藤本組・永久眞規

永久眞規 18年5月12日放送

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河野芳之助とアメリカザリガニ

きょう5月12日は「ザリガニの日」。
今から約90年前の1927年、
アメリカザリガニが日本に輸入された日だ。

持ち込んだのは、河野芳之肋(かわのよしのすけ)。
当時北米で流行っていた食用ガエルの養殖に取り組んでいた彼は、
カエルの餌としてザリガニに目をつけたのだ。

日本への船旅はザリガニにとって過酷だったようで、
もともと100匹いたのが、
到着したときには20匹になっていたという。

そんな苦労の甲斐なく食用ガエルの養殖は失敗。
不要になったザリガニも川に放たれることとなる。
そして20匹だったアメリカザリガニは、
固有種のニホンザリガニを押し退けて
あっという間に全国へ広がっていった。

いまでは問題とされる「外来種」も、
外から勝手にやって来たわけではない。
私たち人間が連れてきたという事実を忘れてはならない。


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永久眞規 18年2月17日放送

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文豪の朝食 夏目漱石

明治の文豪、夏目漱石は、
当時としては珍しい洋風の朝食を好んでいた。

ロンドン留学から帰国した後、
彼の朝食はもっぱら、紅茶とトースト。
そして、何よりも楽しみにしていたのは、苺のジャム。

大の甘党で、
羊羹を常に持ち歩くほどだったと言われる漱石は
ジャムをトーストに塗るのではなく、
瓶からスプーンですくってそのまま食べていたらしい。

代表作『吾輩は猫である』には、
猫の飼い主が、ジャムを食べすぎて妻に咎められるシーンがある。

 元来ジャムは幾缶舐めたかい?

 今月は八つ入りましたよ。
 〜あんなにジャムばかり嘗めては、胃病の治る訳がないと思います。


この言葉は、漱石が実際妻に言われたものだろうか。
それとも、糖尿病のけがあった自分への戒めの言葉だったのだろうか。


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永久眞規 17年12月16日放送

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電話のはなし 伊沢修二

世紀の大発明「電話」。
電話を通して、最初に話された言語は英語だが、
二番目の言語は日本語であった。

その声の主は、伊沢修二。
日本に近代的な学校をつくるためにアメリカに
留学していた伊沢は、電話の発明者グラハム・ベルと交流があった。

ベルがすごい機械をつくり、公開実験が行われる。
そんな噂を聞きつけた伊沢は、友人の金子堅太郎と
電話機を初めて体験した日本人となった。
その時の会話について諸説あるが、
とある短編集に載っているやりとりが中々に面白い。

電話を使い、一通り英語で会話をした伊沢と金子。
伊沢は「不思議だ、不思議だ。実によく聞こえる」と
日本語で独り言を言った。それにたいして金子はこう言った。

「伊沢、この機械は素晴らしい。日本語まで聞こえるぞ!」


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永久眞規 17年9月30日放送

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翻訳のはなし 堀達之助

1853年、日本に激震が走ったペリー来航。
その得体の知れぬ船に近づき、
交渉を進めた勇敢な男がいる。

彼の名は、堀達之助。
船の下から、唯一喋れる英語の文章を叫んだ。

I can speak Dutch!

堀は長崎で育った、オランダ語の通訳士だった。
流暢なオランダ語で話を進め、
日本は開国へと向かっていく。

その約10年後、1962年。
堀を中心に日本初の印刷された英和辞書、
「英和対訳袖珍辞書」が刊行された。

たった10年。
独学で学んだ彼の英語は、
日本における英語普及の基礎を築くまでになっていた。


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永久眞規 17年6月10日放送

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時の記念日 ベンジャミン・フランクリン

早寝早起きは、人を健康で、裕福で、賢明にする。

 Early to bed and early to rise,
 makes a man healthy, wealthy and wise.

アメリカ建国の祖のひとり、
ベンジャミン・フランクリンは大変な倹約家だった。

夜明けとともに起き、日没とともに眠れば、
ろうそくも節約できるという考えから、
フランスの新聞「Journal de Paris」でサマータイムを提案。

しかし、18世紀当時は人々の理解を得られず、
彼の考えは忘れ去られていく。

思いがけないタイミングで
サマータイムのアイデアが見直されたのは、約100年後。
エネルギー不足が深刻だった第一次大戦中。
まさに時代の要求にかなっていたのだ。

人を健康で、裕福で、
賢明にするはずだった彼の考えは、
皮肉にもその真逆にある戦争から
普及していくことになる。

それからさらに100年。
サマータイムは、人々にどんな時間をもたらしているのだろう。

きょうは、時の記念日。


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永久眞規 17年5月20日放送

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計量の話 柴田音吉

きょうは「世界計量記念日」。
日本人初の本格テーラーとして知られる柴田音吉。
10歳の頃から裁縫を学んでいた彼は、
神戸で洋服店を開いていた英国人に弟子入りし、腕を磨いた。
その丁寧な仕立てと着心地のよさは評判となり、
あの伊藤博文も通うほどであった。

あるとき、明治天皇の洋服を依頼された柴田。
しかし、直接採寸することは許されなかった。
最高の一着をつくるには、どうしても採寸が欠かせない。
あくまでその点にこだわった柴田は、

 陛下のお身体には触れないので、
遠くから目測でサイズをお測りしたい。


と願い出たという。
柴田のこだわりがつまったその仕上がりには、
明治天皇も非常に満足したそうだ。

やがて明治政府によって
「礼服は洋装にする」という太政官布告が出され、
日本にも洋服が広く定着していくことになる。
その陰には、採寸にこだわる天才テーラーの活躍があった。


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永久眞規 17年5月20日放送

170520-05
計量の話 香川綾

きょうは「世界計量記念日」。
今ではどんなレシピにも使われている
計量スプーンと計量カップ。
もとは、日本に栄養学を普及させた
香川綾が考案したものだ。

戦後、日本の計量はメートル法に変わったが
一般家庭にはなかなか浸透せず、
匁やグラムが混在していた。

調味料の単位がバラバラだと
塩分や糖分の摂取量が把握しにくく、
日本人の健康を損なうかもしれない。

そう考えた香川は、
計量スプーンと計量カップを製作。
さらにヘラをつけることで、
すり切り1杯や2分の1杯など
より細かく正確に計れるよう工夫を凝らした。

たった1グラムの違いも、
毎日口にすれば大きな違いになる。

おいしくて栄養のある料理が
家庭で手軽に作れるのは、
彼女の細やかな思いやりのおかげなのだ。


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永久眞規 17年2月11日放送

170211-01
ぬいぐるみの話 A.A.ミルン

1926年、スコットランド人のA.A.ミルンが発表した
“Winnie-the-Pooh”は、
愛する息子クリストファー・ロビンに贈った物語。

物語の主役Poohをはじめ、他の仲間たちもみんな
息子が大切にしていたぬいぐるみだ。
自分のぬいぐるみたちが活躍する物語に、
幼いクリストファーは胸を躍らせたことだろう。

しかしこの素敵な贈り物が。
やがて親子の間に亀裂を生むことになった。

クリストファーは大人になっても
つねに“物語の中のクリストファー・ロビン”と比べられ、
その陰に苦しめられたのだ。

「物語のクリストファーは父の夢の中の理想のボク。
 しかし、誰もが彼をボクだと思うんだ。」


彼は次第に、作者である父親をひどく憎むようになっていく。

この優しくあたたかい物語がもつ、
もうひとつの悲しい物語だ。



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永久眞規 16年12月10日放送

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1702年12月14日の雪

 あら楽し 思ひは晴るる 身は捨つる
 浮き世の月に かかる雲なし


忠臣蔵で有名な大石内蔵助の辞世の句である。

ドラマや映画では雪の降る日に描かれる
吉良邸への討ち入りだが、
実際は前日までに雪は止み、
夜明けの空に月が輝いていたそうだ。

 「浮き世の月に かかる雲なし」

まさに内蔵助の晴れ晴れとした気持ちのような
空だったのだろう。

だが忠臣蔵のイメージといえば、やはり雪なのだ。
復讐の炎が似合うのは、
凍てつくような雪の降る日なのである。


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永久眞規 16年11月12日放送

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陸奥亮子と洋服

陸奥宗光の妻、陸奥亮子は
もとは新橋の芸妓だった。

宗光に見初められ社交界に入った亮子は、
「鹿鳴館の華」と呼ばれる。
さらに夫が駐米公使になると、ともに渡米。
その美貌と聡明さで「ワシントン社交界の華」となった。

着慣れていた着物を脱いで洋服を着こなし、
世界の賞賛を集めた大和撫子。
彼女こそ、文明開化そのものだった。


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