あーでもない、こーでもない
と言っているうちに、朝。
「〆切近づいた」「やばい・・」という気持ちよりも
「朝だ~」「明るい」の気持ちのほうが先にくる。

朝
会場に入ると、
パーテーションで各国ごとに分けられたブースがつくられていて
そこに Mac が一台ずつ配置。
このパソコンで作業をします。

ユーちゃんの雄姿
会場内では他の PC の持込みは不可。
サイトも getty 以外には接続不可、なので
途中で調べものが必要になると退室しなきゃいけないのが
ちょっとだけめんどう。でも、

ブースはひらけてるので、
他の国の途中経過はチラッと見にいける。
わたしたちは何案かつくっていて、
「どれにしようかな~」状態だったのでこそっと見にいきました。
で、「水」と「アフリカ人」の写真がかなり多かったので
この手の案は避けよう。と、この時決めました。
(それがよかったのかはわからないけども・・
(パッと見、「カブってない」っていうのは大事・・と思う
さて、作業はというと
イラレのバージョンが新しすぎて
ユーちゃんはひと苦労。
わたしは抑えのコピーがなかなか書けず
ずうっと電子辞書と対話していました。
getty の画像検索も、
イメージ通りの画像を見つけたいけど
ベストな検索ワードがなかなか思いつかない。
(辞書片手でも、英語のニュアンスを知らないと
(画像検索はなかなかきつい
あと、€ (ユーロ)マークの出し方がわからなくて
おとなりの韓国の子たちに教えてもらったり。
いろんなことに翻弄されすぎ。
ハード面が万全でないと、こんなにも
何とたたかっているのかわからなくなるのか・・
でも、てんやわんやな中
とりあえず、完成。

まわりはみんな帰っていた
2011 年 7 月 のアーカイブ
敵はそっちじゃない 20110619-1
名雪祐平 11年7月31日放送
見る モンドリアン
世界は、最低いくつの色で
あらわせるだろうか。
オランダの抽象画の巨匠、
ピエト・モンドリアンは、
赤・青・黄のみで世界を見ることができた。
三原色と
垂直線と水平線を用いた
徹底的にストイックなスタイル。
あたりまえのように
はめられていた額縁からも、
絵を取り出し、解放した。
見えるこの世界に、
額縁など存在しないのだから。
見る ドガ
フランスの印象派の天才、
エドガー・ドガ
特にバレエの踊り子を
好んで描き、
なかでも『エトワール』は傑作とされる。
大胆な構図。
瞬間的な肉体の躍動感。
衣装の絶妙な表情。
奥にはパトロンの姿も描かれ、
シビアな現実も容赦なく表現している。
その絵は、
物の形の見方があり、
社会の形の見方がある、一枚の芸術。
見る アンディ・ウォーホル
ポップアートの鬼才、
アンディ・ウォーホルは、
機械になりたい。
と言った。
アトリエをファクトリーと呼び、
工場の流れ作業のように、
アート作品を大量に生産した。
難解な芸術ではなく、
選んだモチーフも、日常的なもの。
キャンベルスープの缶詰、
コカ・コーラ、
ドル紙幣、
有名人など、
ありふれたものたちが、逆に衝撃的だった。
これはいったい…何なのか。
とまどい、深読みしようとするインタビュアーに、
ウォーホルはこたえた。
表面だけを見てればいい。
それが僕だ。
裏には何もかくされていない。
つまり、
スープは、スープ。
見る マネ
フランス印象派の大スター、
エドゥアール・マネは語った。
不必要なものはすべて、
私に吐き気をおこさせる。
しかし、必要な存在だけを
見るのはむずかしい。
真実を見つけ出す、たった一つの方法は
他人の意見にまどわされずに
己の意志をつらぬくことだ。
なぜ、マネはその思いに至ったのか。
女性のヌードの描き方が不道徳だと
激しい反感を生んだ作品
『草上の昼食』『オリンピア』によって
社会に辟易した末の達観だったのかもしれない。
現在、その2作はまぎれもなく、
傑作と評価されている。
見る イサム・ノグチ
ただの石、
自然のままの石が、
すでにできあがった彫刻なのであると、
彫刻家イサム・ノグチは言う。
しかし、と彫刻家はつづける。
肝心なのは見る観点だ。
どんな物をも、一足の古い靴さえも
彫刻となるものは
その見方と置き方なのである。
それはおそらく、
マルセル・デュシャンが
男性用便器を横に置き、
『泉』と名付けたようなことなのだろう。
ふと、目の前のある物が
彫刻になるだろうかと
あれこれ思考をめぐらせてみるのも
おもしろい。
見方と置き方、
ミカタトオキカタ…
なかなかむずかしいけれども。
見る クレー
芸術の本質は
見えるものをそのまま
再現するのではなく
見えるようにすることにある。
スイスの画家、パウル・クレーの言葉である。
音楽一家に生まれ、
クレー自身も才能あふれるバイオリニストであったため、
たびたび色を音にたとえて、
色彩の理論研究をすすめていた。
たしかに、クレーの『魚たちのまじない』からは、
色の和音が幻想的に聴こえてきそう。
見えないものを見えるようにする、だけでなく、
聴こえるようにする。
クレーはそれができた
唯一の芸術家だったのかもしれない。
見る フランシス・ベーコン
アイルランド出身の孤高の画家、
フランシス・ベーコン
グロテスクな人物画を多く描いた。
歯をむきだし、絶叫する表情。
激しくゆがめられた肉体。
でも、彼は語る。
ぼくの絵は
いまの世界の恐怖にはかなわないよ。
見て学ぶことだ。
なすべきことは
ただひたすらに見ることだけなのだ。
世界で何が起こっているか。
ぼくはただその恐怖を
再現しようとしたんだ。
きっと彼は、
描かずにはいられなかった。
世界の叫びを
代弁するかのように。
見る サヴィニャック
フランスのポスター作家、
レイモン・サヴィニャックが
たいせつにしていたこと。
ポスターは、見られなくてはいけない。
通りを行く人に、ほんの一瞬のうちに、
伝えたいことがわかるかどうか。
そのためにサヴィニャックは
大胆に本質だけを表現した。
薄切りハムのポスターでは、
豚の胴体をそのまま輪切りにしたハムに。
ユーモアたっぷりに一目でわかる。
大絶賛された。
さて。
情報ぎゅう詰めの近ごろ、
気になるポスターはありましたか?
環手漉き和紙
めぐるてすきわし、
と読みます。
宮城県沿岸部の被災地で倒れた生木を集め、
薄いチップ状にしたものを
福島県や岩手県の和紙会社で
一枚一枚手漉き作業で仕上げた和紙なのだそうです。
ホームページぜひ見てみてください。
(なかむら)
http://www.tomodachi-design.com/

五島のはなし(153)
この時期予約が大変なんです。
お盆に五島に帰るための。
島の人口はお盆の時期いっきに数倍になるんじゃないか。
とにかく飛行機も船もとれにくくなる。
最近気にいっている、
東京で仕事終わってから飛行機で福岡へ→博多港へタクシーで移動→
→博多港からの深夜フェリーで福江島へ(23時30分発、9時着、計9時間半)
という帰り方をこのお盆も目論んだのだが
深夜フェリーの切符は切符発売日に猛烈に電話したにもかかわらず
つながることなく完敗。
先に飛行機チケットは購入していたため、
福岡に一泊しなければならないことになった。
・・・と書きながら
ホテルの予約をしてないことに気づいた。
今からとれるのか。
そもそも、休みがとれるのか。
会社のみなさん、僕、お盆、休みますので。
だれも読んでないと思いますけど。

小野麻利江 11年7月30日放送
子どもの時間 チャーリー・ブラウン
チャーリー・ブラウンは、ペパーミント・パティに言った。
安心というものは、車の後部座席で眠るようなことだ、と。
彼は続ける。
きみは何も心配しなくていい。
お母さんとお母さんは前の座席にいる。
何もかも、面倒みてくれる。
無条件に、ただただ守られている。
子どもの時間には、たしかにそんな感覚が流れていた。
でもチャーリーは、
そんな時間がいつまでも続かないことも、知っている。
突然きみは大人になる。
そしてもう二度と、後部座席に乗って
眠ることはできなくなるんだ。
小さな男の子チャーリー・ブラウン、
でも立派な哲学者だ。
子どもの時間 小室直樹
子どものころの記憶の中で、
母が父の文句を言う姿を、見たことがない。
気まぐれで、かんしゃく持ちな父。
そんな父を、はいはい、と軽くいなす母のほうが
一枚上手だなあ。
ぼんやりと、そう思っていたけれど。
最近、評論家・小室直樹の本の中で、
こんな、くだりを見つけた。
母親が子に、亭主のぐちを
言っちゃいけない。
それをやったら、子育ては失敗ですよ。
幼い子供を育てる母は
自然と深い知恵を身につけるのだろうか。
ありがとう。お母さん。
茂木彩海 11年7月30日放送
子どもの時間 手塚治虫
ベレー帽に分厚い眼鏡。
漫画の神様。手塚治虫。
子どもたちのために漫画を描き続けたその人は
きれいごとだけを並べて、
子どもを子ども扱いするようなことはしなかった。
鉄腕アトムで、愛と、後戻りできない科学への不安を。
ジャングル大帝で、自然の広大さと、人間の愚かさを。
ブラックジャックで、命の大切さと、それを操る不自然さを描いた。
そんな彼が小学生たちに言った言葉。
人生で一番大きなショックの出来事を
忘れないで大事に持っていてください。
きっと役に立つ。
やさしくてやわらかい時間だけでは、子どもは大きく育たない。
石橋涼子 11年7月30日放送
子どもの時間 いわさきちひろ
世界中の子どものために
絵を描き続けた画家、いわさきちひろ。
ちひろの描く子どもたちは、
あどけなく、のびのびと動き、好奇心いっぱいで、
その指先にまで画家の愛情がたっぷりつまっている。
しかし彼女の絵には、
現実の子どもはこんなにかわいいばかりではない
という批判が常に付きまとった。
彼女は晩年、こう答えたという。
無償の愛で子どもをかわいがる、
そんな聖母みたいなものじゃなくて、
私のは、もっと、体質的なものなんですよね。
ちひろは、泥まみれでも、ケンカをしても、
やっぱり子どもがかわいいと思う。
そういう体質なのだ、と。
そう言われたら、もうどんな批判もかなわない。
薄 景子 11年7月30日放送
子どもの時間 まど・みちお
詩人まど・みちおさんの目の上にはイボがある。
そのせいで、ものが二重に見えることを
まどさんは世界の見え方に
バリエーションがふえてうれしいという。
児童文学界のノーベル賞といわれる、
国際アンデルセン賞を日本人で初受賞。
100歳にして新たな詩集も出した
まどさんは、自身のことをこう語る。
私は人間の大人ですが、
この途方もない宇宙の前では
何も知らない小さな子どもです。
その天真爛漫な言葉は、
なんにだって不思議がれる、
まど少年の好奇心から生まれている。
子どもの時間 中川李枝子
子どものころ大好きだった「ぐりとぐら」。
くいしんぼうのぐりとぐらが
巨大なカステラをつくるページは
いま思い出してもワクワクする。
おはなしを書いたのは中川李枝子さん。
保育士の経験もあり、お母さんでもあった彼女は
子どもたちがびっくりする顔が見たくて
数々の名作絵本を生みだした。
子どもはみんな問題児。
そう中川さんは言う。
それを個性と伸ばしてあげられるのは
むかし子どもだった大人の役目。
熊埜御堂由香 11年7月30日放送
子どもの時間 モーリス・センダック
わたしは、たとえるなら、
編曲者であって、革新的作曲家ではなかった。
世界的ベストセラー絵本
「かいじゅうたちのいるところ」の
作者モーリス・センダックは
そう自分を評した。
1928年、センダックが生まれた年は
世界のヒーローも生まれた。ミッキーマウスだ。
彼はミッキーマウスの大ファンになり
のちの代表作、「まよなかのだいころ」の主人公に
ミッキーという名前をつけた。
ディズニーの影響を受けた登場人物を
古典的なイラストレーションで描くセンダックのオリジナリティは
自分自身の幼児体験にあった。
わたしが人より優れていることがあるなら、
子ども時代のことを、よく覚えてることだね。
それは、まぎれもなくセンダックだけのもの、
彼だけの才能だった。
センダックの絵本には
悪戯な子供や生意気な子供、大人が手を焼く子供が
が生き生きと描かれている。
24時間たたかいますよ 20110618-4
腹がへってはいくさはできぬ
てなことで、ブリーフィングが終わってとりあえずごはん。
食べる勤勉さだけなら世界一になれそうなわたしたち。

シェアしようとしたら量が多かった
ホテルにもどって、オリエンシートを改めて読みます。
基本的にはこのシートをちゃんと読めばだいじょうぶ。
ヒアリングが多少できなくても、だいじょうぶ。


パソコンもちゃんと持ってきました。
情報収集のため、
若しくは万が一の助けをもとめるため、
Wifi もちゃんと使えるように手配してきました。
(でも、ホテルも会場も Wifi バリバリ。
(iPad も Facebook もバッチリの人たちが集まるお祭りだもんね
あとは、過去のカンヌの代表事例とか
おもしろいなーと思う広告事例のコピーも
ユーちゃんが持ってきてくれました。
行きづまったときにはチラチラ見ながら
「こういう解決法いいよねえ」とか
「このビジュアルは今回のに近いかもねえ」とか
アイデアの手ざわりみたいなものを二人で共有。
お互いの整理にもなるし、目指す方向を握りやすくなる?
ひとりでつくるわけじゃなくて、ふたりでつくるから
そういうの大事なんじゃないかと思っている。

でも、もう、ねむさの限界
お部屋にいると空気もこもるし、煮詰まっても来るので
途中、気分転換のためにマクドナルドに出かけました。
※夜1時までやってることを事前に確認
注文内容:
コーヒー(わたし)
アイスティー(ユーちゃん)
カンヌには無糖のアイスティーというものが無いらしく
おいしいけど・・がぶ飲みはできないぞというシロモノでした。
紅茶派の人はちょっとくるしい思いをするかも。

あたまのなかのもろもろを貼り出す
やっとこオリエン 20110618-3
牛歩のあゆみで書きすすめています
17時。やっとこオリエン(ブリーフィング)です。
ヤングライオンのお題は
参加国すべての人が理解できるもの
であるべきだというスタンスなので、
基本的に「ソーシャル」ネタが多いです。
動物愛護とか、こどもの人権とか。
オリンピックの誘致、なんてのも過去にありました。
(えーしーとかユニセフみたいなトーンをイメージしてもらうと
(わかりやすいと思います
で、今回のお題はというと「水」。

PumpAid という、
「アフリカに安全な飲み水を提供するために井戸をつくっている団体」が
クライアントになってくれ、実際にオリエンにも来てくださいました。
About Pump Aid (動画あります)
・アフリカの人たちはいま、森の奥地の汚ない水たまりのようなところから飲み水を確保している
・水の確保には下手すると半日ぐらいの時間がかかる
・主に水の確保にあたっているのは子どもたちや女性である
・その道中で危険な目にあうことも多い(強姦など)
・その仕事があるがゆえに学校に行けてない子どももいる
・井戸がたったひとつでも生活の中心地にできると、上記の問題の多くが解決される
・だから、井戸をできるだけたくさんつくりたい。でも、資金が足りない。
↓
お題 :
①井戸をつくるだけで、かなりのアフリカ人の生活を救えるのだということを伝えたい
②そのための寄付金(ひとりあたり月3ユーロ)を募りたい
---
これがオリエン。
想定媒体は 雑誌広告見開き。
ブリーフィング終了から約24時間後の
翌日20時に提出。
さて、どうするかなあ
小山佳奈 11年7月24日放送
内田百閒 貼り紙
「百鬼園随筆」や「阿房列車」など
軽妙な文章と独特の世界観で
昭和の文壇に一陣の風を起こした作家。
内田百閒。
あるとき弟子が自宅を訪ねると
門の前に「面会謝絶」という
貼り紙がしてある。
ご病気ですかと弟子が
色をなして上がり込むと
そこには涼しい顔の百閒。
「近頃はいい具合に
人がこなくなって
ありがたい。」
彼は天才的な随筆家であるとともに
天才的に偏屈なおじさんでもあった。
内田百閒 鉄道
天才的な随筆家であり
天才的に偏屈なおじさん
内田百閒。
鉄道マニアの先駆けでもあった彼は
ついに念願かなって
東京駅の一日駅長に任命される。
しかし一筋縄では
いかないのが百閒。
箱根行きの特急列車を見送るために
ホームで敬礼していた彼は
発車のベルが鳴り終わる寸前、
見送るべきその列車に
ひょいと乗りこんでしまう。
呆然とする駅員たちに向かって
展望車のデッキから手を振る百閒。
そのまま箱根まで
鉄道の旅を満喫。
それ以来、
百閒に駅長の話は
来なくなった。
内田百閒 VS漱石
作家、内田百閒は図太い。
尊敬する夏目漱石に作品を送ったところ
「まじめだけどおもしろくない」
というありがたくない手紙をもらう。
普通の人なら絶望して
筆を折ってしまうところ。
百閒はちがった。
漱石の家を訪ねた百閒は
わたし芸ができるんです、と
いきなり両耳を動かし始める。
困惑する漱石。
無言で両耳をひくひくさせ続ける百閒。
根負けした漱石は
弟子入りを許可する。
しかし百閒先生、
もう少しマシな芸は
なかったんですかね。
内田百閒 借金
作家、内田百閒は
借金をする。
貧しいからではない。
たいていが贅沢のために借金をする。
晩酌に珍味を並べたくて借金。
二等車に乗れば帰れるところ
わざわざ一等車に乗りたくて借金。
しかも金を借りに行くのに
ハイヤーを呼んで、また借金。
「お金のありがたみは
借金しなければわからない」
ここまで来れば
借金も哲学だ。
青年 内田百閒
憧れや、焦燥や、孤独や、絶望や。
文学を志す青年なら
誰しも持つそんな青さ。
18歳の内田百閒には
残念ながら微塵もない。
造り酒屋のひとりっ子で
存分に甘やかされて育った百閒。
東京の大学に行けることになっても
実家からちっとも出たくない。
二等車に乗るお金を
もらった手前しぶしぶ上京。
しかしごはんが合わないという理由で
3日で下宿を引っ越し。
あげくちょっと風邪を引いたからと
すぐに実家に帰る。
それでも
32歳でちゃんとデビューし
死ぬまで現役で活躍した。
人生80年。
焦るなんて、あぁ、ばかばかしい。
内田百閒 美食
天才的な随筆家であり
天才的に偏屈なおじさん、
内田百閒。
彼は食にもかなりの
こだわりがあった。
朝と昼はほとんど食べない。
すべては晩酌を思う存分味わうため。
先付けから香の物まで
その日に食べたいお品書きを
毎日、奥さんに書いて渡す。
時には「昨日の残りのポークカツレツ」
なんていう細かい指示まで。
偏屈な美食家の妻も
楽じゃない。
内田百閒 猫について
新聞広告の歴史上
おそらく最初で最後だろう。
尋ね猫の広告が出た。
広告主は作家、
内田百閒。
飼っていた猫が失踪し
そのショックから仕事も手につかず
夜も眠れなくなった百閒。
3度にわたり新聞広告を出し
外国人向けに英字広告までつくった。
それでも猫は戻らない。
手がかりに一喜一憂し
毎日泣いて暮らした。
普段はまわりの人をさんざんふりまわしている
内田百閒がこの猫にだけはふりまわされている姿は
気の毒だけど、ちょっとかわいい。
内田百閒 偏屈
偏屈というのは
決して褒め言葉ではないが
作家、内田百閒に限っていうと
つい嬉しくてそう呼んでしまう。
百閒が76歳の時の話。
一本の電話が
芸術院会員の内定を知らせる。
文学の世界でこれ以上ない名誉。
しかもかなりの年金も約束される。
しかし百閒は
あっさりと辞退。
気色ばむ選考委員に
こう答えた。
「イヤだからイヤだ。」
天才的な随筆家であり
愛すべき偏屈なおじさん、
内田百閒。
こんな暑い夜は
毒の効いた彼の文章が
読みたくなる。
岡安徹 11年7月23日放送
闘うひと~アントニオ猪木
燃える闘魂、アントニオ猪木。
「元気ですか!」
世の中には、人を励まそうとする言葉が
あふれているけれども、猪木氏の言葉は
中身の濃さがちがう。
複雑な生い立ち、順風満帆とは言えない興業、
成功ばかりの人生ではなかった。
それでも、へこたれている姿などみたことはない。
「燃え尽きた時に、もう次に踏み出していたい」
元気があればなんでもできる。
そう笑う男は元気そのものに見える。
闘うひと~サッカー元日本代表監督/岡田武史
重圧という言葉の力を知る男、岡田武史監督。
二度目の日本代表監督、
世論の圧力にもかかわらず
その采配により快進撃を見せた。
岡田氏は言う
「重圧やプレッシャーは重力みたいなもので、
重力がないと筋肉も骨もダメになっちゃう」
いいプレーは強いカラダから。
優れた指揮は強いココロから。
プレッシャーに鍛えられた岡田さんのコトバだから、
かっこよかったんですね。
闘うひと~登山家/三浦雄一郎
登山家三浦雄一郎
75歳にして、2度目のエベレスト登頂という
偉業を成し遂げた。
もちろん、その挑戦は順調なものではなかった。
60歳を超えてからのトレーニング。無理をすれば身体が
悲鳴をあげ、ドクターストップがかかったこともある。
そんなとき三浦が心がけていたのは、
ゆっくりでも、止まらず進むということ。
「無理せず、一歩ずつ歩いていたら、
8,848メートルに立っていました」
どんな困難も、止まらず進めば
乗り越えられるんですね。
渋谷三紀 11年7月23日放送
闘うひと~レディー・ガガ~
奇抜なファッションで注目を集め、
アメリカ「タイム」誌で
世界一影響力のあるアーティストに選ばれた、
レディー・ガガ。
まだ25歳。
若くして世界の音楽シーンの頂点に立った彼女にも、
マドンナの真似にすぎないと評された時期があった。
そんな声に傷つくガガのもとに、一通のメールが届く。
“love you GAGA.”
メールの差出人は、マドンナ。
同じ階段を駆け上がってくる
若い才能を認め、あたたかい賞賛をおくった。
マドンナを誰より尊敬していると前置きした上で、
ガガも言う。
私は、第二のマドンナになりたくない。
私がなりたいのは、レディー・ガガよ。
ライバルとはつまり、同じ高みを目指す
もっとも親密な間柄をいうのかもしれない。
闘うひと~為末大~
努力は夢中に勝てないんですよ。
というのは、ハードル走者、為末大のことば。
ほら、子どもがよく駅の名前を全部覚えたりするけど、
大人がやると十何倍も労力と時間がかかるでしょう。
とつづける。
何かに打ち込むことが
苦しみになる人間と、楽しみになる人間。
はじめから勝負は見えている。
だから子どもには
がんばろう。でなく、楽しもう。
と声をかけよう。
闘うひと~秋元康とAKB48~
プロデューサーの秋元康がAKB48のメンバーに
よく言って聞かせる言葉がある。
夢というのは、
ぐーっと手を伸ばした1ミリ先に存在している。
つまり、夢はいくら追い続けたとしても、
届くことも、触れることもできない。
そのとき、
「1ミリ先に夢はある」と信じてつづけるか、
「何も近づいてない」とあきらめるか、
そこが分かれ道になるんだ、と。
すぐ目の前の出来事を
ポジティブに見るか、ネガティブに見るか、
人生はそこから変わりはじめるのかもしれない。
宮田知明 11年7月23日放送
闘うひと~江頭2:50
お前はいつだって全力だと言えるか?オレは言える。
番組に登場する短い時間の中で、江頭2:50ほど
自分と格闘している芸人はいない。
外国で逮捕されたり、番組で全裸になって
出入り禁止にされるような破壊的な芸風に対し、
彼が被災地にボランティアに行ったという話は意外性があり、
大きな話題になった。
でも、本人は特別なことをしたと思っていないらしい。
彼曰く、
おれはお金ないからさ。
体で払ってきただけなんだよ。
確かに、お笑いもボランティアも、
誰かのために体を張るという点では同じ。
全力で生きている、ただそれだけ。
闘うひと~フリードリヒ・シラー
ベートーベンの交響曲第九番
その四楽章の合唱部分の歌詞は、
ドイツ古典主義の代表者である
フリードリヒ・シラーの詩「歓喜に寄せて」を、
その愛読者でもあるベートーベンが歌詞として引用したもの。
詩の内容は、困窮を極めた放浪生活の末、
彼を助けてくれた友人たちに対する
感謝の気持ちを詩にしたものだと言われている。
多くの賛同者を得ながらも、
医学書以外の著作を禁じられ、
幽閉生活、そして亡命。
そんな不遇な経験をした彼だからこそ、
書きあげられた詩だった。
シラーは言う。
人は幸運の時は偉大に見えるかもしれない。
でも、真に向上するのは、不運の時である。






















