薄組・薄景子

茂木彩海 18年10月28日放送

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Photo by Jballeis
パンダのはなし パンダ外交

「パンダ外交」という言葉があるように
昔からなにかと人はパンダに集まり、物事を動かしてきたふしがある。

この「パンダ外交」、初めて行われたのはなんと
さかのぼること中国、唐の時代。

初代皇帝の孫が二頭の生きたパンダと大量の毛皮を日本に贈り、
両国間の商取引が停止している間の友好のしるしとしたことから
始まったと言われている。

中国成立後は旧ソ連に対して親善大使としてパンダを贈ったことを皮切りに、
隣国である朝鮮に。ヨーロッパ諸国との関係が緩和されると、
国交を樹立した記念としてフランスに。

その後もイギリスに、メキシコに、スペインに、ドイツに…、
さらにはオーストラリアにまで。
中国生まれのパンダたちは次々と旅立って行った。

もしこの世界にパンダがいなかったら。
不要な争いや政治の衝突が世の中に増えていたのかもしれない。

そう思うと、何者もつい笑顔にしてしまうパンダパワーは、
意外にあなどれないものである。

動物園で寝ころびながら竹を食べるその姿につい、
世界を救うヒーローを重ね見る。

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茂木彩海 18年10月28日放送

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Photo by Mark Dumont
パンダのはなし パンダという名前

一度聞いたら忘れられない「パンダ」という名前。
覚えやすく、小さい子供も発音しやすい。
そんなことも、常に人気者であるひそかな理由なのかもしれない。

そんなパンダだが、もともとは「レッサーパンダ」を指す
名前だったことをご存じだろうか。

なんでも、現在の「パンダ」を指す
ジャイアントパンダが新たに発見されたことがきっかけで
いままでのパンダに「小さいほうの」という意味の「レッサー」を
つけたのだという。

「レッサー」パンダからしたら失礼な話だが、
どちらもパンダはパンダ。

その可愛さを前に、人類はなす術がないのである。

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小野麻利江 18年10月28日放送

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Photo by studiohzwei
パンダのはなし パンダと食べ物

1日10時間以上にわたり、
およそ20キロもの竹や笹の葉を食べる、
ジャイアントパンダ。

さぞかし大好物なのだろうと思いきや、
実は、パンダの身体の構造は、
竹や笹を食べるのにが、向いていないそう。

パンダの消化器官は、典型的な肉食動物のもの。
そのため、草食動物のように長い腸を持たず、
食べたものの2割程度しか消化できないらしい。

天敵を避け、中国山岳地帯の奥地を生息の場とした
ジャイアントパンダ。
そこで冬や氷河期でも枯れず、
1年を通して豊富に得られる植物が、竹や笹だったとか。

さらには、およそ420万年前に
パンダの体内の受容体が変異を起こし、
肉などのたんぱく質を「おいしい」と感じなくなった、
ということが、研究によって明らかになった。
竹や笹を食べ続けることができるのは、そのためだという。

争いを避けるために、食べ物の好みを変えてしまう。
パンダはかなりの平和主義者のようだ。

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小野麻利江 18年10月28日放送

181028-06

パンダのはなし パンダと伝説

どうもパンダという存在は、伝説と相性がいいようだ。

中国では古来から、
しばしば伝説の生き物・獏(ばく)と混同されてきた。

紀元前200年頃に編まれたという類語辞典
『爾雅(じが)』では、
「竹を食べる白黒模様をしたクマのような動物」のことを
獏と呼んでいたり、

「パンダの毛皮を寝具にすると、
未来を予知する夢を見ることができる」と、
獏の伝説がパンダの話として
信じられていたこともあったという。

そして時は移り、
1972年、上野動物園に、二頭のパンダが「来日」すると、
その日だけで5万6000人が集まるという
熱狂をもって迎えられ、

昨年も、上野動物園で初めて、
メスのパンダ・シャンシャンが生まれると、
日本中が再び、パンダブームで盛り上がった。

二千年以上ものあいだ、様々な伝説で
人々を惹きつける、パンダの最大の魅力。
それはきっと、白と黒のツートンカラー。

しかし、なぜパンダの体は白黒模様なのかは、
驚くことに、つい昨年まで、
きちんと解明されていなかった。

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熊埜御堂由香 18年10月28日放送

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Photo by chensiyuan
パンダのはなし 野生への夢

ガラス越しに数匹の動向をじっと見守る、
動物園の人気者、ジャイアントパンダと私たちはそんな風に接してきた。
けれど、もともとは四川省の山岳地帯の野生動物で、
今でも、四川省には、野生化を目指す研究基地が数多くある。

そのひとつ、成都ジャイアントパンダ繁殖研究基地は
1987年に設立された。始まりは6頭のパンダだった。
1970年代、野生の生息地である山脈の竹の葉が突然枯れる事態が相次ぎ、
10年間で250頭が餓死するという危機がおこった。
そんな中、成都市は63頭のパンダを救出し、食事を与え野生へと戻した。
しかし、体調的に戻すことができなかった6頭の野生パンダの人工飼育から、
この施設はスタートした。
現在まで、一度も野生のジャイアントパンダを捕獲しない状況で
繁殖を続けてきた。

成都ジャイアントパンダ繁殖研究基地には、
今では200頭以上が生活し、
たくさんの子パンダたちが、まるで子犬のように、
じゃれあう姿も見ることができる。
その愛らしさから、世界中から観光客も多く訪れる。
その収益は、野生に帰りたいという
ジャイアントパンダたちの夢を叶えるために使われている。

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薄景子 18年10月28日放送

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Photo by Todorov.petar.p
パンダのはなし パンダの白黒模様

中国で平和の象徴とされる、パンダ。
あの愛くるしい白黒模様を
中国では「陰」と「陽」の
象徴だという哲学者もいるらしい。

陰陽とは宇宙を構成する
ふたつの相反する力。
それを象徴する白と黒の均衡を
パンダは保っているからこそ、
穏やかな性格だともいわれている。

なるほど。
パンダはただ可愛いだけではないのだ。
あの白と黒のモフモフは、
人間の乱れた心のバランスを
一瞬にして整え、癒してくれる
そんな不思議な力を秘めている。

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石橋涼子 18年9月30日放送

180930-01
Photo by Rob Bye
大地のはなし 母なる大地の土

「母なる大地」という言葉があるように
人は自分を育ててくれた大地に愛情を持つ。

ロシアでは古代、長旅に出る際に
故郷の土を一握り持って行ったという。

江戸時代の旅人の心得として書かれた本には
船旅の不安を防ぐ方法として
陸の土を包んで持つように書かれていた。

さて、あなたがホッとする大地はどの辺りでしょう。

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石橋涼子 18年9月30日放送

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大地のはなし ネイティブアメリカンの教え

私たちは大地に育まれている。
水や空気や栄養を、そこに実る植物を、
惜しみなく与えられていることに
私たちはあまり気づかない。

私たちは大地に支えられている。
高いところが大好きな人間や建築物やあれこれを、
大地は重いとも言わずに支えている。

私たちは足元に大地があることに何の疑問も抱かない。

ネイティブ・アメリカンに古くから伝わる
こんな教えがある。

 大地は先祖からの授かりものではなく、
 こどもたちからの預かりものである。

大事な預かりものだと考える緊張感は、
現代の私たちにこそ丁度いいのかも。

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熊埜御堂由香 18年9月30日放送

180930-03
Jing Liao 廖品淨
大地のはなし 大地の芸術祭

人間は、自然に内包される。
新潟県の越後妻有(えちごつまり)で
3年に1度開催される、
大地の芸術祭が掲げ続けてきたテーマだ。

この芸術祭は、美術館の白い壁で見るアートとは
一味違う体験をもたらしてくれる。
広大な自然の中に、点在するアート作品を
道しるべに里山を巡る。

もともとは、越後妻有は、過疎高齢化の進む豪雪地だった。
立ち上げ当初は、地元の住民の中には、戸惑いを感じる人もいた。
それがいつのまにか、
都会から来た若者のボランティアと、
一緒に芸術祭を盛り上げるようになった。
アーティストが滞在して、暮らしの中で作品を作っていく。
会を重ねるごとに制作したアート作品が増えて行き、
里山の中に溶け込む風景になっていく。

大地がまるごとよろこんでいる。
そんなお祭りは、2000年から今年で7回目を迎え、
50万人近くが世界中から来場する国際芸術祭になった。

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薄景子 18年9月30日放送

180930-04
Photo by Fabian Struwe
大地のはなし ゲーテの言葉

ドイツの劇作家、ゲーテは言った。

 世界は君達に大きく開かれている。

 どしどし遠慮なく進むがいい。

 大地は広々とつづき、
 空は広大無辺にひろがっている。

何かに行き詰ったときこそ、
無限の大地を感じる場所へ旅しよう。
ちっぽけな自分の存在に気づいたとき、
その大地は、遠慮なく前進する勇気をくれる。

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