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小林組・河田紗弥

河田紗弥 17年6月18日放送

170618-01
コーヒーはいかが? 〜魔法の木の実〜

現在のエチオピアにあたるアビシニアという地に
カルディという一人のアラビア人のヤギ飼いがいた。

ある日、彼は自分が世話をしているヤギが
灌木の実を食べると、
騒がしく興奮状態になることに気がつく。

そこで、近くの修道院を訪ね、
この不思議な話を伝えると、
院長は関心を示し、その実を茹でで飲んでみた。
すると、頭がスッキリするような不思議な感覚が院長が襲った。

驚いた彼は、
夜の儀式中に居眠りをする修行僧たちにも飲ませてみた。
すると、修行僧たちは居眠りもせずに、勤行に励むことができた。

この「魔法の木の実」の噂は、
瞬く間に国中に広まり、多くの人から求められるようになった。

そう、これがコーヒー誕生の瞬間だ。


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河田紗弥 17年6月18日放送

170618-02
コーヒーはいかが? 〜賢者の学校〜

現在のイスタンブールにあたるトルコのコンスタンティノープルに
タクタカラと呼ばれる小さな街があった。
1554年。その街に、シェムジとヘケムという二人の男が
それぞれコーヒーハウスを開業した。

この二つの店舗が世界最初のコーヒーハウスと言われている。

どちらのお店も、装飾や調度品もこだわり、
居心地は抜群。
社交の場として、トルコ人の熱狂的な支持を集めていた。

この二つの店舗をきっかけに、
トルコではコーヒーハウスが急増し、
ますます豪華になっていった。

そんなコーヒハウスには、
様々な国の商人や旅人、裁判官を目指す若者、官邸の役人など
様々な人が訪れ、
別名「賢者の学校」とまで言われていたんだとか。


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河田紗弥 17年6月18日放送

170618-03
コーヒーはいかが? 〜プチ・ノワール〜

1672年、サンジェルマンの博覧会で
アルメニア人のパスカルという男によって
パリではじめてコーヒーが販売された。

トルコ人の少年たちが給仕したり、
小さなカップを盆に載せて、人混みの中を売り歩いていたという。

コーヒーは、「プチ・ノワール」と呼ばれ、好評を博した。

その後、パスカルはコーヒーハウスを開業したが、
東洋風のカフェは
貧困階級の人々のためのものというイメージが当時はあったため、
売り上げは今ひとつで、結局店をたたむことに。

時は経ち、1689年。
それまで東洋風だったコーヒーハウスと一線を画した、
純フランス風のカフェ「カフェ・ド・プロコープ」が登場。

創業者であるフランソワ・プロコープは、
上流階級の人々を狙って、
新築間もない劇場コメディー・フランセーズの真正面に開業した。

それが功を奏し、大勢の人々の溜まり場となり、
多くの役者、作家、劇作家、音楽家などが集う文学サロンとなった。

革命期には、政治家やジャーナリストたちが、
コーヒー片手に激論を交わしていたんだとか。

時には、芸術を愛する者たちが集い語り合う場として、
時には、切迫した問題を激しく論じ合う場として、
コーヒーハウスは、人々の生活に密着し、愛されていった。


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河田紗弥 17年6月18日放送

170618-04
コーヒーはいかが? 〜コーヒーカンタータ〜

1700年代、ロンドンやドイツでは
「コーヒーを飲むと体が黒くなる」
「コーヒーを飲むと子どもが産めなくなる」などの風説があり、
女性はコーヒーを飲むべきではないと言われていた。

これに反発する女性の声を代弁し、
ドイツでのコーヒー騒動を風刺したのが、
バッハの「コーヒー・カンタータ」だ。

歌詞は、当時の人気詩人であったピカンダーによるもの。
娘のコーヒー好きをなんとか止めさせようと奮闘する
古風な父親が描かれている。

もしおまえがコーヒーをあきらめないなら、結婚パーティーには行かせないぞ。
散歩に行くことすら許さない。
はやりのスカートも買ってやらない。
窓の中から、町を眺めることもできなくしてやる!
帽子につける金銀細工も、手に入らないぞ。

 かまわない、でも、私の楽しみだけは取り上げないでね。



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河田紗弥 17年6月18日放送

170618-05
コーヒーはいかが? 〜コーヒー禁止令〜

現在のドイツのプロシアのフレデリック大王。
大のコーヒー好きで知られた彼は、
1781年に突然コーヒー禁止令を布告した。

当時、植民地を持っていなかったドイツにとって、
コーヒー消費量の増加は、
一方的な通貨の海外流出となってしまい、
国際収支のバランスが悪化してしまうのだ。

しかもドイツビールの消費量が減り、財政を圧迫していた。

そこで大王自ら、自分の好みを押さえて、ビールを飲むように奨励し、
コーヒーに重税をかけた。

しかし、それでもコーヒー愛好者は減らず…。
彼は、王室以外でのコーヒーの焙煎禁止に踏み切った。

その結果、貴族や将官といった
上流階級のみがコーヒーの販売を独占することとなり、
王室は莫大な利益を得たんだとか。


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河田紗弥 17年6月18日放送

170618-06
コーヒーはいかが? 〜カウヒイ〜

1804年、日本初のコーヒーを飲んだときの体験記が
大田南畝によって残されている。

「紅毛船にて、”カウヒイ”というものを勧む、
豆を黒く炒りて粉にし、白糖を和したるものなり、
焦げくさくて味ふるに堪えず」

当時の日本人の嗜好には合わなかったのだろう。

しかし、長崎の出島で医師として働いていたシーボルトをはじめとする
多くの蘭学者たちが
コーヒーは長寿をもたらす良薬として大いに宣伝したことをきっかけに
江戸時代末期にかけて人々のコーヒーへの関心は高まっていった。

その証拠に、
1858年には、正式なコーヒー輸入が開始され、
そのまた30年後の1888年には、
東京の下谷に「可否茶館」が誕生した。

その後も、浅草や大阪などに次々と、
コーヒー専門店がオープンし、
当時のハイカラな文化人たちが
文学や芸術、西欧の思想などを論じるサロンとなった。



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河田紗弥 17年6月18日放送

170618-07
コーヒーはいかが? 〜幻の発明者〜

1899年、加藤サルトリ博士は、
コーヒーを一度液体化してから、
真空蒸発缶に入れて、水分を除去し粉末にするという、
真空乾燥法に成功し、
インスタントコーヒーを発明した。

ところが、当時の日本では、
インスタントコーヒーの販路がなかったため、
彼はアメリカのシカゴに加藤商会を設立した。

その後、ニューヨーク州バッファローで開催された
パンアメリカ博覧会に、
その製品を出品し、販売した。

しかし、加藤サルトリ博士は、特許を取得していなかったのだ。
そのため、1903年に別の方法でインスタントコーヒーを作った
ジョージ・ワシントンが特許をとってしまい、
幻の発明者となってしまった。



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河田紗弥 17年6月18日放送

170618-08
コーヒーはいかが? 〜恋の苗木〜

1727年、海軍士官のフランシスコ・パルヘッタは、
ポルトガル領ブラジルに
コーヒーの苗木を極秘で持ち帰るという使命を受けて、
フランス領ギアナに向かった。

当時、特産品として国の経済を支えていたコーヒーの
国外持ち出しは禁止されていた。

そんな中、彼は滞在中に、
ギアナの首都カイエンヌのトルヴィエ総督夫人と恋に落ち、
自分の使命を夫人に話してしまった。

そして苗木を手に入れることができずに迎えた帰国の日。
使命を果たせず、途方に暮れていた彼に、
トルヴィエ総督夫人は、大きな花束を手渡した。

そう、その贈られた花束の中には、
5本のコーヒーの苗木が隠されていたのだ。

パルヘッタは、持ち帰った苗木をブラジルに植えた。
やがて世界の生産量80%を占めることになるブラジルコーヒーは
こうして生まれたのだ。


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河田紗弥 17年3月11日放送

170311-01
豊臣秀吉 出世食

農民出身でありながら、織田信長の跡を継ぎ、
天下統一を果たした戦国武将・豊臣秀吉。

彼は家臣からはもちろん、他藩の武将からも人気があった。
その人気の秘密は、頭の回転の速さはさることながら、
彼の明るくポジティブな、その性格にあったのではないかと言われている。

そんな豊臣秀吉が愛した味噌がある。

みそに、小さく砕いたピーナッツ、ショウガ、酒、粉末の黒砂糖を少々入れ、
フライパンにゴマ油を敷き、とろ火で、じっくりと練り上げる。

疲労回復の効果があるレシチンや身体を丈夫にしてくれるカルシウムが
たっぷり含まれたこの味噌は
前向きで元気な秀吉を支えた「出世みそ」と言えるだろう。

そんな彼は、よく家臣にこう諭したという。
「何事もつくづくと思い出すべきではない。」と。


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河田紗弥 17年3月11日放送

170311-02 Lovelove2000
菅原道真 健脳食

右大臣にまでのし上がり、平安朝きっての秀才、
そして今でも学問の神様として知られている菅原道真。

学問を究めるエリート揃いの養成学校に最年少で合格したり、
約230年間で合格者はたったの65人といわれる難関試験に合格したり。

彼は、「神童」と称されるのも納得の賢さであった。

そんな彼は、
黒ゴマ、もみのり、かつお節、昆布、きな粉の5種類を混ぜたものを
よくご飯にかけて食べていたという。

黒ゴマは、自律神経を活発にし、
頭脳の働きを助けるガンマーオリザノールを、
とろろ昆布は、
神経伝達物質を合成する際に必要なビタミンや亜鉛を多く含んでいる。

菅原道真が好んだのは、
脳の働きを活性化させる栄養素を気軽に摂取することができる
まさに、「脳活性化ふりかけ」なのだ。


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