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八木田杏子 10年07月18日放送



作家の言葉 「唯川恵」


生き方を選べるようになって、
女性は迷うようになった。

唯川恵は、そんな女性たちへの想いを
小説「永遠の途中」にこめている。

結婚して仕事をやめた薫と、結婚せずに仕事をつづける乃梨子。

ふたりの主人公は、お互いを比べながら
競い合うようにして生きる。

そして60歳になると、こんな言葉を口にする。


 自分のもうひとつの人生を勝手に想像して、
 それに嫉妬してしまうのね。

 いつも生きてない方の人生に負けたような気になっていたの。

 人生はひとつしか生きられないのに。


どんな選択をするかよりも、
選んだ答えを信じて生きぬくことのほうが
大切なのかもしれない。





作家の言葉 「伊坂幸太郎」


伊坂幸太郎の小説には
隠されたメッセージがある。

著書「モダンタイムス」に登場する
井坂好太郎という小説家。
その自虐的につくられたキャラクターは
死に際に、作家としての苦悩を吐露する。

「お前の本は売れただろう」と言われると、こう答える。


 薄っぺらいからな。読みやすいから、誰でも読めるんだよ。


そして、たどたどしく、言葉をつづける。


 俺が小説を書いても世界は変わらない。

 今までだって、分かってくれた奴いなかったんだよ。


ジェットコースターのようなストーリー展開にのせられて
あっという間に読み終えてしまうこの一冊を
もういちど、ていねいに読み返してみると、
たった一人でも伝わればいいと願いをこめた言葉が
見つかる。





アスリートの言葉


 蝶のように舞い、蜂のように刺す


モハメド・アリの闘い方は、そう呼ばれていた。

力任せに殴り合う大男たちに、
華麗なフットワークと、鋭い左ジャブで切りこんでいく。

1960年。18歳のアリは、
ローマオリンピックで金メダルをとる。
それでも黒人差別が変わらない現実を嘆いて、
金メダルを川に投げ捨てる。

1967年。25歳のアリは、
ベトナム戦争の徴兵を拒否。
ボクシングライセンスとヘビー級タイトルを剥奪される。

3年7カ月のブランクを経て、実力で王座に返り咲く彼に
声援をおくったのは、ボクシングファンだけではなかった。

差別や戦争とも闘いつづけた、モハメド・アリ。

モハメド・アリは、
ヘビー級ボクシングの闘い方を一変させると同時に
アスリートのあり方も変えていったのだ。






ハプスブルグ家の言葉


約6世紀にわたって、
ヨーロッパで権勢を誇ったハプスブルグ家。

オーストリア、スペイン、ハンガリー、神聖ローマ帝国などの
皇帝・国王をうんだ名門王家は、血を流さずに闘う。

ハプスブルグ家には、こんな言葉が伝わっている。


 戦争は他国に任せておけ。
 オーストリアよ、汝は幸せな結婚をするがよい。


政略結婚があたりまえだった王侯貴族。
そのなかでもハプスブルグ家は、
夫婦仲が良く子宝に恵まれことが多かった。

領土争いが過酷なヨーロッパでは
戦争が上手い国より、戦争をしない国が繁栄する。

どんな戦略も、幸せな結婚にはかなわない。










哲学者の言葉


ヨーロッパ最初の哲学者タレスは、こんな言葉を残した。


 万物の原理は水である。


その意味を解読しようと頭を悩ませる私たちに
哲学者竹田青嗣(せいじ)は、まず言葉との向き合い方を教えてくれる。


 言葉というものは世界の全体や起源を
 言い尽くせないようにできている。


たとえ哲学者であっても、
自分が感じたこと全てを、言葉で表現することはできない。
だから言葉は、言葉どおりに受けとめてはいけないのだ。

では、哲学者の言葉をどう扱えばいいのか。


 「万物の原理は水である」という言葉には、
 タレスの世界への直感がこめられていたはずだ。


哲学者が言葉でたぐりよせようとした直感に、想いを馳せてみる。
そうすると、言葉をきっかけにして、哲学の世界が広がっていく。

おなじように。
恋人、上司、親からもらう言葉も
言葉どおりに受け止めずに、その言葉にこめられた気持ちを考えてみる。

理解するとは、きっとそういうこと。





子どもの言葉


 人生に必要な知恵はすべて
 幼稚園の砂場で学んだ。


そんなタイトルの本が、ベストセラーになった。

人として生きるために大切なことを、
私たちは5歳までに学んでいたらしい。


 何でもみんなで分け合うこと。
 ずるをしないこと。
 人のものに手を出さないこと。
 誰かを傷つけたらごめんなさい、と言うこと。


すべての大人がこれを守ることができたら。
環境問題も、国際問題も、人権問題も
なくなっていたかもしれないのに。
残念ながら、私たちは
オトナになると言い訳を学んでしまうのだ。





名人の言葉


個性とは、つくるものではなくて、
ふとしたときに、出てしまうもの。

名人・羽生善治は、
将棋の話をしながら人生を語る。


 将棋は、まず定跡で打ちます。
 答えがないとか、答えがわからない場面、
 混沌とした場面のときに何を選ぶかで、
 自分の持っているものを出せる。


思いがけないトラブル、先が読めない苦しみ、
それをどう乗りこえるかが、個性になる。

混沌からうまれた自分だけの一手は、
定跡をこえていく。

仕事にも、恋愛にも、あてはまりそうだ。





研究者の言葉


多数決をとったとき、
自分とおなじ意見が多いと、それだけで安心する。

賛成の多い意見が正しいとは限らないのに、
多数は強気になりやすい。

日本人初のノーベル賞受賞者湯川秀樹に
こんな言葉がある。


 真実は、いつも少数派


わかってもらえなくて、笑われるかもしれない。
間違いだったと証明されて、恥をかくかもしれない。

そんな不安に足をとられずに、
少数派にまわっても信じることを貫く人が、
真実を塗りかえていく。


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八木田杏子 10年06月27日放送

ディアギレフの才能

1.ディアギレフの才能


才能がないと言われた人の、
才能を見つけだす方法がある。

ロシアの貴族の息子、
ディアギレフはそれを知っていた。


 何の才能にも恵まれなかった男。
 でも天職を見つけた。


多くの才能を集める仕事、
そして、その才能が活躍する場をつくる仕事。

ディアギレフの一生は、そのために捧げられた。

ピカソやコクトーなどの芸術家の協力を得て
芸術革命をおこすロシアバレエ団をつくった彼は、
世界初のプロデューサーかもしれない。






ディアギレフの意

2.ディアギレフの意


20世紀のはじめに、音楽、美術、文学
すべてに影響を与えたロシアバレエ団。

1921年に上演した「眠りの森の美女」は
端役のダンサーまで
金糸銀糸の刺繍に宝石を縫い付けた衣装を身につけた
超豪華版で
観客拍手はもらったものの
プロデューサーのディアギレフは、
多額の負債をかかえる。

ダンサーをホテルに泊めるために、
自分は使用人部屋で寝起きすることもあったディアギレフ。

パリの社交界では、ロシア貴族らしい振る舞いをして、
パトロンには弱音を吐かないディアギレフ。

一張羅だったビーバーの毛皮のコートが擦り切れても、
芸術への想いは擦り切れないディアギレフ。

世界中の才能が、
彼に惹きつけられたのも無理はない。



フォーキンの疑問

3.フォーキンの疑問


1898年にロシアの演劇学校を卒業したばかりのダンサー、
ミハイル・フォーキンは疑問を感じていた。

踊りのスタイルが、
なぜ曲のテーマや衣装と調和していないのだろう。
バレエの心理表現は、
なぜ、脈絡もない一定の型で表すのだろう。

誰かに答えを求めても
伝統に根ざした決まりごとに疑問を感じる人はいない。
自分の手で、答えを創るしかなかった。

1909年、フォーキンはロシアバレエ団に加わり
振り付け師としてあたらしいバレエに挑戦する。

レ・シルフィード、ダッタン人の踊り、火の鳥…
傑作が次々に生まれた。
中性的なニジンスキーの魅力と跳躍を活かした
『薔薇の精』を見た観客は息をのんだ。
同じくニジンスキーのペトルーシュカは
観客の魂を揺さぶったといまでも語り伝えられる。

この「ペトルーシュカ」でフォーキンは
はじめてのこころみをした。
主役たちの背後で踊る群舞と呼ばれるダンサーたちに
兵隊、警官、子守り、大道芸人などの役柄を与えたのだ。

新人のときに感じた疑問の答えを、
自分の手で創りだしたフォーキン。

バレエにおける民主主義は
フォーキンによってもたらされた。



ニジンスキーの跳躍

4.ニジンスキーの跳躍


クラシックバレエの天才ダンサー、
ニジンスキー。

彼の素顔は内気な青年だった。
おそらく「牧神の午後」と出会うまで
自分が振り付けや演出をすることになるとは
思ってもみなかったに違いない。

マラルメの詩とドビュッシーの曲
そしてニジンスキー振り付けの「牧神の午後」は
1912年、ロシアバレエ団によって上演される。

言葉の少ない青年が、心の内からたぐりよせる動きは、
バレエを壊しかねないものだったけれど
静まりかえった客席の何人かは
モダンバレエがいま生まれたことを知っていた。



ロシアバレエ団の春

5.ロシアバレエ団の春


「春の祭典」は
ロシアバレエ団が1913年にパリで上演した。

不可思議なリズムと、不協和音でつくられた音楽。
奇妙なポーズで、小刻みに飛び跳ねるダンス。

クラシックに慣れていた観客は、耳と目をうたがった。
これは芸術への冒涜ではないだろうか。
観客を侮辱しようとしているのだろうか。

観客は賛成派と反対派に別れて争った。
暴れる観客は警官が取り押さえたが
野次や足踏みや殴り合いの騒々しさで
舞台で踊るダンサーに音楽が聞こえないほどだったという。

今でも斬新に感じる『春の祭典』に、
100年前のパリは、パニックを起こし
翌朝の新聞には「春の虐殺」という見出しが載った。

けれども、
この事件はクラシックが窮屈になっていた芸術家たちにとって
いい刺激になったようだ。

ココ・シャネルも、そのひとり。

ロシアバレエ団の旗印に
ますます多くの芸術家が集うようになってきた。。



ストラヴィンスキーの騒音

6.ストラヴィンスキーの騒音


不協和音を好んで使う
27歳のストラヴィンスキーは、
才能がないと評されることがあった。

けれどもロシアバレエ団の支配人ディアギレフは
彼の才能を見抜き、「火の鳥」を依頼する。

ストラヴィンスキーが書き上げた曲は、
いかにもストラヴィンスキーらしい
独特のリズムと不協和音でできていたために
主役を務めるはずのバレリーナは、
「騒音みたい」と評して舞台を降りてしまった。

しかし、1910年『火の鳥』が上演されると、
観客は熱狂し、
前衛的な作品にもかかわらず人気演目になる。

新しい才能は、否定されるところからはじまるのかもしれない。



ピカソの恋

7.ピカソの恋


ピカソがデザインするバレエの衣装は、
人体の形や動きを無視した
キュビズム的造形物だったので
立っているだけでも大変なほどだった。

しかし、それが一変したのは
ピカソの恋だった。
そのお相手はロシアバレエ団のダンサー、オリガ。

リハーサルに通いつめて、
動くことでより美しく見える衣装を創りあげた。

1919年。
ピカソの恋から生まれた造形美は、
バレエの舞台から街へ広がり、
流行のファッションになった。





8.コクトーの再戦


社交界のプリンスだった、ジャン・コクトー。

ロシア・バレエ団を率いるディアギレフに、
こんな言葉をかけられる。


ジャン、僕を驚かせてごらん。


20代前半だったコクトーは、
インドをテーマにした
Le Dieu Bleu(青神)という台本を書いた。

しかし、『青神』は、
豪華な衣装とメンバーにもかかわらず、
10回に満たない上演で忘れ去られる。

その5年後。

コクトーは再び、舞台に戻ってくる。
いまこの時代に生きている人、音、動きを
バレエにした「パラード」

作曲にサティ、衣装にピカソを迎えて
1917年に上演されたパラードは
初日から激しい怒号につつまれた。

ついにコクトーはディアギレフをびっくりさせたのだ。


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八木田杏子 10年04月04日放送



トルストイ


鈍感は最大の罪である。

そんな言葉を残したトルストイ。

鈍感な人間に、
「鈍感は最大の罪である」と言ったところで、
響くはずはないけれど。

彼らにうんざりしている人たちの
傷をうめることはできる。

あきらめて鈍感なふりをすることを、
踏みとどまらせることもできる。

傷を癒しながら、戒めにもなるなんて。
文豪が残した悪口は、気が利いている。





谷川俊太郎


答えのない質問は、大人をひるませる。

どうして、人は死ぬの?
死ぬのはいやだよ。

目をうるませながら問いかける娘に、たじろぐ母親。
詩人・谷川俊太郎は、こんなアドバイスをした。


 ぼくだったら、
 ぎゅーっと抱きしめて、一緒に泣きます。


言葉で答えられない問いかけには、
肌のぬくもりで応えればいい。

ひとりで抱えきれない不安を、
抱きしめてくれる人がいれば、
答えがなくても生きていける。





ジョン・ワラック


この人とは話しても無駄だ。
わかりあえるはずがない。

そう思い込むのは勘違いだと、
教えてくれる人がいる。

シーズ・オブ・ピースを立ち上げた、
ジョン・ワラック。

彼は、パレスチナ系アラブ人と、イスラエル系ユダヤ人の
ティーン・エージャーを話しあわせる。

僕の父さんは、おまえたちのおかげで、死んだんだ。
僕の兄弟は、君たちイスラエル軍に、殺されたんだ。

何日も何日も、憎しみをぶつけあう。
すると、ふと気がつく。

お互いが、同じことを、言っていることに。
お互いが、同じように、傷つけあっていることに。

愚かなのは、憎しみを持ちつづけ、
殺し合いをやめないことだ、と気がつく。

悪魔だと思っていた敵も、
おなじ人間だと知った子供たち。

彼らは、平和の種として、自分の国に帰っていく。





ムソルグスキーとバラキレフ


「ロシア5人組」と呼ばれる作曲家たちを
率いていたバラキレフ。

ムソルグスキーにも、
クラシックの形式を教えこんだ。

しかし、ムソルグスキーが書き上げた曲
「禿山の一夜」は、音楽理論から逸脱していた。

バラキレフは、改作を求める。
ムソルグスキーは、自分に嘘がつけない。

私はこの作品をまともだと思っていますし、
そう思うこともやめません。

理論よりも直観を信じる、ムソルグスキー。

孤独と闘いながら、150年残る、作品をうみだした。





ムソルグスキー


むきだしの魂をぶつける
ロシアの作曲家ムソルグスキー。

心のなかに手をつっこんで、かき乱すような旋律。
腹の底に響いてくる、重くるしい和音。

その音楽は、耳ざわりだけれど、人を惹きつける。

しかし、クラシックの理論をこえた音楽は、
無学と非難され、音楽家としては認められない。

しだいにアルコールに溺れていく彼を
覚醒させたのは、友人の画家の死だった。

ガルトマンの遺作、一枚一枚から、
ムソルグスキーは強烈なインスピレーションをうける。

楽想と旋律がほとばしり、
それを書きなぐる時間さえもどかしい。

わずか3週間で書き上げられた組曲「展覧会の絵」。

およそ100年後の、1970年。
イギリスのロックバンド、ELPが
この曲をアレンジして演奏すると、世界中がわいた。

ムソルグスキーのむきだしの魂は、
クラシックよりもロックのほうが相性が良い。







リムスキー=コルサコフ


武骨な天才ムソルグスキーと、
器用な天才リムスキー。

ふたりは、無二の親友だった。

批判されたムソルグスキーの曲「禿山の一夜」を
リムスキーがアレンジすると、名作といわれた。

それは、ムソルグスキーが亡くなった後、
彼の名前を残すための、苦肉の策だった。

彼が生きていたら、
楽譜に手を入れることを、許さなかっただろう。

ダイヤの原石のような天才、ムソルグスキー。
つややかに磨きあげる天才、リムスキー。

生きているうちに、ぶつかることを恐れずに。

ふたりでひとつの作品を創ったら、
どんな音楽がうまれたのだろう。





宮地勇輔


空気なんて、読まなくてもいい。
時代なんて、読めるはずがない。

農家のこせがれネットワーク代表の
宮地勇輔は、時代の追い風をうけている。

農業ブームなんて想像できなかった頃に、
会社をやめて夢を語る、彼の先行きは不透明だった。

それでも自分の道を歩きはじめたら、
時代のほうから近づいてきた。

狙うと溺れてしまう時代の波は、
無心な人のほうが、のりやすい。


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八木田杏子 10年02月07日放送

梨木香歩

梨木香歩


怒りにまかせて言葉をぶつけると、
言ってはいけない真実をついてしまう。

それで、すっきりする人がいる。
そこで、後悔する人もいる。

梨木香歩が書く主人公は、
傷つけてしまった人に、こんな風に謝る。


 さっきは少し、自分に酔い、
 勢いをつけなければ誘惑に負けそうだった。


心の揺れをすなおに言葉にできる人は、
傷つけてしまっても、もっと深くつながれる。







2 夏目漱石

夏目漱石


感性のきめが細かい人ほど、
生きることに足がすくむ。

社会の矛盾、人間の本性
気づかなくてもいいことに
気づいてしまうからだ。

そんな人のために、芸術があると、
夏目漱石は考えていた。


 住みにくき世から、
 住みにくき煩いを引き抜いて、
 有難い世界をまのあたりに映すのが詩である、画である。
 あるいは音楽と彫刻である。


簡単に言うとこういうことだ。
芸術は人を幸せにするために存在する。


3 まど・みちお

まど・みちお


不幸をひっくり返して、
幸福にできる人がいる。

詩人まど・みちおは、
苦しみをじっと見つめてから、
それを喜びに変えるための、きっかけを見つける。

妻のアルツハイマーが、重くなっていったとき、
まど・みちおは苦悩する。
毎日欠かさない日記には、
暗い想いが否定的な言葉になって、綴られていく。

それがある日、一変する。
アルツハイマーが、「アルツのハイマくん」に変わるのだ。

そのときから、妻の粗相も自分の失敗も、
すべて笑いのタネになった。
そうして生まれた詩が「トンチンカン夫婦」。


 明日は また どんな
珍しいトンチンカンを
 お恵みいただけるかと
胸ふくらませている


まど・みちおは、
世界をひっくり返すために、言葉を探す。


4 外山滋比古

外山滋比古


記憶力が悪いのはいいことだ。

ベストセラーの「思考の整理学」を書いた
外山滋比古は、忘れるチカラを見直している。

忘却をくぐらせて枯れた知識のみが
あたらしい知見を生み出す。

つまり、忘れることで、閃くらしい。

記憶力が悪くて受験で苦しむ人は、
アイデアが閃きやすい体質だ…と思うと
人生の帳尻が合うような気がする。


5 シューベルト

シューベルト


シューベルトは、
8歳で「野ばら」を書き、
19歳で「魔王」を書いていた。

それでもまだ、
音楽家として認められない彼は、
音楽家として生きる覚悟が揺れていた。

だからといって父親に言われるままに
教員を目指してみても、上手くはいかない。

見かねた親友のシュパウンが、
シューベルトが書いたゲーテ歌曲を、
ゲーテ本人に送ることを思いたつ。
しかし、ゲーテからの返事もない。

それでも、シューベルトは友情に恵まれていた。
部屋も食事も楽譜にかかるお金も
すべて彼の才能を信じた友人たちが援助した。
ゲーテに無視された「魔王」も、
友人たちの頑張りで自費出版できたのだった。

シューベルトの才能を、
ひっぱりだしたのは、友人たちのチカラ。

天才だって、ひとりでは闘えない。


6 岡本太郎

岡本太郎


岡本太郎は、
だれでも岡本太郎になれると思っている。

いや、自分は才能もないし下手だからと言うと、
こんな言葉で返される。

才能なんて、ないほうがいい。
自由に明るく、
その人なりの下手さを押し出せば、逆に生きてくる。

でも、自分は強くは生きられないと答えると、
こう反論される。

弱い人間とか未熟な人間のほうが、
はるかにふくれあがる可能性をもっている。

できない言い訳を、ひとつひとつ潰していくと、
岡本太郎ができあがる。


7 寺田寅彦

寺田寅彦


エッセイを書いた最初の科学者
寺田寅彦は、どんなに締め切りが重なっても、
遅れることがない。

執筆の依頼がきて、書きたいと思ったら、
その日のうちに、書き上げてしまうから。

締め切り前に、胃がキリキリすることもない。

なかなか真似できないけれど、
真似してみたいやり方ではある。

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八木田杏子 09年12月20日放送

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冬の音1 ドビュッシー


灰色のアスファルトを、
白く塗りつぶしていく雪に、
うんざりするのが大人。
うれしくなるのが子供。

踊るようにひらひらと舞い降りてくる
雪をみると、幼い心は舞い上がっていく。

子供の目をとりもどした
ドビュッシーが書きあげたピアノ小曲
「雪は踊る」は、大人を子供の世界へといざなう。


1220_2

冬の音2 ヴィヴァルディ


冬の凍てつく寒さでさえ、
ヴィヴァルディには喜びだった。

春の甘さも、夏の清々しさも、秋の贅沢さもない、
冬の喜びを、彼は音楽にした。

冷たい雪と北風に凍える、第一楽章と第三楽章。
その間には、
暖炉のそばで安らかにすごす、第二楽章。

辛いときほど、人のやさしさが身にしみるように。
凍える季節だから味わえる、あたたかさがある。


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冬の音3 ブラームス


人生にも四季があるとしたら。
ヨハネス・ブラームスは、58歳で冬を迎えた。

自らの衰えを感じ、遺書をつづった。
友人の支えで創作意欲をとりもどしても、
もう二度と、大曲を書くことはなかった。

生涯独身だったブラームスは、
姉のエリーゼを亡くすと、
山間にある小さな町イシュルで、
孤独のなかに沈んでいく。

そんな自分を慰めるように、
日記をつづるように書いていたピアノ小曲。

3つの間奏曲作品117。

楽譜には、ヘルダーの詩集からぬきだした言葉が記されていた。


 眠れ安らかに、わが子よ、眠れ安らかにそして美しく! 
 お前が泣くのを見るにつけ、私は悲しい。


やるせない想いをかかえて眠れない自分自身を
抱きしめるようなこの曲は、大人のための子守唄。

人生の冬に、そっとよりそってくれる。


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冬の音4 クリスマス・イブ


恋人とすごすクリスマス・イブを、
日本になじませた曲がある。

山下達郎の「クリスマス・イブ」。

会えない切なさをつづった歌詞は、
会いたい人のいる幸せを感じさせる。

クリスマス・イブの甘さも苦さも、
受けとめてくれるから、
その日を特別にしたくなる。


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冬の音5 赤鼻のトナカイ


シカゴのデパートで
コピーライターをしていたロバート・メイは、
幼い娘の問いかけに、胸をつまらせる。

どうして私のママは、みんなと違うの?

癌におかされた母親の姿を見ていた娘が、
ふと口にした言葉だった。

そのとき、ロバート・メイは
赤鼻のトナカイの話を思いつく。

みんなと同じじゃなくても
しあわせになれる…

娘に即興で語った物語は、
勤めていたデパートの小冊子になり、
やがて歌になり、広まっていく。

たったひとりの娘に、
どうしても伝えたかったメッセージは、
世界中が待っていたものだった。


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冬の音6 きよしこの夜


オーストリアのある村で
教会のオルガンが壊れてしまったとき、
ギターで演奏できるクリスマスソングがつくられた。

助任司祭モーアの詩に、
オルガン奏者グルーバーがメロディをつけた
「きよしこの夜」

まるで
天から舞い降りたクリスマスプレゼントのような
美しい曲になった。


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冬の音7 ハッピークリスマス 


自分が幸せなときじゃないと、
誰かの幸せなんて、願えない。

だからジョンレノンは、
みんなが幸せにつつまれるこのときに、
差別と戦争のない世界を願って、歌いかける。

 そう、今日はクリスマス  
 そして何を僕らはした?
  

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八木田杏子 09年10月24日放送

CHANEL 1

「ココ・シャネル」

シャネルの創始者ガブリエル・シャネルは、
お針子をしながら歌手になることを夢みて
キャバレーで歌っていた。

舞台に立っていたときの持ち歌は
「Ko Ko Ri Ko」
それから
「Qui qu’ a vu coco」

そのタイトルにちなんで、ファンは
「ココ!!」と呼んで声援を送った。

歌うことを諦めたあとも、ガブリエルはずっと、
その呼びかけを愛した。

自分の足で立とうとしたときに
拍手と一緒にもらった名前「ココ」
シャネルはそれを一生使いつづけた。







CHANEL2

「シャネル・スタイル」

孤児院で育ったココ・シャネルが
社会へ一歩踏み出したとき
最初に首をかしげたのは
ドレスの長い裾、フリルやリボンなどの過剰な装飾。

本当に必要なのは
着飾るための服ではなく
生活するための服ではないかしら。

そう信じたシャネルは、
当時、下着の素材だったジャージーを使って
大胆なドレスを発表する。

そのドレスは
女性のカラダを動きやすく解放した。
そのドレスには短い髪とシンプルな帽子が似合った。

シャネルのファッションは
女性の生きかたに影響を与えはじめる。


CHANEL 3

「シャネルの解放」

どんなに苦しい時代でも、
女はファッションを諦められない。

戦争がはじまって戸惑う女性を、
シャネルは、ファッションでリードする。

身分のある女性が、負傷兵の看護をするために
品のいい看護服を仕立てあげた。

ドレスの紐をしめるメイドがいなくなったから、
コルセットのいらないドレスをつくった。

自動車や馬車ではなく、自分の足で歩くために、
踵を隠していたスカートも短くした。

誰の手も借りずに服を着て、
颯爽と街を歩くようになったパリジェンヌ。

第一次世界大戦が終わると、
その姿は世界中に知れ渡る。


chanel4

「シャネルの恋」

打算のない恋をするためには、
女は自立しなくてはならない。

ココ・シャネルは、そう信じていた。
恋人の援助で仕事をしていることが、もどかしかった。

「僕をほんとうに愛している?」と彼に聞かれると、
シャネルはこう答えた。


 それは私が独立できたときに答える。
 あなたの援助が必要でなくなったとき、
 私があなたを愛しているかどうかわかると思うから。


恋人と肩をならべて歩くために、
シャネルは仕事に生きる女になる。

彼がほかの女性と結婚したあとも
再び彼女のもとへもどってきたときも
そして、彼がシャネルを残して亡くなってからも…

仕事に支えられたシャネルは、
彼を愛しつづける。


CHANEL5

「シャネルの恋のおわり」

シャネルは女友達にこんなアドバイスをしている。


 愛の物語が幕を閉じたときは、
 そっと爪先だって抜け出すこと。
 相手の男の重荷になるべきではない。


終わりかけた愛情を、友情に変えるために。
シャネルは、きっぱりと言い切る。


 男とはノンと言ってから本当の友達になれるもの。


もしかしたら
彼女は恋のいちばん美しい部分だけを
相手の記憶にとどめたかったのかもしれない。

シャネルのように恋を終わらせるのは度胸が必要だ。
もしかしたら、これが本当の意味で
自分を捧げるということなのかもしれない。


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「シャネルの親友」

ココ・シャネルの一生の親友は
パリの社交界の女王、ミシア・セールだった。

惹かれあいながらぶつかりあうふたりの関係を
シャネルは、こう語る。


 わたしたちは二人とも他人の欠点しか
 好きになれないという共通点をもっている。


口当たりがいいだけでは、
一生の友情はつくれない。


chanel7

「シャネルのカムバック」


 退屈しているときの私って、千年も歳をとってるわ。


ココ・シャネルは、仕事のない人生に飽きていた。

大きくなり過ぎた店は
第二次大戦の直前に閉めていた。
シャネル自身も引退したつもりだった。

それなのに
70歳の彼女は、また服を創りはじめた。

15年ぶりのコレクションは、酷評されたけれど
その1年後
酷評された服がアメリカで大ブームになった。

女性の社会的進出がめざましい国で
シャネルは再び受け入れられたのだ。

それから87歳までシャネルはブティックに立ち続け
こんな言葉を残した。


 規格品の幸せを買うような人生を歩んではいけない。




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古田組・八木田杏子 09年9月13日放送

村上春樹のギフト

村上春樹のギフト


天才が、才能にめざめる瞬間。

村上春樹のそれは、二十九歳の春に訪れた。

一行も小説を書くことなく、
肉体労働をしていた頃のこと。

神宮球場で野球観戦をしていたとき、
彼は突然、不思議な感覚におそわれた。

空から羽根が降ってくるみたいに、
「書きたい」と強く思った。

それは、天の啓示のような感覚。
常人には理解しがたい感覚。

さらに彼は、こう付け加えている。

そういうのは誰の人生にも、
一回くらいは起こるんじゃないかな。
ただ、人によっては見過ごしちゃうのかもしれない。

微かで儚いひらめきを、日常に埋もれさせなければ、
才能が目覚める瞬間は、きっと、誰にでも来る。



村上春樹の確信

村上春樹の確信


誰もがその才能を認めても、
村上春樹は、自分の作品が気に入らなかった。

はじめて書いた小説「風の歌を聴け」で、
新人賞をとったとき、彼はこんな挨拶をした。

四十歳になるまでには、
まともなものを書けるようになりたい。

小説の書き方がわからずに、
自分が扱える材料で創ったものへの不満。

一二年では、書けないという確信。
十年続ければ、書けるという希望。

小説家であり続けるために、
村上春樹は、人生を設計する。

ゆっくり、しっかり育てた才能は、
三十年間、輝き続けている。



村上春樹の世界

村上春樹の世界


光が届かない世界では、色も形も変わってしまう。

色とりどりの珊瑚礁や魚を通りすぎて、
さらに深く潜っていくと、
赤も黄色も、灰色がかった青になり、
そのうち全てが黒になる。
魚の形も、いびつなものになっていく。

人間の心の奥深くにも、
そんな世界が広がっている。

村上春樹は、そこまで降りていく。

自分の魂の不健全さ、歪んだところ、狂気を孕んだところ。
その「たまり」みたいなところまで、
実際に降りていかないといけない。

鍛えあげた肉体を、頼りに。
家族や友人との絆を、命綱にして。

人が立ち入れない世界に行けるから、
人が見たことのない物語が書けるのだ。



村上春樹の仕事

村上春樹の仕事


村上春樹の仕事は、
小説家ではないのかもしれない。

彼は、こう断言する。

注文を受けては小説を書かない。
ものを書く喜びが、なくなっちゃうから。

では、小説を書きたくないときは、何をしているのか。
彼は、翻訳をしている。

文章の技術を磨きながら、
自分の中の抽出を、満たしていくために。

そのあいだに溜まったものを、
引っ張り出して、長編小説がうまれる。

村上春樹は、小説を書くために、生きている。

だから、生きていくための仕事が、
もうひとつ必要になる。


こころのプロフェッショナル

こころのプロフェッショナル


心理学をやると、
人の心が、わかるようになりますか。

そう聞かれると、河合隼雄は、こう答える。

人の心を、わかったつもりになるのが、アマチュア。
人の心は、わからないと思えるのが、プロフェッショナル。

なるほど。
そう思って、まわりを見渡すと。

あの人は、こうだよね。
と言うときは、わかったつもりで終わらせていた。

あの人は、わからない。
と言うときは、その人のことを知ろうとしていた。

では。
いま、となりにいる人は、どうだろう。



エリザベス1世の誕生

エリザベス1世の誕生


エリザベスがイギリスの女王になったときの絵を見ると
王冠をいただいて戸惑うような表情を浮かべている。

実際に
王室の側近フランシス・ウォルシンガムが
はじめて会ったときのエリザベスは
女王としてはまだ心もとない存在だった。

政略結婚を嫌がって、恋人とのダンスに耽る。
大臣の言いなりになって、戦争に負ける。

そんな女王が、暗殺されそうになったとき、
ウォルシンガムは、命をかけて首謀者を追い詰めた。

そして、彼に守られたエリザベス1世は、
髪を切り、女を捨て、イギリスと結婚をする。

ウォルシンガムが、命をかけて見せつけた覚悟が
ひとりの偉大な女王を育てたのだろうか。





エリザベス1世の帝王学

エリザベス1世の帝王学


エリザベス1世は、
何も持っていない女王だった。

私生児と呼ばれ、幽閉され、
命さえ狙われていた。

だれもが、私を、疑う。
だれもが、私を、一度は裏切ろうとする。

どんなに不安が膨らんでも。
女王は、人を信じつづけた。

自分の弱さを隠す、強がりではなくて。
ひとの弱さを許す、強さを持とうとした。

そんなエリザベス1世だから、
弱小国家だったイギリスを、
世界の強国にできたのだ。



エリザベス1世の親友

エリザベス1世の親友


お世辞だとわかっていても、男は喜ぶ。
お世辞だとわかっているから、女は冷める。

だれもが誤魔化して生きる宮殿で、
エリザベス1世は、自分を誤魔化せない。

だから彼女は、飢えていた。
まっすぐ向かってくる人間に。

その男は、世界をぐるりとまわって、
抱えきれないほどの財宝をもって、現れた。

フランシス・ドレーク。
海賊でもある彼は、女王を恐れない。
小賢しいやりとりは、いらない。

女王と海賊は、
取引ではなく、友情で結ばれていく。

エリザベス1世が追い詰められたとき、
型破りな海の王者は、
スペイン無敵艦隊を焼き尽くした。

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八木田杏子 09年8月2日放送

MM1


マリリン・モンローの苦悩


マリリン・モンローは、愛される自信がなかった。

愛してくれようとする男があらわれると、不安になった。
この人は、本当の私を知らないから、優しくしてくれる。
すべてを知ったら、きっと、捨てられる。


だから男に、逆らえない。
だから男を、試そうとする。


極端に揺れる気持ちの狭間で、
アルコールに溺れて、乱れていく。


耐えきれずに夫が去ると、
ほら、やっぱりね、と言って、また酒を飲んだ。


幸せには慣れていないの、と呟きながら。






MM2


マリリン・モンローの葛藤 


男の傷を、男でうめる女がいる。

マリリン・モンローは、いつも、
新しい男の胸で、古い傷をいやした。


メジャーリーガー・ディマジオの乱暴さで傷ついたら、
作家アーサー・ミラーの繊細さで癒した。


ミラーの陰険さに傷ついたら、
俳優イヴ・モンタンの優しさで癒した。


振り子のように揺れて、
極端に違う男を、求める。


女を傷つけない男なんて、いないから。
マリリン・モンローの振り子は、とまらない。



MM3


マリリン・モンローの初恋


マリリン・モンローの初恋は、クラーク・ゲーブル。

二十年間、頭の中で思い描いていた人。
やっと会えたのは、映画「荒馬と女」の撮影現場。


砂漠での撮影は、過酷を極めたけれど。
ゲーブルだけが、マリリンの支えだった。


腕をからめて、こっそりキスをねだっても、
笑顔でかわされたけれど。


しっかりと目の奥をのぞきこんで、
「俺はお前の味方だ」と、言ってくれる。


カラダありきの男たちとは、違うから。

ゲーブルは、一生、初恋の人。


MM4


マリリン・モンローの誕生


ハリウッドの男社会を、生き抜くために、
マリリン・モンローは、タブーをおかした。


愛していない男を、利用したのだ。

ハリウッドで最高のエージェント、ジョニー・ハイド。
53歳の彼を、マリリン・モンローは虜にした。


女をもてあそぶハリウッドで、
男をひざまずかせた金髪の小娘。


その噂は、たちまち広がった。

一度イメージが汚れてしまうと、
どんなに演技の勉強をしても、
セックスシンボルから、抜け出せない。


愛していない男の手は、借りてはいけなかった。


MM5


マリリン・モンローの絶望


たくさん泣ける女は、キレイになれる。

涙でしかあらえない傷を、のりこえたとき、
女はキレイになれる。


マリリン・モンローは、まさに、
泣きつくす人生だった。


母親にすてられたときは、
毛布にうずくまって、泣いた。


プロデューサーに騙されたときは、
悔しくて、泣き崩れた。


夫に利用されつくしたときは、
声を殺して泣いた。


人を惹きつけてやまない、
マリリン・モンローの微笑みは、
涙からうまれた。



MM6


マリリン・モンローの憂鬱


カメラが止まっても、
マリリン・モンローは、演技を続けた。


自分がつくりあげた女になりきれば、
愛されると信じて。


お尻を大きくふるモンローウォークのために、
右のヒールを6ミリだけ短く。

眠るときは、シャネルの五番だけを、まとう。

3つの口紅を使って塗りあげた唇を、
つきだすようにして、笑う。


マリリン・モンローが完璧になれば、なるほど。
その仮面が剥がれ落ちるのが、怖くなっていく。



MM7


マリリン・モンローの終焉


男を追い越したとき、女の人生は、難しくなる。

夫は、仕事をやめろと言った。
成功していく妻に、嫉妬しているように見えた。


わずか9カ月の結婚生活が終わり、7年が経ったころ。

マリリン・モンローでいるために、
心が壊れてしまったとき、
抱きしめてくれたのは、あのディマジオだった。


そのときに、はじめて、
夫が、モンローをやめろと、言っていた理由を知る。


素顔のノーマ・ジーンで愛されるなら、
マリリン・モンローは、もう、いらない。



Marilyn Monroe8


マリリン・モンローの価値

女は若いうちが、華だ。

そんな考えを、覆すように。

マリリン・モンローは、
年を重ねるほど、自分の価値を上げていった。

二十歳のころは、グラビアモデル。
三十歳で、ハリウッドのスター。
三十五歳で、大統領をはじめ国民すべてを虜にする。

懸命に階段を昇りつづける人生が、突然、終わったあと。

マリリン・モンローは、女性の美の象徴になった。

8月5日で、モンローが亡くなって47年。

私たちはまだ、彼女を忘れることができない。




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八木田杏子  09年7月12日放送

Woman

ボーヴォワールへの質問


人は女に生まれるのではない。女になるのだ。

そんな言葉を残したボーヴォワールさん、教えてください。
こんな時代に、どうやって女になれば、良いのでしょう。

男に守ってもらえる女では、いられない。
男と肩を並べる女は、たたかれる。

結婚をすれば安心、ではない。
仕事をすれば立派、でもない。

女はこうあるべき、というカタチが無くなって。
自由にはなれたけれど、
ときどき、見失いそうになるのです。

ボーヴォワールさん、教えてください。

もしあなたが、こんな時代に生きていたら。
どうやって女になるのでしょう。

Sartre_et_Beauvoir

ボーヴォワールの答え


人は女に生まれるのではない。女になるのだ。

そんな言葉を残したボーヴォワールさんは、教えてくれました。
こんな時代に、どうやって女になれば、良いのかを。

恋から、逃げてはいけない。

自分の身を滅ぼすとしても、
信じたくなる恋から、目をそらしてはいけない。

でも。

恋に、逃げてはいけない。

女が生きるのは、恋愛だけじゃない。
男のように、自分の人生と使命を、大切に。

ボーヴォワールさん、ありがとう。

それができたら、きっと。
あなたのように、女になれる。

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マイケル嫌いだったけど・・・

「マイケル嫌いだったけど、これ読んで好きになったよ」
と友人が電話をしてきてくれました。

1980年生まれの私達は、
彼の音楽よりもゴシップのほうが、記憶に焼き付いています。
だから、金曜日の夜に、
「今からマイケルを書こうよ」と誘われたときは、ためらいました。

熱く語るディレクターの千葉さんに、
私がぶつけた言葉は、
「マイケルの少年愛は、どう思いますか?」

千葉さんの答えは、
「あれはホモセクシャルな愛ではなく、純粋な友情だよ。
マイケルが信じられるのは、動物と子供だけだったんだ」

それは、私には無い視点でした。
もし、「マイケルほどの天才なら、何しても許されるよ」
という答えだったら、書けなかったかもしれません。

私には真実は分からないけれど。
マイケルを信じる千葉さんを信じて、書こうと決めました。

マイケルを紐解いていくと、
彼の才能や完璧さ、苦しみや喜びが、どんどん見えてきて、
こんな人を、よく知らずに嫌ってしまうのは、
もったいないと思うようになりました。

明るくなる頃に書き上がった7本の原稿は、
一夜漬けの拙さがあったのですが、
古田さん、千葉さん、VieVieさんのおかげで、
マイケル追悼特集として完成しました。

私とおなじように、
あたらしいマイケルファンが誕生しますように。

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