2019 年 9 月 のアーカイブ

石橋涼子 19年9月29日放送


T.Kiya
月のはなし 日本の十三夜

夜空に浮かぶ月は、29.5日の周期で変化する。
そのため、昔は、月の満ち欠けがカレンダーだった。

もちろんそれだけではなく、
見上げるたびに変わるお月様の変化を
人々は愛した。

眉月(まゆづき)、弓張り月、下弦の月、…。
月が変わる様子を愛でる名前も美しい。

まんまるいお月様を楽しむ十五夜の風習は、
平安時代に中国から日本へ伝わった。

そしてなぜか、
満月にはほんの少し足りない、
欠けた月を楽しむ十三夜という風習が
日本で独自に生まれた。

変化するもの、完全ではないものに
美と価値を見出す日本らしい楽しみ方かもしれない。

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石橋涼子 19年9月29日放送


overQ2.0
月のはなし 桂離宮の月見台

電気のなかった時代、月の存在感は大きかった。
貴族たちは、その眩さを愛でるために
池に船を浮かべ、雅楽を奏で、優雅に月見を楽しんだ。

そして17世紀、八条宮智仁親王(はちじょうのみやとしひとしんのう)が
月見のために建てた別荘が、京都の桂離宮だ。

書院と呼ばれる建物に、月見台がある。
これは名前通り、お月見のための特等席。
庭園の池にせり出す月見台に座って見えるものは、
夜空に浮かぶ満月と、真っ黒い池に浮かぶ、もうひとつの月。

古代中国の詩人、白楽天が
水に浮かぶ月を一粒の真珠に見立てたように、
月見を楽しむ人々は、見上げる月とともに
地上に揺らぐ月の影も愛した。

桂離宮の中には、「浮月(うきづき)」と名付けられた
石造りの小ぶりな水鉢がある。
こんな小さな水面にも月を浮かべようとした
貴族の情熱を見習って、今宵、
手元のグラスに月を浮かべてみてはどうだろう。

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熊埜御堂由香 19年9月29日放送


NASA Goddard
月のはなし 売りに出された月の砂

月面は「レゴリス」と呼ばれる砂に覆われている。
1969年に初めて月面歩行を果たしたニール・アームストロング。
彼がその砂を小さなバッグに入れて持ち帰った。
そのバッグは「LUNAR SAMPLE RETURN」、
とラベルが貼られ、数奇な運命をたどることになる。

1980年代にある博物館に貸し出された月の砂のバッグ。
展示品を、秘密裏に売却し続けていたその博物館の館長の
賠償金として、誤ってネットで売りに出されてしまう。

2015年には、
「月の砂入り。ミッション不明」という、いわくつきのタイトルで、
たった995ドルで、イリノイ州の女性の手に渡る。

落札後、NASAの鑑定で貴重品と判明。
取り返そうとしたNASAは女性との訴訟に負けてしまう。

そして、2017年、月面着陸48周年に
公の競売にかけられたそのバッグは180万ドル、
約2億円で落札された。

人の手から、手へと、流転した月の砂。
穏やかに地球を照らす月は、
その様子を微笑んで見ていたかもしれない。

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若杉茜 19年9月29日放送


magnusvk
月のはなし 絵のない絵本

アンデルセンの作品、『絵のない絵本』。
主人公は貧しく孤独な絵描きの青年。
夜、寂しさに襲われて、彼が窓の外を見上げると、
そこには故郷と変わりなく輝く懐かしい月がいた。

月は時折やってきて、彼に自分が世界中で見てきたお話しを聞かせるようになる。
彼は、それを絵に描いていく。月が彼に聞かせるのは、絵を持たない絵本なのだ。

月はどこにいても出会える懐かしい存在として、優しく世界を照らしてくれる。
そして今日も私たちの人生を、そっと見守っている。
ずいぶん遠くにきてしまったなあ、
と思った時には、月を見上げてみるのもいいかもしれない。

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薄景子 19年9月29日放送



月のはなし 月の光

もしも、この世に月がなかったら、
生まれなかった物語はいくつあっただろう。

生まれなかった言葉は、歌は、
生まれなかった恋は、世界にいくつあっただろう。

ドビュッシーの名曲、「月の光」。
幻想的な月夜をイメージするこの曲は
フランスの詩人、ヴォルレーヌの詩「月の光」に
魅了されたドビュッシーが
その詩にあわせて歌曲をつくったのがはじまり。
彼はその曲を恋人、ヴァニエ夫人にささげ、
のちにピアノの音だけで「月の光」を表現したという。

静かで、どこか切なく、心にそっと寄り添うメロディは
月明りの夜、物想いにふけるのにちょうどいい。
ふと、会いたい人の顔が思い浮かんだら、
それは月の光が、あなたの胸を照らした証拠。

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小野麻利江 19年9月29日放送



月のはなし 田毎の月

「棚田」と呼ばれる、
階段状に小さく区切られた水田。
その棚田の一つ一つすべてに月が映るさまを
日本人は「田毎の月(たごとのつき)」
と呼んできた。

数々の浮世絵師がこの構図を好み、
俳句では、秋の季語となっている。
特に有名なのが、歌川広重による浮世絵、
「信州更科田毎月鐘台山
(しんしゅう さらしな たごとのつき きょうだいさん)」。
段々になった田んぼそれぞれに、
満月を浮かばせている。

しかし、「すべての田んぼに1つずつ月が映る」というのは、
実際には不可能な光景。
どんなに田んぼがたくさんあっても、
月が映るのは一つだけ。

創作の世界で花開いた、月の表現。
与謝蕪村の一句でも、
朧げながらも沢山の
月の光の明るさが、立ちのぼる。

 帰る雁 田毎の月の くもる夜に

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茂木彩海 19年9月29日放送



月のはなし 月に誓って

夜、暗闇にぼんやり優しく光る月は、
昼間の太陽との対比だろうか、
なんとなく見る者を、まろやかに、ロマンチックな気持ちにさせてくれる。

満月の夜は、ちょっと得した気持ちになるし、
三日月の夜は、細くても強い、その光を頼もしく感じる。

そんな月の変化を恋心に言い当てたのは、かのシェイクスピア。

常に変化しているのだから、月に誓ってはならない。
それではあなたの愛もまた変わってしまうだろう。

「ロミオとジュリエット」の一節でもあるこの言葉。

月は、満ちたり、欠けたりしながら、
月の下に集う恋人たちの、変わらぬ愛を試しているのかもしれない。

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茂木彩海 19年9月29日放送



月のはなし 世界のお月見

お月見をするのは、なにも日本人に限ったことではない。

海外のお月見も、日本と同様に
そのほとんどが収穫を感謝するためのものだが、
ヨーロッパではもともと月を
人々のリズムを狂わす「狂気」の象徴と考え
満月でオオカミに変身してしまう「狼男」や
月の元でしか生きられない「ドラキュラ」が生まれた。

同じお月見でも、国が変わればこんなに違う。
いずれにしろ、人類は月の秘めたるパワーを感じざるをえないのだ。

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厚焼玉子 19年9月28日放送



秋の虫 虫聞き

秋の夜、野山に出て虫の声を楽しむことを
「虫聞き」と言うそうだ。

虫の声を楽しむ習慣は日本にしかない。
ラフカディオ・ハーンは日本に来て
虫の声を楽しむ人々を見てかなり驚き、
虫を売る商売があるのを知って
さらに驚いたという。

なぜ日本にしかないのか、
左右の脳の機能の問題とは思うが、
面倒な話は置いておいて
虫の声を楽しむ文化のある国で
秋をじっくり楽しみたい。

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厚焼玉子 19年9月28日放送



秋の虫 枕草子

「春はあけぼの」からはじまる
清少納言の枕草子。
読み進むと、「虫はすずむし」というくだりがある。
その後に続くのがヒグラシ、蝶、松虫。

ヒグラシは9月になっても鳴いている。
松虫は8月から鳴きはじめる。
いつ夏が終わり、いつ秋がきたのか。
清少納言の時代は
もっと鮮明に見えたのだろうか。

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