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澁江組・松岡康

松岡康 17年4月16日放送

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喜劇王の少年時代

今日はクラーク博士が
「ボーイズ ビー アンビシャス」
の言葉を残した日。

見るものすべてを笑顔にする、喜劇王チャップリン。
彼の少年時代は笑顔とはかけ離れたものだった。

1歳のときに両親が離婚。
貧乏な舞台女優だった母親のもとで育てられ、貧しい生活を送る。
5歳のときには、舞台に立っていた母が喉をつぶしてしまう。

母親は二度と舞台に立つことができず、のちに精神に異常をきたし
施設に収容された。

貧しいチャップリンは子供ながらに職を転々とし、
時にはコソ泥まで働いたという。

チャップリンは言う。

 無駄な一日。それは笑いのない日である。

つらい少年時代が作りあげた信念
それは人を笑顔にし続けることだった。


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松岡康 17年4月16日放送

170416-08
建築家の少年時代

今日はクラーク博士が
「ボーイズ ビー アンビシャス」
の言葉を残した日。

水平に長く伸びる薄い屋根。
構造から独立した石の壁が自由に配置され、流動的な空間を作っている。
近代建築の最高傑作ともいわれるバルセロナパビリオン。
この作品を設計したのが
20世紀を代表する建築家ミース・ファン・デル・ローエだ。

1886年ミースは石工一家の息子として生まれ、
幼いころから父の傍らで仕事を手伝った。

当時、建築家になるには大学で建築学を学ぶことがあたりまえの時代。
そんな時代にあって、ミースは正規の建築教育を一切受けていなかった。
彼は「ものを作る」ということを、体で学んでいったのだった。

ミースは言う。

 神は細部に宿る。

机の上で学ぶのではない。手で学ぶことで、得られる境地がそこにはあった。


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松岡康 17年2月19日放送

170219-07 NWharry
阪神大震災とプロレス

今日、2月19日は、プロレスの日。

阪神大震災が起きた二日後の1995年1月19日。
被災地である大阪府立体育会館で、
全日本プロレスの大会が行われた。

都市を襲った未曾有の大災害。
水も電気も止まっている地域も多く、
プロレスを行えるような状況ではなかった。

だが全日本プロレスの代表だったジャイアント馬場は
「入場無料」「当日のファイトマネーを全額寄付」という条件で
大会を決行する判断をする。
「こんなときこそ、プロレスでみんなを励まそう!」

会場の入りは半分くらい。
だがいつもの大会より声援は大きく、
ジャイアント馬場をたたえるコールが
いつまでも続いていたという。


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松岡康 17年2月19日放送

170219-08
伝説のプロレスラー

今日、2月19日は、プロレスの日。

メキシコのプロレス、
ルチャリブレで伝説と呼ばれた人物がいる。

白銀のマスクマン「エル・サント」。
1934年にデビューした彼は40年近くルチャリブレ界に君臨。
漫画や映画にも描かれ
人々のヒーロー・正義のシンボルにまでなった。

エル・サント、実は子供を10人も設けている。
そのうちの一人はエル・イホ・デル・サントという名の
プロレスラーとなりルチャリブレで大活躍した。

そしてエル・サントがデビューしてから79年後の2013年、
彼の孫が日本のプロレス団体に留学することが発表された。

ルチャリブレの伝説は、これからも受け継がれていく。


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松岡康 16年12月18日放送

161218-08
赤鼻のトナカイ

真っ赤なお鼻のトナカイさんは
いつもみんなの笑いもの。

クリスマスソングの定番「赤鼻のトナカイ」。
実はこのトナカイが生まれたのは意外に新しく1934年のこと。
デパートがつくったマスコットキャラクターだった。

生み出したのはコピーライターのロバート・メイ。
デパートから命を受けた彼は
いじめられていた昔の自分を重ねて
このトナカイをつくりあげた。

いじめられていたトナカイが
サンタの役に立つように、
いじめられている君だって、
だれかの役に立てるんだよ。

そこには、世界中の子供たちを勇気づける
優しいメッセージがある。


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松岡康 16年10月23日放送

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麗子像

横につぶれたような輪郭と日本人形の様なおかっぱ頭。
糸の様に切れ長の目で不気味な笑みを浮かべている。
岸田劉生作、麗子像。

日本で一番有名な少女の肖像画をみて、
不気味だと思う人は多いかもしれない。

劉生は20代前半で巨匠デューラーに傾倒し、写実の追及を始めた。
娘の麗子が生まれると、実に16年にもわたって彼女を描き続けた。

そして気が付く。
写実の持つ均衡を少しだけ崩すことで、不思議な美しさが生まれることに。

不気味な少女の画をじっと眺めていると、
怖さだけではない美しさが見えてくる。


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松岡康 16年10月23日放送

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ムンクの叫び

ムンクの「叫び」。
真っ赤にうねる空に、暗い川が画の奥深くに流れていく。
真ん中にいる人物は大きく口を開け極端にデフォルメされている。

この画描かれている人物、実は叫んでいない。

「叫び」について、ムンクは日記でこう記している。

 私は2人の友人と歩道を歩いていた。太陽は沈みかけていた。
 突然、空が血の赤色に変わった。
 私は立ち止まり、酷い疲れを感じて柵に寄り掛かった。
 それは炎の舌と血とが青黒いフィヨルドと町並みに被さるようであった。
 友人は歩き続けたが、私はそこに立ち尽くしたまま不安に震え、戦っていた。
 そして私は、自然を貫く果てしない叫びを聴いた。


そう、この画に描かれた人物は、叫んでいるのではなかった。
自然の叫びに圧倒され耳をふさいでいたのだ。


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松岡康 16年8月28日放送

160828-07 Ian Hayhurst
物書きの冒険

今日は童話作家
ミヒャエル・エンデの命日。

彼はどんな結末か考えずに物語を書いていた。

物語を書きながら、わたしは、もっぱら恣意的な思いつきに身を
ゆだねるのは具合のいいものだということを発見したのです。
すなわち、ものを書くことそれ自体を、冒険のように体験しうるのです。

魂の奥底から湧き出るストーリーに、自らのペンをゆだねる。
それが彼のスタイルだった。

エンデの代表作である「はてしない物語」。
この話の大部分は創作過程で切り捨てられ、
実際に出来上がったものは約五分の一ほどだったという。

その題名のごとく、
彼の心の中には物語が果てしなく広がっていた。

この世の中で最も冒険をしているのは、
冒険家でもなく、本の読者でもなく、
作家なのかもしれない。


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松岡康 16年6月12日放送

160612-01 kiki ☆
批判する人々

世界初の消しゴム版画家ナンシー関。
その独特な視点で
多くの有名人の批評を展開した彼女は
こう語っていた。

 私たち見ている側は、
 口ではスターを待ち望んでいると言いながら、
 一方でそれを阻んでいる。
 うっとり眺めているよりも、
 引きずり降ろして咀嚼する楽しみを
 習慣づけてしまった。


ネット時代となった今、
政治家やタレントなどの
ちょっとした言動に対しても、
批判が一気に押し寄せる。

ナンシーは、そんな時代の到来を
ずっと前から予言していた。

彼女が世を去って14年が過ぎた。
誰もが批評家となった日本を、
ナンシーが見たら何と言うだろう。


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松岡康 16年6月12日放送

160612-04
アートとしての消しゴムハンコ

世界初の消しゴム版画家、ナンシー関。
今日は彼女の命日である。

消しゴムハンコのための消しゴム「はんけしくん」。
老舗消しゴムメーカーのヒノデワシ株式会社と
ナンシー関とが共同で開発した。

それまで普通の消しゴムを使って
ハンコを作っていたナンシー関。
素材を徹底的に改良することで、
ちょっと固めで彫りやすい
消しゴムが生まれた。

専用の商品が生まれたことで、
消しゴムハンコは、アートになった。

商品が開発されて21年。
今では多くの消しゴムはんこ作家が
プロとして活躍している。


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