藤本組・藤本宗将

藤本宗将 15年4月11日放送

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チェ・ゲバラ

革命家というものは、やはり情熱的なのだろうか。
キューバ革命の英雄チェ・ゲバラは
ゲリラに志願してきた女学生にひとめぼれをした。
のちに妻となるアレイダ・マルチ。

あるときゲバラが腕を骨折すると、
アレイダは持っていたスカーフで彼の腕を吊って手当てした。
それがよほど嬉しかったらしい。
ゲバラはのちにこう書き残している。

絹のスカーフ。これは特別なものだ。
腕を怪我したのではないかと彼女がくれた。
愛のこもった包帯として。
厄介なのは、僕が頭を割られたときの使い道だ。
だが、いい方法があった。
頭に巻いて顎を支えれば、
そのままスカーフとともに墓に行ける。
死んでも忠実でいられる。

その後ゲバラは新たな革命をめざし単身ボリビアに渡るが、
捕えられて命を落とす。
死後30年してようやくキューバに戻った遺骨のそばに、
妻はそっとスカーフを納めた。

最後まで、愛と革命に忠実な人生だった。

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藤本宗将 15年3月21日放送

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Spring has come! 菅原道真の春

 東風(こち)吹かば 匂ひおこせよ 
 梅の花 主なしとて 春な忘れそ

主人がいなくなっても、春を忘れるな。
大宰府に流されることになった菅原道真は、
庭先の梅を眺めながらこの歌を詠んだ。

春風を待って花を咲かせる梅は、
かつて「風待草」とも「春告草」とも呼ばれていた。
古代の日本人にとって、
春を告げる花といえば桜よりも梅だったのだ。

道真に愛情をかけられた梅は主人を慕い、
九州まで飛んでいったという飛梅(とびうめ)伝説がある。

いまも大宰府天満宮にある飛梅は、
白い八重の花で春の到来を知らせてくれる。
境内にある6千本の梅の中で
最も早くほころぶのだそうだ。
千年前の約束を、梅はまだ忘れていない。

今年の開花は、昨年より半月ほど早かったそうだ。
また、新しい春がきた。

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上遠野茜 15年3月21日放送

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Spring has come!  高峰譲吉の春

アメリカ、ワシントンD.C.。
遠く離れたこの街にも「日本の春」が来ることを、
あなたは知っているだろうか。

ポトマック湖畔のほとりに咲く3000本の桜。
科学者・高峰譲吉の尽力によって
日本から贈られた桜たちだ。

エリート官僚の道を捨て、アメリカに渡った高峰。
頼る者もいないその地で
困難にぶつかりながらも挑戦を重ね、
やがて多くの研究成果を上げる。
1901年、彼の抽出したアドレナリンは
医学界の大発見となった。

はるばる太平洋を渡り、
アメリカに根を下ろした桜の木々。
異国の地で、今では見事な花を咲かせるその姿は
まさに高峰の生き様そのものだ。

厳しい冬を乗り越えるから、春は美しい。
今年もワシントンには
大勢の人が日本の春を慈しみにやってくる。

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村山覚 15年3月21日放送

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Spring has come!  マイルス・デイヴィスの春

ジャズの帝王、マイルス・デイヴィス。
彼はある時こう言った。

「まず演奏するぞ、曲名は後で教える」

1954年に演奏されたこの曲の名は”Swing Spring”。
今この時期に聴きたくなるタイトル。

この曲が演奏される2、3年前は、
マイルスにとって冬の時代、低迷期だった。
演奏の予定をすっぽかしたり、
商売道具のトランペットを質に入れて
ドラッグのための金にするなど、
生活は荒れに荒れていた。

しかし、マイルスは第一線に返り咲いた。
この”Swing Spring”と同じ年の春に録音された
アルバムのジャケットには、青信号が灯っている。
タイトルは”WALKIN’”。

春は、はじまりの季節。
まず歩き出すことで、道はひらける。

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福宿桃香‬ 15年3月21日放送

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Spring has come!  雪舟えまの春

歌人・雪舟えまの「たんぽるぽる」は、
自分自身の15年間を凝縮した、第一歌集。

表題として選んだのは、
結婚したての女性の気持ちを描いた、春の歌。

たんぽぽが たんぽるぽるに なったよう 姓が変わった あとの世界は

大好きな人と結ばれた幸せを、
春のたんぽぽに託している。

あとがきで、雪舟はこう語っている。
すきな人と暮らして、すきなだけお菓子を食べて暮らしたいとおもっていた。
その夢を今生きている。

季節は、もう春です。

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村山覚 14年11月22日放送

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織田作之助・一枝との出会い

昭和の文豪、織田作之助は二十歳を過ぎた頃、運命の人に出会う。
織田が通っていた旧制高校近くのカフェ「ハイデルベルヒ」で
働いていた同い年の女性、宮田一枝だ。
すらりと背が高く、美貌の持ち主である一枝は近所で評判だった。
カフェに住み込みで働いていた一枝と同棲するために、
二階の部屋に梯子をかけて連れ出したというドラマチックな逸話も残っている。
織田の代表作『夫婦善哉』には、大阪から東京行きの汽車に乗って
駆け落ちするシーンが描かれている。もしかしたら、一枝を二階から
連れ出した時のことを思い起こしながら、書かれたのかもしれない。

  柳吉が梅田の駅で待っていると、
  蝶子はカンカン日の当っている駅前の広場を大股で横切って来た

女の決意を感じる名シーンである。

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村山覚 14年11月22日放送

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織田作之助・新婚生活

昭和の文豪、織田作之助。無名時代の彼の支えは同い年の妻、一枝であった。
学生時代から劇作家や小説家を志していた織田は、一枝との生活のために
新聞記者として働いていた時期があった。昼は記事を書き、夜は小説を書く生活。
一枝は甲斐甲斐しく珈琲を淹れ、夫の創作活動を支えたという。
結婚の翌年には芥川賞候補となり、代表作『夫婦善哉』が世に出たのも
新婚時代であった。三十三年の短い生涯で最も寛いでいた日々だったかもしれない。
『夫婦善哉』には家計簿を細かくつけて
こつこつと貯金するシーンがあるが、
織田一枝もまったく同じような家計簿をつけていたそうだ。

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村山覚 14年11月22日放送

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織田作之助・いい女とは?

昭和の文豪、織田作之助。彼が三十三歳で亡くなる直前、
東京で太宰治と坂口安吾と座談会をした記録が残っている。
小股のきれあがった女とは何者であるか?いなせな男とは?口説き文句は?
といった四方山話がざっくばらんかつ軽妙に語られた。
いい女とは?という話題になり、太宰が「乞食女と恋愛したい」
坂口が「ぼくは近ごろ八つくらいの女の児がいい」などと
無頼派らしいめちゃくちゃな発言をする中、織田はこのように語った。

「やはり飽くまで背が高くて、痩せてロマンチックだとか…」

これはまさに二年前に亡くなった妻・一枝のことではないか。
織田作之助にとって、妻はかけがえのない存在であった。

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村山覚 14年11月22日放送

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織田作之助・肌身離さず

昭和の文豪、織田作之助。彼が三十三で死ぬまで肌身離さず持ち歩いていた
桐箱の中に白い封筒があった。そこには先に亡くなった妻・一枝の写真と
彼女のものと思われる遺髪が収められていた。織田作之助の代表作
『夫婦善哉』にはこんな台詞がある。

 “私は何も前の奥さんの後釜に坐るつもりやあらへん、
 維康を一人前の男に出世させたら本望や”

日々の暮らしにも困窮していた織田が、
一人前の男に出世していく十年間を支えたのは、他ならぬ妻の一枝であった。

小説『夫婦善哉』で一番有名なシーンは、
二杯のぜんざいを啜りながらの男女の会話であろう。男は言う。

「一杯山盛にするより、ちょっとずつ二杯にする方が沢山(ぎょうさん)
 はいってるように見えるやろ、そこをうまいこと考えよったのや」

対して、女は言う。

「一人より女夫の方がええいうことでっしゃろ」

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藤本宗将 14年8月17日放送

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山内溥と運

「運が良かっただけ」

その経営者は、あくまで謙虚だった。

「努力したから成功するとは限らないと思っている。
 苦労だって経営者ならしていない人などいないから、
 自分が特に苦労したとは思わない。
 振り返ると何となくこうなっていた。
 運が良かっただけだ」

そういえば彼が育てた会社の名前は、
「運を天に任せる」とも読める。

数々のゲームで世界を席巻した任天堂と山内溥。

たしかにゲームに勝つためには、運と実力が必要だ。

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