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門田 陽 09年5月30日放送

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ナンバー2物語 長井淳子

1999年ユニバーシアード金メダル、
2000年アジア選手権金メダル、
同年フランス国際大会金メダル。

世界選手権でもオリンピックでも間違いなくメダルが獲れる選手だ、
と誰からも言われた長井淳子。

しかし2000年のシドニーオリンピックに彼女の姿はない。
その年、引退。

「田村亮子選手に負け続けたことで得たものが私にはあります。
その経験を今後必ず生かしたい」

現役を退いたときの彼女が言った言葉は本音だったのだろうか。

対田村10戦10敗。
ただしいずれも僅差の判定。
一度も一本負けをしていない。
得意の内股でほんとにあと一歩まで田村を追い込んだただ一人の逸材だった。

2008年北京オリンピック63kg級日本代表 谷本歩はそんな長井の教え子だ。
決勝戦、谷本が金メダルを決めたのは長井の得意な内股だった。

彼女の言葉は本当だった。

no2

ナンバー2物語 土井宏昭

中学2年、半分遊びではじめた陸上競技だった。

人並み以上の体格と図抜けた運動神経の持ち主は
翌年の全国大会砲丸投げであっさり優勝。

地元ではヒーローだった。
ちやほやされた。まんざらでもなかった。

高校からはハンマー投げに取り組み、陸上の名門中央大学へ進学。
そこで彼は初めて大きな壁を目の前に見ることになる。

同じ大学の先輩 室伏広治。

自分の投げるはるか10メートル以上先を軽々と超えていく室伏のハンマーに
彼の自信は打ちのめされた。
幼いころから目立ちたがり屋で負けず嫌いの彼の前には
それからいつも室伏の背中があった。

日本選手権6大会連続2位。
「万年2位」とあだ名がついた。悔しかった。

2006年ドーハで行われるアジア大会に室伏がケガで欠場。
思わぬチャンスが訪れた。
金メダルの期待が高まった。

しかしプレッシャーなのか本来の実力を出しきれずに3位。

終了後
「いつも一番でいるよりも、いつかは一番がいいかもな」
と彼は感じた。

彼の名は土井宏昭。

その翌年の2007年、74m08cmの日本歴代3位の記録を出し
室伏広治と共に世界選手権日本代表に選ばれた。

いつかは一番になるのもいいかもしれない。

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門田組・門田陽

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09年5月参加決定

門田陽の仕事
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