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藤本組・藤本宗将

藤本宗将 17年4月9日放送

170409-01 Zanpei
奈良の大仏と開眼供養

西暦752年の4月9日。
奈良の東大寺で大仏の開眼供養が行われた。

しかしその時点で大仏は完成しておらず、
まだ仕上げ作業の多くを残していた。
飾りなどを含めて最終的に完成したのは、
さらに約20年後のこと。

開眼供養の年は
仏教伝来から200年目の節目に当たり、
どうしても間に合わせることが
必要だったのではないかと推測されている。

納期に追われる厳しさは、
天平の昔から同じらしい。



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藤本宗将 17年4月9日放送

170409-02
奈良の大仏とヘアスタイル

大仏さまの頭についているたくさんの突起。
これは渦巻き状の髪の毛で、「螺髪(らほつ)」という。

奈良の大仏の場合、
ひとつの螺髪は直径が約22cm、高さが約21cm。
重さは約1.2kgにもなる。
ただ、それが何個取り付けられているのかは
これまで正確に数えることができなかった。

しかし2015年に東京大学の研究者が
レーザー解析によって螺髪の数を算出。
492個の螺髪が取り付けられているとわかった。
奈良時代からの伝承では「966個」とされてきたが、
その約半分。定説を覆す結果だ。

江戸時代に造り直されたときに減ったのか、
もともと少なかったのか。
理由はわからない。

大仏さまは、髪の毛一本までミステリアスだ。



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藤本宗将 17年4月9日放送

170409-03 KE-TA
奈良の大仏と経済効果

奈良の大仏の建造費を、当時の資料などから
経済学者が試算したことがある。

まず原材料費については、大仏に使った精錬銅 約500トンや
大仏殿の柱の丸太84本など、約3363億5000万円。
そして人件費。建造に携わった人だけで
延べ260万人以上にも及ぶといい、約1292億円。
さらに彼らの住居費として、約1億7000万円。

積算すると、大仏と大仏殿の建造費は
現在の価格で約4657億円となる。
もっともこの試算には石材や内部装飾、
東大寺の他の建築物にかかった費用は含まれていないので、
実際にはもっと多くのお金が動いたはずだ。
建造にかかわった人々の消費なども含めた経済波及効果は、
約1兆246億円に上るという。

これだけ大規模な「公共事業」。
いまならかなりの景気対策になりそうだが、
やはり現代と奈良時代では状況が違う。
かつてない大規模な建設工事によって国の財政は大きく悪化。
とりわけ農民の負担が激増し、
平城京のなかでは浮浪者や餓死者が後を絶たなかった。
地方によっては農民たちが逃亡して税制が崩壊するなど、
律令政治の矛盾点が浮き彫りになっていった。

仏教で世の中を救おうとする聖武天皇の願いとはほど遠い結末。
やがて都も京都の平安京へと移される。
奈良に残された大仏は、
どんな思いで世の移ろいを見つめていたのだろう。


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藤本宗将 17年4月9日放送

170409-04
奈良の大仏と平和

平和を守るためにつくられた奈良の大仏だが、
現実には戦火によって二度も焼失している。

はじめは、源平の合戦。
そして二度目は、戦国時代。

しかしそのたびに
人々の力を集めて大仏は再建された。
いま現存している奈良の大仏は、
江戸時代、太平の世になってからのものだ。

大仏が焼けずにすむということが、
平和の証と言えるかもしれない。

平和を守るのは、私たち人間の役目なのだ。



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藤本宗将 17年4月9日放送

170409-05 Takashi(aes256)
鎌倉の大仏と作家

時代小説からノンフィックションまで、
幅広い活躍で知られた作家の大佛次郎。
大仏(だいぶつ)と書いて「おさらぎ」と読むこのペンネーム、
由来は鎌倉の大仏さまだ。

作家として活動をはじめた頃、大佛は鎌倉大仏の裏手に住んでいた。
本物の大仏が太郎だから、謙遜して自らは「次郎」としたのだという。
その後も彼は自然と歴史のある街並みを愛し、
生涯を鎌倉で暮らした。

しかし日本が高度成長期を迎えた頃、
鎌倉にも宅地開発の波が迫ってきた。
街のシンボルである鶴岡八幡宮の裏山までもが
そのターゲットとなったのだ。

当時は自然や景観を保護するということに対して、
まだ一般的な関心が低かった時代。
そのときいち早く反対の声を上げたのが、大佛だった。
開発への反対運動は、一般市民はもちろん、
川端康成や小林秀雄、鏑木清方、伊東深水といった
文化人にまで幅広い支持を集めた。
そしてイギリスのナショナル・トラスト運動を参考にして
大佛が立ち上げた「鎌倉風致保存会」によって
開発予定だった山林1.5ヘクタールの買収と保存が決まる。
さらにこれをきっかけとして、
1966年には「古都保存法」が制定された。

大佛次郎の尽力がなければ、
いまの風景は残っていなかったに違いない。
鎌倉の街は、もうひとりの大仏さまに守られたのだ。



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藤本宗将 17年4月9日放送

170409-06 bryan…
鎌倉の大仏と大統領

今年1月、8年間の任期を終えた
アメリカのバラク・オバマ大統領。

2009年に大統領として初来日した際の演説では、
少年時代に母親と鎌倉に行ったエピソードを披露した。
まだ小さかったオバマ少年は、
大仏よりも抹茶アイスクリームのほうに
夢中だったそうだ。

その翌年、再び来日したオバマは、
鎌倉を訪れている。
大仏さまに見守られながら
思い出の抹茶アイスを味わった大統領は、
ゲストブックにこう書き残した。

 日本文化のすばらしい宝と再会できて光栄だ。
 この美しさは何年も私の記憶に残っている。




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藤本宗将 17年4月9日放送

170409-07 campra
鎌倉の大仏と女流歌人

鎌倉大仏の裏手には、
有名な与謝野晶子の歌碑がある。

 かまくらや みほとけなれど 釈迦牟尼は
 美男におはす 夏木立かな


与謝野晶子は「釈迦牟尼」と詠んだが、
正しくはこの大仏は「阿弥陀如来」。

美男と褒められたはいいが、
名前を間違えられては
大仏さまも複雑な気分だろう。




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藤本宗将 17年4月9日放送

170409-08
京の大仏と天下人

大仏といえば奈良と鎌倉。
しかし、かつては三大大仏に数えられる
もうひとつの大仏があった。
天下を統一した豊臣秀吉が、
晩年になって京都・方広寺につくらせたものだ。

記録によれば、その高さは19m。
奈良の大仏が15mほどだから、その巨大さがわかる。

しかし、そんな方広寺の大仏も
慶長伏見大地震によって倒壊してしまう。
倒れた大仏を見て秀吉はこう言い放ったという。

 かように、わが身を保てえざる仏体なれば、
 衆生済度(しゅじょうさいど)は、なかなか思いもよらず。


自分の身も守れない仏に
人々を守れるものか、と激怒したのだ。
さらに大仏めがけて矢を射かけたという話まで残っている。
もしかしたら、自分亡き後の不安が
秀吉をそこまで苛立たせたのかもしれない。

方広寺の鐘の銘をきっかけにして
豊臣家が滅んだのは、
それから19年後のことである。



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永久眞規 17年2月11日放送

170211-01
ぬいぐるみの話 A.A.ミルン

1926年、スコットランド人のA.A.ミルンが発表した
“Winnie-the-Pooh”は、
愛する息子クリストファー・ロビンに贈った物語。

物語の主役Poohをはじめ、他の仲間たちもみんな
息子が大切にしていたぬいぐるみだ。
自分のぬいぐるみたちが活躍する物語に、
幼いクリストファーは胸を躍らせたことだろう。

しかしこの素敵な贈り物が。
やがて親子の間に亀裂を生むことになった。

クリストファーは大人になっても
つねに“物語の中のクリストファー・ロビン”と比べられ、
その陰に苦しめられたのだ。

「物語のクリストファーは父の夢の中の理想のボク。
 しかし、誰もが彼をボクだと思うんだ。」


彼は次第に、作者である父親をひどく憎むようになっていく。

この優しくあたたかい物語がもつ、
もうひとつの悲しい物語だ。



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藤本宗将 17年2月11日放送

170211-02
ぬいぐるみの話 マーガレット・シュタイフ

1847年、ドイツのある小さな町に、
マルガレーテという女の子が生まれた。
1歳半のとき病気で両足と右手が不自由となり、
一生を車椅子で過ごすことになった彼女。
その人生を変えたのは、
洋裁という仕事との出会いだった。

左手だけで扱えるようにミシンを逆向きで使うなど
工夫しながら技術を身につけ、
30歳の時には家族の助けもあって洋裁店をひらく。

あるとき、甥や姪たちのために彼女がつくった
フェルト製のぬいぐるみが大評判に。
そこから会社はどんどん大きくなっていく。

彼女の会社の代表作となったクマのぬいぐるみは、
いまでも「テディベア」と呼ばれ愛されている。

そのクマは、19世紀という時代にあって
障害をものともせず、
自立した女性がいたことの証なのだ。



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