藤本組・仲澤南

仲澤南 20年8月8日放送



ヒゲとお札

2024年。
20年ぶりにデザインが変わる、日本のお札。
新しい一万円札に描かれる“顔”は、渋沢栄一だ。

しかし彼がお札の顔の候補に挙がるのは、
これが初めてではない。
1963年、千円札のデザインが変わる時にも、
伊藤博文と並んで最後の候補に残っていたという。

しかし、残念ながら落選。
その理由のひとつが、ヒゲだった。
立派なヒゲをたくわえた伊藤に対し、
渋沢の顔にはヒゲがなかった。
当時は再現の難しい細かなヒゲを描くことで、
お札の偽造を防いでいたのだ。

それから数十年。
偽造防止の技術がすすんだおかげで、ヒゲのない男性だけでなく、
女性もお札の顔に選ばれるようになった。
新しい千円札の顔・北里柴三郎は
ヒゲのおかげで選ばれたわけではない。

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仲澤南 20年5月23日放送



亀の話 亀と犬

「カメ、カメ。」
そう呼ばれた先にいたのは、
硬い甲羅を持ったあの生き物ではなく……
犬だった。

明治時代、日本人は西洋の犬を「カメ」と呼んだという。
そのきっかけは、聞き間違いだった。

「明治事物起源」という本によると
西洋人が“come, come.”
つまり「おいで」と犬に声をかけているのを間違えて
カメだと思い、
それがそのまま全国各地へと広まってしまったのだ。
今でも東北地方の一部では方言として残っているという。

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仲澤南 20年3月21日放送


jen and joe
カウントダウンの話 サン・マルコ広場

イタリアはヴェネツィアの中心地、サン・マルコ広場。
年末になると世界中から数万人の人々が訪れ、
年越しのカウントダウンが行われる。

3、2、1、と数えれば、
広場中がにぎやかになる…かと思いきや、
辺りは静かになっていく。

ここでのカウントダウンの特徴は、
恋人や家族とキスをして年を越すこと。
言葉ではなくふれあうことで、
新年のお祝いと挨拶を交わすのだ。

一斉に歓声が上がる
カウントダウンもさることながら、
時にはこんなロマンチックなカウントダウンも
大切な人と過ごすにはぴったりだ。

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仲澤南 19年12月14日放送


T DMY
タワーのはなし さっぽろテレビ塔

タワーや塔といえば、
テレビなどの電波塔として建てられるものが多い。
北海道の、さっぽろテレビ塔もそのひとつだ。

しかしこのさっぽろテレビ塔。
完成から62年経つが、
テレビの電波塔として働いていたのは
たったの8年ほどだという。

さっぽろテレビ塔の建設後、
札幌市の西にある手稲山(ていねやま)の山頂に
新しく送信所が作られた。
より広いエリアへの送信が可能となったため、
テレビの送信がそちらに移ってしまったのだ。

それから、50年あまり。
さっぽろテレビ塔は地元のシンボルへと、
その役割を変えている。

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仲澤南 19年12月14日放送


nimame
タワーのはなし 名古屋テレビ塔

愛知県にある、名古屋テレビ塔。
1954年に完成した、日本初の電波塔だ。
しかし現在は、リニューアル工事のため休業している。
なんと、「泊まれる塔」になるというのだ。

「未来のタワー」をテーマに行われている、
名古屋テレビ塔のリニューアル。
VRでコンサートを体験できる場所や、
スポーツのパブリックビューイングのほか、
塔の4、5階部分には高級ホテルができるという。

オープンは、2020年の7月。
日本初の電波塔は、日本初の泊まれる塔として、
どんな変身を遂げるのだろうか。

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仲澤南 19年12月14日放送


muratama
タワーのはなし 通天閣

大阪の繁華街・新世界にそびえる、通天閣。
現在見られる通天閣は、実は2代目だ。

初代通天閣は火災に遭ったのち、戦時中に解体された。
地元・新世界の有志たちが再建に乗り出したのは、
およそ10年後のことだった。

建設にあたり、一番の課題だったのは資金繰りだ。
建設の費用を賄うため、
広告スポンサーを探すことになる。
そこに手を挙げたのが、日立だった。
事情を知った当時の日立製作所は、
年間の広告料をなんと10年分まとめて先払いしたのだ。

こうして2代目通天閣は、1956年に完成。
その建設を救った日立のネオンサインは、
今も煌々と大阪の街を照らしている。

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仲澤南 19年12月14日放送


cyawan
タワーのはなし 東京タワー

日本のシンボルのひとつ、東京タワー。
333mのそのタワーは、
完成した当時、世界一の高さを誇っていた。

高さもさることながら、
絶賛されたのはその美しさだ。
設計を担当したのは、内藤多仲(ないとう・たちゅう)。
しかし内藤は、東京タワーの設計にあたって
美しくするための作為は加えなかったという。
代わりに何よりも重視したのは、その安全性だった。
地震も台風も多いこの日本に、
高いタワーを建てるのは並大抵のことではなかったのだ。

安定を得られるよう、上から見ると正方形に。
末広がりにすることで、風や地震に耐えられるように。
無駄なく安全を期した設計を完成させるまでに、
内藤は1万枚もの設計図を書いたという。

今日も東京にそびえるあの美しさは、
安全を極めるための緻密な計算が生み出したのだ。

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仲澤南 19年12月14日放送


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タワーのはなし 東京スカイツリー

世界一高いタワー、東京スカイツリー。
634mものタワーには、
地震に備えるためのしくみが不可欠だった。
ヒントとなったのは、
法隆寺などに見られる五重塔だ。

五重塔の中央には心柱(しんばしら)と呼ばれる、
塔とは直接つながらない柱が立っている。
地震が起こったとき、
その柱が塔の本体とずれて揺れることで
お互いの揺れを打ち消しあうのだ。

この心柱の考え方をもとに、
東京スカイツリーの中央にも同様の柱が立っている。
揺れを抑えるこの新たなしくみは、
五重塔になぞらえて「心柱制振」と名付けられた。

2019年現在、世界一の高さを誇るタワーは、
1300年も前の技術によって支えられているのだ。

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仲澤南 19年8月24日放送


とみたや
松と日本酒

松の木が日本酒を飲む、
という話をご存じだろうか。

東京都葛飾区にある、柴又帝釈天。
ここでは毎年2月頃、
寒肥(かんごえ)という行事が行われる。
境内にそびえる瑞龍松(ずいりゅうまつ)の根元に、
寒い時期の特別な肥料として日本酒を与えるのだ。
一斉にまかれる日本酒に、
辺りにはそれだけで酔えそうなほどの香りが漂うという。

木にお酒とは意外な組み合わせに聞こえるが、
実は日本酒のアルコールと糖分は
松の根を温めるとともに、菌の働きを活発にしてくれるそうだ。
おかげで、瑞龍松は樹齢500年近いにもかかわらず
今でも青々とした葉を茂らせている。

人だけでなく木にとっても、
酒は百薬の長なのかもしれない。
もちろん、適切な量であれば。

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仲澤南 19年7月20日放送



銀座のハンバーガー

ハンバーガーチェーンのマクドナルドが
日本に初めて開店したのは、1971年の今日のことだ。

アメリカのマクドナルド本社は車での来客を想定し、
神奈川の茅ヶ崎に1号店をと考えていた。
しかし日本マクドナルドは、銀座への出店にこだわった。

当時の銀座は、流行の発信地。
その中心にある三越1階に1号店を出せば
何百万ドルの広告費に値すると
初代社長である藤田は語ったそうだ。

結果、狙いは当たり
ハンバーガーを片手に銀座を歩く人々は
マクドナルドの広告塔となった。

1号店はすでに閉店してしまったが、
巧みな出店の戦略は今も受け継がれている。

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