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蛭田瑞穂 18年6月10日放送

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時の記念日 陛下の時計

スイスのある時計メーカーの顧客リストを見ると、
ヴィクトリア女王、ワーグナー、アインシュタインなど
そうそうたる名前が並ぶ。

しかし、日本のメーカーも負けてはいない。

昭和2年、
ある晩餐会でひとりの紳士が陛下に舶来の時計を自慢したところ、
陛下はズボンの右ポケットから懐中時計を取り出し、
国産品だけれども、とてもよく合うとおっしゃった話が
伝えられている。

その時計の値段は12円50銭だったそうだ。

今日は、時の記念日。

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蛭田瑞穂 18年5月13日放送

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Mr.ちゅらさん
ひらめき 安藤百福

日清食品の創業者、安藤百福が1958年に開発した
「チキンラーメン」にはこんなエピソードがある。

インスタントラーメンの商品化に必要な長期の保存性と、
お湯を注ぐだけで食べられる利便性。
そのふたつを実現するために安藤は試行錯誤を重ねたが
どうしてもうまくいかない。

ある日、妻が台所で天ぷらを揚げる姿を見て、
安藤は麺を揚げることを思いついた。

試してみると、乾燥状態となった麺は保存がきくようになり、
お湯もよく吸収するため、数分で柔らかくなるようになった。

のちに安藤百福はこんな言葉を残している。

 発明はひらめきから。ひらめきは執念から。
 執念なきものに発明はない。

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蛭田瑞穂 18年5月13日放送

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ひらめき 藤本弘

ドラえもんの生みの親、藤子・F・不二雄こと藤本弘。
しかし、その誕生には途方もない苦しみがあった。

新連載の締め切りが迫っていた1969年11月。
作品の構想が浮かんでいないにもかかわらず、
藤本はアイデアがすぐに浮かぶ便利な機械を空想したり、
ドラネコのノミ取りなどをしたりと無駄に時間を過ごしていた。

そして締め切りの日の朝、絶望しながら階段を駆け下りたところ、
娘のおもちゃの起き上がりこぼしにつまずき、
その瞬間「ドラネコと起き上がりこぼし」が結びついた。

ダメな人間を機械が助けるというストーリーも
自分の姿に重ね合わせてその時ひらめいたという。

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蛭田瑞穂 18年5月13日放送

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dominicotine
ひらめき 仲畑貴志

1980年代のコピーライターブームを牽引し、
今なお広告の第一線で活躍するコピーの神様、仲畑貴志。

「おしりだって、洗ってほしい。」
「ココロも満タンに」
「一緒なら、きっと、うまく行くさ。」

記憶に残るコピーを数多く生み出してきた天才にも、
コピーがひらめかない時はあるのだろうか。

かつて仲畑貴志はあるウイスキーの広告でこんなコピーを書いている。

 いいコピーが、スッカラカンに書けない時は、
 軽く飲んで、早く寝るしかないなあ。

恐れ入りました。

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蛭田瑞穂 18年4月15日放送

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dick thomas johnson
壁を越える ヒュー・ジャックマン

ミュージカル映画『グレイテスト・ショーマン』。
撮影前、最後の練習の前日、
主演のヒュー・ジャックマンは鼻の皮膚癌の治療のため、
80針を縫う手術を行なった。
医者からは歌うことを固く禁じられた。

翌日、練習が始まる前に「今日は歌えない」と
メンバーに宣言したヒュー・ジャックマン。
しかし最後の曲で冒頭部分を歌ったところ、
気がつくと最後まで熱唱していた。

 歌いだしたらやめられなくなってしまったんだ。
 その後縫い直してもらったんだけど、
 医者からはすごく怒られたよ。

主演俳優の映画にかける思いが
まちがいなく映画制作の推進力になった。

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蛭田瑞穂 18年4月15日放送

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Photo by Mike Benna on Unsplash
壁を越える 村上春樹

村上春樹のエッセイ「ランゲルハンス島の午後」は、
中学一年の春、生物の最初の授業で教科書を忘れ、
自宅まで取りに帰された出来事が綴られている。

教科書を持って学校に戻る途中、
公園で一息つこうとした村上少年は春の匂いに誘われて、
そのまま芝生に寝転んでしまう。

 頭の下に敷いた生物の教科書からも春の匂いがした。(中略)
 まるで春の渦の中心に呑みこまれたような四月の昼下がりに、
 もう一度走って生物の教室に戻ることなんてできやしない。
 1961年の春の温かい闇の中で、僕はそっと手をのばして
 ランゲルハンス島の岸辺に触れた。

人は時にはさぼってもいいんだよ。
村上春樹がそう言っている気がする。

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蛭田瑞穂 18年4月15日放送

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tokyoform
壁を越える 山口瞳

今日で4月もちょうど半分。
新社会人の中には壁にぶつかっている人がいるかもしれません。

元サントリーの社員で、直木賞作家でもある
山口瞳さんはかつて新社会人に向けて
こんなメッセージを寄せています。

 失敗したらどうするか。
 クヨクヨせずに、朗らかに、キッパリと、
 あやまって廻りたまえ。
 書く申す僕だって、何度かそれをやってきた。
 (陰の声。いまでもやっているよ)
 諸君!この人生大変なんだ。

人生の大先輩の言葉が背中を押してくれる。

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蛭田瑞穂 18年4月15日放送

180415-08
ArtBrom
壁を越える イチロー

2017年、アメリカのCBSテレビ系のローカル局RHV11が
スポーツ界で人種の壁を破った15人を発表し、
15番目にイチローの名を挙げた。

その理由として同局はこうコメントしている。

「日本人選手でイチローほど成功した選手はいない。
 彼は年間最多安打記録を更新し、10年連続で200安打を記録した。
 日本人選手がメジャーリーグで活躍できないということを
 イチローは反証した」

そのイチローは壁についてこんな言葉を残している。

 壁というのは、できる人にしかやってこない。
 超えられる可能性がある人にしかやってこない。
 だから、壁がある時はチャンスだと思っている。

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蛭田瑞穂 18年3月18日放送

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お金 デヴィッド・グレーバー

貨幣はどのようにして生まれたのか。
アメリカの文化人類学者デヴィッド・グレーバーの研究によれば、
貨幣が生まれたのは紀元前約3000年のメソポタミア、シュメール文明。
貨幣は官僚によって発明され、都市に貯蔵される資材の管理や
物資のやりとりに使われた。
そして、その貨幣は金属ではなく、粘土板に刻まれた印だったという。

グレーバー教授はこう語る。

 物々交換から貨幣が生まれたのではない。
 わたしたちがいま「仮想通貨」と呼んでいるものこそが最初にあらわれ、
 硬貨はそれよりはるかにあとに出現したのである。

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蛭田瑞穂 18年3月18日放送

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お金 カネゴン

子ども向けの特撮番組「ウルトラQ」の脚本家山田正弘と
怪獣デザイナー成田亨が生み出した怪獣「カネゴン」。

頭はガマ口で口にはファスナー。
体は10円玉のような銅の色。
胸にはレジスターのカウンターがついていて、
食べたお金がカウントされていく。
カウンターがゼロになると死んでしまうため
絶えずお金を食べ続けている。

「ウルトラQ」の放送が始まったのは
高度成長時代真っ只中の1966年。

大人だけでなく子どもまでもが
お金お金と口にするようになった世の中に対する風刺から
怪獣カネゴンは生まれたという。

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