2010 年 7 月 のアーカイブ

三國菜恵 10年07月11日放送



哲学者からひと言/シモーヌ・ヴエイユ

あるときは、教室で
あるときは、工場で
そして、内戦下のスペインで

世界のどこかで起きている不幸と
向き合いつづけた哲学者、
シモーヌ・ヴエイユ。

彼女は、人間について
こう綴った。


 人間が存在する唯一の目的は、
 生きるという闇夜に火をつけることである。

彼女の言葉もまた、
灯りとなって誰かの心を
照らしつづけているにちがいない。

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名雪祐平 10年07月10日放送


ハワード・カーター

世紀の発見といわれた
エジプト・ツタンカーメン王の墓。

考古学者ハワード・カーターの
30年におよぶ執念だった。

ついに、ついに。

ファラオのマスク、動物たち、像。
どこもかしこも黄金だった。

しかし、なかでも目を引いたものがあった。
王の棺にそっと置かれた、
ヤグルマソウのからからに乾いた花束。

 どの輝きよりも、
 その枯れた花のほうが美しいと、
 私は思いました。

 花が教えてくれたのです。
 3000年といっても、
 それはわずかな時間に過ぎないのだと…。


山田風太郎

いかに死ぬか。

作家・山田風太郎は、
『人間臨終図鑑』で、
古今東西923名人の臨終の様をまとめた。

死へ思い巡らし、
結論として愛した言葉は、

 いまわの際に言うべき一大事はなし。

1996年、風太郎は突然倒れ、
慌てて駆け寄った妻へのひと言は、

 死んだ。

実際に亡くなったのは、その5年後で、
愛した言葉どおり、
ひと言も残さず、
風のように世を去ったという。


ウィリアム・ランドルフ・ハースト

20世紀初めのアメリカに
君臨した新聞王、
ウィリアム・ランドルフ・ハースト。

戦争や殺人事件、スキャンダルな記事で
部数を伸ばし、
数十のマスコミを牛耳った。
その影響力は大統領さえ上回るといわれた。

倫理や道徳は、儲からない。
イエロージャーナリズムが富を生む。

ハーストの横暴ぶりは、
映画『市民ケーン』のモデルとなった。

幸か不幸か映画は傑作となり、
後世まで伝わることに。

ハースト家が背負う十字架として。


パトリシア・ハースト

1974年、アメリカ屈指の大富豪である
ハースト家の令嬢、
パトリシアが誘拐された。

過激派の犯行声明があり、
連日連夜、報道されるなか、
事件はあまりにも意外な展開に。

あらたに銀行襲撃事件が発生し、
犯人一味のなかにマシンガンをもった
パトリシア本人がいたのだ。

 私はこれ以上、
 ハースト家の一員として生きられない。
 私はここで戦う。

謎めいた言葉を残して
彼女は逃亡する。

追いかけてきたのは、
皮肉にもハースト家の祖父が造りあげた
イエロージャーナリズムだった。
祖父譲りの横暴さで、彼女は吐き捨てる。

 あなたたちジャーナリストのせいで
 刑務所に入ったのよ。

この事件は、もちろん映画になった。
ただ、幸か不幸か、祖父がモデルの
『市民ケーン』のような傑作ではないらしい。


ボブ・ウィーランド

歩いて、
アメリカ大陸を横断できるか。

 やろうと思えば何だってできるんだ。

そう覚悟した男には、両足がなかった。
ベトナム戦争で地雷を踏んだのだ。

腕で歩く。

それが、ボブ・ウィーランドのやり方。

1982年9月、ロサンゼルスを出発。
5000キロの挑戦は、

one step at a time
一歩ずつあせらないで。

そして3年8か月後、ついにワシントンへ。

ゴール地点はベトナムで戦死した
5万8000人の兵士の名前が刻まれた
記念碑の前であった。


山野忠彦

樹木を癒す人がいた。

 どこが痛いんだ。
 いま、治してやるからな。

樹木の医者、「樹医」。
山野忠彦

日本全国の
樹齢百年、千年の老木、巨木を
甦らせてきた。

忠彦は98歳で永眠したが、
彼が治療した樹は
あと百年、
あと千年、
生きてゆく。


三浦綾子

昭和39年、ある新聞社が
新聞小説を広く募集した。
賞金は当時としては破格の1000万円。

プロの作家の応募作もあるなか、
1等を射止めたのは、
北海道旭川で雑貨店を営む、
42歳の主婦だった。

女流作家・三浦綾子は
こうして衝撃的デビューを果たした。

受賞作『氷点』のなかで、こう記している。

 信頼し合ったことさえ、
 悲劇になることもある。

背後に、死の意味を孕む言葉。

それは三浦自身が経験した
戦争体験や長年の闘病生活から得た
達観であるかもしれない。

しかし、こんな言葉も残している。

 苦難の中にこそ、人生は豊かなのです。

人に勇気を与える文学を書く。
その決意で多くの本を出し、
大人気作家になっていったのだった。

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ジャズアート仙川 本日9日から

仙川でなぜこんな贅沢なことが起こるのか、さっぱりわかりませんが
街をぶらぶらしながら好きなイベントに参加してジャズを楽しむ一日が
過ごせそうです。
巻上公一さんプロデュースというだけでも面白いことがわかりますが
なにしろ役所が主催しているので、ほぼ宣伝をしておらず
参加するミュージシャンのHPやブログで紹介されているだけという
もったいなさです。
仙川はしゃれたところもあるかと思えば
昔ながらの商店街では揚げたてコロッケがうまい肉屋があったりして
なかなか楽しい町ですよ。

一応、公式HPあります。
http://www.sengawa-gekijo.jp/kouen/03799.html#

▼7月9日(金)
【せんがわ劇場】
16:00 オープニングパレード(仙川駅前~商店街~せんがわ劇場)
17:00ー17:40 オープニングセレモニー(演奏:恥骨)
18:00ー18:50 「VOICE SPASE」谷川俊太郎(朗読)+谷川賢作(p)&佐々木幹郎(朗読)
19:30ー20:10 Ash in the Rainbow with 荒井良二  Hako +坂本弘道(cello)+荒井良二
20:40→21:30 梅津和時(sax)+田中泯(舞踊)+山下洋輔(p)

【仙川アヴェニューホール】
18:30ー19:10 小森慶子(sax)+吉野弘志(b)…★
20:00ー20:40 藤原清登(b)+小松玲子(perc/サヌカイト)…★
★シークレットライヴあり!?
(大物アーティストの追加ライヴ!アヴェニュー1dayチケットがあるといいことあるかも…!?)

▼7月10日(土)
【せんがわ劇場】
11:00ー11:40 「こどものための声あそび」≪おおたか静流(声)+巻上公一(声)≫
14:00ー4:40 Warehouse ≪鬼怒無月(g),高良久美子(vib/per),ギデオン・ジュークス(tuba)≫
15:40ー16:30 藤井郷子オーケストラ東京 ≪早坂紗知(sax),泉邦宏(sax),松本健一(sax),
        木村昌哉(sax),吉田隆一(sax),田村夏樹(tp),福本佳仁(tp),渡辺隆雄(tp),
        城谷雄策(tp),はぐれ雲永松(tb),高橋保行(tb),古池寿浩(tb),
KellyChurko(g), 藤井郷子(p),永田利樹(b),堀越彰(ds)≫
17:30ー18:20 藤原清登NYtrio original ≪藤原清登(b)+ピーターマドゥセン(p)+福家俊介(ds)≫

20:00ー21:00 坂田明(sax)+ジム・オルーク(g)+八木美知依(琴)+PIKA☆(ds)…★

【仙川アヴェニューホール】
13:00ー15:00 自由即興(リーダー:坂本弘道)※
16:00ー16:40 太黒山 ≪黒田京子(p)+山口とも(perc)+太田恵資(vln)≫…★
17:00ー19:00 自由即興(リーダー:巻上公一)※
19:30ー20:00 サム・ベネット
20:30ー21:10 Kokoperi≪さがゆき(vo)+林正樹(p)+山本達久(ds)≫
※自由即興は入場無料。当日先着順。来場者多数の場合,入場制限あり。

▼7月11日(日)
【せんがわ劇場】
11:00ー11:45 サンデーマティネコンサート~架空の国のヴァイオリン~
        太田恵資(vln)※ 
        ※入場無料。当日先着順。来場者多数の場合,入場制限あり。

13:00ー13:40 大友良英 solo invisible songs with 阿部芙蓉美(vo) スネオヘアー(vo)
         やくしまるえつこ(vo)
14:30ー15:10 ヒカシュー
16:00ー16:40 蜂谷真紀(vo)+スガダイロー(p)+外山明(ds)
19:30ー20:10 John Zorn’s COBRA 東京せんがわ作戦 大友良英部隊1(入替制)
20:30ー21:10 John Zorn’s COBRA 東京せんがわ作戦 大友良英部隊2(入替制)
        ≪Haco(vo electronics),吉田アミ(vo),やくしまるえつこ(vo),
        スネオヘアー(vo/g),高田漣(スチールギターほか),石川高(笙),
        長須与佳(薩摩琵琶/尺八),Sachiko M(sinewaves),AYA(b),OLAibi(perc),
        山本達久(ds/perc),大友良英(プロンプター、g),
        巻上公一(プロンプター、vo/theremin)≫

【仙川アヴェニューホール】
12:30ー13:10 ヤマねこさん≪山本ヤマ(tp)+金子泰子(tb)≫…★
14:00ー14:30 伊東篤宏(オプトロン)
15:00ー16:30 スーパーベースジャム(リーダー:藤原清登)※自由即興
17:30ー18:10 坂本弘道スペシャルダンスセッション…★
        ≪Yuko Kaseki(dance from BERLIN),坂本弘道(cello/etc),横川理彦(vln/etc)≫
19:00ー21:00 せんがわフリーセッション※
        〔19:00→19:30 ゲストライヴ ≪柳家小春(三味線)+外山明(ds)≫〕
※スーパーベースジャム,せんがわフリーセッションは入場無料。
 当日先着順。来場者多数の場合,入場制限あり。

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五島のはなし(105)

こどものころのはなし。
故郷である五島の福江島で
ガラクタとかどこかから拾ってきたような木材を
いつもリヤカーでひっぱって歩いてるおじいさんがいた。

おじいさんは、そうやって集めてきたものを
積み重ねて、大きな、そして異様な建物をつくっていた。
記憶があいまいなのだけど
全体にグレーがかっていて、てっぺんがドーム状になっていた気がする。

このおじいさんのことはたしか本になって
タイトルは「遥かなる約束」だったと思う。
だれかエライ人との、大切な約束を守るために、
その建物を一生かけてつくりつづけている、という内容だったはず。
・・・でもこの本がどこに行ったか見つからないので、
これまたほんとかどうか定かでない。

いつ頃だったか、おじいさんの姿を見ることがなくなり、
その後、建物も取り壊されてなくなってしまった。
けど、あの異様な建物のことをずーっと覚えていて、
ある年代以上の五島の人なら、
きっとみんな覚えてると思うのだけど、
あれって結局何だったんだろう?
だれか正確な話を知ってる人いないかなあ。

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五島のはなし(104)

先週7月3日に五島市で
ギネス記録がつくられたそうです。
パチパチパチ。

なんの記録かっていうと
電気自動車100台パレードの記録。
五島はエコの島になろうと
レンタカーをどんどん電気自動車に変えているのだそうです。

新しいことになかなかチャレンジできない風土
(逆にいえばそれが良さでもあるのですが)
というイメージを持ってましたが、
五島はがんばっているようです。

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蛭田瑞穂 10年07月04日放送

7月4日にちなんで① フェレンツ・プスカシュ

1954年の7月4日に行なわれた
ワールドカップスイス大会、
ハンガリー対西ドイツの決勝戦。

ハンガリー代表チームのキャプテンは、
今なおハンガリー史上最高の選手として語り継がれる
フェレンツ・プスカシュ。

18歳で代表にデビューしたプスカシュは、
29歳で代表を退くまで84試合に出場し、
83ものゴールを決めた。

1度ボールを蹴っただけで2点を奪う。

とチームメイトが賞賛するほど

圧倒的な決定力だった。

スイス大会の決勝戦。
前半の6分にハンガリーの先制ゴールを挙げたのも
やはりプスカシュだった。

7月4日にちなんで② シュベシェ・グスターヴ

「マジック・マジャール」。
1950年代の始めに、世界を席巻した
サッカーハンガリー代表チームを、人々はそう呼んだ。
「魔法のハンガリー人」という意味である。

1950年からの4年間で32戦無敗。
ヘルシンキオリンピックでは金メダルを獲得し、
サッカーの母国イングランドを
聖地ウェンブリーで破るという快挙も遂げた。

マジック・マジャールの強さの秘密。
そのひとつが監督シュベシェ・グスターヴの
構築したサッカーシステム。
試合中に選手が臨機応変にポジションを変える、
当時としては画期的なシステムだった。

1954年の7月4日に行なわれた
ワールドカップスイス大会、
ハンガリー対西ドイツの決勝戦。

シュベシェ率いるハンガリーは
前半わずか8分で2点を奪い、その強さを見せつけた。

7月4日にちなんで③ ゼップ・ヘルベルガー

1954年の7月4日に行なわれた
ワールドカップスイス大会、
ハンガリー対西ドイツの決勝戦。

両チームはその2週間前にも
予選リーグで顔を合わせていた。
結果は8対3でハンガリーの圧勝。
西ドイツの監督、ゼップ・ヘルベルガーは、
マスコミから「国家の裏切り者」という汚名を着せられた。
しかし、この負けは彼の計算だった。

ハンガリーに敗れて予選を2位で通過すれば、
強豪国との対戦が少ない組み合わせで
決勝トーナメントを戦うことができる。

先の勝負を読んだヘルベルガーは
ハンガリー戦であえて主力選手を温存して戦った。

一方、西ドイツに勝利し、
予選を1位で通過したハンガリーは
ブラジルなど強豪国との死闘を勝ち抜いて
決勝戦まで進んだものの、
主力選手は満身創痍の状態だった。

そして決勝戦。
前半の8分に2点目を奪われた西ドイツは
2分後に1点を返す。
それは西ドイツが上げた反撃の狼煙だった。

7月4日にちなんで④ 西ドイツ代表チーム

それは「ゲルマン魂」を
初めて世界に見せつけた試合だった。

1954年7月4日、スイスのベルンで行なわれた
ワールドカップ決勝戦、ハンガリー対西ドイツ。

当時「魔法のハンガリー人」と呼ばれ、
無敵の強さを誇ったハンガリーを
西ドイツは3対2で下し、初優勝する。
2点差を覆す、見事な逆転劇だった。

その勝利はまだ第2次世界大戦敗戦の傷が癒えていない
西ドイツ国民に勇気と自信を与えた。

その後、敗戦からの奇跡的な復興を遂げ、
ワールドカップでも3度の優勝を果たしたドイツ。

1954年7月4日の勝利を人々は
「ベルンの奇跡」と呼び、今に語り継ぐ。

7月4日にちなんで⑤ アルフレッド・ディ・ステファノ

今も昔もサッカー好きが集まると口にする
「史上最高のサッカー選手は誰か?」という話題。
サッカーの王様ペレはこう答えている。

史上最高の選手はペレかマラドーナだと
みなさんは言うが、わたしにとって最高の選手は
アルフレッド・ディ・ステファノだ。

アルフレッド・ディ・ステファノ。
1943年、17歳でアルゼンチンの名門
リバープレートと契約した彼は、
すぐに頭角を現し、2度の得点王に輝く。
その後コロンビアリーグに籍を移し、得点王を2度獲得。
そして27歳でスペインのレアル・マドリードに移籍する。

彼の移籍を巡っては、
レアル・マドリードとバルセロナの間で
当時の最高権力者フランコ将軍が仲裁に乗り出すほど
熾烈な争奪戦が繰り広げられたという。

チームに在籍した11シーズンで
決めたゴールは466。8度のリーグ優勝、
そしてヨーロッパNo.1のクラブチームを決定する
チャンピオンズカップの5連覇という偉業も遂げた。

現在、レアル・マドリード名誉会長にして、
今なおチーム歴代最高の選手といわれる男、
アルフレッド・ディ・ステファノ。

彼は1926年の今日、ブエノスアイレスに生まれた。

7月4日にちなんで⑥ モード・ワトソン

テニスのウィンブルドン選手権には
白い衣服を着てプレーしなければならない
という決まりがある。

これは1844年、女子シングルス初代王者
モード・ワトソンが白い衣服で
プレーしたことに由来する。

白い帽子、白いブラウス、
そしてくるぶしまである白のロングスカート、
モード・ワトソンのテニスウェアは、
鮮やかな白でまとめられていた。

2010年のウィンブルドン選手権は
イギリス時間の今日7月4日、最終日を迎える。

ウィンブルドンの緑の芝が
ひときわ美しく感じられるのは、
名物の雨と、白いウェアのおかげかもしれない。

7月4日にちなんで⑦ シュテフィ・グラフ

1996年7月4日。
ウィンブルドンの女子シングルス準決勝、
シュテフィ・グラフ対伊達公子。

2セット目の第7ゲーム。
グラフがサーブの態勢に入ると、
突然、観客のひとりが大声で叫んだ。

「シュテフィ、僕と結婚して!」

笑い声に包まれる場内。
緊張の糸が切れてもおかしくない状況に、
しかし彼女はこう応えた。


あなたお金は持ってるの?

野次に動揺するどころか、
ユーモアで切り返したシュテフィ・グラフ。

あまりに見事なリターンエースだった。

7月4日にちなんで⑧ スザンヌ・ランラン

「テニスの女神」スザンヌ・ランラン。

1920年代にウィンブルドンを5連覇し、
全仏選手権も6度制覇した伝説の選手。

彼女の偉業はそれだけではない。
その時代、テニスは社交のための優雅な遊び。
女性は長いスカートを穿いてプレーしていた。

しかし、ランランはそんな恰好では動きにくいと、
スカートを膝の高さで切ってしまった。
それ以降、女性のテニスウェアは短いスカートが主流となり、
テニスの競技性が一気に増したといわれている。

今日7月4日は、スザンヌ・ランランが
39歳で亡くなった日。

短い生涯で彼女が残した功績はあまりに大きい。
現在、全仏オープンテニスの
女子シングルス優勝者に贈られるカップには
スザンヌ・ランランの名前が刻まれている。

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佐藤延夫 10年07月03日放送


南アフリカに浮かぶ星1

午後11時と、午前3時半。
毎日この時刻を気にするようになったのは、
7時間も時差のある南アフリカのせいだ。

寝不足もやむなしと諦めるようになったのは、
世界中から集まった足の器用な男たちのせいだ。

そして、選手ではないのに注目を集める小太りの男。
彼は以前に、こんな言葉を残していた。

  母国の監督をやりたい。給料なんかいらないし、今すぐでも構わない。

ピッチの脇で、選手よりも激しく動き回る彼は、
今日もどんなパフォーマンスを見せてくれるのか。
マラドーナ監督、楽しみにしてますよ。


南アフリカに浮かぶ星2

サッカーは、スポーツなのか、戦争なのか。

グループリーグから
鮮やかなサッカーで注目を集めるドイツ代表。
よく見ると、ベンチに目を見張るようなイケメンが座っていた。
ヨアヒム・レーブ監督だ。
現役時代は無名の選手だったが、
その戦術とサッカー理論は高く評価されている。
彼の爽やかな横顔を見ていると、サッカーはスポーツなんだと思える。

今回のワールドカップが始まる前、
レーブ監督は警戒するチームを挙げた。

  オランダの攻撃には、機関銃、追撃砲、大砲のすべてがある。

なるほど、やっぱりワールドカップは、戦争なんだ。


南アフリカに浮かぶ星3

草食男子、メガネ男子、弁当男子・・・
いろんな男子が出てきたけれど、
そのうち、ビッグマウス男子が流行るかもしれない。
ワールドカップ日本代表、本田圭佑をリスペクトする男子は多い。

  僕自身はベスト4ではなく、優勝を目指していいと思う。

誰もがグループリーグ敗退を予感している中、
彼だけは大風呂敷を広げていた。
そして自身による2つのゴールで、
見事に風呂敷を畳んでみせた。

ところで、ビッグマウス男子を狙う皆さん。
実力が伴わないと、
仕事も女ゴコロもゴールは決められないので
くれぐれもご注意を。


南アフリカに浮かぶ星4

なにしろエピソードの多い人だ。

彼について、オランダ史上最高と言われるサッカー選手は言った。
「マラドーナには、選手として全てかなわない。」

現役時代、1000回近くもゴールネットを揺らしたブラジルの英雄は言った。
「サッカー界でスーパースターと呼べるのはマラドーナだけだ。」

神様と呼ばれる男は言った。
「私とマラドーナを比べることは、彼に失礼だ。」

将軍と呼ばれる男も言った。
「ジダンがボールでやることを、マラドーナならオレンジでできる。」

そのジダンは言った。
「彼とは比べないでほしい。彼は惑星の選手なのだから。」

当のマラドーナは、引退後に言った。
「私は、サッカーボールのように太っている。」

薬物依存、不摂生による肥満、娘との確執と和解。
いろいろなことがあったけど、
今また、時代はマラドーナに味方している。
一日でも長く、あなたの姿を見ていたい。


南アフリカに浮かぶ星5

トルコ移民のトルコ家系に生まれた青年は、
ドイツの国籍を取得し、今、ドイツ人としてピッチに立っている。

メスト・エジルという
サッカー選手らしからぬ優しい顔をした青年は、
毒々しいほどのテクニックと視野の広さを持つ。

しかしコメントは、優等生のように清々しい。
たとえばこれは、ガーナ戦で勝ったときのインタビュー。

  僕はただボールを蹴っただけだよ。チームメイトがたくさんサポートしてくれたんだ。

21歳の謙虚な司令塔は、
限りない才能と、限りない将来を手に入れている。


南アフリカに浮かぶ星6

思えば、今年の4月、
ワールドカップが始まる少し前。
欧州チャンピオンズリーグの準々決勝で
リオネル・メッシは、強豪アーセナルを相手に
たった一人で4得点をあげた。
敗軍の将、ベンゲル監督は、こんな表現で試合を振り返った。

  メッシは、まるでプレイステーションの選手のようだ

今日はマラドーナ監督の手元にも注目してみよう。
もしかしたら、コントローラーを握っているかもしれない。


南アフリカに浮かぶ星7

  岡ちゃん、ごめん
  正直、3戦全敗だと思ってました。

日本がデンマークを破り、
決勝トーナメント出場を決めた直後、
ツイッターは、岡田監督への謝罪の声であふれ返った。

強化試合で結果を出せず、
チームの不協和音が報じられたとき
日本のファンは、あらゆる期待を放棄していた。

一億総ペシミストになったこの国。
でも、サッカーには、国民の意識を変える力があった。

華々しいフリーキックと
タフな戦いに耐える同胞を見て、
人々は息を吹き返す。

ブブゼラの鳴り止まないスタジアムで
岡田監督は、絶対的な信頼を手にした。
それでも彼は、いつもどおりに口をヘの字に曲げている。

6月30日、午前2時。
あの悲観的だった国民は、みんな思っていた。

  岡ちゃん、ありがとう。

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