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大友美有紀 19年12月7日放送


与謝野晶子 いとはん

今日、12月7日は与謝野晶子の誕生日。
晶子の本名は「志よう」だが
「日」が3つの漢字、水晶の晶の漢字をあて、
晶子というペンネームが生まれた。

与謝野晶子、といえば、
情熱に身を任せた奔放な女流歌人、
自分の意思を貫くスーパーウーマン。
そんなイメージがある。

もともとは堺の和菓子屋のお嬢様だった。
誰かと一緒でなければ外出も許されない。箱入り娘。
その箱がきゅうくつで「志よう」は、
晶子になったのかもしれない。



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大友美有紀 19年12月7日放送


与謝野晶子 みだれ髪

今日は、与謝野晶子の誕生日。
明治34年に出版した第一歌集「みだれ髪」は、
世に衝撃を与えた。
やわ肌、唇、乳ぶさという言葉の数々。
恋心を、情愛をほとばしるように歌う女性など、
この時代にはいなかった。

歌集を出す前から、
晶子は「みだれ髪の君」の愛称で呼ばれていた。
油をつけて髪を結うのを嫌い、いつもほつれ髪が、
2、3本、額にかかっていたからだった。
与謝野鉄幹はその「みだれ髪」を愛おしく思い
歌をおくっていたという



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大友美有紀 19年12月7日放送


与謝野晶子 君死にたもうことなかれ

今日は、与謝野晶子が生まれた日。
与謝野晶子といえば、「みだれ髪」であり
「君死にたもうことなかれ」だ。
日露戦争に出征した弟を思い、
明治34年に発表した詩だった。
その内容から、世を害する思想、
国賊だと弾劾された。
批判に対し、晶子は、弟を命を思う、
まことの心を歌ったと主張した。
実は、この詩は、歌集「恋衣」に収録され、
当時一般の人の目に触れることは少なかった。

反戦の歌として広く知られるようになったのは、
第2次世界大戦後のことだ。
「まことの心」は時を超えても人の胸を打つ。



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大友美有紀 19年12月7日放送


与謝野晶子 明るみへ

今日は与謝野晶子の誕生日。
第1歌集「みだれ髪」で世に衝撃を与え、
その後も次々と作品を送り出した。
晶子の評判が上がるにつれ、
夫であり、師でもある与謝野鉄幹の作は、
古いと評されるようになった。
主催していた「明星」は廃刊。
女性関係も激しくなった。
離縁してもおかしくない夫婦の危機に、
晶子は夫を家から追い出す代わりに、
外遊に出すことにした。
しかし、資金がない。
晶子は金屏風に自らの歌を百首書いて
売り出すことを考えた。
そうして渡航費用を貯め、
鉄幹はヨーロッパに旅立っていった。
やっとの事で送り出した後、
晶子はさみしくなるのである。
こんなはずではなかった。
「明るみへ」という小説に、
その心情が綴られている。
その後、晶子もヨーロッパに渡るのだ



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大友美有紀 19年12月7日放送


与謝野晶子 つまらない話が嫌い

今日は、与謝野晶子の誕生日。
晶子と鉄幹の間には11人の子がいる。
鉄幹は、金に無頓着。
常に借金があり貧しかったが、
それを感じさせることはなかった。
次男の秀(しげる)は、
母はつまらない話が嫌いだったという。
女中への愚痴や人の噂話ではなく、
面白い話、美しいもの、豪華なもの、
おいしいもの話が好きだった。
その人生は決して穏やかでなかったはず。
だからこそ、明るく美しいほうへ
心を向けていたのだろう。



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大友美有紀 19年11月3日放送


「ゴジラの日」  1954年11月3日

1954年11月3日、「ゴジラ」が封切られた。

ゴジラを演じた俳優、中島春雄は
封切りの日に、渋谷東宝劇場に行った。
駅から道玄坂の途中にある映画館まで
長い行列が伸びていた。
中島は、満員の劇場の一番前で
スクリーンではなく、観客席を見ていた。
映画が始まっても観客はザワザワしている。
そこへゴジラが登場する。
あの鳴き声が響き渡る。
客席は静まり返ったという。
まさしくゴジラが産声を上げた瞬間だった。

今日はゴジラの日。



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大友美有紀 19年11月3日放送


「ゴジラの日」  G作品

今日はゴジラの日。
65年前の今日、最初のゴジラ映画が上映された。

当初「原始恐竜が水爆実験の影響で復活し、東京を襲う」
という企画だった。
1954年3月にマーシャル諸島ビキニ環礁で核実験が行われ、
周辺海域にいた日本の第五福竜丸が被爆し、社会問題になっていた。
この事件とキングコングにヒントを得て、
大怪獣が復活する、というアイデアが生まれたと言われている。
この企画はクランクインするまで極秘で進められることになった。
仮に「G作品」と名付けられた。
GはGiantの頭文字、大怪獣からきている。
ゴジラの名はまだ生まれていない。



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大友美有紀 19年11月3日放送


「ゴジラの日」  香山滋

今日はゴジラの日。
1954年11月3日に最初のゴジラ映画が
封切られたことから、制定された。

水爆実験の影響で、大怪獣が復活し東京を襲う。
当時のプロデューサーは、この作品を
科学的裏付けのあるものにしたいと考えていた。
そこで、検討用ストーリーを推理作家の香山滋に
依頼することにした。
香山は旧大蔵省の官吏であり、
在職中からいくつもの小説を発表し、
第1回探偵作家クラブ新人賞も受賞している。
古生物学、地質学に造詣が深く、
その知識を探偵小説に生かしていた。
知人からは「魚や虫ばかりの科学怪談を書いている」と
言われていたという。
自らは怪奇、幻想、秘境に対する偏愛があると言っている。
つまり、日本にSFというジャンルが生まれる前に、
SF色の濃い作品を手がけていたのだ。

まさにゴジラを誕生させるにふさわしい作家だった。



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大友美有紀 19年11月3日放送

-Aschwin-
「ゴジラの日」  ゴジラが生棲(せいせい)していた時代

今日はゴジラの日。
65年前の今日、日本で初めて「ゴジラ」映画が公開された。

原作者で推理作家の香山は、
ゴジラを200万年前に生棲していた生き物だと設定している。
恐竜が栄えていた時代は、ジュラ紀から白亜紀、
約2億130万年前から6500万年前とされている。
なぜ、200万年前なのか。
それは直立2足歩行のアウストラロピテクスが
出現したとされる時代である。
人類が歩んできた歴史。
香山は、ゴジラの姿を人類と重ねたのだろうか。



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大友美有紀 19年11月3日放送


「ゴジラの日」  ゴジラは5時だ

今日、11月3日はゴジラの日。
65年前の今日、ゴジラ映画が公開された。

日本特撮の父、円谷英二は、
ゼロからゴジラを生み出した。

当時撮影所では「ゴジラは5時だ」という言葉があった。
円谷は、ミニチュアセットに現実感が出るように、
小さなライトをいくつも仕込む。
ゴジラの造形もチェックする。
昼間、オープンセットの準備に入り、撮影は夜。
セットはゴジラが破壊する。熱線をはいて火災を起こす。
一回限りの真剣勝負だ。
ワンカット撮るのに数時間かかる。
予定のカットを撮り終えた頃には、夜が明けている。

だから、ゴジラは、朝の5時だったのだ。



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