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古田彰一

八木田杏子 12年3月17日放送

Philofoto
イラリア・ヴェントゥリーニ・フェンディ

フェンディ創始者の孫娘、イラリアは
モードの世界に疑問を抱いた。

コレクションに発表したら、
翌日はもう古いものになる。

タイトな時間感覚から離れて、
農場経営をはじめたイラリアは、
ファーストレディが手にするバックをうみだす。

ブランドのテーマは、
not charity, just work

アフリカの女性たちの自立支援として、
ミシンを配り、廃材でバックをつくる。
イラリアのデザインで、美しく仕上げていく。

モードへの疑問と
フェンディで磨いた腕をもつ
彼女だからできること。

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井手康喬 12年3月17日放送


たこ八郎

 迷惑かけて、ありがとう。

これは、コメディアン、たこ八郎の言葉。

ボクサー時代にうけたダメージが原因で、
終生パンチドランカーの症状に悩まされた彼。

言語障害やおねしょ。

彼は誰かに面倒をかけるたび、
申し訳ない、と思う以上に、
助けてくれたことへの感謝を伝えたかった。

 迷惑かけて、ありがとう。

その言葉には、当時国民的に愛された彼の、素朴なキャラクターが生きている。




植木等

実は超がつくほどの真面目だった、俳優・植木等。

かの「スーダラ節」のでたらめな歌詞を渡された時、
真面目な自分にこの歌が歌えるか、彼は大いに悩んだ。

そのとき、住職だった父親の一言でふんぎりがついたのだという。

 ”わかっちゃいるけどやめられない”
 この歌詞には、親鸞上人の教えにも通ずる、人間の真理がある。
 いい歌だから、がんばって広めなさい。

真面目に、能天気をやること。
高度成長期の男たちに、大きな共感を与えた歌のはなし。



HAPPYBOX
美輪明宏

美輪明宏、17歳。
その日は、まさに人生どん底の日だった。
店をクビになり、泊まるところもない。
どしゃぶりの雨の中を、ただ、力なく歩き続けていた。

こんなときこそ、夢をもてる歌を。
そう思い、シャンソンの「バラ色の人生」を歌いだす。
前向きに、声高に歌っているときだった。

横を走るトラックが泥水をはねる。
泥水が、口や目の中に入った。
その、バラ色の人生を歌っている口の中へ。

はりつめていた気持ちがゆるみ、座り込んで泣き出す。
彼は誓う。
いつか大きなステージで、満員の観客で、もういちどこの歌を。

その後、美輪は念願のヒット曲を生み、
日比谷公会堂の満員のステージに立っていた。
アンコールの演目は、あの日歌った「バラ色の人生」。

人生は、マイナスだった分だけ、プラスがある。
彼が信じていたその法則を、身を持って証明した瞬間だった。




アンリ・カルティエ=ブレッソン

20世紀を代表する写真家、
アンリ・カルティエ=ブレッソン。

美しい構図の中に物語が広がってゆく、
まるで一枚の映画のような写真を撮る天才。

彼が撮った、マリリン・モンローのポートレートがある。

あのセクシーな、アイコン化された彼女ではない。
こちらを向いて優しく微笑む、ブロンドの女性がいるだけ。

でも、どんな彼女の出演作を観るよりも、彼女のリアルがよくわかる。
これが、写真というものさ。
その一枚を通して、彼は私たちにそう語りかけてくる。





kirainet
荒木経惟 1

アラーキーこと、写真家・荒木経惟の撮る写真には、
カメラの日付機能をつかった日時が入るのが特徴である。

私小説こそ、もっとも写真に近いもの。
彼は写真をそう考えているからだ。

うまい写真の撮り方について、彼はこう指南する。

 写真はその日の刹那さですから、
 毎日シャッターをおすこと。

人生を撮る、ただそれだけ。

シンプルに感じるか、難しく感じるか。
それは、その写真家の人生しだい。



stunned
荒木経惟 2

90年代、ケータイにカメラがついた
2000年代にはいると、撮った写真を
瞬時に世界と共有できるようになった。

世界中の誰もが、カメラマンになっていく。

そんなライバルだらけの時代をむかえても、
アラーキーこと、写真家・荒木経惟は、
アタシは天才だから大丈夫、と言い切る。

 人生のリアルとかが写っちゃうんだ、あたしの場合は。

そう語る彼の自信の根っこにあるのは、一枚の写真。
新婚旅行で訪れた柳川での川下りの途中、ゴザをしいた船底で丸まって眠る妻。

明るい未来へむかうはずの新婚旅行の写真に、
「黄泉の国へむかう船の上で、すやすやと眠る胎児」が写ってしまった。

 自分でも思いがけない瞬間が写ってる。
 そういうのが、神がくれるプレゼントなんだな。それが、天才っての。

いままで出した400冊以上の写真集。
そのすべての写真を名作と言ってのける天才は、
世界中の誰よりも、神に愛された写真家なのかもしれない。

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八木田杏子 12年2月18日放送


ミシア・セールの芸術

19世紀のパリで
社交界のミューズとよばれていた、ミシア・セール。

ココ・シャネル、ロートレック、ディアギレフ。
当時、芸術を志す人々はミシアのサロンに集まり
作品を生み出していった。

ミシア自身も才能のあるピアニストといわれ
ドビュッシーやラヴェルと共演もしているが
彼女の名声はもっぱら
多くの芸術家のパトロンとしての活動にある。

ピアニストとしてのミシア・セールは
輝く星のひとつだったかもしれないが
パトロンとしてのミシアは
多くの星々を引きつけている渦の中心にいる。




ミシア・セールの女友達

パリの芸術家たちから、
社交界のミューズとよばれていた、ミシア・セール。

彼女の親友だった
ココ・シャネルはミシアをこう語る。

彼女はひとの悪口を言わずにおれないたちなのだ。
それでいて、誰かに何か言ったり、
他人に悪いことをしたりすると、
たちまちこわくなって、犠牲者のところへかけつける。
たっぷり愛情をそそいで、言い訳をする。

朝からミシアがやってくると、
ココ・シャネルはこう言って迎えたそうだ。

昨日、わたしのことを何て言ったのよ。

憎みつつ愛しつつ、ふたりの友情は生涯つづく。




ハーバード大学の教え

ハーバード大学の学生たちが詰めかけた
「人生を変える授業」。

講義をするタル・ベン・シャハーは、
「成功しているけれど、幸せではない人」を
たくさん観察してきた。

ポジティブ心理学の第一人者である彼が
最高学府の学生に教えたのは、
まず感謝すること。

ちょっとしたことでもいいので、
感謝できることを5つほど書く。

少なくとも週に一度、これをすることで
物事が好転すると彼は語る。

ありがとうを言いなさい…
最高学府の教えは、母の教えに似ていると思う。




ウォルト・ディズニーの憧れ

漫画家に憧れていた若かりし日の
ウォルト・ディズニー。

自分が描いた漫画のまわりに新聞記事を印刷して
新聞に掲載されたかのようなサンプルをつくっていた。

それでも新聞社から仕事をもらえなかったウォルトは、
カンザスシティ・スライド社で漫画を描く仕事に就いた。
会社はやがてスライドからフィルムによる広告に重点を移し
ウォルトは夢中になる。

フィルムの上でものを動かすトリック、
これがわたしをとらえて離さなかった。

まだ専門的な技術をもつ者が
ほとんどいなかったアニメーションに、
のめりこんだウォルト・ディズニー。
憧れていた新聞漫画を捨て
アニメーションに人生を賭ける。




ウォルト・ディズニーのガレージ

ウォルト・ディズニーの初めてのアニメーションスタジオは、
父親のガレージだった。
仕事から帰ると、すぐにスタジオにこもった。

そんな彼を見て、
いっしょに暮らしていた叔母のドロシーはこう語っている。

彼は子どもの時から、
いつもなにかに熱中していまいた。
その頃も休む間もなく忙しそうでしたが、
大したことをしているようには思えませんでした。

家族に理解されなくても、仕方がない。

ウォルトは、まだ存在していない職業、
アニメーターを目指していたのだから。




ロートレック

ロートレックが描く女性たちは、
すこし変な顔をしている。

ムーランルージュで歌い、踊る
女性たちが舞台で見せる笑顔ではなく、
ふと見せる素の表情を描こうとしたのだ。

舞台に立つ彼女たちの姿に、
楽屋で見せる顔を描く。

すると、一枚のポスターから、
踊り子の人柄や人間模様が見えてくる。

ムーランルージュをこよなく愛して、
足繁く通っていたロートレックだからできること。




モーツアルトの結婚

モーツアルトの初恋の相手は、
妻のコンスタンツェではなく、その姉のアロイジア。

人気ソプラノ歌手だった彼女の声を思い浮かべながら
作曲したアリアを捧げても、想いは叶わなかった。

その数年後、モーツアルトは、
初恋の女性の妹、コンスタンツェに目をとめる。
自分の父親と姉に反対されても、結婚にふみきった。

結婚して間もないころに作曲した「きらきら星変奏曲」の、
楽しそうに弾む音符たちが、彼の心情を語っている。

一途に想っても叶わぬ恋から、
すこし目をそらして出会った愛に、
モーツアルトは幸せを感じていた。

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坂本仁 11年11月26日放送


ジョー・ストラマー

パンクとは何かという命題に、
答えてくれる言葉がある。

月に手を伸ばせってのが、俺の信条だ。
たとえ届かなくても。

ピストルズと並んでUKパンクの雄と称される
The Clashのボーカリスト、
ジョー・ストラマーの言葉だ。

来日コンサートの際には、
ファンからの膨大なプレゼントを、
多額の超過荷物料金を支払ってすべて持って帰った。

ファンを大切にする。
そんな彼の姿勢も、パンクだった。



ザック・デ・ラ・ロッチャ

レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンは、
政治的メッセージを歌う反体制のバンドだった。
搾取される先住民の悲劇、
画一的な教育の恐怖など、
そのメッセージはいつも過激で、
アルバムが合衆国政府の要注意著作リストになったこともある。

けれど、ボーカルのザックは次のように語る。
「全ての革命的行動は愛の行為。
俺がこれまでに書いた曲は全てラヴ・ソングだ。」と。
弱者への強い愛が彼らの、強烈なパフォーマンスの源泉だった。



ベン・E・キング

何かをつくることは、孤独な作業だ。
つらい暗闇の中で、もがき、苦しみ、
自分が納得する作品をつくりあげる。

「ダンスウィズミー」、「ラストダンスは私に」などで知られる
ミュージシャン、ベン・E・キングは、
曲作りに関して次のように語る。

「Good」が「Better」になるまで、
「Better」が「Best」になるまで、決して気を抜いてはいけない。

完璧になるまで妥協しない。
そんな自分を追い込む曲作りのつらい状況の中で、
キングは、彼のヒット曲、
「スタンドバイミー」を思いついたのかもしれない。



BONO

1971年、ジョンレノンは「イマジン」という名曲を書いた。
そして、わたしたちはみな、想像することで、世界は変わると信じた。

けれどそんなジョンレノンの「イマジン」に異を唱えるロックスターがいる。
全世界のアルバムセールスが一億三千万枚を超えるモンスターバンド
U2のリードボーカル、ボノ。
彼は言う。

夢見る時代は終わったんだ。
これからは行動する時代だ。
すべては夢見ることから始まるけど、
夢で終わるなら寝てる方がましだ。と。

数々のチャリティーコンサート、
貧困救済を目的とするOne Campaignへの参加、
売上げをエイズ救済基金にするREDの新設など。
そして、その功績から3度ノーベル平和賞の候補となった。

世界を行動で変えるロックスター、ボノ。
彼のような人がきっと21世紀をしあわせな世紀にしていく。






サーストン・ムーア

80年代のアンダーグランドシーンを牽引した、
ソニックユースのボーカル、
サーストン・ムーア。
パンクの概念をアメリカに植え付けた人だ。

新生児の泣き声。
これこそがバンクロックに対する僕の定義だ。

サーストン・ムーアに言わせれば、
僕らは皆パンクの魂を持って生まれてくる。




ポール・マッカートニー

イエスタデイ、
ヘイ・ジュード、
レットイットビー。

数々の名曲を残したボール・マッカートニーは言う。

「努力することより、しないことの方が、難しいんだよ」

彼にとって
あれほど多くの愛すべき美しいメロディを書くことは
むしろ努力をしないことだったのだろうか。

ちなみにポール・マッカートニーは
ポピュラー音楽史上もっとも成功した作曲家として
ギネスブックに認定されている




ベック・ハンセン

多くの成功したミュージシャンがそうであるように、
ベック・ハンセンも若い頃は経済的に貧しかった。

10代の頃はゲットー暮らし。
ロスの中学卒業後は、家具の運搬、芝刈り
衣料工場などなど仕事を転々としながら、
生計をたてた。
18歳の頃、ニューヨークへ。
ホームレスをしながら、曲をつくった。

けれど、ベックは若い頃を「昔は貧しかった」と
懐かしむようなことはしない。
むしろ、次のように語る。

ホームレスをやっていても悲惨だと思ったことはない。
僕には音楽があったから、いつも裕福だった。と。

人からみたらつらい時代も、
彼には音楽性を育んでくれたハッピーな時代だったのである。

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八木田杏子 11年10月8日放送


名和晃平のリアル

アートに正解はないように。
アートの感じ方にも正解はない。

キャプションや解説をほとんど掲示しない
名和晃平の個展は、アートの解釈を解放する。

まずは、できるだけ情報を与えずに、
作家の意図を気にせずに作品にふれてもらう。

出口に辿りつくと、そこで
キャプションが記載された紙をわたして、
もういちど作家の言葉と共に作品を見てもらう。

そうして名和晃平は、
受け手のリアルな感覚を呼び覚ます。

デジタルとアナログの間を揺れ動く
感性のリアリティを表現する
名和晃平ならではの気遣い。




ゴッホを画家にした男

フィンセント・ファン・ゴッホは、
27歳のときに画家になろうと決意する。

画廊に6年勤めていたが解雇され、
教師、伝道師などの職を転々としていたゴッホ。

西洋美術の知識と、
趣味として絵を描いた経験はあっても、
美術教育を受けたことがなく、
才能の片鱗すら見られなかった。

そんなゴッホに、画家になることを
勧めたのは弟のテオだといわれている。

テオは兄に生活費を送り、
創作活動に打ち込めるようにした。

わずか23歳で画廊の支店長をまかされる
テオだけは、兄の才能を見抜いていたのだろうか。




ゴッホと日本

ゴッホは浮世絵に衝撃をうけ、
日本をユートピアとして思い描いた。

彼はこんな言葉を残している。

あらゆることに極限の明瞭さをもつ
日本人を羨ましく思う。
彼らの作品は退屈だということが全くなく、
決して大急ぎでやったようにも見えない。

画商だった弟テオと共に
浮世絵400点を買い集めて
パリのカフェで展示会を開いたゴッホ。

背景を浮世絵で埋め尽くした肖像画を描き、
まばゆい色彩と奇抜な構図を
自らの絵にも取り入れるようになる。

日本人が憧れるパリの芸術家が、
これほど日本に憧れていたとは。




ゴッホの独学

正式な美術教育を受けなかった
フィンセント・ファン・ゴッホは、
独学の画家とみなされている。

遠近法や解剖学の書籍を読み、
著名な芸術家による版画を模写して、
デッサンの訓練を積む。

色彩理論を学び、
力強い色使いを自分のものにする。

感銘をうけた芸術家とふれあい、
思想や画法を取り入れる。

その貪欲さと柔軟さが、ゴッホを進化させていく。

ゴーギャンから
記憶や想像で描くことを勧められると、
ゴッホは椅子だけの肖像画を完成させる。

肘掛つきの優雅な椅子を描くことで、
いつもそこに座っているゴーギャンの人物像を表現した。
ひとの顔を想像させる肖像画を描き上げたのだ。

自ら命を絶つ、その日まで。
ゴッホはデッサンの練習をし、
技法を磨くことで前に進みつづけた。






ゴッホと岡本太郎

麦畑のちかくで
腹部をピストルで撃った、ゴッホ。

息をひきとったのは、その二日後。

煙草をくゆらせて死を待つ間、
ゴッホはやっとつかんだ新しい芸術の世界を、
弟のテオに聞かせていたらしい。

肉体を殺し、
絵を描くことから解放されたときに
初めて達する境地がある。

ゴッホの死に感銘をうけた岡本太郎は、
それでも生きることを選んだ。

行きづまりに追われたら逃げないで、
むしろ自分自身を行きづまりに突っ込んでいく。
強烈に行きづまった自分に闘いを挑んでいくことだ。
行きづまりをこえ、うれしく展開さえてゆくんだ。

生きぬいて、切り拓く。
その覚悟が、岡本太郎の表現を強くする。




北斎の寿命

葛飾北斎は、長寿の画家である。

90歳まで絵を描き続け、
3万点をこえる作品を世に送りだした。

北斎75歳のときに出版された絵本「冨嶽百景」には、
こう記してある。

73歳にして、ようやく禽獣虫魚の骨格や、
草木の生え具合をいささか悟ることができたのだ。
だから、80歳でますます腕に磨きをかけ、
90歳では奥義を究め、100歳になれば、
まさに神妙の域に達するものと考えている。

北斎が画家として生き長らえたのは、
この心持ちがあればこそ。




写楽の寿命

東洲斎 写楽は、わずか1年で姿を消した。

役者を美しく描くのではなく、
役者の本質を描き出そうとした写楽。

目の皺や鷲鼻を強調した顔。
歪むほど捻じ曲げられた手。

芝居の筋と人間の生き様を描写するために
デフォルメされた大首絵は、かつてないものだった。

黒雲母がきらきらと輝く大判の錦絵
28枚とともに写楽は華々しくデビューする。

200年経った今でも高く評価される作品は、
江戸の人々からは好まれなかったようだ。

その後の写楽の作品は、
みるみる強烈な個性を失っていく。
役者を美しく描くありきたりな絵となり、
安い紙に刷られて売られていく。

145点あまりの錦絵を世に送りだして、
姿を消した写楽は、こう語られた。

あまりに真を画かんとして、
あらぬさまにかきしかば、
長く世に行なわれず、
一両年にして止む。

江戸では1年しか生きられなかった写楽は、
200年たった現代を生きている。

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坂本仁 11年9月10日放送


セルジオ越後

サッカー解説者セルジオ越後は、

日本サッカーへの愛情から、

常に日本代表へ厳しいコメントを発している。



しかし、辛口のセルジオ越後も、

なでしこジャパンがワールドカップに優勝した際には、

素直にその偉業をたたえた。



けれど、彼は言う。

「なでしこジャパンを使い捨てにするな」と。



ブームに終わらせてはいけない。

しっかり女子サッカーの文化を根付かせなければいけない。

セルジオ越後の辛口は、

なでしこジャパンの快進撃に沸いた私たちに向けられている。






マリエル*マーガレット*ハム

女子サッカー史上、最高選手のうちの一人、
マリエル*マーガレット*ハム。


私たちにはミアハムの名で親しまれている彼女は

2度のFIFA最優秀選手賞受賞、

偉大なサッカー選手を選ぶFIFA100にも、

マラドーナやジーコとともに選ばれた。



ミアハムは言う。
「勝つだけではだめだ。

相手がもう二度と見たくないと思うくらいの印象を残せ。」



女子サッカー選手として優れていただけではない。

ミアハムは誰よりも、

「戦う気持ち」を持ったサッカー選手だった。




澤穂希

「苦しくなった時は、私の背中を見なさい。」



なでしこジャパンの澤穂希は、

2008年の北京五輪で若手をそう励ましたのだという。



先日の女子ワールドカップでは、

北京五輪で澤に励まされた若手たちの成長が、

優勝につながった。



今月は、ロンドン五輪の女子サッカー最終予選が行われている。

きっと、若手や中堅の選手たちが頼もしい姿を見せてくれることだろう。

がんばれ、なでしこジャパン。





エレン*ヴィッレ

女子サッカーの歴史は、長い迫害の歴史だった。



サッカーは女性の体には有害というデマが通説となり、

サッカーの母国、イングランドサッカー協会は、

女子チームにグラウンドの貸し出しを禁止していた。



しかし、一人の勇敢な女性がその迫害の歴史に風穴をあける。



ノルウェー人、エレン*ヴィッレ。

国際サッカー連盟の総会に出席していた彼女は、

突如マイクをとり、

「人類の半数は女性である。
国際サッカー連盟は女子サッカーにもっともっと

力を入れるべきである」と訴えた。

その演説は、総会に出席していた多くの関係者の心を動かすのに十分だった。



そして、それから数年後の1991年、

ついに初の女子サッカーワールドカップが開催された。

男子サッカーワールドカップの初開催から、

実に61年後のことだった。



女子サッカー至上、最高のファインプレーは、

エレン*ヴィッレの演説なのかもしれない。




文弘宣

起業家、文弘宣(ムン・ホンソン)。

澤穂希選手をはじめなでしこジャパンの7人が所属している、

INAC神戸レオネッサの会長である。



どんなに才能のある選手も生活ができなければ、

サッカーをあきらめなければならない。

文弘宣は、選手がサッカーに集中できるよう、

グループ企業で雇用して社業を免除し月給を支払った。




サッカー選手を育てるのは、監督やコーチだけではない。

ビジネスという観点から日本女子サッカーを育てる経営者が

もっと多く出てきてほしい。




佐々木則夫

女性をうまく扱うことはできないが、

女性の意見に耳を傾けて、

自分を変えることぐらいならできる。



なでしこジャパンを率いて、世界を制した佐々木則夫監督。

彼のこの言葉には、

すべての男性が学ぶべきことが示唆されている。




ペレ

「サッカーの神さま」とまで呼ばれたペレ。

15歳でデビューしてから、通算1363試合に出場し、1281得点を記録した。
ワールドカップでは
ブラジル代表のエースとして3度の優勝を経験している。


イエローカードやレッドカードは、

ペレを止めるためのラフプレーが横行したために、

導入されたルールだと言う。



レアルマドリードやACミランなどのヨーロッパのビッククラブが、

ペレの獲得に動いた際には、

ブラジル政府が「ペレは輸出対象外である」と公式に宣言する事態にも発展。



その華麗なプレー見たさに、

ナイジェリアとビアフラの内戦を休戦させたという逸話も残っている。


ところで、
そのペレが2004年に選んだ「偉大なサッカー選手100人」には
ふたりの女子選手がいる。
たったふたり?
いや、そうではない。
女子のFIFAワールドカップがはじまって13年めの快挙だった。

女子サッカーはもっと面白くなる。
素晴らしい可能性がある。

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八木田杏子 11年8月13日放送


佐藤初女

どんなに心と体が弱っていても、
佐藤初女のつくるものは、食べられる。

自然のいのちを料理にこめて、
手渡してくれるから。

その作り方を、教えてもらいました。

素材の気持ちになって、
常に心を通わせることを大切にしています。

それだけで、お浸しも煮物も、
まったく味が違ってきます。

料理をすることは、いのちを預かること。

レシピだけを見ていると、
いのちの抜け殻を、食べることになる。




エジソンの母

エジソンの最終学歴は、小学校中退。
わずか3カ月しか学校に通っていない。

先生に教えられたことを暗記するより、
自分が素直に感じた疑問を口にした少年、エジソン。

なんで、風は吹いてくるの?
なんで、空は青いの?

学校教育の枠にはまらず、
先生から煙たがられ、
エジソンは落ちこぼれとされた。

小学校教師だったエジソンの母親は、
わが子を自らの手で育てることにする。

エジソンが「なんで?」と言うと、
親子はいっしょに実験をし、百科事典を調べ、
答えを見つけていった。

落ちこぼれた子に寄りそって、のびやかに育てる。
それが、天才を育てあげる方法のひとつ。




エジソンの言葉

エジソンの言葉は、
しばしば誤解されて伝わっている。

天才とは、1パーセントの閃きと、
99パーセントの汗である。

今でもよく聞く、この言葉。
汗をかくことの大切さばかりが伝わることを
エジソンは懸念した。

無目的の努力だけでは
大海をさまよう小船のごとく、
あるいは密林の中を迷い続ける迷子のように
いつか力尽きる。
ときどきでいい、閃きを考えてみてくれ。
それが羅針盤となって方向を示してくれる。
99パーセントの汗が実るのは、
1パーセントの閃きを大切にしたときなのだ。

汗をかくのをお休みして、
のんびり閃きを待つ時間、つくっていますか。




山本周五郎と原田甲斐

極悪人とされてきた男を、
山本周五郎は、
まったく逆の視点で書き上げた。

江戸時代前期、
伊達六十二万石を滅亡に追い込む
内紛をおこした伊達藩の家臣、原田甲斐。

伊達騒動として歴史に残る事件の
中心人物だった原田は、
極悪人の烙印を押されてきた。

山本周五郎が
歴史的事実を紐といて描いたのは、
真逆の人物像。

それは、
汚名を背負うことで、
伊達藩を守ろうとする忠臣、原田甲斐。

藩内の悪評を恐れずに
陰謀の中心に飛び込んでいく、
孤独な美学をまっとうした男。

断片的な情報がつむぎだす人物像は、
悪人にも善人にもなりうる。

悪口を言われているその人は、
憎まれ役を買って出ている人なのかもしれない。




J. K. ローリング

ハリーポッターの作者、J. K. ローリングは、
ハーバード大学を卒業したのに、
ホームレス一歩手前のような暮らしに陥ったことがある。

結婚が上手くいかず、仕事もなく、
生活保護をうけながらハリーポッターを執筆していた。

そのときのことを、彼女はこう語っている。

最も恐れていたことが現実となりましたが、
それでも私はまだ生きていました。
私には愛する娘がいて、
古いタイプライターと、
途方もないアイデアが残っていました。
そのどん底の状況が、
私の人生を立てなおす強固な基盤となりました。

人は逆境で試されて初めて、
真の自分自身や人間関係の強さを知るのです。

人生の失敗から這い上がるチカラを、
J. K. ローリングは言葉にこめて、わけてくれる。




ダイアナ・ウィン・ジョーンズ

映画「ハウルの動く城」の原作者、
ダイアナ・ウィン・ジョーンズが
まだ少女だったころ。

父親の書斎にあるギリシャ神話や古典文学は、
男性が主役のものばかりで、
読みたい本が手に入らないことをもどかしく思った。

いつしか自分で物語を創作するようになり、
妹たちを楽しませるようになっていた。

ダイアナは、父の書斎にないものを
自らの手で創りだす喜びを堪能した。

欲しいものすべてを買い与えられなかったから、
ダイアナは小説家になれたのだ。






天童荒太「悼む人」

まわり道を恐れないから、
予想もつかない物語が生まれる。

直木賞作家、天童荒太は、
300枚もの原稿をすっぱりと捨てて、
書き直しをする。

物語の終わりへの見通しがついて、
予定調和になる予感がしたとき、
その原稿を捨てたのだ。

僕自身が、
これはどう書いていいかわからないという
着想を乗り越えたときに、
新しい感動を読者に届けられるのではないか。

直木賞を受賞した
「悼む人」を書き上げるのに
天童荒太は7年をついやした。

見ず知らずのひとの死を悼む主人公は、
死者と縁のある人に、こう尋ねる。

亡くなった方は誰を愛し、
誰に愛され、感謝されていたのか。

天童荒太自身も、
新聞記事で見つけた死者を悼むことを日課として、
誤魔化しのない物語の結末へ、辿りつく。

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坂本仁 11年7月9日放送


ジャック・リヴェット

長回しの手法を使って、
人間の動作や心理を細かく丹念に描きつづける
フランスの映画監督ジャック・リヴェット。
カンヌ映画祭審査員特別グランプリを受賞した、
「美しき諍い女」は約4時間、
代表作である1970年の「アウトワン」は
およそ13時間にもおよぶ作品である。

リヴェットの盟友で映画監督のゴダールは、
その13時間にもおよぶ「アウトワン」を鑑賞した後、
次のように言った。

「素晴らしい作品だ。
しかし、彼の才能を発揮するには短すぎる」と。

その破壊的な長さのために
未公開のままだった「アウトワン」が日本で公開されたのは
フランスでの初公開から38年後
2008年のことだった。






井上円了

机の上の十円玉に指を置き、
霊をよびだして質問する。
子供の頃、「こっくりさん」で不思議な体験をしたことある人は
多いのではないでしょうか?

近代的な妖怪研究で知られる井上円了は、
「こっくりさん」を科学的に分析し、
十円玉を動かしているのは、霊ではなく、
無意識の筋肉運動であることを実験で証明してみせた。

妖怪や化け物は人が生み出すもの、
迷信を恐れることはない。
けれど、不思議な現象を知的に楽しむことを
否定するわけではない。

井上円了の研究の目的は、
人の暮らしの幸福にあったと思う。




B・C・フォーブス

学校のテストの点が悪かったり、
仕事で結果がでなかったり、
好きな人にフラレたり。

生きることは、失敗の連続かもしれない。
けれど、アメリカの作家B・C・フォーブスは言う。

ゴルフにバンカーやハザードがなければ、単調で退屈に違いない。
人生も然りだ。
と。

あなたにとって面白くないことは、
あなたの毎日を面白くしてくれるもの。
そう思えれば、きっと毎日はもっと楽しくなる。




サミュエル・ジョンソン

辞書を引くのは一瞬で終わるが、
辞書をつくるのはそうはいかない。

1755年、イギリスの文学者サミュエル・ジョンソンは、
4万語を超える単語を収録した A Dictionary of English を刊行した。
その内容は極めて詳細に記述され、
世界初の本格的な辞書とも評されている。
単語の意味を説明するために、
シェイクスピアやミルトンの文書を引用し、
その後の辞書の編集に多大な影響を与えた。

サミュエル・ジョンソンは言う。

大偉業を成し遂げるものは、
体力ではない、耐久力である。
元気いっぱいに3時間歩くことができれば、
7年後には地球を一周できる。




エジソン

いま、多くの人の毎日は、時間に追われている。
細切れに組まれた予定は
人から集中力を奪っていく。

けれど、世界の発明家・エジソンは言う。

決して時計を見るな。
これは若い人に覚えてもらいたいことだ。 

若いうちは時間を忘れるくらい何かに没頭しなさい。
発明に夢中になりつづけ、数々の偉業を成し遂げたエジソンは、
そう私たちに教えてくれる。

時間を守ることも大切だけど、
時間を忘れることも大切にしたい。





森本泰輔(たいすけ)

涙の出ない仕事をするな。
それが嬉し涙でも、悔し涙でも。
たくさん失敗してもくじけなかったらいいんです。

音楽プロデューサー森本泰輔はそう語る。

彼にとっての涙を流した仕事とは、
人気バンド・ウルフルズを育てたことだった。
本気で愛して本気で駆けずりまわって、本気で泣いた。

そうだ、「涙」を言い換えると
「本気」というコトバになるのかもしれない。




野村克也

いまTwitterで流れている野村克也楽天イーグルス名誉監督の言葉を
拾い出してみた。

 思考が止まれば、進歩も止まる

 アンパイアは、ピッチャーの女房役のキャッチャーにとって、
 言ってみれば夫の上司 みたいなもの

 捕手は目配り、気配り、思いやりと危機管理のマイナス思考

 「失敗」と書いて「せいちょう」と読む

データ重視のID野球で知られる、名監督・野村克也。
ヤクルト、阪神、楽天で監督を務め、
結果をだせる監督としてその手腕は高く評価されている。

しかし彼の野球哲学はデータ重視なだけではなく、
人間重視でもある。
選手の性格をよく考えて指導すること。
人の心理を考えつくした配球理論をキャッチャーに教えること。
人間をみつめつづけてきた野村克也は言う。

コンピューターがどんなに発達しようとしても、
仕事の中心は人間だ。
ならばそこには「縁」と「情」が生じる。
それに気づき、
大事にした者がレースの最終覇者となるのだと思う。 
と。

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八木田杏子 11年6月18日放送


ルイス・キャロルとアリス

不思議の国のアリスは、
ひとりの少女のために紡がれた物語。

当時10歳の実在の少女アリス・リデルに
「何かお話を聞かせて」とせがまれて、
ルイス・キャロルは、思いつくままに話しはじめた。

目の前にいるアリスがはっと息をのみ、
ころころと笑うために。

ルイス・キャロルの想像力は広がっていく。
人間のような動物たちが、
不思議な物語をくりひろげていく。

その3年後、物語は本になり出版されたが
即興のストーリーを書き留めるように頼んだのも
アリスだった。

不思議の国のアリスは
最初の出版から150年にもなるが
いまだに音楽、絵画、文学など芸術の世界に影響を与えつづけている。







ロミオとジュリエット

ロミオとジュリエットは、もしかすると
悲劇ではないのかもしれない。

シェイクスピアの四大悲劇といえば、
ハムレット、オセロー、マクベス、リア王。
ロミオとジュリエットは、そこには入らない。

純粋なまま美しく終わる恋は、
悲劇ではないのかもしれない。

家族からの圧力や
すれ違いから生まれる亀裂で、
恋心が擦り切れていくほうが悲劇なのかもしれない。

ロミオとジュリエットのように
美しく終われない物語を、私たちは生きていく。

いつ終わるかわからない物語を、
ハッピーエンドにしたいと願いながら。




チャップリン

喜劇王とよばれたチャップリンは、
幼い頃はまさに悲劇の主人公だった。

芸人だった父は酒におぼれ、
女優だった母は精神の病を患う。

食べるものも乏しい家で、
母が披露してくれる芝居や朗読に、
チャップリンは魅了された。

やがて彼も、喜劇やものまねで、
笑いをとるようになる。

5歳で初舞台を踏んだ彼は、
12歳になると新聞で名子役と評されるほどになる。

悲劇を生きぬいたチャップリンは、
こんな言葉を残した。

人生は近くで見ると悲劇だが、
遠くから見れば喜劇である。




まど・みちお「ぞうさん」

誰もが口ずさんだ童謡、「ぞうさん」。

リズム感のいいやさしい言葉に、
詩人まど・みちおの想いが宿っている。

ぞうさん ぞうさん お鼻が長いのね
そうよ 母さんも長いのよ

小ゾウは、長い鼻をからかわれても、
大好きなお母さんの長い鼻を思い出して、
むしろ誇らしそうにする。

この歌は、
「ゾウに生まれてうれしいゾウの歌」だと
まど・みちおは語る。

違いがあるから素晴らしいのに、
人と比べて一喜一憂してしまうのは、
もったいない。
その想いから、「ぞうさん」はうまれた。

まど・みちおの童謡が心地よく響くのは、
しらずしらずのうちに、
その想いを感じているからかもしれない。




まど・みちお「散歩」

詩人まど・みちおは、ゆっくり歩く。

家からポストまで、
さぁっと歩けば20分ほどの距離を、
あっちを見たり
こっちを見たりしながら
一時間かけて歩く。

まど・みちおには、世界はこう見えている。

いつも通っている道、
見慣れた景色だと思っても、
もうほんとに驚くことばかり。

アリだってちゃんと
影を連れて生きてるのを発見したときは、
なんだか花束でももらったみたいな気分でした。

いつもの道を、ゆっくり歩く。
そんな贅沢を味わってみませんか。

せめて、お休みの日だけでも。




葛飾北斎

葛飾北斎は、
30回も名前を変えている。

自らの過去にとらわれない
新たな作品を世に送りだすために。
思うまま生きるために。
北斎は名前を変えていく。

美人画、風景画、漫画。

筆のおもむくままに、
湧き上がるものを表現するには、
30もの名前が必要だった。

明日は、日曜日。
仕事も本名もお休みにして、
新しい名前を使えるとしたら。
さて、何をしましょう。




白雪姫

白雪姫は、過ちを繰り返したから、
王子様に出会えた。

魔女が化けたお婆さんから、
ドレスを飾る美しい紐を買って、
胸をきつく締めあげられる。
毒のある櫛を使って、倒れてしまう。
小人に助けてもらっても、また騙されて、
毒りんごを食べて死んでしまう。

手を尽くしても生き返らなかった白雪姫を
七人の小人がガラスの棺に納めたとき
王子さまがやってきて
白雪姫は息をふきかえす。

過ちを3回も繰り返して、
やっと王子様に出会えた、白雪姫。

賢いお姫様だけが、
幸せになれるわけではないのだ。

過ちを悔いる夜は、きっと
白雪姫がなぐさめてくれる。

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八木田杏子 11年4月30日放送



スティーブ・ジョブズのフォント

人生の役に立たなそうなもの。
それでも、強く興味を惹かれるもの。

それが、未来をつくる
きっかけになることがある。

スティーブ・ジョブズが
ふと興味を惹かれた大学の授業は、
カリグラフィーだった。

そこで彼はフォントのつくり方を、学問として学んだ。

言葉を美しく見せるための書体について習い、
文字と文字のスペースを整えることを覚えた。

スティーブ・ジョブズは、その緻密さに魅せられた。

それから10年経って、
マッキントッシュ・コンピューターをつくるときまで、
フォントの知識が役立つときがくるとは思っていなかった。

Macのフォントは美しい。
それは緻密な計算から生まれている。





自閉症の作家 東田直樹

自分はどうして、人と違うのだろう。
どうしたら、分かってもらえるのだろう。

そう思うところから、
文学は生まれるのかもしれない。

自閉症の高校生、
東田直樹は作家でもある。

自閉症の人はカレンダーが好きな人が多いと
語るときに彼は、こんな言い方をする。

数字はそれ自体が、一つのことしか表しません。
見ていて安心します。

なぜ、そんなにうれしいのかが、
普通の人から見ると、
とても奇妙に思えるかもしれません。

東田直樹は、
人と違う自分を押し殺すことも、
押しつけることもせず
そっと生きている。





田坂広志

おなじ仕事をしているのに、
辛そうな人と、幸せそうな人がいる。

その違いを田坂広志は、寓話で語る。

ある町の建設現場で働く、二人の石切り職人に、
旅人が聞きました。

あなたは、何をしているのですか。

ひとりは、
石を切るために悪戦苦闘していると答えた。
もうひとりは、
素晴らしい教会を造っていると答えた。

目の前の作業を見ているか、
その先の未来を見ているか。

目線がすこし上がると、
仕事の充実感が変わると田坂は語る。

あなたは、何をしているのですか。

一週間たっぷり休んだ後に
そう聞かれたら、
いつもと違う答えが浮かぶかもしれません。







遠山正道 「Soup Stock Tokyo」

新しいアイデアは、なかなか理解されない。

きょとんとする人たちを、味方にするために。

スープ専門店「Soup Stock Tokyo」を
世に送りだした遠山正道は、緻密な企画書を書いた。

戦略や数字ではなく、
頭のなかにあるイメージをふくらませて
ショートストーリーのように綴ったのだ。

秘書室に勤める田中は、
最近駒沢通りに出来たSoup Stockの
具だくさんスープと焼き立てパンが大のお気に入りで、
午前中はどのメニューにしようかと気もそぞろだ。

誰が、どんな顔をして、どう行動が変わるのか。
遠山のイメージを細部まで丁寧に描いた
22ページの企画書には、リアリティがあった。

めざす未来がくっきりすると、
きょとんとする人にもわかりやすくなる。

1997年に遠山が綴った企画書どおりに
Soup Stock Tokyoは誕生し、
今では都内のあらゆる場所で
お店を見かけるようになった。

子どものように夢を思いつき、
大人としてイメージを緻密に描く。

楽しい妄想を膨らませると、
夢を叶える味方がふえてゆく。





山本周五郎

あの人はどうしようもないと、皆が口をそろえて言う。

そんな人間が変わるために、
必要なものはひとつだけだと、
山本周五郎は考えていた。

それを、小説「山椿」で
堕落した男を立ち直らせた主人公に、
語らせている。

信じただけだよ。

信じられるくらい
人間を力づけるものはないからね、
彼は自分で立ち直ったんだよ。

信じてくれる人がいるだけで、
人は変わることができる。

少なくとも山本周五郎は、そう信じている。





谷川俊太郎のグルメ

大人になると苦みや渋みが、美味しく感じる。

舌で感じる味覚だけでなく、
心の感覚もそんな風に変わっていくのかもしれない。

詩人の谷川俊太郎は、
「苦しみのグルメ」になることを勧めている。

苦みや渋みや刺すような辛さに
かすかな甘みがまじっている
その複雑な味を知ると、
喜びの味も深まるからね。

人生の苦みや渋みも
美味しく味わえる大人になりたい。





小川糸 「食堂かたつむり」


好きな仕事をする人は、強くなる。

小川糸の小説、
「食堂かたつむり」の主人公は、
料理をつくることで人生を変えてゆく。

恋人に裏切られたショックで、
言語障害になった彼女は、
田舎町にもどって小さな食堂をひらいた。

言葉を話せなくなった彼女にできる、唯一のこと。
生きることにうんざりしながらも、諦められないこと。

それは、自分の店を持って、料理をつくること。

お客様は、一日ひと組だけ。
その人の身体と心にしみる料理を考えて、
お皿にもりつけていく。

そして、前菜を口にするお客さまを、
おそるおそるカーテンの隙間から覗き見る。

メインディッシュを残さず食べてもらえると、
こみあげてくる幸せが涙になってこぼれないように、
こらえながらアイスクリームをつくる。

やがて彼女は、
苦手だった母親のためにも、腕をふるうようになる。

言葉にできない想いを料理にこめて、
人とつながりなおしていく。

好きなことを突きつめて、人に喜んでもらえる幸せ。
その味わいが、人を強くする。

それは、言葉を書く仕事をすることで、
小川糸が感じていることかもしれない。

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