2017 年 8 月 のアーカイブ

礒部建多 17年8月27日放送

170827-01

陽気な王様

最も歴史あるフラの競技会、
「メリー・モナーク・フェスティバル」

「メリー・モナーク」とは英語で、「陽気な王様」という意味。
19世紀のハワイ王国時代のデビッド・カラカウア王の愛称である。

彼は、「ハワイの言語」を復活させるなど、
積極的に文化の保護を進めた。

そして国王の力を使い、伝統フラを復活させ、
新たに西洋音楽を導入したフラを奨励するなど、
フラを消滅の危機から救ったのだ。

「フラは心の言葉、すなわちハワイ人民の鼓動そのものなのです。」

デビッド・カラカウアの陽気さは、
フラを通じて、今もハワイアンの心に継承されている。

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松岡康 17年8月27日放送

170827-02

最高のサーファー

今やオリンピック競技となり、多くの人が楽しむサーフィン。
実は一度、この世から消えそうになった歴史がある。

1821年、ハワイに来航したキリスト教宣教師たちによって
サーフィンなどのハワイ独自の文化は迫害を受けた。
その影響で、20世紀初頭ごろには
サーファーはほとんどいなくなったという。

だが、一人の英雄の登場によって、
サーフィンは再び市民権を得ることとなる。
近代サーフィンの父、デューク・カハナモク。
1912年に競泳でオリンピック金メダリストとなった彼は、
ハワイ固有の文化であったサーフィンの復興と普及に努めた。

彼の活動によって、
サーフィンは世界の各地で急速に発展し、復興を遂げた。

デューク・カハナモクはこんな言葉を残している。

最高のサーファーとは最も楽しんでいる人です。

今日も世界中のビーチで、
最高のサーファーたちが波に乗っている。

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澁江俊一 17年8月27日放送

170827-03
Hakilon
空港の名前

あなたはダニエル・イノウエを知っているだろうか?
ハワイの玄関であるホノルル空港の
正式名称になった日系人である。

イノウエは若い頃、
第二次大戦中に
ドイツ軍との激しい戦いで右腕を失った。

「あいつらは、何をしでかすかわからない」

常にアメリカ国家から、
その行動を疑われていた日系人。
それでも国家に忠誠を尽くし
がむしゃらに戦うことが
イノウエの選んだ道だった。

親が生まれた国と、戦うこと。
自分が生まれた国に、疑われ続けること。
どちらも今の私たちには
想像もつかないほどの苦しみだ。
その苦しみを引き受けて
戦後は上院議員として次々と、
大きな仕事を成し遂げたイノウエ。
葬儀ではオバマ大統領が
「アメリカは真の英雄を失った」
と追悼した。

ほんの少しでもいい。
楽園ハワイに行くときは
イノウエの生き方に
思いを馳せてみてほしい。

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礒部建多 17年8月27日放送

170827-04

伝説的ウォーターマン

サーフィンのメッカ・ハワイにおいて、
最も権威ある大会と位置付けられているのが、
「Memory of Eddie AIkau(メモリーオブエディーアイカウ)」

エディーとは、伝説的なライフガードである。
ワイメアベイという世界有数のサーフスポットで、
何百人もの命を救った英雄。

ジェットスキーも足ヒレもない時代。波はビルのような高さ。
それでも臆せず、エディーは溺れたサーファーを助けに向かったのだ。

そんなエディーを讃えるように、
サーファーたちが日常的に使う言葉がある。

「Eddie would go.(エディーウッドゴー)」

「どんな困難も、きっとエディーなら立ち向かっていたよ。」
その精神は、今もハワイアンたちを鼓舞し続けている。

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澁江俊一 17年8月27日放送

170827-05
Tomas Carlo E. Carrasco
メインストリートの名前

世界中からハワイに集まった人々で賑わう
ワイキキのメインストリート「カラカウア通り」。
その名になったカラカウアとは
どんな人だったのだろう?

太平洋の真ん中で
大国アメリカと渡り合いながら
ハワイ王国存続の道を探し続けた王で、
キリスト教宣教師に禁止されていた伝統の踊り
「フラ」を復活させたのがカラカウアだ。

明治政府が生まれたばかりの
日本にも訪れているカラカウア。
有色人種でありながら近代化を果たし、
自立していた日本に、ハワイの未来を重ねていた。
だからこそ日本からの移民を
彼は積極的に受け入れた。

ハワイの独立は叶わなかったが
彼が残したハワイの文化や精神は
今も世界中の人々が愛している。

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松岡康 17年8月27日放送

170827-06
XWL
アロハシャツの起源

ハワイの代名詞ともいえるアロハシャツ。
実は、日本の着物と深いかかわりがあったという。

1904年、日本からハワイへ移民した宮本長太郎が
「ムサシヤ」という仕立て屋をオープンする。
日本から持ち込んだ着物地を使った開襟シャツを作り、人気を博した。

長太郎の死後、長男であった孝一郎が店を継ぎ、
「アロハシャツ」と銘打った新聞広告によって
着物地のシャツを広めることに成功した。

燃えるような赤に海の青。
アロハシャツの鮮やかな色や模様には、
日本の文化が色濃く残っているのだ。

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奥村広乃 17年8月27日放送

170827-07

ハワイの白亜の豪邸

南国の眩しい青空。
その下に立つ、白亜の豪邸。
ハワイ、ホノルルの街の一角にあるワシントン・プレイス。

ここはハワイ王朝最後の女王、リリウオカラニの邸宅。
100年以上前からある建物ゆえに、不思議な噂もちらほらと。

例えば、ガラスケースに納められたジュエリー。
時々、その向きが変わっているのだとか。
ガラスケースには厳重な鍵がかかっていて、
誰も手を触れることはできないはずなのに。

今でもリリウオカラニ女王が
ジュエリーを眺めているのだろうか。

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奥村広乃 17年8月27日放送

170827-08
Teemu008
ハワイの白いムームー

日本の幽霊といえば白い着物。
ハワイの幽霊も白いムームーを着ているらしい。

白いムームーを着た幽霊の噂があるのは、
ハワイ王朝栄華の象徴「イオラニ宮殿」。
アメリカ唯一の宮殿だ。

ここで働く守衛が
白いムームーを着たリリウオカラニ女王の幽霊をみたというのだ。
リリウオカラニ女王はハワイ王朝最後の女王。
100年以上の時がたっても、
彼女は愛した祖国を見に現世に現れるのだろうか。

それにしても、
なぜ幽霊は白い服を身にまとっているのだろう。
幽霊の世界にもルールがあるのかもしれない。

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佐藤理人 17年8月26日放送

170826-01

誕生秘話 「フランケンシュタイン」

フランケンシュタインは、
駆け落ちした女性の悪夢から生まれた。

1816年の嵐の夜。
スイスの別荘に5人の男女が集まっていた。
彼らは暇つぶしに怪談を考えることにした。

その中に駆け落ち中のカップルがいた。
詩人のパーシー・シェリーと
やがて妻になるメアリー。

彼女はその晩、恐ろしい夢を見た。

 黄色く濁った目を持つ何かが、
 荒い息を吐き、手足を痙攣させていた。

メアリーは2年かけ、医者が死体から
人造人間を生み出す話を書き上げた。

彼女は今日、
SFの生みの親と呼ばれている。

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佐藤理人 17年8月26日放送

170826-02

誕生秘話「椿姫」

オペラ「椿姫」のモデルは、
パリの高級コールガールだった。

彼女の名はマリー・デュプレシ。

大富豪しか相手にしない彼女にある日、
作家アレキサンドル・デュマ・フィスが恋をした。

 私といると不幸になるわ

彼は結核に苦しむ彼女の治療費を払い続け破産。
他の男と結婚されても愛し続けた。

彼女が23歳で亡くなったあと、
フィスはすぐに小説を完成。

ヴェルディが曲をつけ、
1853年にオペラ化された。

マリーの棺は大好きな花椿に覆われて、
モンマルトル墓地に埋められたという。

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