2010 年 8 月 1 日 のアーカイブ

佐藤延夫 10年08月01日放送



「室生犀星と川」

石川県金沢市には、
市街地を挟むように、ふたつの大きな川が流れる。

地元で女川と言うのは浅野川で、
男川と呼ばれているのは、犀川。

その犀川のほとりに、ひとりの詩人がいた。


 うつくしき川は流れた
 そのほとりに我は住みぬ
 春は春、なつはなつの
 花つける堤に坐りて
 こまやけき本のなさけと愛とを知りぬ

ふるさとを愛した詩人、室生犀星は
明治22年の今日、8月1日に生まれた。



「室生犀星と伊豆」

伊豆修善寺から少し南に下ると吉奈温泉があり、
さらに南下すれば、湯ケ島温泉に辿り着く。

どちらも明治、大正時代の文人が多く訪れている。
詩人、室生犀星の場合、
温泉旅館でじっくりと思索にふけるだけではない。
萩原朔太郎らと集まり、
どんな日々を過ごしていたのか。
この句を聞けば、だいたい想像がつく。


 萩原の朔太のいびき恐れつつ
 別室にねる夏の伊豆山

賑やかで静かな伊豆の山々が目に浮かぶ。



「室生犀星と母」

詩人、室生犀星の幼年期は、
まるで昼ドラのように悲劇的だ。

父は加賀藩の足軽で、母はその家の小間使い。
世間の風当たりが強い不義の子は、
生後7日で里子に出された。

貰われた先の養母は犀星を怒鳴り散らし、
召使いのように扱った。
そのときの記憶は、詩の中に現れる。


 なににこがれて書くうたぞ 一時にひらく うめすもも
 すももの蒼さ身にあびて 田舎暮らしのやすらかさ
 けふも母ぢゃに叱られて すもものしたに身をよせぬ

幼き日の、虐げられた思い出は
犀星の作品に大きな影響を与えたが、
晩年、こんな言葉も残していた。


 継母に私が仕へなかったら、
 私は何一つ教へられなかったであろう。
 私は彼女にはじめて感謝の言葉を捧げたいくらゐだ。

母という存在は、年齢を重ねるほど淡く、優しく深まっていく。



「室生犀星と魚」

静岡県、伊東の浄円寺には
境内に小さな池があり、奇妙な魚が棲みついていた。

当時の資料によれば、
蛇鰻、毒魚、迅奈良(じんなら)、横縞、湯鯉。
こんな面白い池を見て、
室生犀星が詩に残さないわけがない。


 伊豆伊東の温泉(いでゆ)に
 じんならと伝へる魚棲みけり
 けむり立つ湯のなかに
 己れ冷たき身を泳がし
 あさ日さす水面に出でて遊びけり

「じんなら魚」というのは、コトヒキのこと。
海の魚が棲む不思議な池は、残念ながらもう残っていない。



「室生犀星と虫」

殺していいのは、蝿と蚊だけ。

詩人、室生犀星は、
家族にこんなルールを作った。
蟻の行列を見つけたら踏まないように歩き、
夕立があると、洗濯物よりも先に
大切な虫かごを軒下へ避難させた。

それだけではない。
毎年、軽井沢へ避暑に行くときには
各地から、きりぎりすや草ひばりを取り寄せた。
初夏の軽井沢で、虫の声なんて聞こえないからだ。
二十個いつも近い虫かごを書斎の机に並べていた。

軽井沢を離れるとき、虫たちを野に返したが
お気に入りの数匹だけは、そっと持ち帰った。
いかにも彼らしい話だ。


 なにといふ虫かしらねど
 時計の玻璃(はり)のつめたきに這ひのぼり
 つうつうと啼く
 ものいへぬ むしけらものの悲しさに

彼が小さな虫にまで愛情を注いだのは、
あらゆる生き物の中に、
小さな悲哀を見つけたからなのだろう。



「室生犀星と花」


 庭に咲いているものは、土からの花を見て楽しむもの。

詩人、室生犀星は、庭に咲く花を愛した。
とりわけ、金沢から持ち帰ったという岡あやめ。
犀星は庭をこの花で一杯にしたかったようだ。
これは、ある日の日記から。


 あやめ、紫のえりを覗かす。明後日あたり開くべし。

 あやめ、けふはじめてひらく。

 あやめ百二十五輪、けふが花ざかりと言ふべきか。

あやめの一番蕾を見つけた家族には
チョコレートを褒美に出したというくらいだから、
その寵愛ぶりには、恐れ入る。



「室生犀星と鳥」

懸巣、小綬鶏、五位鷺、頬白、鵯、鴬。
(かけす、こじゅけい、ごいさぎ、ほおじろ、ひよどり、うぐいす)

詩人、室生犀星は
ある日、飼っていた鳥たちを一斉に空に放った。

それは、脳溢血で倒れた妻のとみ子が
一命をとりとめたあとのことだった。
その理由を、娘にこう告げている。


 とみ子の命はどうやらこれで大丈夫らしい。
 その身代わりに鳥たちを本来の生活に戻してあげるのだ。

いちばん大切な、ひとつの愛だけを守る。
これが詩人のルールなのかもしれない。



「室生犀星とふるさと」

詩人、室生犀星と言えば
あまりにもこの作品が有名だ。


 ふるさとは遠きにありて思ふもの
 そして悲しくうたふもの

犀星が、最後にふるさとの地を踏んだのは、52歳のときだった。
73歳で亡くなるまで彼は、
金沢に流れる川、犀川の写真をいつも忍ばせていたという。


 ひとり都のゆふぐれに
 ふるさとおもひ涙ぐむ
 そのこころもて
 遠きみやこにかへらばや
 遠きみやこにかへらばや

この夏、あなたは、ふるさとに帰りますか?
それとも遠くから、懐かしき風景を思いますか?

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