薄組・石橋涼子

石橋涼子 19年1月27日放送


お茶のはなし 源実朝の二日酔いとお茶

鎌倉幕府第3代将軍、源実朝。
北条家の庇護のもと若干12歳で征夷大将軍に任ぜられた。
と言うと華々しいが、実際は、
北条家による執権政治の始まりであった。

政治への関与は許されない一方で、
周囲には暗殺やクーデターの気配ばかり。
若いころから好きだった文学趣味と、
お酒に救いを求めたのも無理からぬことかもしれない。

『吾妻鏡』には、
連日の深酒による二日酔いに苦しむ
実朝のエピソードが記されている。
臨済宗の僧・栄西が二日酔いの将軍を見かねて、
お茶を献じたのだという。
さらに、栄西自らお茶の効能を説いた『喫茶養生記』を
将軍に献上したことで、
武家社会にも喫茶文化が広まった。
当時すでに、お茶に含まれる
ビタミンCやカフェインなどの効能は
知識階級に知られていたのだ。

鎌倉幕府成立から北条政権への過渡期に翻弄された将軍は
お茶の効能だけでは救われなかった。
歌詠みとしても知られる源実朝だが、
28歳の若さで身内に暗殺され
今でもその才能を惜しまれている。


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石橋涼子 19年1月27日放送


お茶のはなし 参勤交代とお茶菓子の発展

ホッと一息つける、お茶の時間。
温かいお茶の隣に欠かせないのが、お茶菓子。

日本各地には、銘菓と呼ばれる
地元ならではのお茶菓子があるものだ。
この発展に、江戸時代の参勤交代が
関係しているのをご存知だろうか。

一年おきに、各地の大名が
江戸と領地を行き来する参勤交代。
将軍への献上品に始まり、
江戸での贈答品や茶会用にと、
土地にちなんだお茶菓子づくりが奨励された。

名物に旨いものあり。
たまには地元の銘菓とホッと一息、
お茶の時間をどうぞ。


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石橋涼子 18年12月23日放送

181223-05
愛のことば 日本と俳句とクリスマス

日本独自の文化である俳句の世界で、
初めて季語として認められたカタカナ言葉が、
「クリスマス」だ。

取り入れたのは、正岡子規だと言われている。

結核を患い病弱だった一方で
好奇心は人一倍旺盛、新しいものも大好きだった子規。
当時、日本に定着しつつあったクリスマスを
楽しむべきイベントとして、
いち早く受け入れた感性は、さすがと言うしかない。

8人の こどもむつまし クリスマス

贈りものの 数を尽くして クリスマス

晩年は床に伏して静養する日々だった子規だが、
彼が詠んだ句には、
うるさいくらい賑やかな家族団らんの情景が目に浮かぶ。
楽しそうなことは、楽しむ。それでいいじゃないか。
子規のおおらかさもひと役買ったのか、
クリスマスは日本の家庭に、俳句に、すんなり受け入れられた。

あなたもクリスマスで一句、愛のことばを紡いでみませんか。


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石橋涼子 18年12月23日放送

181223-06
愛のことば クリスマスカードに愛を込めて

もうすぐクリスマス。
海外では、グリーティングカードを送りあう季節でもある。
日本でいう年賀状を兼ねることも多いが、
いつもは照れくさくて言葉にできない
愛情や感謝を込めたメッセージを伝える役割が大きい。

恋人に、家族に、大切なあの人に。
すこし照れくさいくらいの、愛のことばを綴って
贈ってみてはどうだろうか。

とはいえ、愛情を表現しようと思うと、
なぜか悩んだり困ってしまうのが人情というもの。
そんなときはカントリーミュージックで知られる
ドリー・パートンの言葉を思い出そう。

愛とは、あなたをこれでもかというほど悩ませる、
天からの贈りもの。

きっと、あなたが悩んで言葉にしなかったたくさんの気もちも、
カードには沁みこんでいるはず。
それでも筆が進まない場合は、古代ローマの哲学者であり
手紙を書くのが大好きだったキケロの言葉を思い出そう。

手紙では人は赤面しない。

あなたの愛が届きますように。メリークリスマス。


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石橋涼子 18年11月25日放送

181125-02 Photo by Nick Harris1
靴のはなし 靴にまつわるジンクス

幸運を呼ぶアイテムは、世界中の国ごとで様々にある。
ヨーロッパでは、靴が幸運の象徴になることが多い。

玄関にベビーシューズを飾ると
幸運が訪れるという言い伝えがあったり。

マザーグースに由来すると言われているジンクスで、
花嫁の左の靴に6ペンスコインを忍ばせると、
その花嫁はお金に困ることなく結婚生活を送れる
というものもある。

日本にも地方によって様々だが、
新しい靴は3回靴底を合わせて叩くと幸運がやってくる、
などのおまじないがあるという。

幸運も大事だが、靴は身だしなみの一部、という
大人のたしなみも広く知られているところ。
とはいえ休み明けの朝など、慌ただしさのなかで
足先まで気が回らない日もある。

そんなときは、フランスに古くからあるジンクスを思い出そう。

 素敵な靴は、あなたを素敵な場所へと導いてくれる。


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石橋涼子 18年11月25日放送

181125-03
靴のはなし 

 It isn’t the mountain ahead that wears you out;
 it’s the grain of sand in your shoe.


 人の気力を奪うのは、行く先に横たわる山々ではなく、
 靴の中の砂粒である。


これは、イギリス生まれの詩人、
ロバート・W・サーヴィスの言葉。

意気揚々と踏み出した最初の一歩に違和感があると、
あとはもう気になってしようがないのが、人情というものだ。

しかし、そういった小さなトゲのような悩みは
意外と他人にはわかってもらえないもの。

英語のことわざに、こんな言葉がある。

 Only the wearer knows where the shoe pinches.

 靴のどの場所が痛むかは、履いているものしかわからない。


苦労は他人にはわからない。
靴の中の小石を取り除き、再び歩き出すことは、
自分にしかできないことなのだ。

だからだろうか。
良い表情で歩いている人は、良い見栄えの靴を履いている。
しょんぼり歩く人は、しょんぼりした靴を履いている。

オシャレな人が多いイタリアのことわざでは、
靴は、その人の人格を表す。
という。


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石橋涼子 18年10月28日放送

181028-01
パンダのはなし パンダの来日

46年前の今日は、何の日だかご存知だろうか。
それは、あの人気者が初来日をした日。

昭和47年10月28日夕方。
羽田空港に到着したのは、日中友好の動物親善大使である
ジャイアントパンダのカンカンとランラン。

当時、野生も含めて1000頭に満たないと言われた
希少動物である二匹に、日本中が夢中になった。
空港からはパトカーの先導で上野動物園へ向かい、
200人以上の報道陣が集まった。
11月の一般公開では長蛇の列が2キロも続いたと言う。

まだ2歳で、こどもっぽさの残る雄のカンカンは、
来日当時、体重たったの55キロ。
一方、雌のランランは4歳、体重は88キロ。

二頭は、日本の熱烈なパンダブームに圧倒され、
食事も進まず、すっかり疲弊してしまったという。
体調優先ということで公開時間は一日2時間に。
月曜と金曜はお休みの完全週休二日制となった。

平和の象徴であるパンダは、
40年以上前の日本でひっそりと
働き方改革の波も起こしていたのかも、とは言いすぎだろうか。


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石橋涼子 18年10月28日放送

181028-02 Photo by Blue Pylons
パンダのはなし パンダのごはん

パンダは中国の古い文献に存在を記されているが、
発見されたのは意外と最近、19世紀後半だ。
本格的な飼育が始まったのは1936年だと言われている。

謎に包まれながらひっそり生きていたパンダの
生物学的な研究が始まったのもその頃。
つまり、飼育法もこの数十年間の試行錯誤の
たまものだということ。

例えばパンダは竹や笹の葉を好んで食べる。
しかし、それ以外のものも食べるのか、
栄養にできるのか、逆に体に害を及ぼすのか。
研究とともに食事のメニューも変化している。

初めて来日したパンダの食事は、竹の他に
お粥やサトウキビ、サツマイモ、ナツメなどがあったが、
現在では竹を重視したメニューになっているという。

初代のカンカン・ランランの糞は
健康な状態で一日10キロ前後。
一方、竹をメインに食べるリーリーは
その倍、20キロ以上の糞をするそうだ。

パンダの語源は、「竹を食べるもの」を意味する
ネパール語だという説があるが、
たくさん食べてたくさん出して、すくすく育ってくれるなら
すこしくらい偏食でも、まあいいか。


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石橋涼子 18年9月30日放送

180930-01 Photo by Rob Bye
大地のはなし 母なる大地の土

「母なる大地」という言葉があるように
人は自分を育ててくれた大地に愛情を持つ。

ロシアでは古代、長旅に出る際に
故郷の土を一握り持って行ったという。

江戸時代の旅人の心得として書かれた本には
船旅の不安を防ぐ方法として
陸の土を包んで持つように書かれていた。

さて、あなたがホッとする大地はどの辺りでしょう。


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石橋涼子 18年9月30日放送

180930-02
大地のはなし ネイティブアメリカンの教え

私たちは大地に育まれている。
水や空気や栄養を、そこに実る植物を、
惜しみなく与えられていることに
私たちはあまり気づかない。

私たちは大地に支えられている。
高いところが大好きな人間や建築物やあれこれを、
大地は重いとも言わずに支えている。

私たちは足元に大地があることに何の疑問も抱かない。

ネイティブ・アメリカンに古くから伝わる
こんな教えがある。

 大地は先祖からの授かりものではなく、
 こどもたちからの預かりものである。


大事な預かりものだと考える緊張感は、
現代の私たちにこそ丁度いいのかも。


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