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藤本組・藤本宗将

福宿桃香 17年5月20日放送

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計量の話 ダンカン・マクドゥーガル

きょうは「世界計量記念日」。
アメリカの医師、ダンカン・マクドゥーガルが
人間の魂の計量を行ったのは、今から116年前のことだ。

彼は、もしも魂に重さがあるなら、
魂が身体を離れる瞬間に体重が減るはずだと考え、
末期の患者を秤の上にのせた。
すると、患者が息を引き取ると同時に秤が動き、
21gの減少を示したのだ。

さらに彼は体重が減少するまでの時間も計測し、
次のように発言している。

 患者の中には、体重が減るまでに1分かかった者がいた。
 考えや行動がゆっくりしていた人は、
 魂も身体を離れるまでに時間がかかるのかもしれない。


現在では信憑性がないとされているが、
みんなをちょっとワクワクさせてくれた彼の計量は
偉大だったと言っていいのではないだろうか。


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村山覚 17年5月20日放送

170520-02 kamums
計量の話 具志堅用高

きょうは「世界計量記念日」。
計量が欠かせないスポーツといえば、ボクシング。

43年前、沖縄から上京した若きボクサー、具志堅用高。
トレードマークのアフロヘアは、
身体を大きく見せるための工夫でもあった。

試合前の減量は1ヶ月前からはじめる。
住み込みでバイトをしていたとんかつ屋のマスターが
仕入れてくれたヒレ肉と、野菜サラダで身体を絞った。

試合当日。計量後の定番メニューは、
ステーキ、鰻、スッポンの血、そして、アイスクリーム。

 世界チャンピオンになったら楽しいよ。
 モテるし、誘いも多いし、おいしいもの食べれるし!


伝説のチャンピオンの原動力は、おいしいもの。

でもやっぱり体重は気になりますよね。
あなたは食べる前に計る?それとも、食べてから計る?


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村山覚 17年5月20日放送

170520-03 small-life.com
計量の話 舞の海

きょうは、メートル条約が結ばれた「世界計量記念日」。
数センチメートルの差に泣き、それを克服した男のお話。

ときは平成元年。大学の相撲部で活躍していた小柄な男が
大相撲の新弟子検査にのぞんだ。規定の身長よりも背が
低かったので、鬢付け油を頭の上で固めて身長計にのった。
しかし、暑さで油が溶け、規定に達しなかったため不合格…。

翌年、その男は頭にシリコーンを埋めて、見事合格する。
そこまでやるかという声もあったが、
相撲への情熱は誰よりも強かった。

彼の名は、舞の海。のちに「平成の牛若丸」「技のデパート」
と呼ばれ、体重が2倍も3倍もある小錦や曙といった
巨漢の力士とも張り合った。

 大きい力士も小さい力士と組むのは怖いんですよ。
 どんな相撲をされるか分からないから。


男の情熱、そして巧みな戦術を、数字で計ることはできない。


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永久眞規 17年5月20日放送

170520-04
計量の話 柴田音吉

きょうは「世界計量記念日」。
日本人初の本格テーラーとして知られる柴田音吉。
10歳の頃から裁縫を学んでいた彼は、
神戸で洋服店を開いていた英国人に弟子入りし、腕を磨いた。
その丁寧な仕立てと着心地のよさは評判となり、
あの伊藤博文も通うほどであった。

あるとき、明治天皇の洋服を依頼された柴田。
しかし、直接採寸することは許されなかった。
最高の一着をつくるには、どうしても採寸が欠かせない。
あくまでその点にこだわった柴田は、

 陛下のお身体には触れないので、
遠くから目測でサイズをお測りしたい。


と願い出たという。
柴田のこだわりがつまったその仕上がりには、
明治天皇も非常に満足したそうだ。

やがて明治政府によって
「礼服は洋装にする」という太政官布告が出され、
日本にも洋服が広く定着していくことになる。
その陰には、採寸にこだわる天才テーラーの活躍があった。


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永久眞規 17年5月20日放送

170520-05
計量の話 香川綾

きょうは「世界計量記念日」。
今ではどんなレシピにも使われている
計量スプーンと計量カップ。
もとは、日本に栄養学を普及させた
香川綾が考案したものだ。

戦後、日本の計量はメートル法に変わったが
一般家庭にはなかなか浸透せず、
匁やグラムが混在していた。

調味料の単位がバラバラだと
塩分や糖分の摂取量が把握しにくく、
日本人の健康を損なうかもしれない。

そう考えた香川は、
計量スプーンと計量カップを製作。
さらにヘラをつけることで、
すり切り1杯や2分の1杯など
より細かく正確に計れるよう工夫を凝らした。

たった1グラムの違いも、
毎日口にすれば大きな違いになる。

おいしくて栄養のある料理が
家庭で手軽に作れるのは、
彼女の細やかな思いやりのおかげなのだ。


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藤本宗将 17年4月9日放送

170409-01 Zanpei
奈良の大仏と開眼供養

西暦752年の4月9日。
奈良の東大寺で大仏の開眼供養が行われた。

しかしその時点で大仏は完成しておらず、
まだ仕上げ作業の多くを残していた。
飾りなどを含めて最終的に完成したのは、
さらに約20年後のこと。

開眼供養の年は
仏教伝来から200年目の節目に当たり、
どうしても間に合わせることが
必要だったのではないかと推測されている。

納期に追われる厳しさは、
天平の昔から同じらしい。



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藤本宗将 17年4月9日放送

170409-02
奈良の大仏とヘアスタイル

大仏さまの頭についているたくさんの突起。
これは渦巻き状の髪の毛で、「螺髪(らほつ)」という。

奈良の大仏の場合、
ひとつの螺髪は直径が約22cm、高さが約21cm。
重さは約1.2kgにもなる。
ただ、それが何個取り付けられているのかは
これまで正確に数えることができなかった。

しかし2015年に東京大学の研究者が
レーザー解析によって螺髪の数を算出。
492個の螺髪が取り付けられているとわかった。
奈良時代からの伝承では「966個」とされてきたが、
その約半分。定説を覆す結果だ。

江戸時代に造り直されたときに減ったのか、
もともと少なかったのか。
理由はわからない。

大仏さまは、髪の毛一本までミステリアスだ。



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藤本宗将 17年4月9日放送

170409-03 KE-TA
奈良の大仏と経済効果

奈良の大仏の建造費を、当時の資料などから
経済学者が試算したことがある。

まず原材料費については、大仏に使った精錬銅 約500トンや
大仏殿の柱の丸太84本など、約3363億5000万円。
そして人件費。建造に携わった人だけで
延べ260万人以上にも及ぶといい、約1292億円。
さらに彼らの住居費として、約1億7000万円。

積算すると、大仏と大仏殿の建造費は
現在の価格で約4657億円となる。
もっともこの試算には石材や内部装飾、
東大寺の他の建築物にかかった費用は含まれていないので、
実際にはもっと多くのお金が動いたはずだ。
建造にかかわった人々の消費なども含めた経済波及効果は、
約1兆246億円に上るという。

これだけ大規模な「公共事業」。
いまならかなりの景気対策になりそうだが、
やはり現代と奈良時代では状況が違う。
かつてない大規模な建設工事によって国の財政は大きく悪化。
とりわけ農民の負担が激増し、
平城京のなかでは浮浪者や餓死者が後を絶たなかった。
地方によっては農民たちが逃亡して税制が崩壊するなど、
律令政治の矛盾点が浮き彫りになっていった。

仏教で世の中を救おうとする聖武天皇の願いとはほど遠い結末。
やがて都も京都の平安京へと移される。
奈良に残された大仏は、
どんな思いで世の移ろいを見つめていたのだろう。


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藤本宗将 17年4月9日放送

170409-04
奈良の大仏と平和

平和を守るためにつくられた奈良の大仏だが、
現実には戦火によって二度も焼失している。

はじめは、源平の合戦。
そして二度目は、戦国時代。

しかしそのたびに
人々の力を集めて大仏は再建された。
いま現存している奈良の大仏は、
江戸時代、太平の世になってからのものだ。

大仏が焼けずにすむということが、
平和の証と言えるかもしれない。

平和を守るのは、私たち人間の役目なのだ。



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藤本宗将 17年4月9日放送

170409-05 Takashi(aes256)
鎌倉の大仏と作家

時代小説からノンフィックションまで、
幅広い活躍で知られた作家の大佛次郎。
大仏(だいぶつ)と書いて「おさらぎ」と読むこのペンネーム、
由来は鎌倉の大仏さまだ。

作家として活動をはじめた頃、大佛は鎌倉大仏の裏手に住んでいた。
本物の大仏が太郎だから、謙遜して自らは「次郎」としたのだという。
その後も彼は自然と歴史のある街並みを愛し、
生涯を鎌倉で暮らした。

しかし日本が高度成長期を迎えた頃、
鎌倉にも宅地開発の波が迫ってきた。
街のシンボルである鶴岡八幡宮の裏山までもが
そのターゲットとなったのだ。

当時は自然や景観を保護するということに対して、
まだ一般的な関心が低かった時代。
そのときいち早く反対の声を上げたのが、大佛だった。
開発への反対運動は、一般市民はもちろん、
川端康成や小林秀雄、鏑木清方、伊東深水といった
文化人にまで幅広い支持を集めた。
そしてイギリスのナショナル・トラスト運動を参考にして
大佛が立ち上げた「鎌倉風致保存会」によって
開発予定だった山林1.5ヘクタールの買収と保存が決まる。
さらにこれをきっかけとして、
1966年には「古都保存法」が制定された。

大佛次郎の尽力がなければ、
いまの風景は残っていなかったに違いない。
鎌倉の街は、もうひとりの大仏さまに守られたのだ。



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