寒さの季節に 後藤正文
あの日も寒かった。
東京にいる自分は何もできなかった。
今でも震災後の無力感を思いだす。
ミュージシャン、後藤正文はそう呟く。
たとえ何もできなくても、
何かしたいという小さな想いを持ち寄れば、
「何か」に辿りつけるんじゃないか。
そう考えて、未来を語る言葉を集めることにした。
中世ヨーロッパの吟遊詩人達は、
さまざまな国を渡り歩いて情報を伝達する
新聞のような役割を担っていた。
音楽家である自分がその役割を再現できるんじゃないかと考えた。
未来を考える誠実な声が、ひとつふたつと集まってくる。
紙に刷って、無料で配り歩いた。
新聞の名前は『The Future Times』。
未来とは、わたしたちの声である。
中村組・三國菜恵
三國菜恵 18年1月20日放送
三國菜恵 18年1月20日放送
NanakoT
寒さの季節に 月山志津温泉
出羽三山へつづく道へ車を走らせる。
6mの雪壁をくぐり抜けると、
雪でできた旅籠がぼんやりと光っている。
幻想的な風景が人気の、
山形県にある月山志津温泉。
江戸時代に宿場町だったこの街の風景を
雪で再現できないかと
若者たちが試したのがはじまりだった。
雪旅籠をつくるルールはひとつだけ。
雪を無理やり積み上げるのではなく、
初雪の頃から自然に積もった雪を掘り込んで形づくること。
雪旅籠の街並みは、2月が終わりに近づく頃に10日間だけ現れて消える。
三國菜恵 17年10月28日放送
よりよき世界の破片たち 伊藤菜衣子
注文の多い夫と暮らして
日々のありかたを模索するうちに、
これは冒険なんじゃないかしらと気づいた。
暮らしかた冒険家・伊藤菜衣子(いとうさいこ)。
これまでの暮らしの常識を見直し、
これからの暮らしかたとは何かを探っている。
夫婦で住む場所を探す旅にでて、
たどりついたのは北海道の地だった。
DIY を繰り返していくうちに、断熱性と気密性の高い、
リノベーションハウスができあがった。
2040年には、日本の40%が空き家になる。
「ないものねだりより、あるものみっけの暮らしかた」
そういう感覚がこれからきっと大事になると伊藤は語る。
三國菜恵 17年10月28日放送
zacktionman
よりよき世界の破片たち 森栄喜
LGBTという言葉がうまれるずっと前から、
男と男の愛情も、女と女の愛情も、普遍的にそこにあった。
でも、いまの自分はまだセクシャルマイノリティ。
そう公言する写真家・森栄喜(もりえいき)は、
写真を通じて、家族とは何か、恋人とは何か、
社会に問いを立ててきた。
森は、時に、街の人にもシャッターを押してもらう。
ウエディングドレスを思わせる
白い衣装に身を包んだ男性二人を、
商店街の通りすがりの、老夫婦が撮る、小学生が撮る。
そこには森と、パートナーの、くったくのない表情がきざまれる。
世界が変わることは、私達が変わることだと、その作品は教えてくれる。
三國菜恵 17年7月15日放送
ryumu
妄想、あるいはエネルギー 横澤夏子
同窓会の帰りにはかならず泣いてしまう。
吉本芸人・横澤夏子は18歳のときに上京。
地元で就職はせず、芸人の道へすすんだ。
彼女が選べなかった方の人生が、彼女はうらやましい。
「地元のOLの友達に負けたくない」という気持ちが、
なぜだかずっとぬぐえない。
大学を卒業して、社会人の肩書きを得ること。
地元の子と結婚して、実家のお墓を守ること。
恋愛に疲れたと言えるほど、たくさん恋愛してみること。
地元に置いてきたものすべてがまぶしく見えるから、
同窓会の帰りにはかならず泣いてしまう。
帰らなければ傷つきはしないけれど、
そこで得る反動のエネルギーが、ふしぎな原動力になる。
三國菜恵 17年7月15日放送
月、あるいはタンパク質 Spiber
クモの糸が繊維になる。
そんな夢のような話を実現させてしまった企業がある。
山形県鶴岡市に拠点を置くカンパニー、Spiber(スパイバー)。
クモの糸の成分であるタンパク質は、
アミノ酸との人工合成によって多様な繊維をうみだせる。
そのポテンシャルに着目して、開発に踏み切った。
石油に変わる繊維として注目され、
2016年には、アウトドアブランドのTHE NORTH FACEと共に
アウタージャケットを開発した。
金色に輝くジャケットは、
MOON PARKAと名付けられた。
持続可能な環境をめざす、人類の夢がそこに光っている。
三國菜恵 17年3月25日放送
花ひらく 青島幸男と植木等
サラリーマンになりそこねた男、青島幸男。
同級生が就職していく中、病床で寝ているしかなく、
ルサンチマンがたまっていった。
そしてこんな詞を書く。
「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ」
『スーダラ節』と名付けられた
その歌を歌うことになったのは、
サラリーマンと無縁の、住職の息子、植木等。
こんな下劣なことばは歌えないと悩み、父親のもとへ。
すると父はこう言った。
この、「判っちゃいるけど止められない」って歌詞は素晴らしい。
人間てものはな、皆判っちゃいるけど止められないものなんだ。
こうなるはずじゃなかった。
そんな二人が出会い、昭和のテレビスターとして花開いた。
三國菜恵 17年3月25日放送
花ひらく 井上陽水
東京に来たのは、
グループサウンズの終わりの頃だった。
「ACB」というジャズ喫茶によく行っていた。
そこは自分のステージではなかったけれど、
時折、楽屋にいるメンバーから「歌っていいんだよ」と
声がかかることがあった。
客席はまばらで空いていたけれど、
気持ちは歌いたい盛りだった。
当時珍しかったリバーブのかかったマイクで歌うのがうれしかった。
そう語ったのは、シンガーソングライター井上陽水。
グループサウンズブームの終わりに、ひとりでステージに立った日から、
新しい歴史が動き出していた。
三國菜恵 17年1月14日放送
Vincent_AF
ひとりとひとり 久世光彦と向田邦子
1960年代から80年代にかけて、
数々のヒットドラマをうみだした二人がいる。
演出家・久世光彦と
脚本家・向田邦子。
二人は何でも一緒につくった。
そして、よく電話を掛け合った。
久世は、大事な資料を無くした時に、
まず向田に電話を掛ける。
向田は、何かを思いついた時、
必ず久世に電話を掛ける。
久世は、向田が遅刻する時、
言い訳のバリエーションが少ないことを知っていた。
向田は、乳がんが見つかった時の不安を、
電話先の沈黙で久世に伝えた。
替えのきかないその関係を、久世はこんな言葉で表している。
もし、あなたのまわりに、長いこと親しくしているくせに、
指一本触ったことがない人がいたら、
その人を大切にしなさい
三國菜恵 17年1月14日放送
ひとりとひとり 坂本龍一とNIGO
テレビの中で、雑誌の中で、
「この人、なんかいいな」と感じる人がいる。
そう思うのは芸能人同士であっても同じである。
作曲家・坂本龍一はある人のことが気になっていた。
アパレルブランド、A BATHING APEの
クリエイティブディレクターして知られるNIGO。
坂本は自身のトークショーのゲストにNIGOを招いた。
ほぼ初対面だったけれど、ある話題をきっかけに、
ふたりの会話の距離はぐっと縮まる。
子どものころ、家に百科事典があって、
読んではいないけれどあの存在感が好きだった
狭いツボを共有できて「やっぱり」と思った坂本は、
そのあとすぐ、連絡先を教えてと言った。