薄組・薄景子

熊埜御堂由香 11年7月30日放送



子どもの時間 モーリス・センダック

 わたしは、たとえるなら、
 編曲者であって、革新的作曲家ではなかった。

世界的ベストセラー絵本
「かいじゅうたちのいるところ」の
作者モーリス・センダックは
そう自分を評した。

1928年、センダックが生まれた年は
世界のヒーローも生まれた。ミッキーマウスだ。
彼はミッキーマウスの大ファンになり
のちの代表作、「まよなかのだいころ」の主人公に
ミッキーという名前をつけた。

ディズニーの影響を受けた登場人物を
古典的なイラストレーションで描くセンダックのオリジナリティは
自分自身の幼児体験にあった。

 わたしが人より優れていることがあるなら、
 子ども時代のことを、よく覚えてることだね。

それは、まぎれもなくセンダックだけのもの、
彼だけの才能だった。
センダックの絵本には
悪戯な子供や生意気な子供、大人が手を焼く子供が
が生き生きと描かれている。

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小野麻利江 11年6月19日放送



1 友達について パリス・ヒルトン

洋服を選ぶときに、
ダサいのとオシャレなのを2つ選ぶの。
それで、友だちに聞くのよ。
「どっちがいい?」って。
それで、ダサいほうを選んだ人とは、
関係を絶つの。

つねに世界を騒がせるセレブ・
パリス・ヒルトンが、
ある時、そんなことを言ったという。

(自分のセンスを疑わない。)
彼女の生き方は、ここまでくると、潔い。


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薄 景子 11年6月19日放送



2 友達について 糸井重里

わざわざ口にはしないけれど、
記憶のどこかにしまってある。
そういうことを、糸井重里さんは
風がふくように、さらりとついてくる。

彼のつぶやき本から、
こんな言葉を見つけた。

冬の教室の、日だまりでのむだ話を、
いまの時代でも、
中学生や高校生たちはやっているのだろうか?

オレンジ色の光につつまれた放課後、
なんであんなに話すことがあったんだろうと
不思議なくらい、毎日だらだらしゃべっていた
あの頃がよみがえった。

糸井さんは言う。

大事なことは、ただひとつなのだ。
それは、「ともだちであること」だけなのだ。

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熊埜御堂由香 11年6月19日放送



3 友達について 山口瞳と向田邦子

1980年、直木賞、選考会。
はじめて選考委員になった、山口瞳は
先輩作家たちの前で思いきって、言った。

向田邦子はもう、51歳なんですよ。
そんなに長くは作家として
書き続けられないんですよ。

選考委員は一同、驚いた。
え?50代?もっと若く見えるぞ?

上手いけど、小味だ、
小説家としては、駆けだしだ、
という一部の反対がふっとゆらいで
向田は、直木賞を受賞した。

山口は受賞の記者会見で、
向田邦子さんは私より小説が上手です、
と笑いをとった。でも、本心だった。

その後も、彼女におせっかいなアドバイスを続けた。
例えばこんな風、「あ・うん?そんなのダメだ。
タイトルは一度でおぼえられる簡単なものにしろ」
そのたびに、向田は微笑みながら聞いていた。

向田邦子が、飛行機事故にあった通夜のあと
山口瞳は仲間と軍歌、「戦友」を歌った。
気づいたらひとりで、声をはりあげて歌っていた。
モノを書く、という戦いを生き抜く。
そういう覚悟でふたりは結ばれていたのだ。



4 友達について やなせたかし

アンパンマンの作者、
やなせたかしは言った。

ぼくらはしょせん
罪の子で
完全なひとはひとりもいない
もしいたとすれば友にしたくない

アンパンマンは、こげたマントで、
自分の顔を食べさせては、パワー不足で失速して、
なんだか、少しかっこわるい。
けれど、決してくじけない。
そうして、彼は
「子どもたちのヒ―ロ―」ではなくて、
ともだちになっていったんだ。

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石橋涼子 11年6月19日放送



5 友達について 金田一京助と石川啄木

言語学者・金田一京助と石川啄木は
10代の頃からともに文学の道を志した友人だった。
金田一が文学の道をあきらめたのは、
言語学に情熱が移った一方で、
啄木にかなわないと思ったためとも言われている。

なかなか売れない啄木のために
資金援助を続けた金田一だったが、
自分だってあまり裕福なわけではない。

あるときなどは、命の次に大切にしていた
愛蔵書をまるごと売り払って、啄木への援助金とした。
本当は、本への未練があったのだが、
その金で昼間から啄木といっしょにビールを飲み、
お互いの門出を陽気に祝ったのだという。

啄木は生来の我儘と浪費癖から、
多くの友人を失った。
金田一とももちろんケンカをした。
しかし啄木が亡くなる前に真っ先に枕元に呼んだのも、
真っ先に駆け付けてくれたのも、金田一京助だった。

金田一は、晩年、
啄木とのおかしな友情についてよく語った。
特に好んだのが、昼下がりにふたりで飲んだ
ビールの話しだったという。



6 友達について ジャイアン

お前のものは、俺のもの。
俺のものも、俺のもの。

この有名なセリフが生まれたときの話を
ご存知だろうか。

それは小学校の入学式の朝。
のび太がうっかり無くしてしまったランドセルを
ジャイアンは泥だらけになるのも構わず、
必死になって取り戻してくれた。
驚きと喜びで泣いてしまったのび太に
ジャイアンは照れ隠しであの名台詞を言ったのだった。

お前のものは、俺のもの。
俺のものも、俺のもの。だろ?

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薄 景子 11年6月19日放送



7 友達について ゲーテ

ドイツの文豪、ゲーテは言った。

空気と光と、そして友達の愛。
これだけが残っていれば、気を落とすことはない。

気づけばみんな、カタチがない。
気づけばみんな、お金で買えない。

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小野麻利江 11年6月19日放送



8 友達について 盛田昭夫

井深大(いぶかまさる)らとソニーを創業した、盛田昭夫。
人とのコミュニケーションを大切にし、
そのための努力を怠らなかった。

オフィスのコンピュータには、
7000人にものぼる友人や知人の
趣味や誕生日を、インプット。
何かあるたびに必ず、カードや礼状を送った。

またある時は、コミュニケーションの本質を、
「電波」にたとえて説明した。

相手の電波が何チャンネルに合っているかを知って
その電波を出せば、ちゃんと受信する。

いかにも「ソニーの父」らしい、行動や発言だ。

しかし、そんな盛田は、
友情について、こう語る。

友情とは、二つの肉体に宿れる一つの魂である。

盛田の「人づきあいのテクノロジー」の中には、
大きな大きな、ハートがあった。

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薄組・茂木彩海、参戦します

7月から茂木彩海が参戦します。

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小野麻利江 11年5月14日放送



希望のことば 「ショーシャンクの空に」のアンディ

希望とは、素晴らしいものだ。
たぶん、なによりも素晴らしい。
そして、それは決して、失われることがない・・・

アンディはそう言って、
決して希望を捨てようとしなかった。
冤罪をかけられ、
「終身刑2回」を言い渡されたにもかかわらず。

1994年に公開された映画、
「ショーシャンクの空に」の話である。

劇場公開時の興行収支は
赤字だったにもかかわらず、
この映画が、年を経るごとに
多くのファンを魅了しているのは、

希望を持ち続けたい。
私たちが無意識のうちに抱いているそんな願いを、
圧倒的なカタルシスとともに、
肯定してくれるから、かもしれない。



希望のことば アラン・ケイ

計算機科学者、アラン・ケイ。
コンピュータがまだ巨大かつ高価なマシンで、
そのため、複数の人間のあいだで「共有」するのが
当たり前だった時代に、
それを「個人ごとに利用する」という環境を構想した
通称「パソコンの父」。

「私たちはこれから、どうなるんだろう?」
そういった、将来に対する
不安や恐れに対しても、
天才的アイデアパーソンである彼が、
ありきたりな回答を、するはずもなく。

未来を予測する最善の方法は、
自らそれを創り出すことである。

こんなあざやかな「解」を
はじき出してしまうのだった。



希望のことば 山本一力

作家・山本一力の小説には、
一生懸命やっている人は、報われなくちゃね。
そんな、あたたかい眼差しがある。

バブル時代に億単位の借金を抱え、
その返済のために、小説を書いた。
しかし、新人賞を獲ってからも、
編集者にペケを出され続ける日々が続く。

そんな「しんどい」の連続の中で、
ずっと支えにしてきた言葉がある、と彼は言う。

『明日は味方』。
誰の言葉かは分かりませんが、
これは、一生の言葉です。
ひたむきにやっていれば、
必ず明日は、味方になる。

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石橋涼子 11年5月14日放送



希望のことば ケント・M・キース

逆説の十か条を、ご存じだろうか?

マザーテレサの「孤児の家」の
壁に書かれた言葉として有名になったのだが、
もとは、ケント・M・キースという
アメリカに住む若干19歳の大学生が
高校生向けの小冊子に書いたものだった。

その内容は、例えば、こう。

人は不合理でわからず屋でワガママな存在だ。
それでもなお、人を愛しなさい。

今日の良い行いは明日になれば忘れられるだろう。
それでもなお、良いことをしなさい。

何年もかけて築いたものが、一夜にして崩れ去るかもしれない。
それでもなお、築きあげなさい。

逆説の十カ条を通じて19歳の青年は、
この世界の理不尽を受け入れながらも、
それでもなお、希望を持とう、と唱えている。



希望のことば ルイーザ・メイ・オルコット

四姉妹の成長を描いた名作「若草物語」。
その作者であり、おてんばな次女のモデルでもあるのが
ルイーザ・メイ・オルコットだ。

ルイーザの父親は、理想主義的な教育家で
娘たちは自由にのびのびと育てられたのだが、
一家の暮らしは貧しいものだった。

彼女は生活のために教師や看護婦、ベビーシッターなど
さまざまな仕事をこなす一方で
作家になるという希望を持ち続け、
37歳のときに「若草物語」でようやく成功を収めた。

その後も奴隷制廃止や女性参政権の運動家として
自分にできることやりたいことを実践しつづけた
ルイーザは、こんな言葉を残している。

「希望を持って忙しく」というのが、
うちのモットーです。

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