野球をおもしろくした男たち/福本豊
現役時代、名捕手として知られた野村克也は、
キャッチャーの技術を鍛えてくれた人、として
福本豊の名前を挙げる。
福本豊
通算盗塁数1065
最高シーズン盗塁数106
日本が世界に誇る盗塁王。
「福本は・・・」と野村は困ったように言う。
「走ると思えば走らないし、走らないと思えば走る」
福本豊の長所はまさにそこにあった。
つまり、次にどうくるか、「読めない」。
そして解説者になった今も、福本豊は、
持ち前の「読めなさ」で、プロ野球中継を盛り上げている。
盗塁のコツを聞かれて、
「まず塁に出なあかんなぁ」
さらには試合の解説中、アナウンサーにいまのピッチャーの心理は?と聞かれ、
「わからん」
キャッチャー泣かせだった男は、
いま、実況アナウンサーを泣かせている。
k_haruna
野球をおもしろくした男たち/赤星憲広
赤星憲広(あかほし のりひろ)
「赤い彗星」のニックネームで愛された
元・阪神タイガースのスピードスター。
得意としたのは盗塁。
あるとき「盗塁の秘訣」について質問された。
インタビュアーは赤星らしい独特の理論を期待したが、
意外な答えが返ってきた。
盗塁のコツは「勇気」。赤星は言った。
僕にとって盗塁の数は勇気の証です。
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中村直史 12年2月5日放送
中村直史 12年1月22日放送
立川談志という男
2007年1月。渋谷パルコ劇場。
落語をやり終えた立川志の輔は、
割れんばかりの拍手を受けながらも、いまだ緊張しているように見えた。
客席に師匠、立川談志が来ていた。
談志が弟子の落語を客席から見るのは極めてまれ。
しかも芸に厳しい談志。
客の前であろうと、何を言い出すかわからない。
「本日は客席に私の師匠、立川談志が来ております」
志の輔が紹介をした。
談志はすっと立ち上がると
ステージの志の輔に向かって、無言で親指を立てグーサインを出した。
深々とおじぎをする志の輔。
どれほどの賛辞か、本人が痛いほどわかっただろう。
立川談志は死んだ。
けれど、談志は生きている。
たとえば、志の輔の落語の中にも。
立川談志という男
精神に肉体が追いつかない。
病と老いに、談志はとまどった。
いらだち、眠れない日々がつづいた。
ヒツジを数えて寝ようとすると、無限に数えてしまう。
だから、キリのあるものにしようと思って
鈴木と名のつく人を挙げてみる。
すると記憶のひだの中から
有名人、無名人、過去の人、いまの人、いくらでも名前が浮かび上がる。
そしてまた眠れない。
ずば抜けた記憶力が
天才、立川談志の芸を支え、
同じくらい苦しめていたかもしれない。
Jaidn
立川談志という男
立川談志が落語に追い求めた「イリュージョン」を受け継いでいる。
そう評されたのが、弟子、立川志らく。
志らくは最後に談志を見舞った日、
心の中でお別れの言葉を言ったという。
師匠、私がいるから、落語は大丈夫です。
立川流を名乗る者として、
それ以上の別れの言葉はなかった。
五島のはなし(169)


ふつうの温泉では子どもが泳いだりすると
非常に嫌な顔されますが、
ここでは子どもが初対面のおじさんに
「よーし、おじさんのところまで泳いでくるんだ!こい!どーした!ほら!こい!」
と言われてました。
その昔、山下という名の少年が見つけたという荒川温泉。
「山下という名の少年が」っていうのがアバウトで五島っぽい。
五島には温泉もあるよー、というお知らせでした。
あ、ちなみに子どもたちが
ばっしゃんばっしゃんやっているようなお風呂ではありません。
たまたま子どもがいて、まわりに人が少なかったら
上記の様な光景になっただけでありまして、
五島の人というのはけっこう空気を読む人たちのなのです。
ゆっくり静かに湯につかることができます。
五島のはなし(168)

五島福江島の鬼岳。
子どもの頃は、年に2,3回は遠足で行ってた場所で、
小学一年生から高校三年生までずーっと続いた
(しかも高校時代は部活で走らされたりしてた)ので、
鬼岳はもういいよ、腹いっぱいだよ、みたいな状態だったわけですが、
最近また帰省するたびに行くようになりました。
なにがいいってわけじゃないんですが、なーんか、いいんですよ。
五島人にとっては「ゆる~い聖地」だと思うんですけど。

五島で生活していたころにはなかった「ココロの球」なるものが
鬼岳の中腹にできてました。なにやら説明文がついています。読んでみます。

あなた自身が
かけがえのない唯一のものであるように
あなたのふるさとが
心の中ではいつも世界の中心であるように
私たちは描く
この地を中心とする世界の地図を
この地球上のどこかをふるさととするすべての人々のために
そうです
ここが地球の真ん中です
ここから発信する平和への願いが
やがて地球の隅々までを
おおいつくすことを願って
「平和都市福江」宣言記念
福江市
・・・ちた。
(ちなみに「ちた」は、五島弁で「ですって」の意味です)
なんて書きながら、さっき書いた「ゆる~い聖地」っていうのが
言い得て妙だったんじゃないかと急に思えてきた。
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五島のはなし(167)

「あじのすりみ」であります。
もしくは「あじのてんぷら」とも言います。
鯵の身だけを使ったさつま揚げ、と言えば想像しやすいでしょうか。
これが、うまい!
ふつう、こういった魚の練り物は、いろんな魚の身を使ってつくられています。
でも五島で食べられる「あじのすりみ」は、鯵オンリー。
家庭でもつくれます。つくりかたは・・・
●鯵をそのへんの漁港で釣ってきます。100匹くらい。
●一匹一匹はらわたととりのぞいていきます。
●尻尾を落としたら、あとは、ばあちゃんに手渡します。
●ばあちゃんは、鯵を骨ごとミンチですりおろします。いまはフードプロセッサでやるのでしょうが
ぼくのばあちゃんは手動のミンチ器を使ってた。
●すりおろした身を、すり鉢に入れ、塩、お酒などで味付けをしながら、
すりこぎでさらに身を細かく練っていきます。
●練ったものを、適当な大きさに丸めて油で揚げればできあがり。
揚げたてのあじのすりみはほっぺがとろけそうなうまさです。
噛んだ瞬間、鯵の濃縮されたうま味がじゅわ~っと広がり
次の瞬間、老若男女とわず、思わずこう叫びます。
「すげー!鯵、お前すげーよ!」と。
ちなみにぼくの父いわく、
「揚げるのもうまいが、お味噌汁の具にするのが世界最高」だそうです。
こんど、五島からあじのすり身をとりよせて
「揚げたてを食す会」を開催したいと思います。
(みたいなこと言っておいてやったためしがないんだよなあ・・・でもやる!)
五島のはなし(166)
五島のはなし、ことしもよろしくおねがいします。
ところで、みなさん、天狗見たことあります?
ぼくはなかった。
この正月の帰省中、まわりの人から
「えっ・・・五島に生まれ育って天狗も見たことないの?」という反応をされまして。
で、「見せてやる」と言われたので、ついていきました。
天狗は、1月2日、岐宿町の山内という地区に現れるのだという。
そして、天狗は「とっても怖い」のだと言います。
「狙われるのは子どもだけど、大人もただでは済まない」
道中のクルマの中でそう言われました。
なかなか怖いセリフです。「大人もただでは済まない」。
ははんって鼻で笑いながらも、じつはだんだん心臓がドキドキしてきます。

山内に到着です。近くから太鼓の音が響いてきます。
天狗と太鼓はどうもセットらしいのです。
「どこかから太鼓が聞こえてきて、そこに天狗がいるらしい」という状況は、なかなかそわそわするものです。
こういうとき私は「お尻の穴が開く感じ」におそわれます。
みなさんもなりませんか?なりませんよね。
子どもたちは、怖いもの見たさで、太鼓の音のありかを探しに走りだしました。

しばらくすると、子どもたちが大声出しながら戻ってきた!
あ、天狗!
猛スピードで駆けてきます。子どもたちは死にもの狂いで逃げます。

天狗に続いて、太鼓のお兄さんたちもやってきました。
天狗は「ごめんください」も言わずに(あたりまえか)、家から家へとあがりこんで、子どもたちに襲いかかる。

天狗が手にしたこの植物で叩いてもらうとよいのだそうです。
子どもらも例年のことで慣れているのか、猛烈に戦いを挑みます。
天狗より強そうな子どもたちを何人か見ました。一瞬、天狗よりこわかった!

ひとしきり子どもたちを叩いた後は、太鼓と笛の音にあわせて、天狗と獅子の舞が始まります。
天狗が獅子を神様のもとへ連れて行く道中を描いている、とかなんとか、
そんなストーリーがあるらしいのですが、詳しいことを聞きそびれてしまった!

ふと玄関に目をやると、天狗のはいてきたスリッパが。
かわいい趣味してるじゃないか、天狗!
舞を終えた天狗は、朝からさんざんふるまわれた酒に足元をよろよろさせながら
次の家へと駆けて行きました。
中村直史 11年12月04日放送
男たちは旅をする/咸臨丸の水夫たち
咸臨丸と聞いて、何を思い浮かべるだろう。
咸臨丸。江戸幕府の威信をかけて、太平洋を横断した船。
真っ先に浮かぶ名前は、艦長勝海舟。
同乗者に福沢諭吉、ジョン万次郎。
いずれも、帰国後日本の礎を築いた人々だ。
けれど、日本に帰れなかった者たちもいた。
苗字も持たぬ咸臨丸の水夫たち。
長崎出身の峯吉(みねきち)、香川出身の富蔵(とみぞう)、
そして源之助(げんのすけ)。
夜明け前の日本の夢を乗せて運び、
旅先で静かに息を引き取った3人の水夫。
歴史の試験に出てくることはないけれど、
文明開化の立役者である。
男たちは旅をする/司馬遼太郎
「アメリカに行きませんか」
新聞社の企画として、アメリカの紀行文の依頼を受けたとき、
司馬遼太郎は「とんでもない」と思った。
自分にとってのアメリカは映画や小説の中で十分。
安易に知らない国に出かけるのはどうも気が進まない。
けれど、友人のつぎの一言で、なぜか気持ちが変わる。
アメリカという国がなければ、この世界はひどく窮屈なんでしょうね。
司馬遼太郎は思った。
日本をふくめ、世界の人々はその国独自の「文化」に
いつの間にか、がんじがらめになっている。
そんな「文化」の対極にあるのが、アメリカが生み出している「文明」なのではないか。
ジーンズしかり、ハンバーガーしかり、ポップミュージックしかり、
どんな文化にも受け入れられるフォーマットが「文明」。
アメリカは歴史上久々に現れた巨大な文明発生装置だ。
興味がわいた。
少しだけ安易な気持ちになれた。
行ってみるか。
その心変わりがあったおかげで、私たちは、
名著「アメリカ素描」を読むことができる。






















