2018 年 7 月 のアーカイブ

松岡康 18年7月29日放送

180729-01
craigdietrich
世界一小さい公園

アメリカ、オレゴン州
ポートランドの中央分離帯に、
直径約70cmの小さな植え込みがある。

この小さな植え込み、
実は公式に市からも認定されている
れっきとした公園なのだ。

もともと街灯が建つはずだった穴に、
新聞のライターが植物を植えたのが始まりだった。

彼はこの場所を、
妖精が暮らす公園とし、新聞にコラムを書き始めた。
コラムは地元の人から愛され、
行政もここを公園として認めたのだった。

すべり台もジャングルジムも要らない。
物語さえあれば、そこはみんなから愛される
公園になるのかもしれない。

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松岡康 18年7月29日放送

180729-02

読書のための公園

休みの日は、ゆっくりしたい。
けど、だらだら家で過ごすのは嫌だ。

そんな人におすすめなのが「外読書」だ。

東京都杉並区中央図書館に隣接する「読書の森公園」。
ここは読書を楽しむために作られた公園だ。

気持ちの良い広々とした芝生。
それを囲むように置かれたベンチ。
池のほとりに立つ東屋。

図書館で借りた本を広げ、自然を感じながら読むと、
読書の時間がもっと大切な時間になる。

日常につかれたら、是非でかけてみてはいかがだろう。
読書のための公園が、あなたをきっと癒してくれる。

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澁江俊一 18年7月29日放送

180729-03

公園の父

本多静六(ほんだせいろく)
という男を、知っているだろうか?

日比谷公園や明治神宮、
埼玉の羊山公園や福岡の大濠公園など
日本を代表する公園をいくつも設計した
「公園の父」と呼ばれる人物だ。

静六はたいへんな倹約家で
収入の1/4は必ず貯蓄をし、
株式や山林へ投資して巨額の富を得た。

倹約の理由は、
いつでも仕事を辞められる財産があれば、
やりたくない仕事はやらずに、
自由に働けるから。

しかし退官を機に静六は、ほぼすべての資産を
匿名で教育、公共機関に寄付する。
その理由は、子どもの教育によくないから。

本多静六。
こんなにも気持ちのいい男が
日本の名だたる公園をつくってくれていたなんて。
いつもの公園で、いつもより
気持ちいい時間が過ごせそうだ。

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奥村広乃 18年7月29日放送

180729-04
Aimaimyi
タイヤ公園

東京都、大田区、蒲田。
ここに一風変わった公園があるという。
その名も西六郷公園。
通称タイヤ公園だ。

名前の通り、公園内はタイヤだらけ。
タイヤのブランコ、
タイヤの道、
タイヤのジャングルジム。

園内には、3000あまりものタイヤがあるという。

中でも目を引くのは、
高さ8メートルもある、タイヤ怪獣。
この公園のシンボルだ。

使われなくなったタイヤを集めて作ったというこの公園。
ただ面白いだけでなく、エコでもあるのだ。

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澁江俊一 18年7月29日放送

180729-05

江戸っ子の花好き

公園という言葉は
明治以降のものだけれど
江戸時代にもすでに公園はあった。
寺や神社の境内が、それである。
当時最高のアトラクションは花だった。
梅や桜やツツジや椿、春と秋の七草など
様々な花を見に江戸っ子たちは繰り出した。

川の土手に桜を植えたのも
大勢の江戸っ子が見にくることで
土手が踏み固められ、強い堤防になるためだった。

我々現代人よりはるかに、
季節を楽しむことが上手な江戸っ子たち。

江戸時代に日本にやってきた
スコットランドのプラントハンター、
ロバート・フォーチュンはこう語っている。

 日本人は、庶民でも生来の花好きである。
 花を愛することが、
 文化的レベルの高さの証明だとすれば、
 日本の庶民は我が国と比べると、
 ずっと勝っているとみえる。

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奥村広乃 18年7月29日放送

180729-06

ばなな公園

バナナの皮で滑って転ぶ。
そんな古典ギャグがある。
実は100年以上前から
このギャグはあると言われている。

東京には、
そんなバナナを滑れる場所がある。
練馬区立ばなな公園。
ここに、バナナの形をした滑り台があるのだ。

滑り台の他にも、
バナナのベンチ、
バナナにまたがって遊べるバネのついた遊具もある。

鮮やかな黄色。
独特なフォルム。
不思議な魅力があるバナナ。
あなたも一つ、滑ってみてはいかがだろうか。

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礒部建多 18年7月29日放送

180729-07
kazutan3@YCC
伝説の公園

かながわ景勝50選にも選ばれる、稲村ガ崎公園。
海際の崖の上にあり、そこからの景色は、
江ノ島と富士山を一望できることでも有名である。
晩夏の朝陽に染め上げられた赤富士は、
息を飲むほどに美しい。

またここは、
鎌倉幕府倒幕の起点となった場所としても有名である。
四方を山と海に囲まれた、天然の要塞であった鎌倉を、
新田義貞はこの場所から攻め入ったのだ。

伝説によれば、
荒々しく波が打ち寄せていた岸に、
義貞が太刀を海に投げ入れたことで、
たちまち潮が引いたため、
一気に浜から進軍できたと言われている。

絶景を眺めながら、歴史について想いを巡らせる。
それは、最も鎌倉らしい、
贅沢な時間の過ごし方である。

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礒部建多 18年7月29日放送

180729-08
majiedqasem
水中に沈む公園

公園と言えば、普通は地上にあるもののはず。
しかし、オーストリアのとある公園は、
夏場になると、水中に沈んでしまうのだ。

それはグリーンレイクと呼ばれる、
雪解け水が流れ込むことで発生する、
夏季だけの水中公園である。

ベンチも、遊歩道も、木々も、公園の姿そのままに沈んでいる。
その光景は幻想的であり、
草木の緑が陽の光を反射して、
エメラルドグリーンの輝きを放つ。

水深は深いところで12mにも達し、
水温は10度にも達しないほど冷たい。
ダイバーたちはウェットスーツなどの防寒をし、
水中公園で憩いのひと時を過ごす。

日本の猛暑に疲れたら、
こんな避暑地に旅をするのはどうだろう。

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村山覚 18年7月28日放送

180728-01

海の印象 クロード・モネ

印象派の画家、クロード・モネは
フランスの港町ルアーブルで育った。
30歳を過ぎた頃、故郷に帰って海を描いた。
タイトルは『印象、日の出』。

きらめく海、朝もやに包まれた空、
昇ったばかりの真っ赤な太陽。
当時の美術界では、ものや人物を
正確に再現した絵が良しとされた。
筆の跡が目立ち、舟も水平線もぼやけた
モネの絵は“印象で書きなぐった落書き”と
揶揄された。

モネは86歳で亡くなるまで、
この世界の印象を明るい色彩で描きつづけた。
刻一刻と変化する海や空、人間や植物が
輝く瞬間をキャンバスに閉じ込めた。

100年以上前のモネの気持ちと、
スマートフォンで海や空を撮影する
私たちの気持ちは、
きっとどこかで繋がっている。

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仲澤南 18年7月28日放送

180728-02

海の工場 間宮

“海に浮かぶお菓子工場”を知っているだろうか。
その名は間宮。
海軍の兵士たちに食糧を補給するために造られた船だ。
1920年代から40年代、海の上の戦場までお菓子を届けた。

間宮は、ただ運搬するだけの船ではない。
“お菓子工場”という呼び名の通り、
船内に製造設備があった。そこにはなんと
60人もの菓子職人が乗り込んでいたらしい。

毎日の食事もままならない戦場に
ひとときの甘い幸せをもたらした間宮。
その姿が見えようものなら、
戦いに疲れた兵士たちは大騒ぎだった。

戦争が激化した1944年、間宮はマニラ沖で沈没。
その40年後、有志の手で慰霊碑が建てられた。
“海に浮かぶお菓子工場”は
その姿が海に沈んだ後も、人の心に残り続けている。

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