1.夏の風物詩 人魂 葛飾北斎
浮世絵画家 葛飾北斎先生が
90歳で亡くなったときの辞世の句がある。
ひとだまで 行く気散じや 夏の原
浮世のしがらみから自由になって
ふわりふわりと夏の原っぱを飛びまわれば
さぞ気持ちのいいことだろう。
北斎先生にかかったら
死ぬこともこんなに涼しい。
2.夏の風物詩 日本初のビヤガーデン
日本のビールの父と呼ばれているのは、
ウィリアム・コープランドというビール好きのアメリカ人。
当時の日本ではおいしいビールが飲めないという不満から
明治2年、自ら醸造所をつくったのだった。
彼のつくったビールは、
日本人にもビアザケと呼ばれ愛されたが
15年後、資金難から醸造所は人手に渡ってしまった。
しかしそこはビールを愛するコープランド。
今度は、自宅の庭を開放して
できたてのビールを客にふるまうことにした。
これが、日本初のビヤガーデン。
彼が日本の夏にもたらしたものは大きい。
ビヤガーデンで飲む一杯を想像するだけで
夏の暑さも疲れもゆるむというものです。
3.夏の風物詩 ウナギの滋養
土用の丑の日にウナギを食べよう
と言い始めたのは平賀源内という説も
文人の大田南畝(なんぼ)という説もあるが、
万葉の時代からウナギは夏の滋養食だった。
「万葉集」で、大伴家持はこんな歌を詠んでいる。
石麻呂に われ物申す 夏やせに
よしというものぞ 鰻(むなぎ)とりめせ
夏バテの友人を心配してか、からかってか、
ともあれ鰻を食べるよう薦めている。
おいしいものを食べるための理由は
いくつあってもいい。
4.夏の風物詩 風鈴 黒澤明
映画監督、黒澤明は音に対しても強いこだわりを持っていた。
すべての音は、人の持つ記憶につながっている。
そう考える黒澤監督は、
特に、季節感の音と、情感の音にこだわりを持っていたという。
映画「赤ひげ」のワンシーンでは、
ある男が、生き別れの女房と
浅草のほおずき市で再会する。
ふたりが互いの存在に気づいた瞬間、強い風が吹く。
ほおずきの籠に吊り下げられた風鈴が一斉に鳴り響く。
赤ひげの時代に、ほおずき市に風鈴は飾られていなかった。
スタッフにそう告げられた監督の答えはというと。
違ってもいい。
最高の風鈴を持ってこい。
こうして日本中から選ばれた風鈴の音色は、
通常のものよりも余韻が2倍も長く
映画の中のふたりの再会のはかない結末を惜しんでいる。
黒澤監督は、こう語る。
映画音楽というのは、画に足したのではだめた。
掛け算にならないとだめなんだ
薄組・石橋涼子
石橋涼子 10年08月22日放送
石橋涼子 10年06月20日放送
1.父の役割 セオドア・ヘスバーグ
父親の役割は何だろう。
いつもはどっしり構えて、
いざというときに体を張って家族を守る?
定期入れに家族の写真を入れ、
毎日汗水流して働く?
牧師であり哲学者でもある
セオドア・ヘスバーグは、こう語る。
父親が子どもたちのためにできることで
一番重要なことは、
子どもたちの母親を愛することである。
お父さん、
たっぷりお母さんを愛して
父の威厳を示しませんか。
今日は、父の日です。
2.父親の楽しみ 福沢諭吉
明治の啓蒙思想家であり学者でもある
福沢諭吉。
昔の偉人と言うと、
家庭を顧みないイメージを抱きがちだが、
諭吉はとにかく子煩悩だった。
9人の子ども全員の育児日記をつけ、
毎晩、一番小さい子どもと一緒に眠った。
寝付きの悪い娘が夜中に目を覚まして
眠れないと泣きついたとき、
諭吉は、天井をさして言った。
ごらん、お月さまがお部屋にきてくれたよ。
それはストーブの煙突のために開けられた穴が
外の明かりを受けて丸く光っていたのだが、
娘は、小さなお月さまに見とれているうちに
眠りに落ちた。
教育者としてではなく、父として。
諭吉を動かしたのは、理論より愛だった。
3.父から息子へ レオポルト・モーツァルト
音楽界一の教育パパとして有名なのは、
あのモーツァルトの父、
レオポルト・モーツァルト。
幼い息子が音楽の才能を備えていることに気付いた彼は、
自分の出世も人生も捨てて、
息子の才能を開花させることにすべてを捧げた。
しかし、神童モーツアルトの成長に伴って、
教育者として、プロモーターとして
レオポルトにできることは少なくなる。
成人した息子にできることは、
父としてのアドバイスだけ。
仕事の相談から、生活のこと、
世間知らずな息子への叱責まで。
恋に盲目になった息子には、
「お前の手紙はまるで小説みたいだ」
と書いてさとし、
失恋した息子は、父に宛てて
「今はただ泣きたい」
と手紙を送った。
後に偉大な作曲家となったモーツアルトが
後世に残したのは、膨大な名曲たちと
数百通にわたる、父との手紙だったという。
4.ふたつの光 ジェームズ・サーバー
シニカルだけどあたたかいユーモアたっぷりな
短編を得意とした作家、ジェームズ・サーバー。
彼が残した言葉。
光には2つある。
ものを照らす鮮やかな光と、
おおい隠すギラギラした光と。
確かに近ごろ、夜はあるが、闇は少ない。
今は、一年でもっとも夜が短い季節。
今夜は電気の代わりにろうそくを灯して、
暗闇を楽しんでみませんか。
J-WAVEは100万人のキャンドルナイトを応援しています。
石橋涼子 10年05月16日放送
走る人 ジョイス・キャロル・オーツ
小説家とは、
酒とたばこを好み、不摂生で、破滅的。
なんてイメージは古臭いけど、
毎日ジョギングを欠かさない小説家、
というのも、ちょっと意外だ。
書くことと、走ることをこよなく愛する女流作家、
ジョイス・キャロル・オーツは、こう語る。
静かにきちんと仕事をしている人のことは
あまりニュースにはならない
確かにそうでした。
走る人 今井譲二
年間36試合に出場、打席数はゼロ。
というふしぎな記録を持つ野球選手をご存知だろうか。
今井譲二。
彼のポジションは、代走。
仕事は、ピッチャーから盗塁を奪うこと。
打たず、守らず、ただ、走ることを極めた野球選手。
投手のビデオを集めて研究し、
あらゆる投球の瞬間のクセを覚えた。
ピッチャーは、今井が走る、と分かっていても
彼を止められなかったという。
試合の終盤、彼の名前が呼ばれると、
大人も子どもも、バッターボックスよりも
片足を塁に乗せた今井の方が気になった。
ある人は、彼をこう評した。
箸にも棒にも引っかからない打撃と、
ひたすらに速い足を持っている。
それは今井にとって、最高のホメ言葉。
走る人 あるトラック運転手
早朝の高速道路。
前を走る長距離トラックを見ると、
荷台にこう書かれていた。
最大積載量、女房子どもが食えるだけ
あなたの仕事や、恋愛や、生活は、
重量オーバーになっていませんか?
何のために走り続けるのかを思い出すために
ときどき立ち止まるのも悪くない。
石橋涼子 10年03月06日放送
藤山寛美の岡持ち
アホを演じることにかけては天才と言われた
役者、藤山寛美。
彼が舞台裏で片時も手放さなかった道具は
岡持ちだった。
化粧道具からタバコやのど飴まで、
舞台に立つための必需品がすべて詰まっていた。
役者と名乗ることにこだわった彼の言葉がある。
わしは、俳優やあらへん、役者や。
俳優の俳の字は、人に非ずと書くやろ。
芝居には役者の人間性が出るもんや。
そやから、わしは、人間を演じる、役者や。
彼の中には、人のおかしさや愛しさや、悲しさまでも。
人間を演じるための必需品が
ぜんぶ詰まっていたに違いない。
道具のはなし 御木本幸吉の矢立
道具の使い道は、ひとつではない。
うどん屋から始まり、青物、米、海産物を経て
真珠の養殖で財をなした商人、御木本幸吉。
彼は常に「矢立」を腰にさしていた。
ボールペンが普及し始めた時代に、
墨つぼと筆を携帯するための矢立は、
もはや消えゆく道具だ。
彼は、そんな矢立を愛用する理由をこう語った。
「武士の刀」のように、矢立は「商人の魂」だ。
と。
実際は、新聞社などマスコミが
矢立の物珍しさを面白がって紹介することが多く、
御木本の良い宣伝道具になっていたという。
商人は、道具の使い方も、さすがです。
道具のはなし カーライルとフランクリン
イギリスの評論家、
トーマス・カーライルは
人間は、道具を使う動物である
と言った。
ベンジャミン・フランクリンは
人間は、道具をつくる動物である
と言った。
私はどうだろう?
近ごろ、道具を愛でる動物、
になってはいないだろうか。
ケースに入れたままのとっておきのグラスを出して
今夜は一杯、やってみようと思う。
石橋涼子 10年01月10日放送
二十歳のころ 前田長吉
戦争が彼にチャンスを与えた。
1943年、前田長吉、20歳。
見習騎手のうちから優秀な馬を与えられ
日本ダービーに出場。
最年少優勝記録を打ち立てた。
それから、戦争は彼のすべてを奪った。
1年後、赤紙が来て陸軍に入隊し
帰らぬ人となった。
でも、運命を恐れてはいけない。
人は時代とともにあり
時代をつくるのはあなたなのだから。
二十歳のころ 晴留家(はれるや)志んぷ
平均寿命が80歳を超えた今、
二十歳で人生の進路を決めるのはむづかしい。
大畑喜道(よしみち)青年は、
二十歳のころ、進路を選べずに悩んでいた。
それは、牧師になるか、落語家になるか。
中学生で洗礼を受け、高校のときから落語ファンになり
大学ではプロの門を叩いたこともあるけれど
卒業後は神学校へ進んで牧師の道に…
そしていま彼はふたつの名前を持っている。
牧師、アンデレ大畑喜道先生。落語家、晴留家(はれるや)志んぷ。
どちらの名前のときも
教会の十字架の下で誰かを幸せにしている。
二十歳、
迷って欲張ってもいいのかも。
二十歳のころ ヘンリー・フォード
アメリカの実業家ヘンリー・フォードはこう言った。
学び続ける人は、たとえその人が80才でも若い。
逆に、学ぶことをやめた人は、20才でも年老いている。
人生で最も大切なことは、
心をいつまでも若く保つことだ。
さて、あなたの心は、いま何歳だろうか。
明日は成人の日。
石橋涼子 09年11月15日放送
岡本喜八
映画監督 岡本喜八は、
撮影現場でじっとしているのが嫌いだった。
ディレクターズチェアに座らないので、
見学者に「監督はどちらですか?」と
尋ねられたこともある。
そのときはとぼけた顔をして照明監督を指差した。
彼は、自身のこだわりを、こう語った。
「一流は嫌い。自由がきかないから。僕は二流がいい。」
超二流監督を自称する岡本の作品は
いつでも、古い常識をぶち壊すパワーに満ちていた。
古澤憲吾
「なんでもいいから、キャメラを回せ!」
それが、映画監督 古澤憲吾の口癖だった。
派手な身振り手振りで演技指導をし、
フィルムが空でもカメラを回させた。
思いつきで撮影しているかのような演出に
真剣に悩んだ女優には、
「なにも考えなくていいんだ!」
と叫んだという。
ハイテンションでほら吹きで、自信家で、間違いなく変人だけど
妙にポジティブな古澤監督のキャラクターは、
そのまま、
植木等が演じる日本一の無責任な主人公となって
60年代の日本に元気を与えた。
水谷八重子
新派を代表する女優、初代 水谷八重子。
彼女は新人のころ、岡鬼太郎(おか おにたろう)という劇評家に
「こんな女優は一生大根で終わるだろう」と新聞に書かれた。
その悔しさから、切り抜きを
定期入れに入れて何十年も持ち続けたという。
大スターになった八重子は
基本を大切にしなければ舞台に上がる資格はない
と言い続けた。
悔しさも、芸のこやし。
それが本物の女優。
.ジャック・プレヴェール
詩人であり、脚本家でもあった
ジャック・プレヴェール。
映画『天井桟敷の人々』の名シーンは、
彼が書いた詩的なセリフから生まれた。
「次は、いつ会える?」
「近いうちに。縁があればね」
「しかし、君、パリは広いよ」
「愛するもの同士には、パリも狭いわ」
学校嫌いだったプレヴェールが
ことばを学んだのは劇場やカフェだった。
ある批評家はこう言った。
彼は街から来たのだ。決して文学から来たのではない。
エンドロールでのプレヴェールの肩書きは、
いつでも「脚本とセリフ」だった。
薄組・石橋涼子 09年10月18日放送
時を越える アントニオ・ガウディ
人は2つのタイプにわかれる。
ことばの人と行動の人だ。
私は後者に属する。
そう語ったのは、スペインの建築家
アントニオ・ガウディ。
そう、あのサグラダ・ファミリア教会の設計者。
幼いころから手先が器用だった彼は
自らの手で作りながら設計することを好んだ。
一方で、自らの考えを伝えたり、
他人の理解を得るために
文章や図面を書くことは大の苦手。
おかげで、着工から120年という膨大な時間の経つ
サグラダ・ファミリアは、今もまだ建築中だ。
なにしろ、ガウディ先生は
たった一枚のスケッチしか
ヒントを残してくれなかったのだから。
晩年、完成までの年月を聞かれるたびに、
彼はこう言ったのだった。
神様は完成をお急ぎではないよ。
きっと、人は2つのタイプにわかれる。
時間に囚われる人と
時間を越える人。
そして、後者にだけ与えられるのが、
未来に遺せる創造力なのだろう。
400年前からの手紙 俵屋宗達
琳派(りんぱ)の創始者であり、
国宝「風神雷神図」を描いた、俵屋宗達。
その生涯は
自伝もなく、日記もなく、謎に包まれている。
自筆で残されているのは筍のお礼状一通だけだ。
醍醐のむしたけ、五本送り下され、かたじけなく存じ候
彼が生きた時代から約400年。
自分の記録を残さず、作品のみを残した俵屋宗達が
いっそ潔く見えてくる。
愛の賞味期限 鈴木三重吉
愛情は最高の調味料。
食べ物に対する愛情もその料理をおいしくする。
作家 鈴木三重吉の
湯豆腐に対する愛情は半端なものではなかった。
レシピを訊ねる友人に
4メートル近い巻物に
延々と湯豆腐へのこだわりを書いて送った。
そこまで愛情をそそがれたら、
湯豆腐だってとびきりおいしくなる以外に道は無い。
止まっている時間 遠藤新(あらた)
1923年9月1日午前11時58分32秒。
その日、そのとき
後に関東大震災と呼ばれるマグニチュード7.9の揺れが起こった。
そして、その日、その時。
帝国ホテルの竣工記念パーティーが
まさに始まろうとしていた。
避難しようと慌てふためく人々の
悲鳴と怒号が飛び交うなか
ひとり、時間がとまったかのように、
ホールで大の字になって寝ている男がいた。
遠藤新。
天才建築家フランク・ロイド・ライトの片腕として
また、ライトが去った後の総責任者として
帝国ホテルを完成させた男である。
彼は言った。
この広い東京のなかで、今、最も安全な場所がここだ。
事実、崩壊と復興でめまぐるしい東京の街に
毅然と建ち続ける は
そこだけ時間が止まっているようだった。
Vision収録見学記 part2-(3)
石橋涼子-閑話休題オヤツのはなし
ちょこっと脱線ですが。
j-waveのスタジオ内は、禁酒禁煙はモチロンのこと、飲食もNGです。
ドアのすぐ外にワゴンがあって、
そこに飲み物やお菓子が置いてあるのです。
Visionの現場のオヤツ係は、ナレーターのVieVieさんです。
誰が決めたわけでもありません。自主的オヤツ係です。
VieVieさんのオヤツセンスはステキです。
今日のオヤツは「醤油チョコ」って。
普通、買いませんでしょ。
薦められたとき、以前、韓国土産でもらった
「キムチチョコ」の悪夢がよみがえりそうでした。
あと、「名古屋コーチンパイ」の白昼夢。
(なぜかうなぎパイに唐辛子が乗っています)
が!!
これが、おいしいんです!!
醤油とチョコのハーモニー!!
そのまんまですが。
なんか、おいしいんです!!!
(・・・伝わってますか?)
さっそくコンビニで探したところ、
全く見つかりません。
確かに、私が店長だったら入荷は躊躇する・・・
というわけで「醤油チョコ」の情報を
お持ちの方がいらっしゃいましたら、
コメント欄にお寄せ頂けますと幸いです!
お待ちしております。
Vision見学記Part2-(2)
石橋涼子ー現場の勢い
Visionは毎土曜日に土日放送分をまとめて録ります。
ディレクターさんは事前に原稿を読んで
音楽の間やイメージをぼんやりと描きます。
が、実際に音楽を選ぶのは、当日。
どんなに頭の中で考えても、
NAを聴いてみないとわからないから。
たとえば千利休。
和風な音をイメージしていたけれど、
この品のある感じはクラシックが似合いそうだ、と、
急遽バッハに変更してみたり。
その場でいくつも曲を聴いて
原稿の内容に、そしてVieVieさんの声に、
しっくりくるものを選んでいるのです。
「これだこれだ!」
ぴったりの曲を見つけたときの、ディレクターさんの
嬉しそうな声は
現場に勢いを与えてくれます。
そんなこんなで、迷ったり考えたり試したりしながら
選曲→録音→視聴を経てVisionはオンエアに至ります。
スピーディー。
(「納品」はありません。ここが放送局だから。うらやましい!!)
というか、あれ?本日の収録終了が18時です。
1本目はすでにオンエア済みじゃないですか!
夏休みの宿題を7月中にやるタイプだった私には
ちょっぴりスリリングなスケジュール感・・・
Vision収録見学記part2-(1)
石橋涼子-一発勝負のライブ感
再びVision収録現場におジャマしてきました
薄組の石橋です。
今回の収録、またまたラジオCMとの違いで
驚いたことがありました。
VisionはVieVieさんのナレーションと音楽を
同時に!録音しているのです!同録!!
セリフを噛んだら全部録りなおし。
音楽も一曲使用ならともかく、
数曲を組み合わせる場合は
ナレーションに合わせて一発勝負のミックスです。
すごーいすごーい!!
と、驚いていたら、プロデューサーさんに
なんで?と逆に驚かれました。
生放送が多いラジオとしては
これくらいの尺ならば一発で録れるのが常識なのです。
かっこいー。
モチロン、一発録り至上主義!というわけではありません。
ナレーション、音楽、SEそれぞれが素材としてスタンバイする中で、
何度かテイクを重ねながら、
30秒や60秒を仕上げていくラジオCMのつくり方も大好きなんですが。
とはいえ、VieVieさんとディレクターさんの息の合った
ライブ感には興奮です。
聴いているだけでドキドキです。楽しい!
そして!隣のスタジオではまさに番組生放送中。
ゲストに某アイドルグループ。の卒業生が来ていました。
「かわいいなあ」と、カメラ片手にちらちら覗いていたので、
スタッフさんにすっごく訝しげな顔をされました。
次回、Vision立会い不許可になったらすみません!
Vision収録見学記(9)
石橋涼子―再び現場へ
そのころ収録現場では、
「男の人の涙って、理屈っぽくって、うすっぺらで、ダメね」
という言葉は、男性否定に飛びすぎでは?という意見が出ていました。
原稿を書いているときは、否定的なニュアンスにならずに
仕上げられるかと思っていたのですが、
Vision制作チームのみなさんとあーでもないこーでもないと
話し合っているうちに、もっと違うシメ方もあるなと思い直しました。
ドラとピカソの涙を比較してみるとか、
女の涙も男の涙も等しく肯定してみるとか、その場でうんうん考えました。
考えているうちに、個人的な恨みはさておき
「やっぱり涙に理屈っていらないんじゃないかな」
という自分の気持ちは変わらないことに気づきまして。
最終的に
「涙に理屈なんていらないのに」
という言葉で収録していただきました。
現場で迷うといつも、他のスタッフを不安にするかしらとか
現場の貴重な時間を私のせいで・・・とか
良からぬことを考えてしまうのですが。
Visionの現場は誰もが意見を言える雰囲気で、
つまり私も自分の意見をばんばか言えるし言わなきゃいけないし、
という、とてもとても有意義な雰囲気。
ぐずぐず悩むヒマがあったらコピーを1本でも多く書くべし!
と、コピーライターとして当然といえば当然のことを
胸に刻んだ一日でありました。
余談ですが、私はアイスクリームを落としただけで泣きますが、
みなさまいかがお泣きでしょうか。 (つづく)
Vision収録見学記(8)
石橋涼子―現場ときどき脱線
収録が続きます。
私は今回2本の原稿を書かせて頂いたのですが
事件はピカソの愛人ドラ・マールによってもたらされました。
本能で泣く女ドラ・マールに対して、
一度だけ涙を見せたピカソ。
ドラが涙の理由を聞くと、
「人生はあまりにもひどい、という以外に説明ができない」
なんて言っちゃって、しっかり説明しちゃうんですね。
時代はスペイン内戦の真っ只中、
ピカソがゲルニカを制作していた頃。
ここでいう「人生」は、ピカソ個人の人生というよりも
運命とか、人の世の愚かさとか、もっと大きな意味ですね。
でも、私がこの話を読んだときに感じたのは、
原稿の最後に書いた一文、
「男の人の涙って、理屈っぽくって、うすっぺらで、ダメね」
という気持ちだったんです。
さて、また脱線します。
私事で恐縮ですが、学生のころの話でございます。
ある日、私への恋心が冷め切った恋人から、
とーとつに別れを切り出されました。とほほ。
そのとき、なぜか彼は、
意味の無い理屈を言いやがったのです。
「二人の成長のためにも、別れるしかないんだよ」
なぜ「冷めました」と素直に言えないのでしょうか。
理屈とか説明とかいらないから!
それ、自分のための言い訳であって、私のためじゃないから!
どあほー!!
あ、遠くに行ってばかりですみません!
Visionに戻ります! (つづく)
石橋涼子 09年9月6日放送
あの人の食 向田邦子
向田邦子は、
ドラマ「寺内貫太郎一家」で
ささやかだけれど
確かなぬくもりのある
昭和の家族の生活を描いた。
朝食のシーンのト書きには、
毎回献立が書かれていた。
アジの干物に大根おろし、
豆腐と茗荷の味噌汁、
などなど
ある日、向田はメニューの最後にこう書いた。
ゆうべのカレーの残り
そこには、ドラマのワンシーンではなく、
昨日も今日も、明日も続く、
寺内家の生活が確かに描かれていた。
あの人の食 ロッシーニ
食いしん坊という存在は、
なんだか愛らしい。
食い意地が張っている、
というのとはちょっと違う。
「食べる」という行為を
心から愛し、無邪気に楽しんでいるから
ではないだろうか。
ロッシーニは本物の食いしん坊だった。
オペラ作曲家として人気も実力も絶頂の37歳で
「食」に専念する、という理由で
引退してしまったのだから。
大好きな料理を楽しむためにレストランをつくり、
大好きなトリュフを探すために豚を育て、
大好きなワインを楽しむためにレシピを考えた。
彼の音楽的才能を惜しんだワーグナーが熱心に説得しても
ロッシーニはラム肉の焼き加減を気にしてばかり。
そんな彼が心から涙を流したのは、生涯で二回だけだという。
一度目は、パガニーニの演奏を聴いたとき。
二度目は、トリュフがたっぷり詰まった七面鳥を
落としてしまったとき。
食に向かうとき、その人がどんな人間かがよく見える。
あの人の食 トーマス・エジソン
発明家トーマス・エジソンといえば、
電球を発明したこと。
よりも、
発電から送電までの
電気事業を整備したこと。
が、評価されている。
そんな天才エジソンがある日言い出した。
一日二食では健康に良くない。
一日三食にするべきだ。
こうして、アメリカ国民は健康のために
朝食を食べるようになった。
エジソンが発明したトースターで焼いた
こんがりキツネ色のトーストを。
モノをつくるだけでは売れないことを
彼は知っていた。
同時にマーケットもつくらないと。
エジソンは、本当の発明家だった。
Vision収録見学記(5)
石橋涼子ー音楽のこと
収録中にメモしたフジ子・ヘミングの「トロイカ」を
CDショップで捜索中の石橋です。
音楽の話を私も少々。
Visionはラジオのショートプログラムであり、
ラジオCMではありません。
というわけで、使える楽曲の幅がとても広いのです。
スタジオ内には古今の名盤が山高く積まれていて、
この中のどの曲を使ってもいいのね!と思うと
興奮してワクワクそわそわモジモジします。
関係各位には言わずもがなの話ですみません。
それ以上に、一般の方にわかりにくい話ですみません!
音楽には色々と、そう、権利とか権利とか権利とかがあるんです。
保持(ホジと書いてヤスモチと読む)さんは、
CMでは使用不可能と言われるビートルズの音源を
使うためだけにジョン・レノンの原稿を書いたのだとか。
(いや、それだけじゃないと思いますけど)
私はエリック・サティの曲が好きなので、
この機会にリクエストしちゃおっかなーなんて思って
にやにやしていました。
そして思い出しました。
サティは死後50年経っているから、
音源によっては権利がフリーだ・・・
ディレクターさんが一生懸命MIXしている横で
そんなことを考えながら一人にやけたり、
がっくりしたり、気味の悪い百面相をしていました。
収録って楽しい・・・ (つづく)
Vision収録見学記(3)
石橋―前置き、またの名を脱線その2
厚焼玉子さんからは
「ヒルズはセキュリティが厳しい!
トイレに出たら、もう戻れない~!!」
と5回くらいアドバイスされて、いや、脅されていました。
佐藤さんから来客用セキュリティカードをいただいた時は
これでトイレに行ける!!と感動したものです。
しかしトイレの恐怖はセキュリティだけではありません。
六本木ヒルズでは、目的地に着けずにおろおろしている
埼玉(仮)のおばちゃんをよく見かけますが、
オフィスフロアもかなり複雑なラビリンスなのです。
トイレに行ったら、もうJ-WAVEがどこにあるのかわからない。
案内のお姉さんもいないし、案内板もない。
これも一種のセキュリティ・・・!?
というわけで、私がトイレをどうしたかというと、
ガマンしました。はい。
冷えのキビしい冬だったらやばかったです。
またまた脱線してしまいました。
今度こそ・・・
収録は、J-WAVE内のスタジオで
プロデューサーさん、ディレクターさん、ミキサーさん、
そしてナレーターのVieVieさんの4名で進められます。
みなさんで、侃々諤々と意見をぶつけあったり
それぞれの解釈を述べたり、談笑したりしながら
Visionは作られているのです。
ラジオへの愛がだばだばと溢れる現場です。
森でマイナスイオンを浴びるより元気になれます。
われわれもご挨拶をさせて頂いて。
さあ、収録が始まります。
(つづく)























