後藤新平
1923年 関東を未曾有の大地震が襲った5日後、
帝都復興院総裁 後藤新平はこう宣言した。
躊躇逡巡。
この機会を逃すこと、国家永遠の悔を遺すに至るべし。
後藤にとって震災は
東京発展のチャンスだったのである。
復興費に30億円を要せよ。
幹線道路は、幅60m以上、中央に芝を。
建物も広場も、建材はレンガを使うべし。
新聞紙面上に発表された国政の数々。
しかし、後藤は世間に大風呂敷と揶揄され、
結局復興は五億円にも満たない小さなものとなった。
あれからもうすぐ一世紀、
(ナビ)この先、集中工事のため渋滞です。
幅22mの環状線の真ん中で、
今日もカーナビが、
僕たちに国家永遠の後悔を、告げている。
小林組・山田英理人
山田英理人 15年8月9日放送
山田英理人 15年8月9日放送
ナンシー・ハンクス
ナンシー・ハンクスは、
貧しかった。
学もなかった。
それでも息子に教育を、と
毎日聖書を読んで聞かせた。
聖書の御言葉通りに、
神を愛し、隣人を愛しなさい。
そう日々教え続けてきた彼女だったが、
不幸にも風土病にかかってしまった。
この世を去る間際、
まだ9つの息子にこう言った。
汝は、100エーカーの農場を持つよりも、
一冊の聖書を持つものとなれ。
息子の名はエイブラハム・リンカーン。
のちに彼は古い聖書を手に、
第16代大統領就任を宣誓する。
山田英理人 15年8月9日放送
金栗四三
昭和42年、
マラソンランナー金栗四三(かなぐりしそう)のもとに
一通の手紙が届いた。
第5回ストックホルムオリンピック日本代表、金栗四三選手。
あなたはスタート後一切の報告がありません。
ぜひ、ゴールすることを要請します。
レース中に意識を失くした日本人を
委員会はリタイアと見なさなかったのだ。
金栗はゴールし、大会の全日程が終了した。
タイムは、54年と8ヶ月 6日と5時間 32分20秒3だった。
山田英理人 15年8月9日放送
ジョンソン博士
「ジョンソン博士曰く」
スピーチやディスカッションで
このセリフが持つ効果は大きい。
世界で初めての英語辞典を編集した、
サミュエル・ジョンソン博士の威厳を
借りられるのだから。
キューブリック監督作品 『突撃』にも博士は登場した。
第一次世界大戦のとある戦線。
ドイツ軍基地を狙うため、
将軍は無謀な突撃作戦を敢行した。
「愛国心があれば突破できる。」と言う将軍に、
カークダグラス演じるダックス大佐は、
「将軍、ジョンソン博士は別の考えを披露されています。」
と言ってから、次の成句を引き合いに出す。
愛国心は悪党の最後の隠れ蓑だ。
ことばに勝る武器は、きっとない。