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2015 年 6 月 のアーカイブ

茂木彩海 15年6月28日放送

150628-01
お米の話 雲水のお粥

行く雲と流れる水のようにその地にとどまらず
修行をする行脚僧を、雲水という。

その雲水たちが欠かさず食べるのが、お粥。
その功徳は「粥有十利(しゅうゆうじり)」と言い、10個にものぼると言われている。

一、肌つやがよくなる
二、気力・体力が湧いてくる
三、老化を防ぎ若さを保つ
四、食欲を抑え、食べ過ぎない

…などなど。

お米をいただくのに一番シンプルな方法は
心とからだに一番シンプルで大事なことを教えてくれる。



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茂木彩海 15年6月28日放送

150628-02 cyclonebill
お米の話 隆慶一郎の握り飯

脚本家である隆慶一郎は小学生のころ、
夏休みになると毎年一人で長野市の祖父の家へ帰郷していた。

滞在中よく山へ登っていたのだが
道なりに登るのも飽きてしまい、大胆に林を分け入ってしまったある日。

ふと気づけばあたりはうっそうと茂る森の中で、
帰り道などまったくわからない。焦る少年に雨まで打ち付け、不安をあおる。

ポケットを漁ると昼に食べ残した握り飯がひとつ。
一口だけ噛み締め、もったいないので何度も噛んでいると、
米が甘いことをはじめて知った。落ち着きを取り戻し、
なんとか知っている道にたどり着いたのは夜も深くなったころ。

隆は言う。

 うまい米とうまい味噌汁があれば何もいらない。
 これはこの時の迷子の後遺症にちがいない。




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石橋涼子 15年6月28日放送

150628-03
お米の話 大阪の飯炊き仙人

大阪の大衆食堂で50年にわたり
ぴかぴかの銀シャリを炊き続けた村島孟(つとむ)は
人々から愛情をこめて「飯炊き仙人」と呼ばれた。

少年時代に終戦を迎え、食べるもののない時代を経験した。
もともとは料理人になりたかったという村島は、
大人になり名店と呼ばれる店をひたすら食べ歩き、
そして気づいた。
「一流の料亭でも、ご飯の味はイマイチじゃないか」と。

東京五輪の年に一念発起、脱サラして食堂を始めた。
おかずづくりはすべて妻にまかせ
自分は飯炊きに専念した。
毎朝4時になるとかまどに火を入れ、
上半身裸になり、ひたすら米を炊きつづけた。

仙人は、「匂いがつく」と言って魚も肉も包丁も触らない。
長年飯炊きにつかい続けた木しゃもじには
彼の手形がくっきり残っているという。

 出来の悪いのが飯(めし)
 まあまあなのがご飯、
 最高に炊けたんが銀シャリや


そう語る飯炊き仙人の銀シャリを食べるために
1日500人もの人が店を訪れ、
かつて仙人が憧れた料亭の料理人たちも
その味を学ぶために通ったという。



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石橋涼子 15年6月28日放送

150628-04
お米の話 芦屋雁之助のおにぎり

山下清と言えば、ランニングシャツに短パン姿で
おむすびをおいしそうに頬張る姿だ。
そこで思い浮かべるのは、画伯本人ではなく
芦屋雁之助(がんのすけ)演じるドラマの中の
裸の大将ではないだろうか。

実は、晩年の芦屋雁之助は糖尿病を患っていた。
お米は食事制限の筆頭だ。
それでも笑顔でもりもりおむすびを食べ、
ファンからの差し入れのおむすびも
がっかりさせたくなくてきちんと食べたという。

彼が食べる素朴な塩むすびはなんとも美味しそうに見える。
闘病のつらさなど微塵も感じさせない
人としての魅力が味付けになっていたのかもしれない。



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小野麻利江 15年6月28日放送

150628-05 HiroshimaGab
お米の話 田植えにまつわる言い伝え

かつての日本の四季は、今よりもずっと
米づくりと密接につながっていた。
米づくりにまつわる言い伝えが
土地ごとにいくつも存在していた。

田植えに関しても、
五月の婚礼、八月の離れ月
という風習があった。
これは、旧暦の五月と八月に
婚礼をとり行なうのを避けるように、戒めたもの。

旧暦の五月は、田植えの最盛期。
婚礼に人手を出すどころではなく
しかも梅雨時に重なるとあって、
花嫁行列などしようものなら、晴れ着は台無しになる。
実に理にかなった言い伝えであった。

しかし今や旧暦の五月、今の暦で六月は、
「ジューンブライド」として婚礼の最盛期。
欧米の「ジューン」には梅雨などなく
日本にそのまま取り入れるのは
本来は無理がありそうなものだが、
そんな懸念もなんのその。

挙式場所の変化や空調の発達で
梅雨時の晴れ着の心配が減ったこともあるが、
なにより日本の農業人口が減り、
田植えの日取りとの兼ね合いを
気にする人が減ったということも、
普段は気づきもしないが、
実は大きな要因のように思える。



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熊埜御堂由香 15年6月28日放送

150628-06 Emran Kassim
お米の話 振り米の言い伝え

お米が主食として行き渡るようになったのは、
第二次世界大戦中の配給米からだといわれている。
それまでは、麦や、アワ、ヒエなどで人々は食をつないできた。

そんな日本の農村に「振り米」という言い伝えが残っている。
重い病人が村にでると、よその村からひとにぎりの米を借りてきて、
竹の筒に入れて振って、耳元で米の音を聞かせていたのだ。
「ああ、がんばれば、米が食べられかもしれない」と
気力がでて生き延びるひともいれば、
亡くなっても安らかな顔をして冥土へ旅立てたという。

食べることは、生きることと言うが、
つやつやの白いお米は、日本人の生きる希望
そのものなのかもしれない。



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熊埜御堂由香 15年6月28日放送

150628-07
お米の話 魯山人の質問

食通で知られる北大路魯山人が
料亭、星岡茶寮(ほしがおかさりょう)の顧問をしていた頃。

雇う料理人には、第一にこう聞いたという。

 きみは飯が炊けるか?

ご飯も立派な料理と考えていた魯山人。
その面接は、とびきり厳しかったに違いない。




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薄景子 15年6月28日放送

150628-08
お米の話 八十八人の神様

子どもの頃、茶碗に一粒でもごはんが残っていたら、
「お米一粒には八十八人の神様が宿っているのだから、残さず食べるように。」
などと、たしなめられたことはないだろうか。

地域によって、神様の人数には諸説あるが
八十八人という数字の由来は、
米という字が、八十八という漢字からできていて
米の収穫までに八十八の工程があり、
手間暇かけた分だけ、神が宿るからだと言われている。

毎日のごはんが食卓に届くまでに、
作る人の手間と苦労と愛情がどれだけこめられているだろう。
そんな思いでごはん粒を見つめていたら、
お米そのものが神様ではないかと思えてくる。

きょうも、おいしいごはんを、ありがとうございます。
感謝しながらいただくと、ごはんはますますおいしくなる。




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佐藤理人 15年6月27日放送

150627-01
ドラえもんの作り方①「ポロンちゃん」

 破滅だ! 
 
1969年のある日、漫画家藤子・F・不二雄は、
そう叫びながら自宅の階段を駆け下りた。

新連載のアイデアが何ひとつ思い浮かばない。
焦燥感に駆られて廊下に足を踏み出した瞬間、
何か丸いものに躓いた。 

 ポロン♪

それは娘の起き上がりこぼし。人形が奏でる音に合わせて、
頭の中に散らばったパズルのピースが次々とハマっていく。
 
近所のどら猫。未来のロボット。
ポケットの中の秘密道具。タイムマシン。

 パパ、ポロンちゃんを蹴飛ばしちゃダメッ!

娘の声で我に返ると、そこにはもうドラえもんがいた。

それから半世紀近くに渡り、
自分の発明が世界中の子供達を虜にすることなど、
彼はまだ知る由もなかった。



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佐藤理人 15年6月27日放送

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ドラえもんの作り方②「少年の心」

子どものリアルな姿を描く。
それは漫画家にとって最も難しいことのひとつ。

目線の高さに気づかず、
つい子どもの姿をした大人を描いてしまう。

しかし「ドラえもん」の作者、
藤子・F・不二雄はそんな悩みとは無縁だった。

彼は執筆の合間を縫って、
三人の子どもたちにたくさんの本を読んであげた。
トムソーヤの冒険。ファーブル昆虫記。
子どもの目線で共に驚き、ワクワクすることで、
自分もまた一人の子どもに還ることができた。

彼のタイムマシンは引き出しの中ではなく、
本棚にあった。


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