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三國菜恵 12年2月5日放送

寿
野球をおもしろくした男たち/高畠導宏

落合博満選手、イチロー選手、小久保裕紀選手。
プロと呼ばれる人たちは
何か特別な才能に恵まれているように見える。

けれども、
彼らをずっと育ててきたバッティングコーチ
高畠導弘(たかばたけ みちひろ)は
「才能」というものについて、ただひと言、こんなふうにあらわした。

才能とは、決してあきらめないこと。




野球をおもしろくした男たち/ある少年

異なる野球リーグの人気選手同士が
一晩限りのドリームチームを結成するオールスター戦。

このイベントは
1933年、シカゴ万博のスポーツ記念行事としてはじまった。
そのきっかけは、ある一人の少年のこんな手紙だったとされている。

カール・ハッベルが投げて、ベーブ・ルースが打つ。
そんな夢のような試合が見たいのです。

この手紙に心を動かされた
当時の担当者アーチ・ウォード氏は、実現に向けて尽力。
結果、5万人もの観客を集める大イベントになった。

少年の素直な願望は、野球の世界に
新しいたのしみをもたらしたのだった。

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三國菜恵 12年2月5日放送


野球をおもしろくした男たち/嶋田宗彦

和歌山県・箕島(みのしま)高校出身の野球選手、
嶋田宗彦(しまだ むねひこ)。

彼が出場した、1979年 夏の甲子園は
歴史にのこる名試合だったと言われている。

対戦相手は、石川県の名門・星稜(せいりょう)高校。
両者同点のまま迎えた、延長12回。
星稜高校が1点を追加、箕島高校は窮地においこまれる。

敗戦ムード一色の中、打順がまわってきた嶋田選手。
彼は、ベンチじゅうに聞こえる声でこう叫んだ。

「カントクーッ、ぼく、ホームラン、狙ってもええですかー!」

そのことばに、誰もがハッとおどろいた。
次の瞬間、チームメイト達が顔をあげると
レフトスタンドをめがけてホームランボールが飛んでいた。

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三國菜恵 11年12月04日放送


男たちは旅をする/椎名誠

本場のラーメンを求め、中国へ。
プロレスを観に、メキシコへ。
犬ぞりをしに、アラスカへ。
海を見に、ベトナムへ。

さまざまな理由を見つけては
あちこちに旅へと出かけてしまう作家、椎名誠(しいなまこと)。
自らを「旅する作家」と称するほど旅好きの彼に、
いままで行った中でいちばん好きな場所を聞いてみた。

いちばん好きなところは
やっぱりパタゴニアと新宿の居酒屋だなあ

あたらしい場所であたらしいものと出会えるのも、旅のいいところ。
いっぽうで、いつもの場所の大切さに気づけるのも、
旅のいいところかもしれない。




旅と男/倉岡裕之

山岳ガイド、倉岡裕之(くらおかひろゆき)。
世界の山々を旅した彼だが、
何度登っても山への不安は消えないのだという。
けれど、この不安感こそが大切なのだという。

心配するからこそ、
すべての危険を乗り越える解決策を見出す

不安は、試練を大胆に乗り越えるために必要なものなのだ。




男たちは旅をする/沢木耕太郎

「深夜特急」などの代表作で知られる作家、
沢木耕太郎(さわきこうたろう)。
彼は、あるときユーラシア大陸を旅した。
目的をもたず、期限も設けず。
いつを旅の終わりにするかは自分次第だった。

沢木は、旅を終えるにふさわしい場所を探していた。

そこが夢のような景勝地や桃源郷である必要はないが、
どこか心に深く残る土地であってほしい

そう思っていた。

そして、沢木の旅は
ユーラシア大陸のいちばん端、
ポルトガルのサグレスという町で終わりをむかえる。

水平線にはいままさに昇ろうとする朝日が輝いていて、
そこで朝食を食べていたときに、
ふと「帰ろう」と思ったのだという。

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三國菜恵 11年11月20日放送


言葉のはじまり/ある映画の翻訳チーム

1953年公開のハリウッド映画『Terminal Station』は
恋愛映画の名作として知られている。
この作品が日本で公開になる際、
原題の雰囲気にふさわしい日本語が当時見あたらなかった。

そこで翻訳チームの面々が頭をひねって、
こんなことばをつくりだした。

Terminal Station.
“終着駅”。

映画らしい情感あふれるその言葉は、
のちに歌謡曲や小説のタイトルとしても
多く使われるようになる。




言葉のはじまり/吉田松陰

自分のことを“僕”と呼び、
相手のことを“君”と呼ぶ。

この“僕”と“君”ということばを最初に使ったのは、
松下村塾をつくった吉田松陰であると言われている。

「下僕」ということばがあるように、
“僕”は自分のことをへりくだって言う表現。

いっぽう“君”は、
「君主」ということばがあるように、相手を立てた表現。

松下村塾出身の高杉晋作は、
奇兵隊を結成した際、この考え方を導入した。
ひとりひとりがどんな身分であろうと、
自分のことを“僕”と呼び、相手を“君”と呼ぶことでお互いに敬意を表す。

武士と町人、農民が
身分にとらわれず共に戦う奇兵隊にとって
身分を超えた呼びかたはぜひとも必要なものだった。


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三國菜恵 11年11月20日放送


言葉のはじまり/城戸四郎

映画会社「松竹」の元社長・城戸四郎(きどしろう)。
小津安二郎や山田洋二らを映画界におくりだした彼は、
まさに映画の黄金時代を築きあげた、名プロデューサー。
いわゆる、先見の明がある人物だった。

1928年、城戸はアメリカへ渡り
「トーキー」をはじめとするたくさんの映画を目にする。
そのとき、こんなことを思ったという。

これからの女優は顔だけではなく、
からだ全体のプロポーションがよくなくてはいけない。
なかでも脚がポイントだ。

城戸は帰国後、女優のオーディションを開催。
こんなことばで呼びかけた。

“脚線美女優”募集。

“脚線美”ということばがこのとき生まれた。
ミニスカートブームが起こる、はるか30年も前に
城戸は「女性の新しい魅力」について見ぬいていた。

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三國菜恵 11年10月2日放送


ガンディーとキリスト教徒の人

自分とまったくちがう信念の人を
友だちに持つことはできるだろうか。

ヒンドゥ教徒だったガンディーは、
キリスト教徒の人とも交流をもっていた。
彼らがすすめる本を、つぎつぎと読み、
礼拝にもいっしょに参加していた。

そんなある日、
熱心なガンディーに彼らは言った。
君もキリスト教徒になりなよ、と。

けれども、ガンディーは自分を見つめた結果、
その誘いを断ってしまった。
そのときのことを、彼はこう振り返る。

彼らがわたしの心のなかに
宗教的な探究心を目覚めさせてくれたことは、
一生の恩として忘れることができない。
わたしはつねに、彼らとの交流を思い出すだろう。



ガンディーと一冊の本

なにかどうしようもなく助けがほしいときに
「神様」の名前を呼んでしまったこと、ありませんか。

ガンディーも、神のありかについて
考えつづけたひとだった。
そして彼はあるとき、運命を変える一冊に出会う。
その本は、こんなタイトルだった。

『神の国は汝自身のうちにあり』

あなたを救うものはきっと、あなた自身のなかにある。




ガンディーと手紙

ガンディーは18歳のときイギリスに留学していた。
そこで出会ったある人に、
ガンディーはとにかくお世話になる。
日々の食事から、友だち探し、そして、女の子の紹介まで。

しかし、実はこのときガンディーには妻がいた。
「勉学にはげむ留学生に恋人がいるはずない」と思われていたので、
言い出せなかったのだ。

真面目なガンディーは
このことにたえられなくなり、
事実を明かそうと決めた。

彼がえらんだ手段は、手紙。
相手を傷つけないよう、
できるだけ誠実に伝えられるよう、
何度も、何度も書き直したという。

その手紙を受けとった人からは、こんな返事がきた。
「ウソのない手紙をもらってうれしい」

うまく伝えきれない気持ちは、
一言一句、ゆっくり、紙にしたためて伝えればいい。



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三國菜恵 11年8月14日放送


前を向く言葉/仁木ふみ子

1964年。
戦争がおわり、少し落ち着きをとりもどした日本では
教育に対する新しい試みがはじまっていた。

大分県立別府青山高校。
受験を目的とする進学校で、しかも女子校だった。

何もかもが真新しいこの学校に赴任してきたのが、
教員・仁木ふみ子。

スターターメンバーとして
一から学校を「つくる」権利をあたえられた彼女は、
これから入ってくる一期生に向けて、
入学式のしおりに、こんな言葉を添えた。

教えるとは希望を語ること、
学ぶとは誠実を胸にきざむこと

学校の「これから」を
たしかに指し示している言葉だった。

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