2011 年 7 月 2 日 のアーカイブ

佐藤延夫 11年7月2日放送


忍びの者/出浦対馬守盛清(いでうらつしまのかみもりきよ)

戦国時代、多くの忍者を召し抱えた武将といえば
武田信玄と毛利元就が双璧をなす。
甲斐の忍び集団は「三ツ者」と呼ばれ、
出浦対馬守盛清という男が頭領を務めた。

盛清の場合、怪しげな妖術を使うわけではない。
敵の動静を窺う斥候を得意とし、
軍勢や将兵の配置、城の弱点などを調べ上げた。
そのおかげで武田軍は、勝ち戦を重ねていく。

戦国時代も、マーケティングが重要だったのである。




忍びの者/中西某(なかにしなにがし)

戦国時代、上杉謙信は
優れた忍者部隊を擁していた。
甲斐の忍び集団「三ツ者」に対し、
こちらは「軒猿(のきざる)」と呼ばれた。

その忍者の一人が、中西某。
名前こそわかっていないが
変装術の名人だったという。

とある豪族が寝返ったという嘘の書状を携え、
百姓に化け、武田方の陣屋に届けた。
その身なりや話しぶりに、誰も疑うものはいなかったそうだ。

役者になるのも、忍者の仕事。




忍びの者/加藤段蔵(かとうだんぞう)

「飛び加藤」の異名を持つ
戦国時代の忍者、加藤段蔵。
塀や堀を軽々と飛び越える飛翔術のほかに、
幻で牛を呑み込んでみせるという呑牛(どんぎゅう)の術を得意とした。

最初は上杉謙信に重用されようと試みたが、
あまりにも腕がたちすぎると恐れられた。
今度は武田側に接近したが、
その魂胆を怪しまれ殺されてしまう。

実力がありすぎると干されるのではなく、
消されてしまう業界なのである。




忍びの者/風魔小太郎(ふうまこたろう)

その昔、相模の国に風間(かざま)という山間の小さな村があった。

村に暮らす一族は、
大陸から移住した騎馬集団という説もあるが、
その由来は謎に包まれている。
普段は狩猟や杣(そま)仕事をして細々と暮らし、
戦になると散り散りに消えていく。

小田原の北条氏が召し抱えた忍者部隊、風魔一族。
頭目は代々、風魔小太郎と名乗った。

彼らが得意としたのは、奇襲攻撃。
手当たり次第に将兵を生け捕りにし
火を放ち、武器や食料を略奪する。

二百人を超える大所帯であったが、
紛れ込んだ忍者を見分ける術も持っていた。

それは「立ちすぐり居すぐり」と呼ばれ、
不意に出される号令に合わせて
立ったり座ったりする符牒のようなものだった。
動きに合わせられない者は敵方の忍者と見なされ、
ことごとく斬り捨てられてしまったという。

一流の忍者は、リスクヘッジも万全なのである。






忍びの者/下柘植木猿・小猿(しもつげのきざる・こざる)

伊賀の国に、二人の忍者がいた。
兄弟なのか親子なのか定かではないが、
名前を下柘植木猿・小猿という。

その名の通り、猿のように身軽だった。
木の葉を揺らすことなく
枝から枝へ飛び移る秘伝の技、
忍法「浮足」を得意にした。

刀の鍔に足をかけて飛び上がり、
枝に取り付いたら刀をするすると引き上げる。
その姿はまるで漫画のようだが、
なるほど、木猿は猿飛佐助のモデルにもなっている。




忍びの者/松之草小八兵衛(まつのくさこはちべえ)

ドラマ水戸黄門に登場する忍者と言えば
風車弥七だが、そのモデルは実在する。

名前は、松之草小八兵衛。
元々盗賊の頭であったが、
捕縛され打ち首になる寸前、
光圀公に見いだされ無罪放免となる。

その後は密偵として働き、
光圀公に他国の情報を知らせたという。

諸国漫遊をしたのは、小八兵衛なのかもしれない。




忍びの者/割田重勝(わりたしげかつ)

真田の忍者、割田重勝は、
武芸兵法に優れた忍びだったという。

いくつかの逸話も残っている。
上杉謙信の館に忍びこみ
秘蔵の刀を盗み出し手柄を立て、
また、大豆売りに扮すると
小芝居をうち敵方の駿馬を騙し取った。

しかし時代は変わる。
大坂夏の陣が終わり、徳川の世になった途端、
忍者の需要は極端に減った。

大名家に雇われる忍者は、ほんの一握り。
その役目と言っても隣国の諜報活動が主流となり、
忍び本来の持ち味を出す機会はなくなった。
職にありつけない忍者は、
割田重勝のように盗賊に身を落とす。
そして名も無き武士に討ち取られてしまう。

泰平の世では生きられない、
哀しい忍者の末路である。

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