
海に生きる人 1
世界初のサーフィン専門雑誌『SURFER』を創刊した人物、
ジョン・セバーソン(John Severson)。
情報の少なかった時代に、雑誌は話題を呼び、
世界中のサーファーたちに支持された。
1971年に雑誌の版権を売却したあと、
ジョンは、サーフィンをしながら
家族と落ち着いて暮らせる地を探し、
世界各地を15年近くも旅し続けた。
ジョンは言う。
「どこへ旅してもサーフィンが言葉の代わりをしてくれた。
言葉が通じなくても、サーファー同士はハートが通じ合えるから
世界中に生涯の友達ができたよ」
ハワイのマウイ島。
彼はいま、やっと見つけた定住の地で波とともに生きている。

海に生きる人 2
レル・サン(Rell Sun)。
女性プロサーファーのさきがけであり、
そのエレガントなサーフスタイルと美しい生き方から、
「クイーン・オブ・マカハ」と讃えられる伝説の人。
彼女は癌と診断され、余命一年に満たないと告げられても
サーフィンを辞めなかった。
初心者にはにこやかに波をゆずり、自由に、優雅に波に乗る。
立ち上がる体力がなくなってからもボディボードにつかまった。
海に入れば、いつだって笑顔を見せた。
彼女がよく口にしていたという言葉がある。
「ハワイのアロハ・スピリット。
それは、本当にシンプルなこと。
与えて、与えて、そして与える。
心から与え続けること。
何も、与えるものがなくなるまでね」

海に生きる人 3
1967年のその日
ハワイ・ノースショアには荒波が押し寄せていた。
誰がこの巨大な波に乗るのか?
海の烈しさに、ただ立ち尽くすサーファーたち。
固唾を飲んで見守るギャラリー。そのビーチに降り立ったのが
エドワード・ライアン・マクア・ハナイ・アイカウ。
通称、エディ。
彼は、いつもと変わらぬ様子で沖へと向かい、
落ちれば命は助からない荒波の頂点から、一気にボードを滑らせた。
その姿は、踊るように優雅だったと伝えられる。
見事に波を乗り切ったエディの名は島中をかけめぐり、
やがて世界中のサーファーの耳に届いた。
その後、船の遭難事故によって33年の短い生涯を閉じた
エディだが、彼は今も「勇者の代名詞」。
大波にチャレンジするハワイアンサーファーたちの間で
語られる合言葉にも登場する。
“Eddie would go.”
エディなら行くぜ。

海に生きる人 4
5階建てのビルほどの巨大な波を乗りこなす
ビッグウェイブ・サーファー、
レイアード・ハミルトン(Laird Hamilton)。
落ちれば命の危険すらある波の表面を、
彼はマッハ40のスピードで降りていく。
その超人的なパフォーマンスを見て
「あなたは恐れを知らない」と言った人に、
彼はこう返したという。
「僕にとって、恐怖は敵じゃない」
恐怖心があったからこそ僕は進歩してきた。」
人間が生まれながらに持つ恐怖心。
それをなくそうとするのではなく、むしろ
他人以上に持っていたい、というレイアード。
彼の「恐怖」には、海に対する畏敬の念も含まれる。
「ビッグウェイブに乗ったとき、
自分の内に広がるのは謙虚な気持ちだけ。
とても対抗できない力を目の当たりにして、
自分のちっぽけさを知る。
海はいつだって僕らにサインを送ってくるんだ。
常に、謙虚な気持ちを抱き続けるように、とね」

海に生きる人 5
13年間にわたってワールドツアーをまわり
常に上位にランクインしてきたトップ・サーファー、
ロブ・マチャド(Rob Machado)。
ツアーを引退してから彼が夢中になったのは、
すべてのサーフボードの原型といわれる『アライア』に乗ることだった。
板きれにしか見えないこのシンプルなサーフボードは、
経験豊富なサーファーでも乗りこなすことが難しい。
そのことが、彼のチャレンジ精神をかきたてた。
「アライアに乗ることは、僕にとって素晴らしい経験になった。
自分をビギナーの気持ちに戻してくれたからね」
自分にできないことこそが、新しい世界の入り口になる。
できないからこそ、楽しみがある。
マチャドは、それを知っている。
「よく考えてみると、波に乗るなんて魔法みたいだ」
誰もが憧れる輝かしい経歴の持ち主でありながら、
彼は今も、そんなことを口にする。
挑戦する。そして、楽しむ。
サーフィンは、終わらない。

海に生きる人 6
「決して水を怖がらず、
出来るだけ遠くへ行ってごらんなさい」
母は、幼い息子にそう言い聞かせていたという。
そして少年は、たぶん、そのとおりに従った。
のちのオリンピック水泳競技の金メダリスト。
サーフィンの魅力を世界に広め、
近代サーフィンの父と讃えられることにもなった
デューク・カハナモク(Duke Kahanamoku)。
彼の生涯は運命づけられたものだったのかもしれない。
海と出会う季節に。

海に生きる人 7
パドルアウト。
サーフボードの上に腹這いになり、手で漕ぎながら
沖に向かっていくこと。
サーファーたちは、波に乗るために
このパドルアウトを繰り返す。
サーフィンの神様とまで言われるサーファー、
ジェリー・ロペス(Jerry Lopez)が、はじめての挑戦のときに
友人から贈られ、今も大切にしている言葉がある。
『悩むぐらいならとりあえずパドルアウトしてみろよ』
ジェリーは、自伝に記している。
サーフィンから学んだ多くのことは、サーフィンだけでなく、
人生についての教訓だ、と。
彼はその言葉を、今度は私たちに向けて贈ってくれる。
「次の一歩を踏み出すときや、
新しい世界や道を自分の前に開いていきたいけれど、
いまだに踏みとどまっているようなとき、
私が友からもらった言葉をぜひ思い出してほしい」
「悩むくらいならとりあえずパドルアウトしてみろよ」
2010 年 7 月 のアーカイブ
小宮由美子 10年07月31日放送
ついに夏になってしまい
ついに夏になってしまった。
毎日クソ暑い上にお盆も近い。
直史は五島に帰国してしまって
本土に残してきた仕事や仲間たちを忘れ果てて
釣りボケ三昧にちがいない。
ベベンコビッチも毎週「公開練習ライブ」をやるようだ。
練習しながら本番を見せるという驚異のライブだ。
さすが五島のバンドだ。
お盆が過ぎて帰国したとき
直史は日本語がしゃべれるだろうか。
日本語が書けるだろうか。
なんだか心配だ(玉子)
宮田知明 10年07月25日放送
たとえばこんな映画監督~黒澤明
日本映画界の巨匠、黒澤明が
アカデミー名誉賞を受賞したときのスピーチがある。
私は、まだ映画のことがよくわかっていません。
そのとき、黒澤監督は80歳。
会場の誰もがその言葉をジョークだと思った。
けれども、黒澤はさらに言葉を重ねた。
これからも映画という素晴らしいものを
つかむために努力するつもりです。
それこそがこの賞に報いる
唯一の方法だと思うからです。
映画を知り尽くした人の言葉は重い。
世界の黒澤にここまで言わせる映画の素晴らしさを
誰もが再認識するとともに
黒澤が映画にどれほどの愛情をかたむけていたのかを
理解したのだった。
たとえばこんな映画監督~北野武
お笑いタレント、司会者、俳優、作家、歌手、映画監督と、
マルチに才能を発揮している人、北野武。
それだけ多方面に活動できる理由は、
彼のこんな言葉に集約されているのかもしれない。
鳥のように自由に空を飛びたいなんていうのは勝手だけど、
鳥が飛ぶためには何万回翼を動かしているか、
よくみてごらん。
空を飛ぶというたったひとつの行動でさえ、
途方もない労力がいる。
マルチな才能を発揮する人は
マルチに努力をする人だ。
たとえばこんな映画監督~行定勲
「世界の中心で愛を叫ぶ」、「春の雪」、
日本の純愛映画の旗手と言っても過言ではない人、
行定勲。
しかし、彼の恋愛観は、意外と現実的だ。
「運命の出会いとは何か?」と問われた時の言葉。
出会い頭の瞬間に「運命の出会い」があるわけじゃなく、
何年、何十年という時間を共に過ごした結果、
「この人との出会いは必然だった!」
と思うことなんじゃないかな。
出会いがない!と思ってるあなたも。
運命の人に出会っている可能性は、かなり高いです。
たとえばこんな映画監督~円谷英二
映画は、一見華やかな世界。
でも、映画監督にいちばん大事なことは、
普通の人が必要とされる能力かもしれない。
ウルトラマンやゴジラなど、日本の特撮の礎を築いた
円谷英二は、こんなことを言っている。
他人から「できますか?」と聞かれたら、
とりあえず「できます」と答えちゃうんだよ。
そのあとで頭が痛くなるくらい考え抜けば、
たいていのことはできてしまうものだ。
もしも、円谷英二がサラリーマンだったとしても。
素晴らしい仕事をしたことだろう。
渋谷三紀 10年07月25日放送
たとえばこんな映画監督~マイケル・ムーア
ほんとうに、こんな社会でいいのかい?
スクリーンから問いかけるのは、
映画監督マイケル・ムーア。
銃社会、テロ、医療問題・・・
得意のアポなし突撃取材で
アメリカが抱える闇に斬りこみ、
ドキュメンタリー映画を撮り続けている。
ある映画では大手スーパーの本社に乗り込んで
銃弾の販売中止を約束させた。
またある映画では大統領を次の選挙に落選させて
戦争をやめさせようとした。
どんな馬鹿げた考えでも、
行動を起こさないと世界は変わらない。
そう話すムーアにとって、
映画は単なる記録でも、一方的な告発でもなく、
目の前の現実を変えるための戦いなのかもしれない。
たとえばこんな映画監督~ウディ・アレン
映画監督としてのウディ・アレンは
批評家にけなされても、客が入らなくても
つくりたい映画をつくりたいように
つくりつづける、孤高の映画人だ。
その偏屈さは、おなじみのメガネとともに
ウディ・アレンのトレードマークになっている。
けれどある作品で彼はこんな台詞を書いた。
ハートは弾力のある筋肉だよ。
だから凹んでも傷ついても大丈夫、という言葉からは、
ふだん見せない彼の優しさと弱さが見え隠れする。
ただ頭脳明晰なウディ・アレンのこと。
そうやってほろっとさせることさえ、
作戦なのかもしれないけれど。
たとえばこんな映画監督~是枝裕和
自分の内面を表現するよりも
自分のふれた世界が
どれだけ豊かかであるかを記述したい。
そう語るのは、映画監督、是枝裕和。
テレビのドキュメンタリーから
経歴をスタートさせた是枝監督にとってカメラは
相手を見つめるための道具。
相手のこころを探って思い悩むのをやめて
相手をただ見つめ、受け入れる。
すると
見えなかったものが、見えてくるかもしれません。
たとえばこんな映画監督~チャップリン
喜劇王チャップリン。
彼の映画に登場する、ブカブカの靴をはく男は
チャップリン自身の記憶の中から生まれた
深深と雪がふりつもるクリスマス。
食べるものもなく、毛布にくるまるチャップリン親子に
鈴の音が聞こえてくる。
それは施しのスープを配る合図。
「スープをもらってきてちょうだい。」
と頼む母にチャップリンはいう。
「でも、ぼく靴がないんだ。」
母は自分の古い靴を取り出してはかせ、送り出した。
あの日温かいスープを求めて
脱げそうな靴で雪道を走った少年は、
スクリーンで笑いと涙を生み出すキャラクターに姿を変えた。
目の前の悲劇も、別の視点から見れば喜劇のタネになる。
チャプリンの喜劇を見て人が泣くのは
その笑いが悲しみから生まれたものだから。
たとえばこんな映画監督~宮崎駿
アニメーション映画監督、宮崎駿。
彼には忘れられないエピソードがある。
知り合いの子どもを車に乗せたときのこと。
サンルーフを開けたらよろこぶだろうと思ったのに、
雨が降ってきたからと、やめてしまった。
宮崎監督は後悔した。
子どもをよろこばせることを仕事にする自分が、
シートがぬれる。
そんな大人の事情を優先させるなんて。
たしかに。
いまこの瞬間を全力で楽しみたいとき、
身につけた理屈や経験は、ときどきじゃまになる。





















