、テントは全く売れない。
そこで、テントや幌の材料であったキャンバス帆布を使った、
耐久性のある作業用ズボンを製造。
金鉱石や採鉱道具をしまうために、大きなポケットも付けたことで、
ズボンは街中で大評判になっていった。
その男こそが、リーヴァイ・ストラウス、
リーバイス社の創始者となる男だ。
小林組・坂本弥光
坂本弥光 15年12月19日放送
坂本弥光 15年12月19日放送
リーヴァイ・ストラウスとジーンズ ジーンズの誕生
リーバイスの創始者、
リーヴァイ・ストラウス。
彼の運命を変えた1通の手紙がある。
差出人の名は、ジェイコブ・デイヴィス。
洋服店を営んでいたデイヴィスは、リガ出身の移民。
ストラウスの上顧客の1人であった。
その手紙に書かれていたのは、
彼がひとりの客につくったズボンの話。
より丈夫で長持ちするズボンを作るために、
金属鋲、英語でいうリヴェットを
ズボンのポケットの隅に打ちつけた製法だった。
しかし、デイヴィスには特許を取得するための資金がなかった。
そこでストラウスが資金を提供し、共同で特許を申請した。
そうして2人の手によって、
ジーンズは産声を上げたのだ。
坂本弥光 15年12月19日放送
リーヴァイ・ストラウスとジーンズ リーバイス
これは、
リーバイスの創始者 リーヴァイ・ストラウスの話。
1880年代に入り、
ジーンズの生地は、キャンバスからデニムに変更。
そうして生まれたのが、世界で最初のブルージーンズだ。
リーバイスのブルージーンズには、
ウエストバンドに縫い付けられたレザーパッチに
ツーホースマークというシンボルがある。
これは、2頭の馬で両方から引っ張っても破れないほど
頑丈であることを意味している。
1890年には、ロットナンバーが導入。
最高級の製品に「501」の番号が与えられる。
その後、少しずつ改良が重ねられ、
1902年に現在のような5ポケットのスタイルが確立。
まるでその完成を見届けるかのように、
リーヴァイ・ストラウスは死去した。
73歳だった。
坂本弥光 15年12月19日放送
リーヴァイ・ストラウスとジーンズ スターとファッション
ジーンズのイメージをつくりあげた、
1人の映画スターがいる。
マーロン・ブランド。
1953年に公開された映画「あばれもの」で、
暴走族のリーダーを演じたマーロン。
そこで彼は、黒の革ジャンと黒いブーツ、
リーバイスの「501」ジーンズという格好で、
バイクにまたがり暴れ回る。
まったく違うスターの誕生だった。
マーロンに魅了された若者たちは、
誰しもがこぞってジーンズを履くようになった。
このようにして、
ジーンズは若者たちの流行の第一線を走ることになる。
イヴ・サンローランは、こんな言葉を残している。
「ジーンズを、私が世の中に出すことができなかったことが、残念でならない。」
坂本弥光 15年10月11日放送
lwpkommunikacio
スティーブン・ホーキング 車いすの物理学者
「アイスバケツチャレンジ」で広く知られることとなった、
筋萎縮性側索硬化症、別名ALS。
全身の筋力が徐々に弱まり、余命5年と言われる病気だ。
しかし、発症から50年以上たった今でも、
「車いすの物理学者」として世界を牽引する男がいる。
スティーブン・ホーキング。
脳はコンピューターのようなもの。
部品が壊れれば、動作しなくなる。
壊れたコンピューターには天国も来世もない。
天国は、暗闇を恐れる人間のための架空の世界だよ。
死と隣り合わせの人生を歩んできた、彼らしい言葉だ。
坂本弥光 15年10月11日放送
NASA’s Marshall Space Flight Center
スティーブン・ホーキング 宇宙と人
世界的に、宇宙論ブームを巻き起こした本がある。
「ホーキング、宇宙を語る」
著者は、アインシュタイン以後、
最も影響力のある理論物理学者 スティーブン・ホーキング。
彼は最先端の研究のかたわら、
宇宙論を一般向けにわかりやすく紐解いた本を執筆し続けている。
その理由は、彼の名言に隠されている。
私たちはどこにでもある恒星の、
マイナーな惑星に住む、
血統の良い猿にすぎない。
しかし私たちは宇宙というものを理解できる。
そのために、ちょっとは特別な存在なのだ。
坂本弥光 15年10月11日放送
lwpkommunikacio
スティーブン・ホーキング ゴードン・ムーア
天才物理学者スティーブン・ホーキング。
彼の右腕とも言うべき、ひとりの男がいる。
ゴードン・ムーア。インテルの創始者だ。
ムーアは、1997年から最新のカスタマイズPCをホーキングに提供。
車いすマウント型ポータブル通信システムにはじまり、
メール作成・ブラウジング・執筆・合成音声での会話などを可能にする
システムを開発・提供している。
しかし、ホーキングの持病ALSは、日々進行する病だ。
親指でのリモコン操作から、
頬の筋肉の緊張を検知する「頬スイッチ」へ。
その操作すら難しくなってしまった後は、
単語予測のアルゴリズムを組み込んだインタフェースへ再設計。
進行する病状に合わせて常に改良し、
世界最先端の研究をサポートし続けているのだ。
坂本弥光 15年10月11日放送
スティーブン・ホーキング 人工知能
人工知能は、もう未来のものではない。
留守中に部屋を掃除する、ロボット掃除機。
テレビ番組のMCにもなった、アンドロイドロボット。
メッセージアプリでは、自動会話でやりとりができるようになった。
しかし、理論物理学者 スティーブン・ホーキングは、
この人類史上最大の進歩に警鐘を鳴らしている。
完全な人工知能を開発できたら、
それは人類の終焉を意味するかもしれない。
ゆっくりとしか進化できない人間に勝ち目はない。
病と闘いながらも、宇宙界を牽引するホーキングの言葉に、
世界はいま大きく揺れている。
坂本弥光 15年9月13日放送
Gordito1869
フェラン・アドリア エル・ブリ
「エル・ブリ」。
45席しかないシートに、年間200万人もの予約希望が殺到する、
伝説のレストラン。
バルセロナから約160キロ、
カラ・モン ジョイという風光明媚な入り江にその店はあった。
エル・ブリで出されるのは、20皿以上にものぼるコース料理。
9種類の”スナック”、8種類の”タパス”、3種類の”メイン”、
そして少量ずつのデザートだ。
例えば。
上が熱く、下が冷たい2層構造のグリーンピースのスープ。
色が白く、トマトを使っているようには全く見えない、
でも味はトマトの、トマト料理。
初めての感動を与えることこそが創造性だ、という思想である。
1997年に、エル・ブリはミシュラン3ツ星に昇格。
「世界のベスト・レストラン50」でも、5度世界一の栄誉を獲得するなど、
その名は年々知れわたっていった。
その「エル・ブリ」の主宰者こそが、フェラン・アドリア。
『タイム』誌の表紙を飾ったこともある、世界の有名人100人のひとりだ。
しかしアドリアは、2010年1月に世界を激震させる。
エル・ブリ閉店、というニュースだった。
坂本弥光 15年9月13日放送
smashz
フェラン・アドリア 料理と道具
天才料理人フェラン・アドリア。
彼のレシピの多くは、ため息が出るほど複雑だ。
液体窒素タンク、綿菓子製造機、アクリル樹脂の型等、
様々な特殊器具を使って、食材や料理を分解し、再構築するからだ。
エスプーマも、そのひとつ。
食材と空気を、サイフォンの中で混合する方法だ。
それによって、肉やきのこ、エスプレッソ等まで泡状にすることができる。
スフィリフィケーションは、液体を球状にする方法。
メロンからオリーブまで、さまざまな食材が小さくて繊細な球へと形を変える。
独創性で革命的な彼の料理は、アートと言っても過言ではない。
料理界のピカソと呼ばれるゆえんだ。