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2010 年 9 月 のアーカイブ

名雪祐平 10年09月26日放送



ルイス・キャロル


少女の身体が
大きくなったり、
小さくなったり。

『不思議の国のアリス』は、
想像力にあふれている。

しかし、作者のルイス・キャロルは
異常なほど几帳面な男だった。

記録魔で、手紙魔で、計画魔。

そんな、完璧主義という
病いのような日常から、
とことん奇想天外な物語が、
創作されたのであった。









キャサリン・ヘップバーン1


アカデミー賞ノミネートを12回。
主演女優賞を4回。

どちらも最多記録を誇る
キャサリン・ヘップバーン

けれども、彼女は
何回ノミネートされても、
授賞式に1回も出席することはなかった。

理由は、
おそろしくシンプル。


 大勢の人間が集まるところに
 行くのは嫌いだから。


初ノミネートから約50年もの間、
びくとも変わらない意志が
すごい。




キャサリン・ヘップバーン2


アカデミー賞に、12回ノミネートされても
授賞式には欠席してしまう。

大勢いるところが嫌いだから。

そんなキャサリン・ヘップバーンが
1回だけ授賞式に出席したことがある。

それは自らのノミネートが
理由ではなかった。

長年の友人であるプロデューサーに贈られる賞の
「プレゼンター役」を引き受けたのだ。

はじめて授賞式に姿を見せた大女優に、
会場はスタンディング・オベーション。

彼女もユーモアでこたえた。


 よかったわ。
 “いまごろのこのこやってきて”
 と言われなくて。


そして、無事プレゼンターとして
友人に賞を渡すと
すぐに舞台から裏口へと消えた。

会場にいたのは、わずか15分だった。

こういうことを、
あざやか、というのかもしれない。





ノーベル


ダイナマイトを発明し、
莫大な富を築いた
アルフレッド・ノーベル


 仕事があれば、
 そこが我が祖国。


と、世界中に出張する。

小説家ヴィクトル・ユゴーは彼を
「ヨーロッパでもっとも裕福な浮浪者」
と評した。

子どもはいなかった。

遺言状により、
創立されたノーベル賞は
いまにつづく
彼の子孫なのかもしれない。





ユトリロ1


ルノワールの有名な作品
『ブージヴァルの踊り』

その絵のなかで、
若き日の母が、
男に身体を寄せている。

あれが父だろうか?
息子ユトリロは、
父親を知らなかった。

祖母の元で育てられ、
深い孤独に悩み、
次第に酒に溺れていった。

17歳ですでに
アルコール中毒となり、
精神病院に入院する。

ここで、治療のため
絵を描くことを勧められたのだった。

孤独とアルコール。

その2つが、
まるで、父と母のように、
画家ユトリロを産んだのかもしれない。





ユトリロ2


ユトリロといえば、
風景画。

けれど酒に溺れ、
奇行ばかり繰りかえしたため、
パリの街中で人々は
罵声を浴びせはじめた。

外で画けないため、
絵葉書をもとに室内で制作すると、
またそれを批判された。

しかし、ユトリロは
絵葉書からでも
詩情あふれる風景画を創ってのけた。

酒で生活が荒れに荒れ、
絵葉書に頼ってもいた
この時代に傑作が多いのは、
人間と芸術の不思議である。





赤塚不二夫1


昭和30年代前半、
ギャグ漫画は、
認められていなかった。

だから、赤塚不二夫は、
少女漫画も描いていた。

それが
『ひみつのアッコちゃん』
が生まれたひみつ。

鏡よ、鏡。
と変身するアッコちゃん。

かわいらしい少女漫画のふりをさせて、
実は、新しいギャグ漫画を
試したのかもしれません。

いたずらが大好きだった
赤塚先生のことだから。





赤塚不二夫2


ギャグ漫画に
こだわるのはなぜですか?

赤塚不二夫は迷わず答えた。


 芸術性が高いものね。
 ギャグ漫画というのは、
 人間が笑うということ、
 ギャグこそ品位が
 必要なんですよ。


たしかに…。たとえば、

これでいいのだ。

これ以上芸術的な一言は
ないのかもしれません。

これでいいのだ。


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渋谷三紀 10年09月25日放送



ファッションことば①
  イヴ・サンローラン


蒸し暑い街の風景を涼しげに彩るシースルー・ファッションを
はじめて世に送り出したのは、イヴ・サンローラン。

1968年に発表した、モデルのからだが透けて見える黒いドレスは、
保守的なパリのファッション業界から激しい非難をあびた。

しかし彼は、
ヌード以上に女性らしい美しさを引き出すシースルーの魅力を
誰より早く見抜いていた。

ファッションとは生き方である。

と語ったサンローランは、
自分の意思でファッションを、そして生き方を選びとる自由を
女性たちに与えようとした。

それはつまり、女性が女性らしく、自分らしく生きる時代の幕開けだった。








ファッションことば②
  パリス・ヒルトン


アメリカの億万長者として名高い
ヒルトン一族の令嬢パリスは
お騒がせセレブとして知られている。

このパリスの発言が
イギリスの由緒正しい引用句辞典に掲載されたのは
去年のことだった。

 どこへ行くにもかわいらしく着飾りなさい。
 人生は短すぎてすべてを着られないんだから。

パリスの言葉は
オスカー・ワイルドやホーキング博士の言葉と並んで
堂々と胸を張って見える。

100年後、パリスのお騒がせ事件の数々を知らないまま
これを読む人は何を感じるだろう。
それが知りたい。





ファッションことば③
  ジバンシー


永遠の妖精、オードリー・ヘップバーン。
そのエレガントな美しさのいくらかは、
衣装を担当したジバンシーがつくりだした、
といっていいだろう。

ふたりの出会いは
ジバンシー26歳、オードリー24歳のとき。

約束の場所に現れたオードリーを見て、
ジバンシーは思った。

 ショートヘアで化粧っけのない、
 少年のようにやせっぽっちの女の子。

ジバンシーは、オードリーでなく
当時彼女より有名だった
キャサリン・ヘップバーンが来ると誤解していたのだ。

お互いの存在なしでは、
世界的女優と世界的デザイナーになれなかったふたりの歴史が
誤解と落胆からはじまったなんて、おもしろい。





ファッションことば④
  川久保玲


1982年、コムデギャルソン、
初めてのパリコレクション。

デザイナー川久保玲は、
喪服のような黒で
女性のからだのラインを覆い隠すスタイルを提案。
賛否両論の嵐を巻き起こし、
その事件は「東からの衝撃」と呼ばれた。

川久保はいう。

 新しいものは、半分の人がノーと言うし、
 そうでなくては新しくない。

強烈に求められるか、拒絶されるか。
決して無視できない、まったく新しい価値をつくることが
自分の仕事だと考えている。

それ以降、ファッションの世界で、
川久保は革命を起こしつづけている。
もっと正しく言えば、
川久保の存在自体が、革命でありつづけている。





ファッションことば⑤
  アナ・ウィンター


世界のあらゆるファッションショーで、
最前列を約束されている女性がいる。

金髪のボブカットにサングラスがトレードマークの
米国版「VOGUE」編集長、アナ・ウィンター。
映画「プラダを着た悪魔」のモデルとしてあまりに有名。

彼女のもうひとつの顔は
ファッションブランドに新しい才能を紹介するコーディネーター。

ルイ・ヴィトンに、マーク・ジェイコブスを。
クリスチャン・ディオールに、ジョン・ガリアーノを。

アナ・ウィンターはモードの流れを追うだけでなく
自らモードの未來をつくりだしている。
そして、アナ・ウィンターはこんな意見を言う。

 ファッションとは、先を見ること。





ファッションことば⑥
  ワダ・エミ


映画『乱』の衣装デザインで
日本人女性初のアカデミー賞を受賞した、ワダ・エミは、

 自分にとって、衣装はことばです。

と語る。

京都で育った子ども時代、何気なく見ていた
古い絵画、彫刻、建築、神社の鳥居の形が
自分のデザインの基本にあるという、ワダ。

衣装という世界共通語にのせて、
73歳になったいまも、
日本の文化の美しさ、奥深さを世界に伝えつづけている。





ファッションことば⑦
  キャリー from 「SEX AND THE CITY」



キャリー、サマンサ、ミランダ、シャーロット。
NYで生きる4人のキャリアウーマンの
友情を描いたSEX AND THE CITYは、
世界中の女性の心をつかみ、
2度も映画化された大ヒットドラマ。

中でも主人公キャリーのハイセンスな
ファッションは常にアツイ注目を集め、
彼女が身に着けたものから、
次々とトレンドが生まれていった。

オシャレは足元から、とばかりに、
クローゼットに入りきらないほど
お気に入りの靴を並べて、彼女はいう。

シングルウーマンの道は平坦ではないから、
歩くのが楽しくなるような靴が必要なの。

なるほど。
ファッションと同じように、
女心にも国境はないようです。

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Twitter バグ


坂本和加さんは目撃したようですが私は見逃しました。
Twitter を騒がせていたバグ、もうyoutubeにアップされている…

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五島のはなし(118)

五島にはヘンな人が多かった
っていう話(117参照)を書いたら、
五島出身の「あらかぶ」さん(男)からコメントがあって
すごく笑ったのでコピペ。
さすが五島!
(ちなみにこの10円おじさん、僕は知らんかった)


10円おじさん

小学校の帰り、『10円あげるから耳掃除させて』と
言ってくるおじいさんがいたよな。
10円に魅力は感じたけど、
実際にやってもらったという話し
は聞いたことはなかったけど。

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五島のはなし(117)

子ども時代のことを友人と話していると、よく、
五島にはヘンな人がいたよなーって話になる。
が、うちの父は
「むかしはヘンな人がもっとたくさんいたんだけどな~」
と遠い目をして言う。少し残念そうに。

なんでも昭和40年代のいつごろか、
とってもエライ人が五島を来訪し、
その機会にヘンな人たちは少なくなった、というのである。
ホントだろうか・・・

「むかしはもっといた」という
ヘンな人の一例は「メヒクライ」だ。
「飯喰らい」っていう意味だと思う。

いつも茶碗を手にもって街を歩き、
腹が減ると、知らない人の玄関にズカズカと入り

「メヒッ!」

と大声で叫ぶのだそうだ。
手に持った茶碗を突き出しながら。
すると、その家の人は
(あ、メヒクライがうちに来たゾ・・・と思いながら)
その茶碗にご飯を入れてあげる習わしだった、という。

たきたての白米じゃないと嫌がった、
という話を聞いた気がする。
ホントだったらおもしろい。
おかずはどうしていたんだろう。

ふつうに考えれば、ご飯がおいしくて、
親切にしてくれる家ばかりを選ぶようになるはず。
でも、メヒクライは誰の家でもおかまいなしに入っていったというから、
実はきっと、島民の、他人への思いやりとか、コミュニティの連帯感とか、
そういうのを高めるために、ヘンな人のふりをしていたんじゃないか
(一風変わった民生委員ととらえることもできる)、
なんて想像をふくらましてみたけど、
たぶんそんなことはなくて、たんに、ヘンな人だったんだろう。


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五島のはなし(116)

前回に引き続き、五島市のメルマガ
「心のふるさと子」からのお知らせ。

 物産展のお知らせです。
 22日(水)から、鹿児島山形屋において「長崎物産展」が行なわれます。
 五島市からは鬼鯖鮨、ねり物、サンゴ、かんころ餅などを出品。

 五島市事務局ブースでは、22日~24日の3日間、計100名の方に豪華五島産品が
 当たるガラポン抽選会を実施します。
 “五島賞”はなんと!「鹿児島~五島間の往復航空券+ホテル宿泊券」!!
 五島牛乳、コーヒー牛乳、みるくプリンの特別限定販売もありますよ~。
 お近くの皆さま、ぜひご来場ください!

 ■日時 9月22日(水)~27日(月)の6日間
 ※ガラポン抽選会は24日までですのでご注意ください。

 ■会場 鹿児島山形屋(鹿児島市金生町3番1号)

だそうです。
さあみなさん、このチャンスをお見逃しなく!
こぞって鹿児島に行きましょう。

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蛭田瑞穂 10年09月19日放送



宇宙のはなし①「ムーンイリュージョン」


ビルや山の合間にあらわれた月が、
いつもより大きく見えたことはありませんか?

地平線の近くにある月が、
真上にある月より大きく見えるこの現象。
名前を「ムーンイリュージョン」という。

なぜ大きく見えるのか。
アリストテレス、プトレマイオス、デカルト、ガウス、
古代から名だたる賢人たちがこの不思議の解明を試みた。

目の錯覚、光の屈折、心理作用。
さまざまな説があるけれど、
こんな幻想的な謎は、できれば謎のままにしておきたい。









宇宙のはなし②「レイリー卿」


空はどうして青いの?
そんな質問をされたら、あなたはなんて答えますか?

空の青さ。
それは光の性質に関係がある。

太陽の光は地球に届くと、大気中の塵にぶつかって反射をする。
あらゆる色が存在する光の中でも、青色の光は波長が長く、
さまざまな角度に反射して拡散する。
そのため、空一面が青く見えるのだという。

この原理を発見したのは
イギリスの物理学者ジョン・ウィリアム・ストラット。
男爵だった彼は、「レイリー卿」の通称で呼ばれていたため、
この光の作用も「レイリー散乱」と名づけられた。

空が青い理由。
それは、つまり、こういうわけなのです。





宇宙のはなし③「川口淳一郎」


2003年に打ち上げられた惑星探査機「はやぶさ」。
そのミッションは地球から3億キロ離れた
小惑星イトカワに着陸し、表面のサンプルを持ち帰ること。

そのサンプルには46億年前、
太陽系誕生の秘密を解く鍵が隠されているという。

月以外の惑星からサンプルを持ち帰る、人類初の壮大な試み。
それだけに度重なる危機がはやぶさを襲った。

姿勢制御装置の故障、通信機能の不能、イオンエンジンの停止。
しかし、その度にはやぶさは危機を乗り越え、
ついに2010年6月13日、再びその姿を地球にあらわす。

最後の大仕事は、サンプルを入れたカプセルの切り離し。
それに無事成功すると、はやぶさはそのまま大気圏に突入。
花火のように燃え尽きた。

はやぶさプロジェクトのマネージャー、川口淳一郎はこう語る。


 絶望的な危機を何度となく乗り越え、
 カプセルを地球に送り返す大役を成し遂げたあとで、
 みずからは日本国民の心に残る“不死鳥”になったのです。






宇宙のはなし④「ジョージ・ガモフ」


宇宙のはじまりは超高密度で、超高温の小さな火の玉だった。

1946年にアメリカの物理学者
ジョージ・ガモフが提唱した「ビッグバン理論」。

だが当時の科学者の多くはその説に否定的だった。

「ドカンという爆発から宇宙が生まれたとでもいうのかね?」。
「ビッグバン」という名前もそんな皮肉からつけられた。

しかし現在、ビッグバン理論は
宇宙の起源に関するもっとも有力な説。

コペルニクスの昔から、
常識を覆す発見はなかなか理解されないらしい。





宇宙のはなし⑤「オルバースとハッブル」


どうして夜空は暗いのだろうか。
太陽が出ていないから?
どうやら話はそう簡単ではないようだ。

19世紀の天文学者ハインリヒ・オルバースは
こんな疑問を投げかけた。


 もし宇宙が無限であり、無限の星が存在するなら、
 無限の星の輝きで夜空は明るくなるはずだ。


これを「オルバースのパラドクス」という。
あきらかな矛盾とわかりながらも、
誰も矛盾を解決できなかった。

このパラドクスに答えが出たのは、
20世紀になり、天文学者エドウィン・ハッブルが
「ハッブルの法則」を発表してから。


 すべての銀河が私たちから遠ざかり、
 しかも、遠くにある銀河ほどより速い速度で遠ざかる。


つまり、宇宙は光より速い速度で膨張している。
そのため、すべての星の輝きが地球に届かないのだ。

夜空の暗さ。
それはこの瞬間も宇宙が膨張を続けていることの
たしかな証なのである。





宇宙のはなし⑥「小柴博士」


「この世に摩擦がなければどうなるか?」
こんな問題を出されたら、あなたはなんと答えますか?

ニュートリノの検出による多大な功績で、
ノーベル物理学賞を受賞した、小柴昌俊博士。

博士が大学院時代、高校の試験に出題したのが、
「この世に摩擦がなければどうなるか?」という問題。

答えは、「白紙の答案」。

摩擦がなければ、鉛筆の先が滑って答えが書けない。
ゆえに白紙の答案が正しい解答なのだと言う。

科学者の頭はやはり型破りである。





宇宙のはなし⑦「アルベルト・アインシュタイン」


宇宙観測の歴史は、
17世紀の初めに、ガリレオ・ガリレイが
手づくりの望遠鏡を覗いたことがはじまりと言われている。

それ以来、人間は地球という小さな星の中から
広大な宇宙を眺め、その謎を突き止めようとしてきた。

相対性理論を完成させ、
「現代宇宙論の生みの親」と呼ばれる、
アルベルト・アインシュタインは言う。


 この宇宙でもっとも理解不能なこと、
 それはこの宇宙が理解可能であることだ。






宇宙のはなし⑧「カール・セーガン」


作家、カール・セーガン。
地球外生命体との接触を描いたSF映画『コンタクト』の原作者。

彼はフィクションの中だけでなく、
現実の世界でも宇宙との交信を試みた。

1972年、セーガンは地球と人類に関する情報を金属板に描き、
木星探査機パイオニア10号の機内に取り付けた。

それは人類が初めて送った宇宙への手紙だった。

残念ながらセーガンは
その成果を見届けることなく1996年に他界する。

だが、木星の探査を終えたパイオニア10号は、
地球から53光年離れた恒星アルデバランに向かって
現在も旅を続けている。

私たちの知らない誰かに見つけられるために。


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一倉宏 20周年記念ライブ



とき:10月2日(土)17時〜
ところ:渋谷セルリアンタワー JZBrat
チケット:10,000円(飲み物、食事つき)
出演予定:井上鑑村上ゆき中島信也ほか
問い合せ:20th@1-kura.com

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小宮由美子 10年09月18日放送



ハワイアン・ヒストリー
〜フラの母、マイキ・アウイ・レイク


現在活躍している多くのフラ指導者を育て、
「フラの母」とも呼ばれるマイキ・アウイ・レイク。

彼女が、生前いかに魅力あふれる、愛された女性だったかを
知る手がかりは、フラソング『プア・リリレフア』の中にある。

 あなたはどこに
 リリフレアの花よ
 大切なあなたを想う気持ちで
 僕の頭はいっぱいだ


今も歌い継がれ、踊り継がれるこの切ない名曲は、
ひとりの男性からマイキに捧げられた、ラブレターなのだそうだ。





ハワイアン・ヒストリー
〜キャプテン・クックの出会った住民


「彼らの視線はさまざまなものの間を
 きょろきょろと動き回った。
 見慣れない物を前にした時のそのふるまいを見ていると、
 彼らが驚嘆していることは歴然とわかった。
 かつて一度も船という物に乗ったことがないのは明らかだった」


1778年、ハワイ諸島に上陸したキャプテン・クックは、
島の住民たちの様子をそう記録している。

初めて出会うヨーロッパ人たちに、ハワイの人々は友好的だった。
最初はカヌーで、おそるおそる艦隊の船を遠巻きにしていたが、
翌日になるともう、船の中に乗り込んでいったという。

彼らが最初に取り引きしたものは、
真鍮のメダルと一尾のサバ。

この出来事を境に
やがて、ハワイの歴史は大きく変わっていくことになる。





ハワイアンたち
〜ギャビー・パヒヌイ


ギターの弦をゆるめて、独特の響きを作り出す
「スラッキー・ギター」。

19世紀末に、ハワイのカウボーイたちが好んだ演奏方法だが、
やがて衰退。それを復活させたのが、ギャビー・パヒヌイだった。

1955年、ハワイ語で歌った『ヒイラヴェ』が大ヒット。
ネイティブ・ハワイアン文化の復興をねがう人々に
ギャビーは熱烈な支持を受けた。

音楽での成功が、経済的な成功に結びつくことはなく、
生涯、建設現場の労働で生計を立てていたというギャビー。

同時代のミュージシャンたちに尊敬され、愛され、
いつも、たくさんの人たちに囲まれていたというギャビー。

彼の音楽はいま、世界的に高く評価され、
ギタリストになった彼の息子スィロにも、その魂が受け継がれている。





ハワイアン・ヒストリー
〜ナイノア・トンプソンと、ホクレア号


星と太陽。風と、うねり。海面の色や、空を飛ぶ鳥など、
自然が与えてくれるサインだけをたよりに大海原を航海する
「スターナビゲーション」。
古代ポリネシア人が数千年前から継承してきたこの伝統航海術で
<ホクレア号>は、いくつもの航海を成功させてきた。

最新の技術に頼らずに、あえて古来の技に従い、昔ながらのカヌーで漕ぎ出す。
クルーとして乗り込むハワイアンたちにとって、それは勇敢に海を渡って世界
を広げてきた先祖の文化の継承であり、その精神を学ぶこと。

「この世の中で起こっているドラマの、その向こうを見ることが
 できる人間が必要なんです」

そう語るのは、ホクレア号の航海士、ナイノア・トンプソン。

「伝統を蘇らせるのは大事だが、それを教育によって次の世代に
伝えるのは、もっと大事だ」
「それが、ホクレア号の航海の、本当の目的だ」

今、ハワイの若い世代にとって、クルーになることは憧れ。
オアフでは今日も、選ばれた候補たちが、次の航海に向けた
厳しく長いトレーニングを積んでいる。





ハワイアン・ヒストリー
〜摂政カアアフマヌ


 女も、バナナを食べていい。
 男と女は、一緒に食事をしてもいい。


それまでハワイにあった宗教的なタブーを変えたのは、
カアアフマヌという女性だった。
大王の21人の妻の中で最も愛され、信頼されていたという
彼女は、まず自分でそのタブーを破ってみせた。

民衆も、この変化を受け入れた。
タブーを破っても、雷は鳴らなかったし、
神の怒りが下ることがなかったから。

1819年。ハワイの近代化が始まろうとしていた頃の話。







ハワイアン・ヒストリー
〜カメハメハ大王


「醜いと呼んでもいいほど勇猛な顔立ち。だが、非常に知的で
 観察力に富み、良い性格をしている」


ハワイに上陸したキャプテン・クックの部下、ジェイムズ・キングは、
当時、青年だったカメハメハを、こうあらわしている。

1753年頃、ハワイ島の北部で生まれ、
ずば抜けた体力と知力で頭角をあらわしたカメハメハ。

のちに、歴史上はじめてハワイ諸島の統一を成し遂げ、
ひとつの王朝をつくりあげた彼の写真は、残っていない。

銅像や肖像画はいくつも残されているが、どれも顔が違う。
戦いのないハワイの黄金時代を築き、
民衆からも愛されたという王は、どんな顔立ちをしていたのだろう。

1819年5月8日、カメハメハは世を去った。
墓所は秘密にされ、今も知られていない。





ハワイアンたち〜
リリウオカラニ


あの、有名な『アロハ・オエ』。
作曲したのが、ハワイ王国最後の女王だということは
あまり知られていない。

リリウオカラニ。

彼女が、王であった兄のあとを継いで即位したとき、
力を増しつつあったアメリカ勢力によって、
ハワイ王国は崩壊寸前だった。
1895年、ハワイの復権を試みて、武力蜂起が起きるが、
簡単につぶされる。リリウオカラニは、白人勢力に対する
反乱の首謀者として逮捕され、軟禁された。
ハワイ王国の滅亡。

そんな激動の人生の中で、
リリウオカラニが残した『アロハ・オエ』。
別れを歌うこの曲は、
アメリカへ吸収されていく祖国への悲しみの歌ともいわれている。

 甘い記憶が私に帰ってくる
 過去の思い出が鮮やかに蘇る
 親しいものよ、おまえは私のもの
 おまえから真実の愛が去ることはない
 アロハ・オエ、アロハ・オエ

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五島のはなし(115)

五島から定期的に送られてくる
お便りメール「心のふるさと子」より抜粋。


 五島では禁漁期間を終え、秋の伊勢エビ漁がはじまっています。
 刺身にするとその身は甘く、歯ごたえもあり絶品です。
 来島の際はぜひ刺身で味わってみてください!
 小泊漁港では大人から子どもまで大人気の伊勢エビ漁体験ができますよ。
 詳しくは、「よかとこ、五島。」ホームページ
 http://www.yokatoko-goto.jp/ をご覧ください。


・・・伊勢エビ漁体験、ぜひ行ってみたい。
この秋も五島に帰りたくなってきた。

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