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厚焼玉子(事務局・中山佐知子)

厚焼玉子 17年5月27日放送

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風と舟 ファルーカ

ナイル川の風は下流から上流に吹く。
この風を利用して川を遡る舟があった。
ファルーカという三角帆の舟だ。

川と風と舟のおかげで
ナイルは古代から海のシルクロードの重要なルートになっていた。
ワインもオリーブ油も、宝石もスパイスもファルーカで運ばれた。
ナイルの水とファルーカはエジプトの古代文明を支えた。

それにしても、ナイルの水はどこから来るのだろう。
紀元1世紀、ギリシアの船乗りディオゲネスが
ナイルの源流をさがして旅をした。
それから2000年余り、ナイルの源流さがしはまだつづいている。
三角帆の舟ファルーカは
いまではのんびり観光客を乗せているようだ。



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厚焼玉子 17年5月27日放送

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風と舟 ダウ

インド洋にはヒッパロスの風という季節風が吹く。
この風を帆に受けて走るアラブの船があった。
ダウと呼ばれる三角帆の船だった。

ダウは船乗りシンドバッドの船だ。
インド、ペルシャ、アラビア、東アフリカ…
一度船に乗ると何年も帰れない冒険に
何度も出かけていくシンドバッドの物語を読むと
当時のアラブの商人たちの
交易に賭ける意気込みがうかがえる。

シンドバッドの物語に登場する国王
ハールーン・アッ・ラシードの時代、
バクダッドには世界中の富が集まり
イスラム文化が花開いていた。



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厚焼玉子 17年5月27日放送

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風と舟 ジャンク

ジャンクは中国の船。
三本マストに四角い帆を張り、
その帆を竹で補強している構造だ。
はじめは沿岸を走る小さな船だったようだが、
10世紀を超えると「宝船(ほうせん)」と呼ばれる
大型船に発展した。

その大型船62隻の大船団を組み
季節風を受けて東へ船出したのが
中国の明の時代の皇帝に仕える鄭和(ていわ)だった。
鄭和の船団は4度めの航海でインド洋の西に達し、
5度めにはついにアフリカのケニヤに足を伸ばして
シマウマやキリンを持ち帰っている。

鄭和の宝船は、明の記録によると
全長137メートル、9本マスト。
当時としては世界最大の大型船だった。



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厚焼玉子 17年5月27日放送

170527-04
風と舟 冒険好きなキャラベル船

15世紀の海洋王国スペインとポルトガルで愛された船、
キャラベル船。
その三角帆は風を自由につかんで小まわりがきき、
浅瀬でも座礁することなく素早く動けたので
未知の世界へ乗り出す探検家に人気だった。

1492年、大西洋に乗り出したコロンブスは
最初はサンタマリア号に乗船していたが、
鈍重なキャラック船のサンタマリア号は
お付きのキャラベル船に置いて行かれることがしばしばあって
コロンブスの不興をかっていたらしい。
やがてサンタマリア号はカリブ海のイスパニョーラ島で座礁。
コロンブスは喜んでキャラベル船のニーニョ号に乗り換え、
ニーニョ号でヨーロッパに帰還した。



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厚焼玉子 17年5月27日放送

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風と舟 ドレイクとガレオン船

マゼランが世界一周の航海の途中で亡くなっておよそ50年後、
キャプテンドレイクのガレオン船ゴールデンハインド号が
イングランドのプリマスから出港した。

ゴールデンハインド号は300トン。
吃水の浅いスマートな船で安定性に欠けるものの
風を受けて走る速度は速かった。

ドレイクとゴールデンハインド号は
大西洋からマゼラン海峡を抜けて太平洋に進出。
スペインの船や植民地を襲っては財宝を略奪しながら
航海をつづけた。
東南アジアではちゃっかりとスパイスも仕入れ、
アフリカの喜望峰をまわって
生きて世界一周を果たした最初の人になった。

世界一周の味方は地球規模で吹くふたつの風、
貿易風と偏西風だった。



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厚焼玉子 17年5月13日放送

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5月の花 ゲンノショウコ

江戸時代から副作用のない民間薬として
親しまれてきたゲンノショウコは夏の花だが
5月の季語にその名を連ねている。
旧暦の5月はすでに夏だったのだ。

ゲンノショウコの学名、ゲラニウム・ツンベルギーは
江戸の末期に日本を訪れたスエーデンの植物学者
カール・ツンベルクの名前をいただいている。
ツンベルクは将軍に拝謁するために
長崎の出島から江戸への旅をし、
その道中で800種類を超える植物を採集して標本にした。

ツンベルクは日本の植物を研究した初めての西洋人だった。
日本の植物は、このときはじめて
近代分類学と出会ったのだった。


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厚焼玉子 17年5月13日放送

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5月の花 ウコギ

ウコギはウドやタラの芽と同じウコギ科の落葉樹。

江戸中期、
極端な財政難に陥った米沢藩を立て直した名君、上杉鷹山は
武家屋敷の生垣にウコギを奨励した。
ウコギは幹に棘があるために防犯に適しているが、
何よりもその葉が食べられるのがありがたかった。
当時、貧乏のどん底にいた人々は
春から夏にかけて、次々と伸びてくるウコギの若葉を食べ、
茹でたものを干して保存しては窮乏に備えた。

米沢の武家屋敷では今でもウコギの生垣が残り、
初夏には白い花を咲かせる。


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厚焼玉子 17年5月13日放送

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5月の花 牡丹

花の王さまといわれる牡丹。
島根県の宍道湖(中海)に浮かぶ大根島は日本一の牡丹の産地。
昭和の半ば頃は、島の女が背負い籠に苗木や鉢植えを入れて
行商に歩いた。

ひと月も家を空けるのは当たり前、
ときには半年も帰れない。
そんな様子を目にして逆転の発想をしたのが門脇由蔵(よしぞう)だった。
売り歩くのではなく、来てもらえるようにすればいい。

牡丹で観光客を呼ぶという由蔵の夢は、
息子の栄(さかえ)の手によって実現する。
昭和50年、一年を通して花が楽しめる牡丹の庭、
由志園(ゆうしえん)が完成。
今では年間30万人の観光客が訪れている。


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厚焼玉子 17年5月13日放送

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5月の花 マロニエ

マロニエの花は5月に咲く。
マロニエは5月の季語でもある。

「アンネの日記」を書いたアンネ・フランクは
ナチスに追われて一家で避難したアムステルダムの隠れ家の窓から
一本のマロニエの木を見つめていた。
毎日息をひそめ、外へも出られない生活のなかで
マロニエは季節の変化を教えてくれる大事な友だちだった。

マロニエはやがて
アンネ・フランクの木と呼ばれるようになった。

2010年、年老いて半ば立ち枯れていたマロニエは
強風で倒れてしまった。
けれども、その苗木は世界各地に送られ、
平和の象徴として大事に育てられている。


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厚焼玉子 17年5月13日放送

170513-05 nekonomania
5月の花 ひなげし

ひなげし。
別名を虞美人草。

明治40年の5月だった。
夏目漱石は上野から浅草を散歩した帰り道、
名前を知らない鉢植えの花に目を留めた。
植木屋に尋ねると虞美人草だという。
漱石はふた鉢を買い求めた。

花の重さに細い茎が撓む様子も
花びらの縮れ具合も
なまめかしく美しいと漱石は思った。

漱石の初めての新聞小説「虞美人草」の連載が始まったのは
それから一ヶ月後のことである。


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