![ワーズワースの家 ワーズワースの家](/vision/wp-content/uploads/2009/07/Wordsworth-01.jpg)
ワーズワースの家
湖の詩人ワーズワースが生まれたのは
イギリスの湖水地方、
川や森に囲まれたコッカマスの町。
その目抜き通りに面した家を見学に行くと
なんだかいい匂い。
キッチンでミートパイを焼いている最中です。
庭では野菜を収穫しています。
お父さんの書斎や客間の道具に
手を触れることはできませんが
子供部屋の家具やおもちゃはご自由にどうぞ。
ただ家を眺めるだけでなく
当時の暮らしぶりも見ることができる。
ワーズワースの家はまだ生きて呼吸しています。
![ワーズワースの落書き ワーズワースの落書き](/vision/wp-content/uploads/2009/07/Wordsworth-02.jpg)
ワーズワースの落書き
湖の詩人ワーズワースは8歳で母親に死に別れます。
裕福な法律家だった父は
幼いワーズワースを湖水地方中部の村
ホークスヘッドのグラマースクールに送りました。
9歳の少年が下宿生活をしながら
学校に通ったのです。
その学校は小さかったけれど
16世紀に創立した伝統ある学び舎でした。
白い壁に木の床、細長い木の机に
椅子は背もたれのない木のベンチ。
机のひとつには
ワーズワースの名前が刻まれていました。
少年ワーズワースが
小刀で刻んだいたずら書きです。
![ワーズワースとアンおばさん ワーズワースとアンおばさん](/vision/wp-content/uploads/2009/07/Wordsworth-03.jpg)
ワーズワースとアンおばさん
湖の詩人ワーズワースが
母の死をきっかけに
ホークスヘッドで学校生活を送っていたころ
その下宿先のおかみさんにアンおばさんと呼ばれる人がいました。
アンおばさんは孤独な少年に愛情を注ぎ
少年も母のようにアンおばさんを慕いました。
ワーズワースが大学生になった夏休み
なつかしいアンおばさんに会うために
ホークスヘッドを訪れたときの詩があります。
ヒースの野を越え
牧場の丘からウィダミア湖へ駆け下り
大声で渡し船を呼んで湖を渡ると
また丘を駆け登ってホークスヘッドへ向う…
その飛ぶような足取りとはやる心を
その詩はうたっています。
丘から見える湖は青く輝き
その湖の向こうになつかしいおばさんがいる。
ワーズワースがその詩のなかで
アンおばさんを表現した言葉「kind and motherly」は
湖水地方の風景そのものでした。
![ワーズワースのクリスマス休暇 ワーズワースのクリスマス休暇](/vision/wp-content/uploads/2009/07/Wordsworth-0411.jpg)
ワーズワースのクリスマス休暇
13歳のワーズワースは
クリスマス休暇で家に帰るために
迎えの馬車を待っていました。
待ち切れず、原っぱに駆け出し岩山に登り
吹きさらしの風のなかで
草の上にしゃがみこんで馬車が来る道を眺めていました。
それほど待ちかねたクリスマス休暇の最中に
ワーズワースの父は亡くなり
馬車を待っていたときの風の声、森や水のざわめきは
ワーズワースの心の中に暗く沈みます。
その風景は一生ワーズワースにつきまとい
常に警告を発するブレーキの役割を果たしました。
![ワーズワースの散歩 ワーズワースの散歩](/vision/wp-content/uploads/2009/07/Wordsworth-05.jpg)
ワーズワースの散歩
大学から湖水地方を離れていたワーズワースが
再び湖のそばに戻って来たのは1799年のことでした。
グラスミア湖のほとりの
もとは宿屋だったというダヴ・コテージを借りて
妹のドロシーと一緒に暮らしはじめます。
家は湖に面し、小さな果樹園と庭がありました。
バラとスイカズラが白い壁を彩っていました。
この頃の生活の中心は散歩。
ふたりは昼でも夜でもかまわず歩きまわりました。
5キロ離れた隣の町などは散歩のうちにも入らないくらい
20キロ先の友人の家でも気軽に歩いて遊びに行きます。
けれども、本当に好きなのは山や谷、森に湖。
ここにはワーズワースの作品のテーマが
すべてそろっていました。
大自然こそ自分の書斎と言い切るワーズワースにとって
山や湖を歩くことは
感性を研ぎすまし、詩の風景をさがすことでもありました。
そんな詩人の心中を知らない村の人々は
ワーズワースのあまりに長い散歩の理由がさっぱりわからず
ときには、こんな愉快な噂もあったようです。
「フランスのスパイかしら?」
![ワーズワースの最後の家 ワーズワースの最後の家](/vision/wp-content/uploads/2009/07/Wordsworth-06.jpg)
ワーズワースの最後の家
1813年
湖の詩人ワーズワースは最後の引っ越しをします。
古い農家を改築したその家からは
ふたつの湖を眺めることができました。
庭はワーズワース自身が設計し
まわりの風景に溶け込むように
注意深く木々や草花が植えられています。
この最後の家こそワーズワースにとって完璧な家。
でも自分が死んだらどうなるだろう…
家の正面の壁や石段はそのまま残るだろうか。
庭はどうだろう。
美しいシダやコケ、野生のゼラニウム…
ご心配なく。
心ある人たちの手でいまもちゃんと守られています。
![ワーズワースの朗読 ワーズワースの朗読](/vision/wp-content/uploads/2009/07/Wordsworth-07.jpg)
ワーズワースの朗読
湖の詩人ワーズワースが
書き上げたばかりの新しい詩を真っ先に聴いたのは
庭の小鳥たちでした。
ワーズワースは
新しい詩をつくるたびに庭に出て朗読をし
小鳥が返すさえずりで
作品の出来を判断していたといいます。
批評家の小鳥の名前は
残念ながら伝わっていないのですが。
![ワーズワースの自然保護 ワーズワースの自然保護](/vision/wp-content/uploads/2009/07/Wordsworth-081.jpg)
ワーズワースの自然保護
湖の詩人ワーズワースの存在は
イギリスの湖水地方を世界的に有名にする一方で
湖水の景観を守る意識を人々に植えつけました。
1844年、この地方に鉄道を敷く計画が持ち上がったとき
ワーズワースは湖の環境だいなしにすると猛反対。
モーニング・ポストに反対の意思を表明する文書を投稿し
それがきっかけで鉄道計画は中止になります。
いまでもウィンダミアから湖に向う鉄道はなく
自動車では近づけない湖もあります。
そのかわりに活躍するのがフットパスと呼ばれる散歩道。
歩いてください。
そして美しい自然を楽しんでください。
ワーズワースの声が聞こえるようです。