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小林組・原央海

原央海 16年4月30日放送

160430-01 Mariordo
「神様の誕生」篇

1953年3月、
1人の神様がブラジルに生まれる。
その名は、アルトゥール・アントゥネス・コインブラ。
洋服の仕立屋である父のもとに生まれた神様は、
6歳までおっぱいを飲む甘えん坊だったという。
1994年、そんな彼に日本の「内閣総理大臣顕彰」が贈られた。
アルトゥール・アントゥネス・コインブラ。
またの名を、「ジーコ」。
「サッカーの神様」と呼ばれる男。
日本との関係が深い神様は、よくこんなことを言う。

 日本は第二の故郷です。

「内閣総理大臣顕彰」の外国人受賞は、
50年の歴史の中で、ジーコ以外にはいない。

神様は、日本を愛し、日本から愛されていた。


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原央海 16年4月30日放送

160430-02 S.Yoo
「神様の少年時代」篇

サッカーの神様、ジーコ。
「サイボーグ」と言われるほど強靭な肉体を持つ神様は、
16歳のユース時代は40kgもない痩せっぽちだった。
技術はあるが、ひと回り大きいディフェンスに吹き飛ばされ、
年間18試合に出場するも、わずか3得点…。
しかし、体格のハンデがあっても、少年は諦めなかった。
1日の食事を5回に増やし、生活習慣も変更した。
朝は5時半に起き、午前中はチーム練習。
午後の学校を終えると、夕方は2時間のウエイトトレーニング。
深夜11時に家に着き、翌日もまた5時半に起きる…。
その結果、体重も増え身長も伸び、太股は10センチ以上太くなった。
そうして1年後、年間27得点でユースリーグの得点王に輝く。

神様の過去は、誰よりも泥臭い。


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原央海 16年4月30日放送

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「神様と日本」篇

サッカーの神様、ジーコ。
彼は1991年、後の「鹿島アントラーズ」である、
「住友金属FC」というアマチュアチームに入団した。
Jリーグ開幕を控えた日本で、
「ゼロからプロサッカークラブを築く」という話に魅力を感じたからだ。
しかし、世界のトップレベルで活躍した神様は、環境の違いに驚いた。
1日2試合は当たり前。
昼食はあぐらをかいて、地べたでうどんを食べる。
ゴールマウスにネットもない、土のグランドで練習をした。
あまりにも不憫に思った通訳が、
「世界を舞台にしたあなたが、こんなところでプレーして、さびしさを感じないか」
と尋ねたことがあったそうだ。
しかし、神様は笑ってこう答える。

 環境の違いは感じるが、さびしいとは思わない。
 どこでサッカーをやろうが、楽しいことに変わりはないから。


神様は、誰よりもサッカーが好きなのだ。


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原央海 16年4月30日放送

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「神様のサポーター」篇

サッカーの神様、ジーコ。
彼が鹿島でプレイしていた頃、
練習場には毎日何百人ものサポーターが押し寄せ、「ジーコさん」と声をかけた。
日本代表の監督時代は、
インドでは試合中にサインを求める行列ができ、
イギリスではベッカムが「少年時代のヒーローだった」と控室まで訪問した。
そんな彼が、ブラジルで現役を引退する際、
ライバルチームのサポーターがこんなメッセージを新聞に出したという。

 ジーコ、さようなら。
 あなたがいなくなって私たちは、フリーキックの恐怖から解放される。
 あなたの頭脳的なスルーパス、切れ味抜群のドリブルやシュート、
 なによりも勝利に対する執念は、私たちの頭痛の種だった。
 「ジーコ、ジーコ!」
 サポーターの大歓声は私たちに絶望をもたらした。
 しかしジーコ、あなたのいなくなった試合に興奮することも少なくなってきた。
 サッカーを愛するサポーターにとって
 あなたは敵ながら素晴らしい選手だった。


神様は、みんなの神様だった。


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原央海 16年4月30日放送

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「神様のこだわり」篇

サッカーの神様、ジーコ。
グランドに入った彼は、
看板の位置、馴染みのカメラマンの場所、
ゴール裏で働く人たちの顔や位置まで、すべてを覚えるようにした。
相手のプレッシャーが厳しく、顔が上げられない時に、
一瞬目に入った看板からゴールの位置をイメージし、次のプレーの判断ができるからだ。
こだわりは、それだけではない。
ある日、スパイクの紐を結ぶ少年に、突然こんな声をかけたそうだ。

 スパイクの紐の結び目は、真ん中じゃなくて横に持っていった方がいい。
 その方が浮いたボールを止める時にうまくいくぞ。


ただベストを尽くす。
こうして神様は生まれた。


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