「七夕の夜に」七夕の行事
今日は七夕。
旧暦で、七夕はお盆の7日目にあたる。
東北地方には、七草がゆならぬ、
「七たび飯を食べて七たび水につかる」行事があったという。
水を浴びるのは、体を清めるため。
この日に「井戸がえ」をする家もあった。
井戸の水をぜんぶさらって、お神酒を添えて、
いい水がわくように願った。
この日を「ネムリナガシ」と呼んでいる地方も多かった。
笹の葉に人の「眠り」をのせて、川へ流す。
青森の「ネブタ」も、「眠たさ」を流すことから
きたのかもしれない。
かつて、夏は眠くなる季節と考えられていたようだ。
七夕に水を使う行事は、涼しい夜を過ごすための
知恵だったのだろう。
今の熱帯夜にも使えそうだ。
2018 年 7 月 7 日 のアーカイブ
大友美有紀 18年7月7日放送
大友美有紀 18年7月7日放送
abdul / yunir
「七夕の夜に」ロシアの天の川
今日は七夕。
織り姫と彦星が年にいちど渡る川、天の川。
英語ではミルキーウェイ、乳の川だけれど、
ロシアのバシキール族に伝わる話は、少し違う。
ウラル山脈の南の谷には、毎年、鶴が渡ってきた。
ある秋、鶴が暖かい地方へ戻ろうとした時、
激しい風が吹いた。
こどもの鶴たちは、風に飛ばされ、群れから放れ、
くるくると回り、目指す方向がわからなくなった。
大人の鶴たちは、あわてて、こどもたちに道を示そうと
自分の羽を天にまき散らす。羽は、たちまち星になった。
こどもたちは、この星の道にそって飛んでいくことができた。
乳、ではないけれど、大人たちの愛情が星の道になったのだ。
大友美有紀 18年7月7日放送
「七夕の夜に」アネサマ人形流し
今日は七夕。
かつて女の子たちは、裁縫が上手になるようにと
軒に人形をつり下げる風習があった。
富山県の黒部市には「尾山の人形流し」という行事がある。
その人形はアネサマと呼ばれ、女の子のいる家で作られる。
高さ40センチほどの人形で、家の一番目立つところで作られ、
華やかな飾り付けがなされ、出来上がると家族全員で
出来具合をほめる。
男の子の家では木製の船が作られ、やはり華やかに飾り立てられる。
七夕の夜に子どもたちが川に入り、アネサマや船を押し流す。
それは、穢れや厄災を祓うため。
ここにも、子を思う愛情がある。
大友美有紀 18年7月7日放送
七夕の夜に」牽牛とこども
今日は七夕。
中国から伝わったとされる織り姫と彦星の物語。
その中国の七夕物語にもいろいろなバリエーションがある。
河南省に伝わる民話では、
主人公は継母にいじめられていた牛飼いの少年。
世話をしている牛のアドバイスで、
父母の元を離れ、家を手に入れる。そしてさらに、牛は、
水浴びをしている娘の服をとってこいと言う。
その服は西王母(せいおうぼ)のおつきの織女(しょくじょ)のもの。
服がないと天に帰ることはできない。
服をとられた織女は、牛飼いと結婚し二人のこどもを授かる。
そんなある日、西王母が織女を連れ戻しにくる。
牛飼いは、空を駆けることのできる靴をはき、
こども二人を連れ、織女を追った。が、届かず。
織女は「毎月7日に会いにいく」と言ったけれど、
牛飼いは「7月7日」と聞き違えてしまう。
そして今、天の川を挟んで、織女の星と牽牛の橋が輝いています。
牽牛の星の横には小さな星が二つある。それは子どもたちの星なのです。
聞き違えさえしなければ、家族揃って毎月会うことができたのに。
大友美有紀 18年7月7日放送
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「七夕の夜に」短冊飾り
七夕の短冊飾りは、
中国の「乞巧奠(きこうでん)」が元と言われている。
機織りや裁縫が上手になるようにとお祈りする行事。
それがやがて、習いごと全般の上達を願うようになり、
そして願い事をする行事になった。
神奈川・大磯には、この短冊と竹飾りの行事がある。
七夕の前日、短冊に願いごとを書いて笹竹に飾り付ける。
その竹飾りを持って集まり、神社や井戸、
辻などを、唱えごとをしながらまわる。
そのとき、竹飾りを地面にたたきつけてお祓いをする。
その次に、竹飾りを束ね竹神輿をつくり、
再び祓いながら村中を練り歩く。
疫病を祓い、祖先の霊を迎えるために
村を浄める行事だと伝えられている。
それだけ願いが強い、とうことなのだろう。