jean.
たまごの話「岸田吟香の卵かけご飯」
炊きたてのご飯の真ん中に、
新鮮な卵を割りいれ、しょうゆをひとたらし。
あぁ、たまらない。
日本人が愛してやまない究極のシンプルフード、卵かけご飯。
最初に広めたのは、明治時代の新聞記者・岸田吟香と言われる。
岸田はかなりの冒険家だった。
突然記者を辞めたかと思えば、辞書を作ったり、目薬屋を始めたり。
生涯手がけた事業の数は、なんと10を超える。
型破りな性格の大男に、ついたあだ名は「奇人吟香」。
卵料理自体がまだまだ珍しかった時代。
卵を生のままご飯にかけるという発想は、
どれだけ斬新だったのだろう。
時代の一歩先を行く奇人のセンスがなければ、
卵かけご飯はこの世に生まれなかったかもしれない。
藤本組・上遠野茜
上遠野茜 16年4月9日放送
上遠野茜 15年12月12日放送
Tomomarusan
ケーキの話 藤井林右衛門
クリスマスにはやっぱりイチゴのショートケーキ。
実はそれ、日本だけの文化だと知っていますか?
不二家の創始者、藤井林右衛門。
アメリカで出会ったショートケーキを、
日本人好みの味に改良してクリスマスシーズンに売り出した。
それが、ジャパニーズ・クリスマスケーキの始まりだと言われている。
そもそもアメリカのショートケーキは、
サクサクのビスケット地を土台にした、全くの別物。
ふわふわのスポンジと生クリームが層になり、
イチゴがのったあの形は、日本発祥なのだそうだ。
しかも、なんでクリスマスに?
たしかに生クリームは白い雪を、イチゴは赤いサンタを
イメージしているようにも見えるが、
「あのおめでたい色合いがウケたのだ」と言う人もいる。
クリスマスに紅白を取り入れるなんて、
なんとも日本らしいアイデアだ。
「不二家」の名前には、3つの由来がある。
創業者・藤井家。2つとない、不二の店。
そして最後は日本のシンボル、そう、富士山。
うーん、日本人にウケるもの、
やっぱりわかっていますね、藤井さん。
上遠野茜 15年8月22日放送
thefoxling
あるオタクの話 クエンティン・タランティーノ
32歳の誕生日にアカデミー脚本賞を受賞した映画監督、
クエンティン・タランティーノ。
ディープな映画オタクとしても有名だ。
20代はレンタルビデオ店で働き、毎日映画三昧。
ハリウッド映画のみならず、マカロニウエスタンや
日本のヤクザ映画、B級モノまで観まくった。
映画の話が白熱すると客でもお構いなしに殴り倒し、
敬愛する映画監督には直接会いに行くほどの
熱烈な映画オタク。
タランティーノ作品の特徴は、
大好きな映画のエッセンスや友人のエピソードを
脚本に盛り込んでしまうこと。
他人の焼き直しだと批判され、友人たちに恨まれても、
彼はこう開き直る。
「俺はかつて作られた映画全てから盗む」
オタク愛の示し方は、人それぞれだ。
上遠野茜 15年7月18日放送
ホームランの話 ベーブ・ルース
「病気の少年のために、野球選手がホームランを約束する」
そんなストーリーの大元となったのは、
メジャーリーグの伝説、ベーブ・ルースだ。
ある日ルースは、病気で入院するファンの少年のため
ホームランを打つことを約束。
試合で見事にそれを果たし、少年を勇気づけたという。
「約束のホームラン」
そう呼ばれたこの逸話には、まだ続きがある。
20年余りが過ぎ、
晩年のルースが病気のため入院していた頃、
たくましい海軍隊員が彼を見舞った。
それは病気を克服し、立派に成長を遂げた当時の少年だった。
人一倍子供好きだったルース。どんなに喜んだだろう。
球史を塗りかえたホームラン王は、
人と人の間にも見事なアーチをかけた。
上遠野茜 15年5月10日放送
母を生きた人 石川啄木の母・カツ
石川啄木の母・カツは、
病弱な息子をとてもかわいがった。
そんな母の思い出を、啄木は歌で残している。
あたたかき飯を子に盛り古飯に湯をかけ給ふ母の白髪(しらがみ)
子供には炊きたての温かいごはんを盛り、
自分は残り物のごはんにお湯をかけて食べる。
「母の愛」と呼ぶには照れくさいほど、
さりげない母のやさしさ。
決して特別なできごとではない。
けれど、こんなありふれた日々をあざやかに切り取ったからこそ、
啄木の歌は時代も国境も越えて
今も共感されているのかもしれない。
母の平凡な愛なくして、どんな天才も生まれない。
上遠野茜 15年5月10日放送
水葉
母を生きた人 石川啄木の母・カツ
石川啄木の母・カツは、
ご多分に漏れず嫁の節子と折り合いが悪かった。
間に挟まれた啄木としては、
さぞ居心地が悪かったのだろう。
思わず歌にしてしまうほどに。
猫を飼はばその猫がまた争ひの種となるらむかなしき我が家(いへ)
家庭を和やかにしようと猫を飼っても、
それがまた嫁姑問題となりかねないとは。
息子を愛する母のライバルは、今も昔も変わらない。
上遠野茜 15年5月10日放送
母を生きた人 石川啄木の母・カツ
石川啄木が母・カツのことを詠った、
あまりにも有名な歌がある。
たはむれに母を背負ひてその余り軽きに泣きて三歩あるかず
ずっと変わらないと思っていた親が
ふとした瞬間、急に年老いて感じる。
そんな経験をした人は少なくないはずだ。
父親が職をなくして以来、
生活苦から家族を救えないままでいた啄木。
そのやるせなさは、人一倍だったろう。
年老いた母を想うその普遍的な感情は、
やがて世界中の言葉に翻訳されて詠い継がれている。
そんな天才歌人が最後まで願っていたこと。
それは、平凡な親孝行だった。
わが母の死ぬ日一日美(よ)き衣を着むと願へりゆるし給ふや
私の母が死ぬその日一日くらい、美しい服を着よう。
そう願うことをどうかお許しください。
上遠野茜 15年4月11日放送
Daniel Staemmler
ティム・バートン
その瞬間、映像を一時停止するように
世界のすべてが、ぴたり、と止まった。
静まり返ったサーカス会場で、
動いているのは主人公ひとりだけ。
飴細工のように固まった炎をかわし、
道化師の輪をくぐり抜け、
空中で浮いたままのポップコーンを手で払い落としながら
彼が歩み寄った先には、美しい女性の姿があった。
ティム・バートン監督の映画「BIG FISH」のワンシーン。
主人公が運命の人に出会ってひとめぼれするさまを、
ハリウッドを代表する鬼才は
時を止めることで鮮やかに表現してみせたのだ。
バートンは、あるインタビューでこんな言葉を残している。
「僕に未来はない。あるのは今だけだよ」
この一瞬を愛することができるなら、
人生はもっと素敵になるはずだ。
上遠野茜 15年3月21日放送
afagen
Spring has come! 高峰譲吉の春
アメリカ、ワシントンD.C.。
遠く離れたこの街にも「日本の春」が来ることを、
あなたは知っているだろうか。
ポトマック湖畔のほとりに咲く3000本の桜。
科学者・高峰譲吉の尽力によって
日本から贈られた桜たちだ。
エリート官僚の道を捨て、アメリカに渡った高峰。
頼る者もいないその地で
困難にぶつかりながらも挑戦を重ね、
やがて多くの研究成果を上げる。
1901年、彼の抽出したアドレナリンは
医学界の大発見となった。
はるばる太平洋を渡り、
アメリカに根を下ろした桜の木々。
異国の地で、今では見事な花を咲かせるその姿は
まさに高峰の生き様そのものだ。
厳しい冬を乗り越えるから、春は美しい。
今年もワシントンには
大勢の人が日本の春を慈しみにやってくる。