2012 年 8 月 5 日 のアーカイブ

大友美有紀 12年8月5日放送


jiroh
梨木香歩「自然をみつめる言葉」作家の肖像

梨木香歩。(なしきかほ)
1994年「西の魔女が死んだ」でデビューした、児童文学者。
彼女のプロフィールは、ほとんど公開されていない。
著作の紹介文には、生まれ年と師事した作家の名、
それまでの作品名が列挙されているだけだ。
インタビュー記事にも顔写真は添えられていない。

 読み手の中で物語が柔軟に働いてほしいと思っています。
 そのときに作家の顔がちらつくようでは邪魔になりますから、
 作家の存在は忘れてもらうのが一番いいのです。

けれど、彼女の思いには、数多くのエッセイで触れることができる。
渡り鳥を追う紀行文、カヤックで旅した水辺の思い出、
彼女が師事した英国の作家との暮らし。
梨木香歩は、人間と自然と、そして異界とのボーダーを歩く作家だ。



梨木香歩「自然をみつめる言葉」 シロクマ

梨木香歩の小説「西の魔女が死んだ」は、映画にもなった。
中学生の少女・まいは学校に行けなくなり、祖母の元に身を寄せる。
そして祖母が代々魔女の家系だったことを知り、
自らも魔女になりたいと修行をはじめる。
その第一歩は規則正しい生活を送ること。
野苺を摘んでジャムを作り、ハーブで草木の虫を駆除する、
自然に親しみながらの暮らし。祖母である魔女は言う。

 自分が楽に生きられる場所を求めたからといって、
 後ろめたく思う必要はありませんよ。
 サボテンは水の中に生える必要はないし、
 蓮の花は空中では咲かない。
 シロクマがハワイより北極で生きるほうを選んだからといって、
 だれがシロクマを責めますか

この本を上梓した当時、梨木は自分と主人公を同一視されることに困惑した。
「いじめられたことがあるのですか?」と聞かれることもあった。
いじめられたことはない。
ただ、いじめ問題の報道にふれるたび、
その気分にシンクロしてしまい、切なかったという。

 「シロクマはハワイで生きる必要はない」というのは、
 私がこの本を執筆していた当時、
 人間関係にがんじがらめになった子どもたちと
 分かち合いたい言葉だった。


カノープス
梨木香歩「自然をみつめる言葉」 クリスマスローズ

児童文学者、梨木香歩は引っ越しを繰り返す。
定住に対する憧れと放浪癖がいつもせめぎあっている。
ある年、通りすがりの露店でクリスマスローズを買った。
最初の数年は、葉が茂るだけだったが
5、6年目から白い楚々とした花をつけるようになった。
その頃には、また引っ越しを考えている。

 私の定住欲求が彼女に新しい土地に根をはらせ
 しばらくすると放浪欲求が無理な移植に耐えさせる。
 けれども彼女はそのたびに新しい場所で茎をあげ葉を起こしてきた。
 花姿はたおやかだが、けしてへこたれない。
 また、その場から生き抜くための一歩を踏み出す。
 いつだって生きていくことにためらいがないのだ。



梨木香歩「自然をみつめる言葉」 森

児童文学者・梨木香歩が、ウラジオストック・
ウスリスキ自然保護区の森へ入ったときのことである。
同行者は、若い通訳の女性カーチャと、
自然保護区域の博物館の案内人の女性スヴェータ。

 森に入るのは久しぶりです、とカーチャが言った。
 私は村で育ったので、小さい頃はベリーを摘みに行ったり、
 キノコやナッツを採りに行ったり、
 森には毎日のように出かけていました。

まるで梨木の小説の「魔女修行のような」暮らし。
スヴェータが森の木についていろいろ解説をするが、
若いカーチャには専門知識がないので、詳しい通訳が出来ない。
それでも頭痛がするときは、この葉っぱを頭に乗せる、など
民間伝承のようなことはていねいに教えてくれる。
梨木は森から出たあとに、都会で生き抜くのとは違う
緊張感を強いられる気持ちを感じる。

 物音や気配、匂い、風の動き。
 少しでもキャッチするのが遅れれば、
 命を落とす危険のある場所。
 いやがうえでも五感は研ぎすまされていく

 
森はおとぎ話だけの住処ではないのだ。 



梨木香歩「自然をみつめる言葉」 月明かり

梨木香歩は、十代の頃、山の中で暮らした。
そして月の明るい夜、屋根に上って、
本を読むのがひそかな楽しみだった。
それには、いくつかの条件が必要だった。

 山奥の、初秋の満月の夜、
 月が一番高く上がったとき、
 比較的大きい活字の本なら可能になる。

都会では無理だ。
文庫でも無理。
凍るような冬の月でも可能そうだが、
寒いので試したことがない。
場所と期間と時間限定のぜいたくだ。

 それがあれほど好きだったのは、
 自分の五感が不思議な開かれ方をしていく、
 そのせいだったと思う。

その開かれ方を覚えておいて、
たとえば都会でも空に浮かぶ雲と
自分の間の距離を測ってみる。
喧噪に閉じて、世界の風に開く。


まさお
梨木香歩「自然をみつめる言葉」 カラス

梨木香歩の仕事場には、顔なじみのカラスが来る。
越してきたばかりの時、ベランダの目の前の木々が揺れた。
カラスのデモンストレーションだった。
目が合う。お互いにニヤリとした。
以来、出かける時にはアイ・コンタクトをとるという。

 目が合うということは、時と場合によっては
 魔境を覗き込むようなものだ。
 容易に引きずり込まれそうな感覚は、
 幼い方がずっと強かった。
 そして恐怖もあった。
 今では、恐怖することもなくなったが、
 それはそれで怖い気がする。



梨木香歩「自然をみつめる言葉」 群れで生きること

児童文学者・梨木香歩は、
ベッドから起き上がれないほど疲れきって、
仕事もほとんどキャンセルする日々を送っていた時期がある。
そんな時、夢を見た。
山奥の宿を探しているのだが見つからない。
タクシーの運転手が案内所に電話をかける。
待っている間、音楽が鳴る。
西洋古楽のようでもあり民族音楽のようでもあり、
高い精神性と乾いた質感の響きをもった音に、
心底びっくりし、聞き惚れる。
運転手も「私はこういう音楽が一番好きなのです」と言う。
梨木の体調はこの夢を契機にして、少しずつ上向きになった。

 人は群れの動物であるから、他者と何かで共感する、
 ということに思いもよらぬほどのエネルギーをもらうのだろう。
 しかもそれが、自分自身の核心に近い、
 深い深いところでの共感ならなおさらのこと。

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