5.夏の風物詩 花火師 高杉一美
昭和5年の春、16歳の少年がある職業に夢をかけた。
花火師、高杉一美
親方からやっと認められはじめた7年目のとき。
盧溝橋事件が勃発し、
やがて世界は太平洋戦争へ突入した。
火薬の知識が買われた高杉はダイナマイトの製造に関わるようになる。
工場にある火薬を見ると想像力が騒ぎだす。
これをつかえば大輪の花々を夜空に咲かせる尺玉がいくらでもつくれるのに・・・
ある日、火薬庫へ向かおうとしていると、
すさまじい爆発音とともに倉庫の屋根がふっとんだ。
中にいた女性の工員はみんな亡くなり
あと1歩のところで高杉は命を拾った。
花火師、高杉一美は
戦後、次々とコンクールで賞をとる花火を生み出していった。
高杉は花火にこんな願いを込めていた。
生きていることがうれしくてたまらないような、
そんな花火であってほしい。
6.夏の風物詩 衣がえ
灰皿も硝子にかへて衣更へ
日本の少女小説の祖とも言われる
吉屋信子が詠んだ句だ。
女性らしい、彼女らしい、
細やかな夏の楽しみ方が
伝わってくる。
真っ白なワンピースを着たくなる。
髪をアップにしたくなる。
方法はひとそれぞれ。
夏が終わる前に、
もっと、もっと夏を感じよう。
7.夏の風物詩 お盆を想う唄
盆だ盆だと待つのが盆よ。盆がすぎれば夢のよう。
岩手県の遠野市に伝わる一口唄だ。
村のだれが唄いはじめたのか、わからないが
こんなふうに、
日本中がお盆を楽しみにしている時代があった。
8月は日本人が故郷に帰る季節。
帰省ラッシュに文句をいいながら、
それでもやっぱり
帰りたくなる場所がある。
8.夏の風物詩 まんまる西瓜
作家、結城信一が1967年に発表したエッセイ、西瓜幻想。
結城は、電気冷蔵庫におしこまれた現代の西瓜に同情をよせ、
こう書いた。
土から生まれた西瓜にとっては、
井戸の中にいれてもらって、
ごろんごろんと
浮かびながら
ひとを待っているのが
いちばん楽しい時なのだ。
そういえば、最後に、
まんまるの大きな西瓜に、わくわくして、
包丁をざくりと入れたのはいつだったっけ。
スーパーで切って売られている赤い水瓜を手に取ると
家族の多かった子供時代を思い出す。
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熊埜御堂由香 10年08月22日放送
熊埜御堂由香 10年06月20日放送
5.おもしろい夜 忌野清志郎
やってみようじゃないか。おもしろい夜になりそうだぜ。
ロックミュージシャン・忌野清志郎は言った。
2003年、はじめての「100万人のキャンドルナイト」で、
東京タワーのライトダウンイベントに誘われ、すぐさまOKした。
NGOナマケモノ倶楽部が日本ではじめたこのイベント、そのきっかけは
あるアメリカ人から1通の「おもしろい」メールが届いたから。
件名は「ひとりひとり暗闇で手をつなごう」。
ブッシュ元大統領の石油エネルギー政策に抗議する
そのメールは世界中に転送された。
それは声高に環境保護を訴えるものではなかった。
夏至の日の夜、電気を消し、暗闇の時間を自分の感性で
楽しもうというメッセージ、だから世界に広がった。
そして今夜は8年目のキャンドルナイト。
静かな闇の中だから浮かんでくる気持ちが
誰の中にもあるはず。
清志郎も歌っていた。
暗い暗い夜はいつでも
甘い甘い夢が暖めてくれるさ。
6.父にならなかった男 ウィルヘルム・ブッシュ
父親になることは難しくないが、
父親であることは極めて難しい。
近代漫画の始祖と言われたドイツ人
ウィルヘルム・ブッシュは言った。
1865年にブッシュが発表した絵本、
「マックスとモーリッツ」は、
ふたりのいたずら小僧が主人公だ。
ブラックユーモアに満ちた内容で、
最後にはふたりは臼で潰されて、
アヒルの餌にされてしまう。
気難し屋のブッシュは生涯独身だった。
父親らしくあること、その難しさを
躊躇せずに、彼が父親になっていたら?
常識破りの面白い親父になっていたかもしれない。
7.父の存在 日本中のおとうさん
ある小学校6年生がこんな詩を書いた。
おとうさんのあとに風呂にはいった。
底にすこし砂があった。ぼくたちのために働いたからだ。
おとうさんが家族を守っている。
いつもは目に見えないその事実に、
思いがけず、気づく瞬間がある。
口に出して言ってみる。
おとうさん、ありがとう。
今日は、父の日。
8.出生の秘密 ジョン・ブルース・ドット夫人
母の日はあるのに、どうして父の日はないんだろう。
1909年、アメリカ。
ジョン・ブルース・ドット夫人という女性が、
ふと思った。
前年に母の日が設立されたばかりだった。
ドット夫人の父は、男手ひとつで6人の子どもを育てた苦労人。
ひとり娘のドット夫人は特に可愛がられた。
亡き父のため、「父親を尊敬し、称え祝う日」の設立を聖職者同盟に嘆願。
そして、7年後の1916年に「父の日」は設立された。
けれど母の日は1914年には、祝日になったのに、
父の日は、なかなか昇進できず、約60年後の
1972年にようやくアメリカで祝日になった。
ひとり娘が父を想い、
苦節の末、誕生した父の日という祝日。
母の日の2番煎じか、
なんて、へそ曲げないでね、お父さん。
熊埜御堂由香 10年05月16日放送
走る人 谷口浩美
「こけちゃいましたぁ。」
彼の笑顔に、
日本中のお茶の間が、ほんわかした。
1991年の世界陸上、金メダリスト谷口浩美。
翌年のバルセロナ五輪で、転倒する。
20人抜きを見せるが結果は8位。
くやしさも、あったはず。でも笑った。
谷口は現在も、マラソン界で、
日本人男子として、唯一の金メダリスト。
彼は言った。
踏まれても踏まれても、雑草のごとく。
ずっこけた笑顔は、谷口の強さの証にちがいない。
走る人 鬼塚喜八郎
昭和26年、夏。ひらめきは、
キュウリとタコの酢の物からもたらされた。
鬼塚喜八郎。
シューズブランド
オニツカタイガーの創始者だ。
タコの足の吸盤にヒントを得た靴底の
鬼塚式バスケットシューズを考案。
全国を営業して走り回り、ブランドを育てていった。
やがて、東京オリンピックのときには
オニヅカタイガーのスポーツシューズを履いた選手が
計46個のメダルを獲得し
オニヅカの名前はさらに高まった。
彼は言った
「持てる力を一点に集中させれば、必ず穴があく。」
突破していくひとは、迷わずに走り続けられるひと。
熊埜御堂 由香 10年05月09日放送
走る人 角田光代
彼女は、32歳で大失恋した。
切れた電球を変える気力もなくなった。
だから、髪を切るわけでもなく、
次の男を焦って探すでもなく、
ボクシングをはじめた。
強くなりたかったから。
女心の機微を描き続ける作家・角田光代。
失恋からたちなおっても、運動する習慣は残った。
角田は忙しい暮らしの合間にランニングを続ける。
いま、若い女性にマラソンが流行しているのも、
からだとこころがつながっていることを
実感しやすいスポーツだからかもしれない。
きっと、今日も、いろんな思いを抱えて、走るひとがいる。
角田光代のある小説の主人公が、こうつぶやく。
道ってのはどこまでも
続いているもんなんだねえ。
熊埜御堂由香 10年03月06日放送
道具のはなし ポールボキューズの鍋
「私の料理の秘訣がひとつしかなかったとしたら、
それはこの美しい道具だろう」
フランスのリヨンで腕をふるう
84歳の現役天才シェフ、ポールボキューズ。
彼は料理へのこだわりから、鍋までつくってしまった。
工業の街、アルザスで、
祖父の代から台所用品店を経営していた、
フランシス・ストウブ氏と開発した、分厚い鉄の鍋だ。
45年間、ミシュランの3つ星を
維持しつづける彼のそばに、
今日もこの武骨な鍋はどっしり座っている。
道具のはなし 智恵子の千代紙
こころの病に苦しんだ、高村光太郎の妻、智恵子。
光太郎は彼女に、気分転換の道具に千代紙を渡した。
智恵子はたちまち紙絵に夢中になる。
食膳がでると、皿にのる食材を紙絵でつくらないうちは
箸をとらないほどだった。
できあがると、恥ずかしそうな、うれしそうな顔で、
光太郎に差し出した。
智恵子の残した千点以上の紙絵に、光太郎は言った。
これらは、智恵子の詩であり、
生活記録であり、此世への愛の表明である。
妻の千代紙は、夫と心を交わす道具となった。
道具のはなし 恋する道具
ひとは不器用だから、
恋をするにも、道具がいります。
いまは、メール。昔は手紙。
プレイボーイの元祖、光源氏は、
先立たれた妻からの恋文に、
歌を書きつけて、泣きながら燃やしました。
大切にとってあった手紙と妻への思いが
一筋の煙になって天へ届くように。
そんな思いをこめた読まれた歌のしめくくりは、
おなじ雲居の煙とをなれ
(おなじくもゐの けぶりとをなれ)
メールは燃やすこともできないし、
下駄箱にいれることもできません。
恋する道具としては、手紙が一枚上手のようです。





















