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古田組・坂本仁

坂本仁 11年11月26日放送


ジョー・ストラマー

パンクとは何かという命題に、
答えてくれる言葉がある。

月に手を伸ばせってのが、俺の信条だ。
たとえ届かなくても。

ピストルズと並んでUKパンクの雄と称される
The Clashのボーカリスト、
ジョー・ストラマーの言葉だ。

来日コンサートの際には、
ファンからの膨大なプレゼントを、
多額の超過荷物料金を支払ってすべて持って帰った。

ファンを大切にする。
そんな彼の姿勢も、パンクだった。



ザック・デ・ラ・ロッチャ

レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンは、
政治的メッセージを歌う反体制のバンドだった。
搾取される先住民の悲劇、
画一的な教育の恐怖など、
そのメッセージはいつも過激で、
アルバムが合衆国政府の要注意著作リストになったこともある。

けれど、ボーカルのザックは次のように語る。
「全ての革命的行動は愛の行為。
俺がこれまでに書いた曲は全てラヴ・ソングだ。」と。
弱者への強い愛が彼らの、強烈なパフォーマンスの源泉だった。



ベン・E・キング

何かをつくることは、孤独な作業だ。
つらい暗闇の中で、もがき、苦しみ、
自分が納得する作品をつくりあげる。

「ダンスウィズミー」、「ラストダンスは私に」などで知られる
ミュージシャン、ベン・E・キングは、
曲作りに関して次のように語る。

「Good」が「Better」になるまで、
「Better」が「Best」になるまで、決して気を抜いてはいけない。

完璧になるまで妥協しない。
そんな自分を追い込む曲作りのつらい状況の中で、
キングは、彼のヒット曲、
「スタンドバイミー」を思いついたのかもしれない。



BONO

1971年、ジョンレノンは「イマジン」という名曲を書いた。
そして、わたしたちはみな、想像することで、世界は変わると信じた。

けれどそんなジョンレノンの「イマジン」に異を唱えるロックスターがいる。
全世界のアルバムセールスが一億三千万枚を超えるモンスターバンド
U2のリードボーカル、ボノ。
彼は言う。

夢見る時代は終わったんだ。
これからは行動する時代だ。
すべては夢見ることから始まるけど、
夢で終わるなら寝てる方がましだ。と。

数々のチャリティーコンサート、
貧困救済を目的とするOne Campaignへの参加、
売上げをエイズ救済基金にするREDの新設など。
そして、その功績から3度ノーベル平和賞の候補となった。

世界を行動で変えるロックスター、ボノ。
彼のような人がきっと21世紀をしあわせな世紀にしていく。






サーストン・ムーア

80年代のアンダーグランドシーンを牽引した、
ソニックユースのボーカル、
サーストン・ムーア。
パンクの概念をアメリカに植え付けた人だ。

新生児の泣き声。
これこそがバンクロックに対する僕の定義だ。

サーストン・ムーアに言わせれば、
僕らは皆パンクの魂を持って生まれてくる。




ポール・マッカートニー

イエスタデイ、
ヘイ・ジュード、
レットイットビー。

数々の名曲を残したボール・マッカートニーは言う。

「努力することより、しないことの方が、難しいんだよ」

彼にとって
あれほど多くの愛すべき美しいメロディを書くことは
むしろ努力をしないことだったのだろうか。

ちなみにポール・マッカートニーは
ポピュラー音楽史上もっとも成功した作曲家として
ギネスブックに認定されている




ベック・ハンセン

多くの成功したミュージシャンがそうであるように、
ベック・ハンセンも若い頃は経済的に貧しかった。

10代の頃はゲットー暮らし。
ロスの中学卒業後は、家具の運搬、芝刈り
衣料工場などなど仕事を転々としながら、
生計をたてた。
18歳の頃、ニューヨークへ。
ホームレスをしながら、曲をつくった。

けれど、ベックは若い頃を「昔は貧しかった」と
懐かしむようなことはしない。
むしろ、次のように語る。

ホームレスをやっていても悲惨だと思ったことはない。
僕には音楽があったから、いつも裕福だった。と。

人からみたらつらい時代も、
彼には音楽性を育んでくれたハッピーな時代だったのである。

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坂本仁 11年9月10日放送


セルジオ越後

サッカー解説者セルジオ越後は、

日本サッカーへの愛情から、

常に日本代表へ厳しいコメントを発している。



しかし、辛口のセルジオ越後も、

なでしこジャパンがワールドカップに優勝した際には、

素直にその偉業をたたえた。



けれど、彼は言う。

「なでしこジャパンを使い捨てにするな」と。



ブームに終わらせてはいけない。

しっかり女子サッカーの文化を根付かせなければいけない。

セルジオ越後の辛口は、

なでしこジャパンの快進撃に沸いた私たちに向けられている。






マリエル*マーガレット*ハム

女子サッカー史上、最高選手のうちの一人、
マリエル*マーガレット*ハム。


私たちにはミアハムの名で親しまれている彼女は

2度のFIFA最優秀選手賞受賞、

偉大なサッカー選手を選ぶFIFA100にも、

マラドーナやジーコとともに選ばれた。



ミアハムは言う。
「勝つだけではだめだ。

相手がもう二度と見たくないと思うくらいの印象を残せ。」



女子サッカー選手として優れていただけではない。

ミアハムは誰よりも、

「戦う気持ち」を持ったサッカー選手だった。




澤穂希

「苦しくなった時は、私の背中を見なさい。」



なでしこジャパンの澤穂希は、

2008年の北京五輪で若手をそう励ましたのだという。



先日の女子ワールドカップでは、

北京五輪で澤に励まされた若手たちの成長が、

優勝につながった。



今月は、ロンドン五輪の女子サッカー最終予選が行われている。

きっと、若手や中堅の選手たちが頼もしい姿を見せてくれることだろう。

がんばれ、なでしこジャパン。





エレン*ヴィッレ

女子サッカーの歴史は、長い迫害の歴史だった。



サッカーは女性の体には有害というデマが通説となり、

サッカーの母国、イングランドサッカー協会は、

女子チームにグラウンドの貸し出しを禁止していた。



しかし、一人の勇敢な女性がその迫害の歴史に風穴をあける。



ノルウェー人、エレン*ヴィッレ。

国際サッカー連盟の総会に出席していた彼女は、

突如マイクをとり、

「人類の半数は女性である。
国際サッカー連盟は女子サッカーにもっともっと

力を入れるべきである」と訴えた。

その演説は、総会に出席していた多くの関係者の心を動かすのに十分だった。



そして、それから数年後の1991年、

ついに初の女子サッカーワールドカップが開催された。

男子サッカーワールドカップの初開催から、

実に61年後のことだった。



女子サッカー至上、最高のファインプレーは、

エレン*ヴィッレの演説なのかもしれない。




文弘宣

起業家、文弘宣(ムン・ホンソン)。

澤穂希選手をはじめなでしこジャパンの7人が所属している、

INAC神戸レオネッサの会長である。



どんなに才能のある選手も生活ができなければ、

サッカーをあきらめなければならない。

文弘宣は、選手がサッカーに集中できるよう、

グループ企業で雇用して社業を免除し月給を支払った。




サッカー選手を育てるのは、監督やコーチだけではない。

ビジネスという観点から日本女子サッカーを育てる経営者が

もっと多く出てきてほしい。




佐々木則夫

女性をうまく扱うことはできないが、

女性の意見に耳を傾けて、

自分を変えることぐらいならできる。



なでしこジャパンを率いて、世界を制した佐々木則夫監督。

彼のこの言葉には、

すべての男性が学ぶべきことが示唆されている。




ペレ

「サッカーの神さま」とまで呼ばれたペレ。

15歳でデビューしてから、通算1363試合に出場し、1281得点を記録した。
ワールドカップでは
ブラジル代表のエースとして3度の優勝を経験している。


イエローカードやレッドカードは、

ペレを止めるためのラフプレーが横行したために、

導入されたルールだと言う。



レアルマドリードやACミランなどのヨーロッパのビッククラブが、

ペレの獲得に動いた際には、

ブラジル政府が「ペレは輸出対象外である」と公式に宣言する事態にも発展。



その華麗なプレー見たさに、

ナイジェリアとビアフラの内戦を休戦させたという逸話も残っている。


ところで、
そのペレが2004年に選んだ「偉大なサッカー選手100人」には
ふたりの女子選手がいる。
たったふたり?
いや、そうではない。
女子のFIFAワールドカップがはじまって13年めの快挙だった。

女子サッカーはもっと面白くなる。
素晴らしい可能性がある。

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坂本仁 11年7月9日放送


ジャック・リヴェット

長回しの手法を使って、
人間の動作や心理を細かく丹念に描きつづける
フランスの映画監督ジャック・リヴェット。
カンヌ映画祭審査員特別グランプリを受賞した、
「美しき諍い女」は約4時間、
代表作である1970年の「アウトワン」は
およそ13時間にもおよぶ作品である。

リヴェットの盟友で映画監督のゴダールは、
その13時間にもおよぶ「アウトワン」を鑑賞した後、
次のように言った。

「素晴らしい作品だ。
しかし、彼の才能を発揮するには短すぎる」と。

その破壊的な長さのために
未公開のままだった「アウトワン」が日本で公開されたのは
フランスでの初公開から38年後
2008年のことだった。






井上円了

机の上の十円玉に指を置き、
霊をよびだして質問する。
子供の頃、「こっくりさん」で不思議な体験をしたことある人は
多いのではないでしょうか?

近代的な妖怪研究で知られる井上円了は、
「こっくりさん」を科学的に分析し、
十円玉を動かしているのは、霊ではなく、
無意識の筋肉運動であることを実験で証明してみせた。

妖怪や化け物は人が生み出すもの、
迷信を恐れることはない。
けれど、不思議な現象を知的に楽しむことを
否定するわけではない。

井上円了の研究の目的は、
人の暮らしの幸福にあったと思う。




B・C・フォーブス

学校のテストの点が悪かったり、
仕事で結果がでなかったり、
好きな人にフラレたり。

生きることは、失敗の連続かもしれない。
けれど、アメリカの作家B・C・フォーブスは言う。

ゴルフにバンカーやハザードがなければ、単調で退屈に違いない。
人生も然りだ。
と。

あなたにとって面白くないことは、
あなたの毎日を面白くしてくれるもの。
そう思えれば、きっと毎日はもっと楽しくなる。




サミュエル・ジョンソン

辞書を引くのは一瞬で終わるが、
辞書をつくるのはそうはいかない。

1755年、イギリスの文学者サミュエル・ジョンソンは、
4万語を超える単語を収録した A Dictionary of English を刊行した。
その内容は極めて詳細に記述され、
世界初の本格的な辞書とも評されている。
単語の意味を説明するために、
シェイクスピアやミルトンの文書を引用し、
その後の辞書の編集に多大な影響を与えた。

サミュエル・ジョンソンは言う。

大偉業を成し遂げるものは、
体力ではない、耐久力である。
元気いっぱいに3時間歩くことができれば、
7年後には地球を一周できる。




エジソン

いま、多くの人の毎日は、時間に追われている。
細切れに組まれた予定は
人から集中力を奪っていく。

けれど、世界の発明家・エジソンは言う。

決して時計を見るな。
これは若い人に覚えてもらいたいことだ。 

若いうちは時間を忘れるくらい何かに没頭しなさい。
発明に夢中になりつづけ、数々の偉業を成し遂げたエジソンは、
そう私たちに教えてくれる。

時間を守ることも大切だけど、
時間を忘れることも大切にしたい。





森本泰輔(たいすけ)

涙の出ない仕事をするな。
それが嬉し涙でも、悔し涙でも。
たくさん失敗してもくじけなかったらいいんです。

音楽プロデューサー森本泰輔はそう語る。

彼にとっての涙を流した仕事とは、
人気バンド・ウルフルズを育てたことだった。
本気で愛して本気で駆けずりまわって、本気で泣いた。

そうだ、「涙」を言い換えると
「本気」というコトバになるのかもしれない。




野村克也

いまTwitterで流れている野村克也楽天イーグルス名誉監督の言葉を
拾い出してみた。

 思考が止まれば、進歩も止まる

 アンパイアは、ピッチャーの女房役のキャッチャーにとって、
 言ってみれば夫の上司 みたいなもの

 捕手は目配り、気配り、思いやりと危機管理のマイナス思考

 「失敗」と書いて「せいちょう」と読む

データ重視のID野球で知られる、名監督・野村克也。
ヤクルト、阪神、楽天で監督を務め、
結果をだせる監督としてその手腕は高く評価されている。

しかし彼の野球哲学はデータ重視なだけではなく、
人間重視でもある。
選手の性格をよく考えて指導すること。
人の心理を考えつくした配球理論をキャッチャーに教えること。
人間をみつめつづけてきた野村克也は言う。

コンピューターがどんなに発達しようとしても、
仕事の中心は人間だ。
ならばそこには「縁」と「情」が生じる。
それに気づき、
大事にした者がレースの最終覇者となるのだと思う。 
と。

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坂本仁 11年4月10日放送

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ハリール・ジブラーン

新たなスタートをきった新社会人のキミへ。

大工さんは、住む人をしあわせにしたいと思っている。
エンジニアは、使う人の毎日をゆたかにしたいと思っている。
警察官は、みんなを守りたいと思っている。
営業マンは、お客さんを笑顔にしたいと思っている。

レバノン出身の詩人、ハリール・ジブラーンは言う。
仕事とは、
「愛」を目に見えるかたちに表現することである。 
と。





安野モヨコ

新たなスタートをきった新社会人のキミへ。

春は出会いの季節だけど、別れの季節でもある。
生活リズムが変わり、仕事が忙しくなって、
恋人と別れてしまう人もいるでしょう。

でもそんなときは、次の言葉を思いだしてください。

仕事頑張ったから損、なんてことないからね。
必ず、次の恋愛に生きてくるから。 

安野モヨコは漫画「働きマン」の中でそう書く。

人を磨くのは、仕事なのかもしれない。





宮崎駿

新たなスタートをきった新社会人のキミへ。

ひとたび映画制作がはじまると、
朝9時に出社して朝の5時まで黙々と仕事をする。
食事はアルミのお弁当箱にいれてきた白米といくつかのおかず。
それを半分づつ、昼と夜に食べる。

国民的アニメーション作家・宮崎駿はそんなストイックなワークスタイルを、
数十年もつづけている。
風の谷のナウシカ、隣のトトロ、崖の上のポニョなどの名作は、
そうした努力の上で生まれてきた。

宮崎駿は言う。
才能とは、情熱を持続させる能力のこと。
だと。

生まれながらにして、スゴイことを成し遂げる運命の人なんて
きっといない。
情熱を持続させられるかいなかが、明暗をわける。
そんなことを、いつも思いながら働いていってほしい。





井筒和幸

新たなスタートをきった新社会人のキミへ。

仕事に愛情を持てれば、仕事には魂が入る。
魂が入るから人の心を動かせる仕事になる。

パッチギなどで知られる映画監督・井筒和幸はそう語る。
彼が人の心を動かせる映画をつくれる秘訣は、
どうやら、仕事への愛情にあるようだ。

キミはこれから、どんな仕事で、人の心を動かしていきますか?

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坂本仁 11年02月06日放送



サルヴァトーレ・フェラガモ

世界有数のファッションブランドの創設者、
サルヴァトーレ・フェラガモ。

足を痛めない靴をつくるために大学で解剖学を学び、
その履き心地とデザイン性で多くのハリウッドスターのお気に入りになった。

彼は言う。

美しさに限界はない。
デザインに飽和点はない。
そして靴屋が製品を飾るために使う素材に終わりはない。

サルヴァトーレ・フェラガモ。
画期的な靴をつくるために歩みつづけた人だった。








アンドレ・マルロー

「人間の条件」で知られる作家アンドレ・マルロー。
彼は、机の上で文筆活動をするタイプの作家ではなかった。

スペイン内戦では、共和国派の義勇軍にパイロットとして参加。
第二次大戦ではレジスタンス運動に身を投じ、
その功績を認められ、レジスタンス勲章も受賞している。

危険を顧みず、自らが正しいと思うほうに進んだ人、マルローは言う。

勇気というやつは、生き物なんだ。
だから鉄砲の手入れをするのと同じ理屈で勇気も手入れをしなくてはならないんだ。

勇気はキープすべきもの。
そうマルローは教えてくれる。





ギー・ラリベルテ

カナダのケベックシティの路上でアコーディオンを弾いたり、
ファイアーパフォーマンスをしていた大道芸人は、
いつしか世界有数のエンターテインメント集団の代表になった。
その芸人の名はギー・ラリベルテ。
文化・芸術・アクロバットを融合し独自の芸術表現に高めた
シルクドソレイユをつくった人。

2009年ラリベルテは3500万ドルの費用をかけて
民間人の宇宙旅行者になった。
そのときのことを、
「エンターテイナーの自分にとって素晴らしいショーだった。
 アドレナリンが放出され大いに刺激になった」
と語っている。

多くの人の心を動かすのが得意なギー・ラリベルテは、
自分の心を動かすことにも積極的だ。

さらに国際宇宙ステーションに滞在中の彼の写真を見ると
ピエロの赤い鼻をつけている。
ラリベルテは世界初の宇宙ピエロになって
水資源の大切さを訴えるメッセージを地球に送ったが
そんなときでもみんなを喜ばせることを忘れてはいない。

家族とテレビ電話をしたときも
赤い鼻をつけ、家族を楽しませていた。





マーク・ザッカーバーグ

世界中で5億人が利用する、
ソーシャルネットワーキングシステムFacebookを作った
マーク・ザッカーバーグは現在26歳。

5年前、彼は当時のYAHOO!のCEOテリー・セメルから、
10億ドルでFacebookの事業を買収したいと申し込まれた
ザッカーバーグは次のように語り、その話を断ってしまう。

 値段じゃないんだ。これは僕の赤ん坊なのさ。
 ずっと面倒をみていきたいんだ。
 自分で育てたいんだ。

26歳の若者が育てているFacebookは
まだまだ大きくなりそうだ。





伊東一雄

野茂英雄よりも早くメジャーリーグへの道を切り拓いた人、伊東一雄。

パンチョ伊東の愛称で知られる彼は、
まだ日本人の海外渡航が制限されていた20代の頃から
単身アメリカに渡ってメジャーリーグの試合を観戦。
パリーグの広報部長になってからは
仕事の合間を縫ってはアメリカの球場をまわるのが
趣味だった。

独学で学んだ英語でメジャーリーグの事務局や球場に入り浸り、
ついにはマイナーリーグクラスの選手でも
「パンチョ」の名を知らない者はいないと言われるまでになった。

ちなみにパンチョという愛称は、
メジャーリーグの関係者が親しみを込めてつけたものだという。

パリーグを退職してからは
メジャーリーグの取材活動はいっそう活発になり
プロ野球ニュースではメジャーリーグの解説を受け持った。

メジャーリーグを愛したパンチョ伊藤は、
メジャーリーグに愛された人だった。

癌に倒れたその告別式は
男の涙が多い告別式だったと伝えられている。





今西錦司

動物の生態を研究することから出発して
独自の動物社会学や進化論を提唱した今西錦司。

「ワシは好きなことしかせん」が口癖で、
日本の霊長類学を世界最高レベルまで育て上げた人だった。

晩年、岐阜大学の学長に招かれた際、
今西はこんなことを言って、その依頼を引き受けた。

 そこに山があるから、私は岐阜大学に行くのである。

生態学も動物行動学も
要は自然とそこに棲む生き物と向き合うことだ。
登山家でもあった今西は岐阜の山々が好きだったらしい。





清水幾太郎

「私はあなたの意見に反対だ」より、
「違う考え方もあるよね」と言うほうが、
目の前にいる人の意見を変えることができる。

戦後を代表する社会学者の清水幾太郎は、
著書「論文の書き方」で次のように語る。

無闇に烈(はげ)しい言葉を用いると、
言葉が相手の心の内部へ入り込む前に爆発してしまう。
言葉は相手の心の内部へ静かに入って、
入ってから爆発を遂げた方がよいのである。

彼の慎ましい言葉で書かれた数々の著作を読むと、
彼の言いたいことが心の内部に静かに入って伝わってくる。





小島秀夫

ピカソがゲルニカを描いたように、
そして、ジョンレノンがイマジンをつくったように、
小島秀夫はメタルギアソリッドをつくった。

反戦・反核のメッセージが込められたメタルギアソリッドシリーズは、
全世界で2700万本以上を売り上げた。
第3作のメタルギアソリッドはアメリカフォーチュン誌から
「20世紀最高のシナリオ」とまで賞賛されている。

ゲームデザイナー小島秀夫は言う。

ゲームは単なる暇つぶしの剣玉であってはならない。
消費したプレイ時間分の見返りが、
ユーザーの人生に還元されるモノが、
何かしら内包されていなければならない、と。

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坂本仁 10年12月11日放送



フランク・ミュラー

若い頃の挑戦より、年をとってからの挑戦のほうが難しい。

もし失敗したら自分はどうやって生きていこう。
家族は食べていけるだろうか。
様々な不安が自分を襲ってくる。

けれど、スイスでブレゲの再来と言われ、
精密で美しい時計を製作しつづけているフランク・ミュラーは
次のように言う。

 人生に挑戦するのに年齢なんて関係ない。
 そもそもこの世に時間などない。
 それは人間が勝手に作ったものだ。
 私は時計師だからそのことがよくわかる。

今、何かをはじめようとしている人、
そして自分の年齢を考えて不安になっている人は、
時計をはずしてみると、
新しい一歩を踏み出せるかもしれない。





ベーブ・ルース

野球において、ホームランは時間を止める。
ピッチャーは肩を落とし、
野手はボールを見送ることしかできず、
ただ1人打った人だけが、
ゆっくりとベースランニングする自由を許される。

そのホームランを生涯で714本も打った世界のホームラン王、
ベーブ・ルースは次のように語る。

 守備の甘いところへ打つのがコツだ。
 だから俺は場外へ打つ。

ベーブ・ルースにとっては、
ホームランを打つのは、
ヒットを打つより簡単だったのか。
そんな風に思ってしまうほど
単純で説得力のある偉大な発言だ。





中川翔子

あなたが生まれてから何日たったことでしょう。

例えば、
20歳の人は7300日。
40歳の人は14,600日になります。

歌手、タレント、女優、声優など、
さまざまな活動を楽しむ中川翔子さんは言います。

人生は3万日しかない。と。

自分が重ねていく年月を、
何歳と数えるではなく、
何日と数えてみる。
そうすると私たちはもっと毎日を大事に生きていける気がする。
もっと今を大切にできる。

中川翔子さんはそう胸に刻むことで、
きっと毎日をギザ楽しんでいるのでしょう。

あなたは今、何日めですか?





オードリーヘップバーン

 人間性の暗い側面、わがまま、強欲、不幸、そんなものが、
 私たちの空を汚し、空っぽの海にし、森を破壊し、
 何万もの美しい動物を絶滅に追い込みました。
 次は私たちの子供なのでしょうか。

1989年、ユニセフの親善大使に就任した
オードリー・ヘプバーンはそう語って
世界の痛ましい現実と戦いはじめた。

スーダン、ベトナム、バングラディシュ、南アメリカ。
安全な飲み水を確保する井戸の設置や地雷除去など、
子供たちを守るために世界中でユニセフの活動に身を捧げた。
ソマリアへは、自ら患っていた癌をおしてまで行ったという。

12月11日。今日はユニセフの創立記念日。
今もきっとオードリーヘップバーンは
天国で、世界の子供たちの未来を見守っている。








マイルス・デイビス

勉強は大切だ。
何か一つの道を決めて、
その世界を極めようと思ったら、
昼も夜も、寝ることも食べることも忘れて、
そのことを学びつづけなければならない。

けれど、それだけでは、足りないのである。

ジャズ界のピカソと言われ、
モダンジャズを牽引したトランペット奏者、
マイルス・デイビスはよいジャズを引く秘訣を問われて、
次のように言った。


 学べ。そして忘れろ。


マイルス・デイビスは、
学ぶことの重要性を説いた上で、
その先に行くためには、
ルールや常識から自らを解放しなければならないことを、
知っていた人だった。





アグネス・ゴンジャ・ボヤジュ

偉人とはなんだろう?
すごい発見をした科学者のこと?
すごい成績を残したスポーツ選手のこと?
それとも、すごい商品を作ってお金持ちになった人のこと?

カトリック教会の修道女、アグネス・ゴンジャ・ボヤジュは、
次のように言った。

 大きなことを出来る人はたくさんいますが、
 小さなことをしようとする人はごくわずかしかいません。

小さなことをしつづけたアグネス・ゴンジャ・ボヤジュ。
いつしか彼女は、マザー・テレサと呼ばれるようになった。





ノーマンメイラー

高価な靴を履いてる営業マンより、
歩き回って擦り切れた靴を履いている営業マンの方が素敵だと思う。

流行の服をいつも着ているクリエイターより、
一心不乱に絵を描く、
絵の具で汚れた服を着ている画家の方がクリエイティブだと思う。

美しく流暢な言葉で愛を告白するより、
言葉は拙くても誠実に大声で愛を告白する方が伝わると思う。

生涯で40を超える作品を残したアメリカの大衆作家、
ノーマン・メイラーは次のように言う。

 本当に大事なことのうち、
 格好をつけたままでやれることは、一つもない。

ノーマン・メイラーが、格好をつけることを忘れて打ち込んだ大事なこと。
それは、人々の記憶に残る数多くの小説を世に送り出すことだった。

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坂本仁 10年10月03日放送



①ジョゼ・モウリーニョ


 自分が世界一の監督だとは思わない。
 しかし、私以上の監督がいるとも思わない。


そう語るのは、サッカー監督・ジョゼ・モウリーニョ。
ポルトガル、イングランド、イタリアでリーグ戦を制し
チャンピオンズリーグの優勝も勝ち取っている。

モウリーニョには、他の監督が持たない能力がある。
6カ国語を話せるというコミュニケーション能力である。

自ら「私は三流の選手だった」と語る彼は、選手を引退後、
語学を勉強し、さまざまなクラブチームで通訳として働いた。
その過程で世界のスター選手たちとコミュニケーションする
語学力が育っていったのである。

三流選手であったことが、
モウリーニョを超一流の監督にしたのかもしれない。





②ロバートキャパ


20世紀を代表する戦場カメラマン、ロバート・キャパ。
数多くの戦争の第一線に飛び込み、
戦争の悲惨さを痛烈に訴えつづけた。

ロバート・キャパの有名な写真に「崩れ落ちる兵士」がある。
兵士が頭を撃たれて倒れる決定的瞬間を記録したその写真は、
インパクトがありすぎて、
やらせではないかと疑われたほどであった。


 戦争写真家のいちばんの望みは、失業することだ。


そう語るロバート・キャパは、
ベトナム戦争の取材中に地雷に触れて死亡した。
カメラを手にしたままだった。





③ディオゲネス


古代ギリシアのコリントスに高名な哲学者が住んでいた。
その哲学者は質素を好み、禁欲生活を送っていた。

ある日、その哲学者が家の前で横になってひなたぼっこをしていると、
当時絶大な権力を保持していたアレクサンドロス大王が
数名の供を連れてたずねてきた。
王もまた、その哲学者を尊敬するひとりだった。

王は哲学者の前で言った。


 余はマケドニア王アレクサンドロスである。
 ディオゲネスよ、望みを一つ言え。
 いくらかかっても構わぬ。


しばし考えた後、その哲学者は言った。


 そこに立たれると日陰になるからどいてくれ


その哲学者の名は、ディオゲネス。
彼は、人生にとって大事なのは物質的なものではなく、
心の豊かさだと考えていた。









④ブルーノ・ムナーリ


美術作家ブルーノ・ムナーリは語る。


 子どもの心を一生のあいだ自分の中に持ち続けるということは、
 知りたいという好奇心やわかる喜び、
 伝えたいという気持ちを持ち続けることだ。


彼の作品を知る人々はこの言葉に
あっ、そうかと納得する。

持ち運んだり箱に詰めたりできる彫刻。
質感の違う紙を使ってつくった、指先で感じる絵本など
ブルーノムナーリの作品は「鑑賞する」というより、
「遊ぶ」という言葉がピッタリなのである。





⑤カエサル


賽は投げられた。

重大な決定を下し物事が動きだしたという意味で引用されるこの言葉は、
誰しもが知っているユリウス・カエサルの言葉だ。

カエサルは他にも有名な引用句を残している。
「来た、見た、勝った。」
「ブルータス、おまえもか。」

あまりに有名なこの言葉とは逆に、
ほとんど知られていないこともある。
それは、カエサルが現在の本の原型を発明したことだ。

巻物からページをめくる冊子へ。
この発明のおかげで
我々は電車のなかでページをめくりながら
カエサルのガリア戦記を読むことができる。





⑥ウルリッヒ・インダービネン


一年中白銀の雪を冠するアルプスの女王マッターホルン。
4000m級の山々が連なるスイス・アルプスの女王と言われている。

そのマッターホルンには伝説のガイドがいた。
ウルリッヒ・インダービネン。
370回以上もマッターホルンに登り、
96歳まで現役のガイドでありつづけた。

ウルリッヒ・インダービネンは
アルプスの王と呼ばれていた。

垂直の壁を持つ女王も
王である人の前ではやさしくおとなしかったのだろうか。





⑦野依良治


分子とか、モルとか、エントロピーとか
そんな言葉を聞いただけで、
難しくて頭が痛くなってしまう人は多い。

けれど2001年にノーベル化学賞を受賞した
野依良治は次のように言う。


 有機化学は麻雀よりも面白い。


そう、
医薬品の製造などに絶大なインパクトを与えた
野依良治の業績の最初の一歩は
面白いと思うことからはじまったのである。


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坂本仁 10年08月21日放送



マルコ・ポーロ

飛行機もクルマも存在しない、
まだ世界最速の陸上の移動手段が馬だった時代。
17歳のマルコ・ポーロはヴェネチアを出発し
中東から中央アジアへ、
そして現在の北京にあたる元の首都まで旅をした。

それから17年間、
マルコ・ポーロは元の国の外交官として
アジアの各地を旅してまわった。
その壮大な冒険を口述したのが、
「東方見聞録」である。

「東方見聞録」の内容は
あまりに想像を絶するものだったために
はじめは誰も信用しなかった。

けれども、
マルコ・ポーロが記したアジアの富や物産は
人々の冒険心を刺激して
やがては大航海時代の目標につながっていく。

コロンブスも東方見聞録を愛読書としていたという。








山田康雄

日本を代表する声優、山田康雄。
洋画では、
クリントイーストウッドやジャン・ポール・ベルモンドの吹き替えとして知られ、
アニメではルパン三世の声優として長い間多くの人に愛された。

そんな山田康雄には、
新人声優たちを指導する際の口癖があった。

声優を目指すな。
役者を目指せ。
演技は全身でするものだ。

彼は現実の世界で、知識と経験という宝を若い声優たちに与えつづけた人だった。





ロベルト・バッジョ

イタリアを代表するサッカー選手、ロベルト・バッジョ。
現役を退いてなお、
世界中にファンを持つ彼が、以前、
ドーピングについて語ったことがある。

僕の知っているドーピングはただひとつ、
努力だけだ。

絶対に負けたくないという強い気持ちがあれば
そのために
「努力」という方法を選ぶこともできる。

ファタジスタと賞されたロベルト・バッジョ華麗なプレーも
日々の練習に支えられていたのだから。





ライト兄弟

1903年12月17日。
その飛行機は浮き上がったかと思うと、
今度は地面に向かって急降下した。

世界ではじめて人類が飛行機で飛んだのは、
わずか12秒だった。

しかしそれは、
人類が長い間抱いていた夢を叶えた12秒であり
空気よりも重い機械を使って空を飛んだ世界最初の成功例でもあった。

ライト家の三男、ウィルバー・ライト。
四男オーヴィル・ライト。
人類初の動力飛行という偉業を成し遂げたライト兄弟は、
大空を飛ぶためにすべてを捧げた。

オーヴィル・ライトは
こんな言葉も残している。

「飛行の興奮はあまりに強烈で喜びが大き過ぎるので
 スポーツとは認められない」





松本英彦

戦後の日本のジャズ界をリードした世界的テナーサックス奏者、松本英彦。
眠そうに目を閉じながら、
とろけるような音色を奏でることから、
スリーピー松本と呼ばれた。

2000年にこの世を去った松本英彦は、
現在、京都にあるお墓に眠っている。

そのお墓には、
スイッチを押すと彼の演奏が流れるという、
ユニークな仕掛けがある。

紫綬褒章、勲四等旭日小綬賞を受賞したジャズマンは
目を閉じてもなお
訪れる人と共にスウィングしている。





ヘミングウェイ

一日のうち、何かを待っている時間は意外と多い。
そして、私たちは一日何度も苛立ちを感じている。

けれど、
「武器よさらば」、「老人と海」などで知られるノーベル賞作家、
アーネストヘミングウェイの言葉は、
そんな苛立ちをゆとりへと変えてくれる。

魚が釣れない時は、
魚が考える時間をくれたと思えばいい。

なかなか来ないエレベーターだって、
いつも遅刻してくる友人だって、
そして渋滞だって、
考える時間をくれているのだ、
そう思えれば、きっと毎日は楽しくなる。





リュミエール兄弟

1895年、パリのグランカフェで
ある人はコーヒーをこぼし、
ある人は外に向かって逃げ出し、
ある人は腰を抜かした。

人々が目にしたのは、世界初の映画上映。
リュミエール兄弟の作品のひとつ、
「シオタ駅への列車の到着」だった。

駅のホームに蒸気機関車がやってくる情景を
ワンカットで映した単純なショートムービー。
しかし、スクリーンで映像を見たことがない人々を
驚かすには十分だった。
その場にいたすべての人が、
本物の蒸気機関車がカフェに突っ込んできたと思ったという。

映画をつくった人はたくさんいる。
けれど映画というジャンルをつくった人は、
リュミエール兄弟以外にはいない。

映画というエンターテインメントの世界を切り拓いたリュミエール兄弟。

その名にあるリュミエールという言葉が、
フランス語で「光」を意味することは、
偶然にしてはできすぎているのかもしれない。

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坂本仁 10年06月26日放送



松本清張

彼は、生涯で何百人もの人間を殺した。
また数多くの犯罪者を見つけた。

犯罪者の心の闇に焦点をあて、
人間の本質を見事に描いた小説家松本清張。

空前の執筆量
相次ぐベストセラー
そして所得番付では作家部門のトップになったが
文壇での評価は本の売れ行きとは反比例する傾向にあった。

でも、清張は気にしなかった。

「小説が面白すぎると批評家のけいべつを買うようだ」

そう語ると、また次の作品を書きはじめた。







クリントイーストウッド

世界的な俳優・映画監督、Clint Eastwood。
彼の名はアナグラムで
「懐かしい西部劇」を意味する「Old West Action」になる。

西部劇のスターからダーティハリー、
そして、反戦、非暴力を訴える映画監督へ
老いてなお映画の世界を開拓する現代のカウボーイは、
人生という荒野の歩き方を次のように教えてくれる。

I don’t believe in pessimism.
If something doesn’t come up the way you want, forge ahead.
If you think it’s going to rain, it will.


「思い通りに行かなくても先に進もう。
 雨になると思ったら本当に雨が降るものだ」





スクリスチャン・ルブタン

この世でいちばん官能的な靴とは?
その答えは、今、きっとクリスチャン・ルブタンだ。

鮮やかなレッドソール。
大胆なカッティング。
その独創的な靴のつくり方をルブタンは次のように語る。

「デザインしているときに、
思い浮かべるのはヌードの女性なんだ。
一番良いのはショーガールだね。
彼女たちは裸でヒールを履いているから。
服は僕の志向を邪魔するんだ」

ファッションではない
ましてやドレスの付属品でもない
そんな視点から靴を見る時代が来ているのかもしれない。





ピエルルイジ・コッリーナ

ゴールを決められるわけでもない、
キラーパスを出せるわけでもない。
にもかかわらず、
世界中のサッカーファンから世界一と評された男がいる。

ピエルルイジ・コッリーナ。

イタリアのサッカー審判員だった彼は
的確なレフェリングで多くの重要な試合を担当し、
5年連続でFIFA最優秀審判員に選出された。

コッリーナが審判の定年規定の45歳を迎えた時、
サッカー協会は彼の功績を認め、
特例として定年後も審判を続けてほしいと依頼した。

しかし、彼は次のように言った。

「審判はルールを守らせる存在だ。
だからわたしもルールに従うさ」と。

イタリアの審判2万5千人のうち
セリエB以上で審判をつとめるのはたった35人
優れた審判員になるのは、もしかしたら
選手になるよりむづかしいのかもしれない。





ポール・ウェルストン

あなたは自分以外の人すべてを敵に回しても、
自分の信念を貫けるだろうか。

アメリカの上院議員ポール・ウェルストンは、
2002年のイラク戦争決議の際、
ただ一人反対票を投じた。

誹謗中傷が毎日のように彼を襲い、
臆病者と多くの人に揶揄された。


反戦活動の志半ばで
しかも選挙活動のさなかに謎の航空機事故という
無念の死を迎えたウェルストン。
今、彼を臆病者と言う者はいるだろうか。





水木しげる

漫画家水木しげるは代表作「ゲゲゲの鬼太郎」で
本来ならば恐ろしい姿をしているはずの妖怪を
不思議なほど人間臭く描いている。

ねずみ男、猫娘、砂かけ婆
一反木綿に子泣き爺

欠点も弱点も充分すぎるほど持ち合わせている妖怪は
とぼけたユーモアがあり、子供たちにも愛された。

さて、そんな妖怪たちを紹介する
水木しげるの「妖怪画談」にはこんな言葉があった。

春はあけぼの。夏は化けもの。

おとぼけとユーモアは
水木しげる本人の持ち味らしい。





シュリーマン

可能性が0に近いことに挑むときは
どうすればいいのだろうか。
考古学者ハインリッヒ・シュリーマンが
その答を教えてくれる。

シュリーマンは
ホメロスの叙事詩が単なる神話でないことを
発掘によって証明した人物だ。

子供の頃に読んで感動したホメロスの叙事詩。
その物語の中にあるトロイア遺跡の存在を証明するために
シュリーマンはまず商社マンになり、財産を築いた。

42歳になるとすべての事業から手を引いて
考古学者になるための準備をはじめた。
2年間の世界旅行、そしてソルボンヌ大学へ入学。

トルコのヒッパロスの丘に最初の鍬を入れ
トロイア発掘に乗り出すのはシュリーマン48歳のとき。
そして3年後、
トロイアと、それより1000年も古い古代エーゲ文明の遺跡も発見してしまう。

目的を持った人生の道は
ゆっくり確実に歩けばいい。
シュリーマンの人生がそう語っている。



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古田組・坂本仁 参戦





上の写真は2005年カンヌヤングクリエイティブコンペティション
応募作品です。

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