薄組・薄景子

茂木彩海 12年8月19日放送



部活の話 川越高校の水泳部

埼玉県、川越高校。

明治32年に創立され、105年の歴史を誇る、
埼玉県有数の進学校にして、硬派な男子校。

ここに、映画「ウォーターボーイズ」のモデルとなった
水泳部男子シンクロチームがある。

チーム誕生の理由は、ただ、女の子にモテたかったから。

とはいえ本業は、あくまでも『競泳』の彼ら。
1、2年生は、夏休みの午前中は競泳に、
午後は夜8時までシンクロの猛練習。
3年生は、進学校だけに、「受験勉強」との両立に悩まされる。

シンクロだって遊びでやってるわけではなかったが
本人たちはそろって「シンクロ部じゃなくて水泳部」と口をとがらせた。

そんな彼らについて、映画監督の矢口史靖はこう語る。

 たった一度変わるだけで、その先に大きな広がりがあったりする。

水泳部がシンクロをやる。その変化こそが、
彼らの青春を、とんでもなくキラキラと輝かせたのだろう。



部活の話 阿木 燿子の合唱団

作詞家、阿木 燿子。

8年前、思い立ってアマチュア合唱団をつくった。
今では下は16歳から、上は84歳まで
約80人のメンバーが活動している。

作詞家の自分が書いた歌を歌う。

今までと違うことをやるのは面倒でも、
心にしたがって、やってみる。
そんな彼女の決意の言葉。

 ひらめきを、信じる。

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熊埜御堂由香 12年8月19日放送


donvanone
部活の話 流山児祥の楽塾

演出家、流山児 祥。(りゅうざんじ しょう)
アングラの帝王とよばれ、
国際的な評価も得てきた。

そんなとんがった男が、50歳を前に、
認知症の母親を介護することになる。
演劇から少し離れていて、こう思った。
同世代のふつうのひとたちと
劇場で、遊んでみたい。
そうして1998年に
シニア劇団、楽塾を設立した。
オーディションで
まっさらなおじさん、おばさんがあつまった。

稽古中に『今夜のおかず何にしようかな』なんて考えたり、
曇りの日は洗濯物が気になって。 
発足当初のことを劇団員たちは朗らかに笑う。
まるで部活に打ち込む高校生のように。
激しい檄を飛ばす流山児のもと、活動を続けた。

そして、楽塾はいつしか観客動員1200人を越える
プロの劇団に成長した。

平均年齢59歳、
今年で15周年をむかえる
楽塾のモットーは、
 ひとは元気で楽しいものを見ると
 元気で楽しくなる。



部活の話 長友佑都の太鼓

サッカー日本代表として活躍する長友佑都(ながともゆうと)。

高校時代は、無名選手だった長友。
明治大学サッカー部でも
ケガで試合にでれない日々が続いた。

くさりそうになる気持ちを
長友はサッカーの「応援」にぶつけた。
当時を振り返り彼はこう言った。
 試合の時は太鼓をたたくのが、僕の使命でした。

長友がたたく応援の和太鼓は、
プロチームのサポータ集団から
スカウトされるほどだった。

やがて世界で活躍する長友の、
無名時代のあるひととき。
それはサッカーが、大好きだ、という
プロになっても通用する
強いモチベーションを育ててくれた。

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石橋涼子 12年8月19日放送



部活の話 山口良治の涙

無名の工業高校ラグビー部を
全国屈指の強豪校へと育て上げた
ラグビー部顧問、山口良治(よしはる)。
ドラマ「スクールウォーズ」のモデルと言ったほうがわかりやすい。

彼のモットーは
 99%信じても、1%の不安があったらその通りになる。
 100%信じきる事が大切。

信じることが力になる。そんな熱血先生の
もうひとつのあだなは、泣き虫先生だった。



部活の話 千田(ちだ)健一の五輪

千田(ちだ)健一は、
1980年モスクワオリンピックで
フェンシング代表に内定していたが、
日本が五輪をボイコットしたため、
幻の代表となってしまった。
その後、高校でフェンシング部顧問となり
何度も全国制覇を成し遂げたが、
五輪には複雑な感情を抱き続けた。

そんな千田(ちだ)の前にひとりの選手が現れた。
長男の健太だった。
部活の顧問と選手として、徹底的に鍛えた。
そして2008年、健太が北京五輪に出場したとき、
ようやくこう思えたという。

 来られて良かった。

千田の自宅には、今でも幻となった
五輪代表認定証が飾られている。

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薄景子 12年7月8日放送



1. 冒険の話 シルヴァスタイン

絵本作家、シルヴァスタイン。
彼の代表作でもある
「ぼくをさがしに」という絵本には、
足りないかけらを探して歩く、ぼくの冒険が描かれる。

自分は何がしたいのか。
ほしいものは何なのか。

やっと何かを見つけても、
また違うものを求めてしまうのは、
まるで人生のそのもの。

絵本の中表紙には、

だめな人とだめでない人のために

という献辞が書かれている。

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石橋涼子 12年7月8日放送



2. 冒険の話 柳田國男

本を読むということは、大抵の場合において冒険である。
だから又、冒険の魅力がある。

こう語ったのは、
日本民俗学の祖として知られる柳田國男。
彼は子どもの頃から
膨大な量の書物に囲まれて育ち、
読書とともに大人になった。

そして、大人になるにつれて痛感するようになったのは、
書物だけで学ぼうとしたら一生かかっても足りない、
という事実だった。

柳田國男は、若干44歳でエリート官僚の道を退いた。
日本中の民間伝承を自分の足で探す冒険に出るためだった。

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茂木彩海 12年7月8日放送


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3. 冒険の話 高橋淳

現役最高齢パイロット、高橋淳。
御年88歳。
空を飛んだ時間、2万5000時間。
師匠と仰ぐ者たちはみな、彼を「飛行機の神様」と呼ぶ。

世界大戦が始まり、軍隊に入った高橋は
戦死することが栄誉だとされた時代、
何が何でも生きて帰ると心に決めていた。
なりたかったのは軍人じゃない。飛行機乗りなんだ。
その気持ちが高橋を守った。

終戦後はプロパイロットの養成に力を入れたが
49歳でフリーのパイロットに転身。
飛行機は車とは違い機体に個性があるため、
免許があっても、すべてを乗りこなせるわけではない。
50種類以上の機体を乗りこなせるのは、今も昔も、高橋だけ。
ひとりでも大丈夫。自信があった。

高橋は言う。

 「せっかく生まれてきたんだから、
 僕は死ぬまで進歩したい。」

生き方そのものを、冒険と呼びたくなる人は
今の世界に、いったいどれだけいるのだろう。

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熊埜御堂由香 12年7月8日放送


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4. 冒険の話 高橋源一郎

小説というものは、
広大な平原にぽつんと浮かぶ小さな集落から
抜け出す少年、のようなもの。

前衛的な作風で知られる
小説家・高橋源一郎は言った。

学生運動で大学を除籍になり10年ほど、
土木作業員として各地を転々とした。
長く患っていた失語症のリハビリで書き始めた小説が
高橋を広い世界へ連れ出した。

今日も彼は、ひとり机にすわって
どこまでも遠くへいく。

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茂木彩海 12年7月8日放送


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5. 冒険の話 アーネスト・シャクルトン

アーネスト・シャクルトン。
1914年、エンデュアランス号で、
人類初の南極大陸横断を目指し、出航した。

南極大陸まで320kmの地点で、四方を氷にはばまれ、
10ヶ月ほど漂流するものの、氷の圧迫でエンデュアランス号が崩壊。
この時点で南極横断計画はとん挫してしまう。

救助を求めようと、500キロ先のエレファント島へ
なんとか徒歩でたどり着き、
さらに1,300キロ離れたサウスジョージア島へ、
救命ボートを使って再び出航。

ついに救助されたのはイギリスを出発してから約2年後のこと。
シャクルトンと、その隊員27名全員が奇跡的に生還した。

隊員を募集した時、シャクルトンはこんな広告を出している。

 「求む男子。至難の旅。僅かな報酬。極寒。
 暗黒の日々。絶えざる危険。生還の保証なし。
 成功の暁には名誉と賞賛を得る」

冒険するか、しないか。
どちらを選ぶかは、
私たちの生き方の選択肢としていつでも用意されている。

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石橋涼子 12年7月8日放送



6. 冒険の話 ソーントン・ワイルダー

冒険をしたいなあと思っているのは、
家にいて何事もないときである。
いざ冒険している時には、家にいたいなあと思う

こう語ったのは、アメリカの劇作家ソーントン・ワイルダー。
派手で社会的な演劇が流行した1930年代のアメリカで、
彼は、平凡な人々の平凡な日常を描き続けた。

しかし、そこでワイルダーが描いているのは、
私たちが平凡だと思っている日常が
いつもそばにあるものではなくて、
今ここにしかないものである、という事実だ。

今ラジオを聴いているあなたの日常も
今ここにしかないのと同様に。

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薄景子 12年7月8日放送



7. 冒険の話 マキャベリ

イタリア、ルネサンス期の政治思想家、
マキャベリは言った。

運命の女神は冷静に事を運ぶ人よりも
果敢な人によく従うようである

こんな時代だからこそ、
無難な道より冒険を。
今日も、人生も、一度きり。

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