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薄組・小野麻利江

小野麻利江 17年3月26日放送

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風の話 「明日は明日の風が吹く」

 明日は明日の風が吹く。

映画「風とともに去りぬ」を
締めくくる日本語訳として、
あまりにも有名なこのフレーズは、

幕末の歌舞伎狂言作家・
河竹黙阿弥の作品の中の言い回しが
ルーツだと言う説がある。

スカーレット・オハラの前向きさが
江戸っ子の気風の良さとつながるとは、
今になってみると、
実に不思議な、風の吹き回しだ。



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小野麻利江 17年2月26日放送

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手のはなし 柳宗悦の「手仕事の日本」

「手仕事」と呼ばれる、人の手による生活道具。
それはかつて、日本人の暮らしに欠かせないものだった。
その美しさに魅了された
民藝運動家・柳宗悦(むねよし)は、
20年近い歳月をかけて、日本中の手仕事を記録した。

太平洋戦争中に編纂され、
検閲や戦火をなんとかかいくぐり、
戦後に上梓されたのが、『手仕事の日本』。

その本の中で、柳は手が持つ効用を、
このように語っている。

 そもそも手が機械と異なる点は、
 それがいつも直接に
 心と繋がれていることであります。


今や21世紀も、17年目。
テクノロジーが支配する「未来」かと思いきや、
私たちはあらゆる手段を使って、
心の繋がりを求めている。

時がどれだけ経ったとしても。
私たちは何度でも、
柳が説く「手仕事が持つ本質」に
立ち返るのかもしれない。


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小野麻利江 17年1月29日放送

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宇宙のはなし ウイリアム・アンダース

人類史上はじめて
月の周回軌道上を有人飛行した、アポロ8号。

ミッションの途中、クルーたちは
月の地平線上を、青く美しい地球が昇る様子を
目の当たりにした。

「日の出」ならぬ「地球の出」。
その様子を撮影した宇宙飛行士、
ウィリアム・アンダースは、こんな言葉を残している。

 我々は月を探索するためにここまでやってきた。
 しかし、最も重要な発見は地球そのものだった。



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小野麻利江 16年12月25日放送

161225-04 Dan Lacey
ことばの贈りもの マザー・テレサ

もしも今日、あなたの周りに
不機嫌そうな顔をした人が
いるとしたら。

マザー・テレサのこんな言葉を
贈ってみてはどうでしょう。

 平和は 微笑みから始まる。

もしもそれでも、
不機嫌そうな顔が直らなかったら。

微笑みから始まる平和を、
あなたからその人に
贈ってみてください。


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小野麻利江 16年12月25日放送

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ことばの贈りもの 横浜市営バスの運転手さん

昨年、横浜市を走るバスの車内で
赤ちゃんが突如ぐずりはじめた。

母親が懸命にあやしながら、
周りに頭を下げつづけていると、
こんな車内アナウンスが流れてきた。

 お母さん大丈夫ですよ、
 赤ちゃんですから気になさらないでください。
 きっと眠いか、お腹すいているか、
 おむつが気持ち悪いか、
 暑いかといったところでしょうか。


運転手のその声かけで、
車内の空気は一瞬にしてなごんだという。

一人の母親を孤立させないための、
ことばの贈りもの。
ニュースにも取り上げられ、
たくさんの人の心を温めた。


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小野麻利江 16年11月27日放送

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のりものの話 サントーリオ・サントーリオと体重計

現代人、とくに女性にとって
いちばん怖い「のりもの」。
もしかするとそれは、体重計かもしれないが、
中世イタリアの医師 サントーリオ・サントーリオは
一日中、体重計にのって生活をしたという。

食事から排泄まで。
大きなハカリ型の体重計の上ですべて行い、
結果、栄養分が身体の中で
代謝されていることを証明した。

「測るだけダイエット」が定着した現代だが、
サントーリオにあやかった「測りっぱなしダイエット」、
試した場合、効果のほどは如何ほどだろうか。


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小野麻利江 16年11月27日放送

161127-08 Pastel
のりものの話  松任谷由実と「かんらん車」

遊園地のランドマークとして
愛される乗り物、観覧車。
その反面、乗る人のいない観覧車は
物悲しさのメタファーとして
強い力を持っている。

中でも松任谷由実の「かんらん車」は、
失恋した主人公の気持ちを
人もまばらな遊園地の情景に託した名曲だ。

 私だけ 冬空の旅人
 地上に戻る頃 世界が止まる


別れの虚しささえ、美しく縁取る(ふちどる)。
観覧車の魅力は、奥深い。


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小野麻利江 16年10月30日放送

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お風呂のはなし ベルツ博士が愛した草津温泉

中世から湯治場として名を馳せる、
群馬県の草津温泉。
明治時代、この温泉に取りつかれた
ドイツ人がいた。

エルヴィン・フォン・ベルツ博士。
明治政府に招かれ、現在の東大医学部で医学を教えていたが、
草津を初めて訪れたわずか2年後、
現地に約6000坪の土地と温泉を購入。
温泉保養地づくりを目指すとともに、
伝統的な湯治療法「時間湯(じかんゆ)」を研究。
論文にまとめ、優れた効能を世界に紹介した。

ベルツ博士は草津温泉を、こう評している。

 草津には素晴らしい温泉以外に、
 日本で最上の山の空気と、
 理想的な飲料水がある。
 もしこんな土地がヨーロッパにあったら、
 カルロヴィ・ヴァリ温泉よりも
 にぎわうことだろう。



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小野麻利江 16年10月30日放送

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お風呂のはなし イザベラ・バードが視た湯元温泉

19世紀イギリスの冒険家、イザベラ・バード。
彼女の旅行記の中には、詳細な数値が数多く登場する。
科学的な目で見て、伝える。
それがバードの信条の一つだった。

1878年5月、日本を旅しはじめたバード。
6月には奥日光の「湯元温泉」にたどり着く。
初めて見る日本の湯治場に驚いたバードは、
その様子を、こう記している。

 この湯の温度は華氏130度であるが、
 湯が村まで蓋のない木の樋(とい)に沿ってゆくと、
 ただの84度となる。
 湯元は四千フィート以上の高さにあり、非常に寒い。


 ところどころに広い板が渡してあり、
 リューマチに悩む人々は、何時間もその上に横になり、
 硫黄の蒸気を身体に当てる。


バードの真骨頂とも言うべき、精緻な描写。
明治初期の温泉街の活況は、
当時のイギリス人読者のみならず、
現代の私たちにとっても、貴重な資料となっている。


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小野麻利江 16年9月25日放送

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服のはなし 黒柳徹子の「徹子の部屋」の衣装

放送10,000回を超えるトーク番組『徹子の部屋』。
黒柳徹子はそこで、同じ衣装を2度着たことがない。

洋服をお客様に合わせることで、より心を開いていただき、
良いお話を伺えるのではないか。
そんな思いから、用意もすべて自前だという。

1度のゲストのために、1度しか着られない衣装。
それらは1年ごとにオークションに出され、
得られた収入は、親と暮らせない子どもたちを
支援する団体に寄付されている。

 だから、もう1度着たいなあと思っても、
 着ることはありません。
 私の衣装が子どもたちのお役に立つことの
 ほうがうれしいから。


自分のためだけではなく、人のためを想う服。
黒柳は今日も、そんな服をまとい続ける。


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