藤本組・仲澤南

仲澤南 19年1月26日放送

FoodCraftLab
発酵食品 テンペと納豆

インドネシアの納豆とも呼ばれる、テンペ。
日本の納豆と同じように作り方はシンプルで、
火を通した大豆に菌を付着させ、
発酵させることで作られる。

しかし同じ大豆で、似た工程を経て作られる
発酵食品であるにもかかわらず、
テンペと納豆では見た目や味がかなり異なる。
納豆が茶色く、糸を引く強い粘りと
強烈な匂いを持つのに対し、
テンペはクリーム色のブロック状に固まっていて粘りはなく、
味や匂いも淡白だ。

この違いを生んだのは、
それぞれが誕生した環境。
藁が敷き詰められた日本の住居では、
稲の藁に付着している納豆菌が、
赤道直下のインドネシアでは、
ハイビスカスやバナナの葉に付着しているテンペ菌が、
それぞれ大豆に働きかけたのである。

同じ大豆の発酵でも、その環境や働く菌の違いによって
まったく別の食べ物が生まれる。
発酵は、食べ物の可能性を想像以上に広げてくれるのだ。


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仲澤南 18年9月8日放送

180908-01 ESA/Hubble, M. Kornmesser
星のはなし かに座55e

惑星・かに座55eは、
表面を黒鉛に覆われていて見た目は真っ黒。
それにも関わらず、
「ダイヤモンドの星」と呼ばれている。
というのも、かに座55eの質量の3分の1以上が
ダイヤモンドでできているのだ。
その量は、地球3個分に相当するという。

貴重な宝石として知られるダイヤモンド。
着陸してスコップ1杯でも採取できれば、
かなりの価値になる。
しかしながらこのダイヤモンドの星、
表面温度が2000度にも上り、
とてもじゃないが着陸不可能だ。
さらには、地球から40光年も先に位置するため
生きているうちには到着できないだろう。

価値あるものは、
簡単には手に入らないから価値があるということか。


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仲澤南 18年9月8日放送

180908-002 P.Horálek/ESO
星のはなし ラヴジョイ彗星

エメラルドグリーンに輝く、ラヴジョイ彗星。
オーストラリアのアマチュア天文家、
テリー・ラヴジョイ氏によって発見された彗星だ。
太陽のすぐ近くを通過したにも関わらず消滅しなかった、
奇跡の彗星としてNASAに紹介されている。

そんなラヴジョイ彗星、
実はもう一つある特徴を持っていることで話題になった。
なんと人が飲む酒と同じ成分のアルコールを
糖類とともに宇宙に排出していることが分かったのだ。
その量、1秒間になんとワインボトル500本分。

ラヴジョイ彗星は2015年に地球に最接近し、
次に接近するのは遠く8000年後のことになるという。
その間、この彗星がどこか生命のある星に近づいたとしたら。
宇宙人も、私たちと同じように酔っぱらうのだろうか。


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仲澤南 18年8月25日放送

180825-03 James.Stringer
空港のはなし バラ空港

スコットランドの小さな島にある、バラ空港。
世界で唯一、ビーチに滑走路を持つ空港だ。

普段は観光客で賑わうビーチが、
1日数時間、潮が引く間だけ滑走路になる。
目印は、空港としての営業時間であることを示す吹き流しだ。
滑走路としての設備は、
注意を促す看板と終点に打たれた木の杭のみ。
それ以外はほぼ自然のままのビーチが広がっている。
その豊かな景色から、
世界一美しい空港の一つとしても名高い。

滑走路は潮が満ちると水没し、
潮が引いても海水に浅く覆われる。
そこへ着陸する飛行機。
水しぶきを上げるその様子は、
着陸というよりも着水に近い。

自然を残した簡易な設備での、
潮の満ち引きに左右される離着陸。
特に着陸はパイロットの勘に頼るところが大きいという。
世にも美しい空港は今日も、
パイロットたちの腕に支えられているのだ。


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仲澤南 18年7月28日放送

180728-02
海の工場 間宮

“海に浮かぶお菓子工場”を知っているだろうか。
その名は間宮。
海軍の兵士たちに食糧を補給するために造られた船だ。
1920年代から40年代、海の上の戦場までお菓子を届けた。

間宮は、ただ運搬するだけの船ではない。
“お菓子工場”という呼び名の通り、
船内に製造設備があった。そこにはなんと
60人もの菓子職人が乗り込んでいたらしい。

毎日の食事もままならない戦場に
ひとときの甘い幸せをもたらした間宮。
その姿が見えようものなら、
戦いに疲れた兵士たちは大騒ぎだった。

戦争が激化した1944年、間宮はマニラ沖で沈没。
その40年後、有志の手で慰霊碑が建てられた。
“海に浮かぶお菓子工場”は
その姿が海に沈んだ後も、人の心に残り続けている。



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仲澤南 18年7月28日放送

180728-03
海の舟 勝海舟

幕末から明治にかけて活躍した政治家、勝海舟。
日本が開国を迫られた時代に
世界と対等に渡り合うために力を尽くしたことで知られる。
1860年、軍艦「咸臨丸」による渡米も、彼の功績のひとつ。
幕府としては初めての、太平洋横断だった。

勝は、艦長として乗り込んだ。
しかし、およそ40日間に渡る航海のあいだ、
自分の部屋にこもりきりだったという。
理由は船酔い。さらに、伝染病の疑いまであったそうだ。

長い航海の間、衛生管理が行き届かず、
咸臨丸で伝染病が流行してしまった。
海の上では、逃げ場もない。
艦長の頼りない姿に、共に渡米した福澤諭吉は
ひどく呆れていたという。

海の舟と書き、海舟。
そう自ら名乗った男が、海の舟に酔ってしまうとは、、、
時代の荒波を乗り越えた幕末の英雄も、
本物の波は苦手だったらしい。



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仲澤南 18年2月17日放送

180217-05 add.me
作家の朝食 池波正太郎

神田駿河台に建つ小さなホテル、山の上ホテル。
ここでしか食べられない、特別な朝食があるのをご存知だろうか。
一口か二口で食べられるほどのおかずが11種類も並ぶ、
なんとも贅沢な和のお膳だ。

実はこの朝食を提案したのは、
『剣客商売』や『鬼平犯科帳』で知られる作家、
池波正太郎。

80年代後半のこと、
当時の料理長に池波が
「いろいろなものを少しずつ食べたい」
と要望したのがきっかけだった。

池波はこの朝食を肴に、ビールを嗜んでいたという。
連日徹夜で執筆していた彼にとって、
仕事終わりに食べるこの朝食は、
疲れを癒す、至福の時間だったのだろう。


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仲澤南 17年12月16日放送

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電話のはなし 松下幸之助

現在のPanasonicの礎を築いた、松下幸之助。

仕事熱心で「経営の神様
とも呼ばれた松下は、
社員の家にも頻繁に仕事の電話をかけた。
そして、いつもこう言ったという。

 君の声を聞きたかったんや。
 君の声を聞いたらな、元気が出るんや。


当時のことを、社員はこう話している。

 わたしは感動し、この人のためなら
 どんなことでも成し遂げようと思った。
 この人のような人間になろうと思った。


たとえ部下に対しても真摯に声を聞こうとする。
そんな松下の姿勢は、独特の人間観から生まれたものだった。
彼はすべての人間が偉大な存在であり、
尊敬すべき相手だと考えていたのだ。

仕事の電話1本にも、その人は表れる。
いや、生の声を届ける電話だからこそ、表れるのかもしれない。


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仲澤南 17年9月30日放送

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翻訳のはなし 清水俊二

日本を代表する翻訳家の一人、清水俊二。
彼はその生涯の間に、
2000本近い映画の字幕翻訳を行った。

中でも、1955年の映画「旅情」に、
彼の仕事が見えるワンシーンがある。

恋人がほしいなら、高望みせずに自分と付き合えばいい、と
ある男性がヒロインを口説くのだ。

「ステーキが食べたくても、
 飢えているなら目の前の“ラビオリ”を食べろ」

このシーンには、こんな字幕がついた。

「ステーキが食べたくても、
 飢えているなら目の前の“スパゲティ”を食べろ」

映画が公開された1955年当時、
日本でラビオリを知る人はほんの僅かだ。
直訳のままでは、字幕がストーリーの邪魔をする。

原作の世界を壊さずに、文化や時代の溝を埋める、
字幕翻訳ならではの技術が生んだ台詞だった。

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